小説と未来 -79ページ目

新世界87-夢世界 25-1

2022年夏、僕は再びボスの住むマンションの夢を見る。


いつものように、ワインが用意された。爽やかな甘酸っぱさが口の中に広がるワインだ。僕も少しはワインの違うがわかるようになった。


いつもの暗い部屋だ。そして煙草の煙が宙を漂っている。

僕は相変わらずソファーに座って、ボスの真向かいでくつろいでいる。


「どうして今日は、僕をここへ?」

珍しく、僕から先に質問してみた。


「俺は思う。俺が君をここへ呼んだのではなくて、君が俺の場所へ来るように手配した

と、ボスは答える。


「何の事だか、よくわからない。左の男がここへ連れてきた。それは貴方の指示ではないのか?


「さあ、俺はあいつにそんな指示をしたかな?正直、よく覚えていない。いつも俺はよくわからない。君は俺の中に急に入ってきた。そして俺がしたい事に応えてきた。それはとても不思議な気分だ。俺は君が何者なのか、未だによく知らない。ただ君は確かに俺の力になっている」


「ボス、貴方が僕に与えた使命を忘れたのですか?そして貴方がやろうとした事に僕は賛同したんです。それだけの事ですよ」


ボスは煙草の持つ手をこめかみにあて、少し考えてから答える。

「そう。俺は夢を見ている。それは俺の夢じゃない。誰かの夢だ。そしてその夢の通りにやると、俺のやりたかった事を叶える事ができる。不思議な感触だが、俺がやろうとしている事はその誰かが見ている夢の力によって完成しようとしている。そこにはいつも君がいる。君は誰かが見ている夢の中心にいて、とても力を持っている。俺は君に試練を与えたし、大義名分を与えた。それは俺が君という人間がその夢にとってどれだけ重要な人物かという事を試したかったからだ」


僕には彼の言おうとしている事がよくわからない。ただ僕が知っている事はこれが僕の夢だという事、そして彼の言っている誰かの夢とは僕の夢の事ではないかという推測だけだ。

「よくはわからないが、これが誰かの夢だとして、その夢の通りやれば貴方の夢が叶うとしたら、貴方はただの誰かの夢の中で、夢を叶えようとしているただの夢の登場人物になってしまいますが?」


俺には確かな意識がある。ただ夢を借りて、意識を持って生きている


「誰かの夢の中で意識を持って生きている?」


「俺の知る限り、この世界で意識を持つものはそうたくさんはいない。少なくとも俺には意識がある。そして俺は君も意識を持った人間だと感じている」


ボスはこれが夢である事を知っている。どんな夢かはわかっていない。

でもボスはこの夢が、2012年の僕が見ている2022年の夢である事に気づき始めている。これが夢である事を知っているのは僕だけのはず、なぜならこれは僕の夢なのだ。


「ボスは少し狭い世界に閉じ込められすぎているのではないですか?たまには昼の外にでも出たほうがいいですよ。そうすれば現実を感じられるはずだ」

僕はそう言って、ボスの意識をはぐらかす。


「その必要はない。俺はもうすぐ満たされようとしている。俺の知る限り、君は何かを隠している。隠しているが、俺はそれを知ろうとするつもりはない。俺はもうすぐ目的を満たそうとしている。俺はもう十分だ


僕はボスが何を言おうとしているか、わからない。だからワイングラスに口を付けて、心を落ち着かす。


そうか、俺はわかったよ」とボスは言う。「このマンションはすでに何者かに包囲されている。君は左の男と共にこのマンションを脱出し、川を三つ越えたところにある右の男の住処まで逃げなくてはならない」


「何を言い出すんですか?急に」


暗闇の中でボスの老けた顔が暗闇に消えようとしていた。そこにはもうすでに誰もいないかのようであった。僕はふと周りを見渡した。ボスの世話係をしていた中年の女が奥の部屋に姿を隠す。

僕は一人取り残されたかのような気分になる。


「いいか。俺は君に託すことにした。俺の意識はもうすぐ消える。そして俺の意志は君を含めた何人かに受け継がれた。人は消えてゆく。意志だけを託し、人はやがて消えてゆく。俺は君が生まれるよりずっと前から生きてきた。多くの成し遂げたい事があったが、全ては志半ばで途切れた。今もまた途切れようとしている。それでも俺の意志は受け継がれてゆく。俺には生きた価値がある。君たちに与えた意志、それが俺の生まれ生きた理由だ。俺は君に託したい。俺が生きた魂を君が継ぐ。そして成し遂げてくれる事を祈っている」


表のドアが開く音が響き渡る。

左の男がやってくる。


「大変だ!俺たちは囲まれた。サツの野郎に見つかったみたいだ。かなりの人数に囲まれている」

左の男は僕にそう伝える。


僕は何がなんだかわかっていない。


「ボス!早く行こう!」

左の男はそう言う。


僕はボスの座っていたソファーを見つめる。でもそこには誰もいない。いたはずの誰かは消えてしまっていた。僕は左の男にその事を伝えようとする。だけど左の男は僕の視線に見向きもしない。左の男が見ているのは僕の方だ。

「ボス。早く行きましょう」

左の男は僕をボスと呼んでいる。


僕にはなんだかわからない。でも僕は知っている。立ち上がり戸棚を開ける。そこには拳銃が何丁か入っている。僕はその全てを下に置いてあった黒い革のリュックサックに詰め込む。ここから離れなければならない。そして川を三つ渡って、右の男が住む場所まで辿り着かねばならない。


〈つづく〉


新世界86-運命の幸雲 8

幸せなはずなのに、小さな不安は消えてくれない。


だからニシキは自分自身を責めている。まだ結婚詐欺の仕事をちゃんと辞めたわけじゃない。それに沙希にもちゃんと伝えていない。今住んでいる家も解約しなくてはならない。なんとなく、沙希の家でぼぅーっとしていられるニシキだが、本当は仕事をしなくてはならないだろう。


やらなくてはならない事がたくさんある。そしてそのどれもが何一つうまくいきそうにない。そもそも人間嫌いで、ゴミの山でゴミくずを拾って暮らし、何かを始めたかと思えば結婚詐欺だ。辿り着いた場所は平凡な小学校の教師をしている女の家、何もかもが間違っている。


気分は優れない。何かをしなくてはならないニシキが思い浮かぶ事は何もない。

何かをしなくてはならない。

だけど、何も出来ない。そもそもしたい事もないし、どうしてもしなくてはならない事もない。

『このままでいいのかな?いいわけないさ』と、悩むばかり。


でも何もしないまま、日は暮れてゆく。


沙希が家に帰ってきた。


「おかえり」


「ただいま」


沙希はいつもながら不穏な空気を溜め込んでいる。そしてニシキに話し出す。

「もおおおおおおお、ほんんんんんとおおおおおおおお、嫌ななの。嫌なのよ。どうにもならない。どうにも出来ない。どうしていいかわかんないの。ほんんんとおおおおおおお、今日もちょおおおおおいやだった」


「ほんと、世の中、やな事、ばかりさ」


「???どうしたの?いつもより暗いよ」


「そうか?僕は本当はこんなものさ。暗い人間なんだ。悪いことばかりやって、うそばかりついていたんだ」


「らしくないよ。いつもの笑みを見せて」

そう言って、沙希は微笑む。


いつもと逆の立場だ。沙希が励まし、ニシキが励まされる。

でもニシキは元気になれない。一日で解決するような問題じゃない。


「本当に、僕はここにいて、いいのかな?」


沙希は微笑んだ。

「そんな事を悩んでいたの?そんな事で悩むことじゃないのに」


「でも、僕は君が思うより、悪い事をして、ここに来た。やがては警察に捕まってしまうかもしれない。そうすれば君も何らかの形で巻き込まれることになる。警察でなくても、僕にはいろいろな仲間がいた。僕は君と暮らすためにそいつらと縁を切らなくちゃならない。そうするとどんな仕打ちに合うかわからない。君も巻き込まれるかもしれない」


「いいんだよ。そんなの。わたしは、ニシキ君が傍にいてくれればそれでいい。どんな目に合おうといいよ」


「そんな単純なことじゃない」


「わたしだって、そんな単純に答えているわけじゃない。だってあなたに会えなかったら、わたしはもうとっくの昔に死んでいたかもしれない。とても苦しくて、つらくて、どうしていいかわからなかった。あなたに会えたから、今のわたしがあるんだよ。どんな形でも、今ここにこうしていられる事が救いなの」


人間なんて、一人も信じられないはずだった。世の中の幸せな人間は皆敵だった。ニシキはそうやって生きてきた。でも今、彼は心から幸せを感じている。幸せを感じた事のない人間が幸せを感じると戸惑う。本来の自分でない気がしてくる。いつもすぐ未来に不幸が訪れる気がするし、少し過去の自分の落ち度を責められる恐れを感じてしまう。

ニシキは自分に戸惑った。幸せはイコール自分らしくない気がした。

『でも、そんな事は考えるべきじゃないんだ』とニシキは自分に言い聞かせる。


幸せが訪れる。幸せがある今に、過去も未来も関係ない。ありのまま、望むまま、君はそこへいてもいいのだから。

新世界85-無職の暇人 19

脳みそのない人間の話。


49歳男性、脳みそが無くなって、2年が経つ。

既婚。子供二人。長男は中学3年生。長女は小学4年生。

男性は脳みそが無くなっていたが、変わらない生活を続けている。

体はいたって健康そのもので、彼は今日も味噌カツ工場の工程管理を行っている。

仕事は真面目で几帳面、細かいところがあり、融通が利かないところがあるが、仕事に支障は無い。

家庭でも、妻と子供の話をよく聞き、いい夫であり、いい父親である。

しかし彼には脳みそが無い。

脳みそがないから何となくつまらない人間だ。


世の中の人はめったに脳の検査なんてしないから、わかっていないかもしれないが、脳みそはその内腐ってなくなってしまう。あまり腐ってしまうと、自然と無くなってしまうものなんだ。



この話は嘘である。

あの嘘つき野郎といえば、そいつを指すくらい僕ら仲間内で名前の通っている大島君の作り話だ。


「まだ仕事見つからないのか?」

大島君は僕に普通の質問をしてくる。


「どうしたらええかねえ」

と、僕は普通に悩んで尋ねる。


「そうだなあ。いざとなったらずっと寝てるんだな。頭がおかしくなったと思われて、病院で寝てられるんじゃないか?」

なんて大島君は言う。


すでに僕が頭のおかしい事を、大島君は知らない。僕は長い夢を今も見続けている。

2011年末に始まった夢は今もまだ続いている。


しかし本当に頭がおかしいふりをしたら、ずっと病院で寝てられるだろうか?嘘つきがいう事だから信用ならない。いやその話は適当な嘘である事を僕は知っている。でも願望から言ったら僕はずっと寝ていたい。


冬は寒い。


2013年冬。寒い毎日が続いている。

僕は嘘つきの家で、嘘つきの話を参考にしている。

何の役にも立たないが…。

新世界84-運命の幸雲 7

沙希はいつもの公園のベンチにいてくれた。


半年前と何も変わらない。夏は過ぎてしまっていた。つらい事もあったろう。でも沙希は変わらずに毎日を送っていてくれた。ニシキにはそれで十分だった。


いつかこうなる日が来るのを沙希は待っていた。

二人の気持ちは一致していた。すれ違う可能性がなかったわけじゃない。もう少し遅かったら、沙希はニシキの事を諦めて、仕事を辞めて、自殺していたかもしれない。ニシキがその日公園を何度か訪れて、沙希に会う事がなかったら、諦めて目的のない旅に出てしまったかもしれない。でもその日その時、二人は同じ場所で出会った。初めて出会ったときのような、当り前にして極偶然のような出逢いであった。


「伝えないといけない事がある」

公園のベンチに座っていた沙希に近づき、ニシキはそう告げた。


沙希は顔を上げて、ニシキの顔を見返した。


「僕は、家も、行く場もなくなってしまったみたいだ。君には散々嘘をついた。僕は何もない人間だから」


沙希は怒った顔を浮かべた。

「わたしも言いたい事がたくさんあるんです。言いたい事がたくさんありすぎて、胸の中がすっきりしなくて、どうしようもないんです」


ニシキは頷いた。

「何でも聞くよ。君の言うとおりにする」


「学校の教頭の話もしたいし、体育担当のハゲおやじの話もしたい。悪がきの話もしたいし、優等生だけどむかつく男の子の話もしたい。わたしはあなたに話を聞いてほしかったのに、どうしてどこかへ行ってしまったの?」

沙希は少し怒鳴ったような声でそう言った。


ニシキは驚いた。

「本当に、君が僕に言いたいことはそんな事だけなの?僕に対してもっと言いたい事もあるだろう?」


沙希は首を横に振った。

「特にはないです。特にはないですけれど、できる限りわたしの話を聞いてほしい。聞くだけ聞ける場所にいつもいてくれればいい。私のわがままですけど」


いつもよりナチュラルな沙希がそこにはいた。自然な感じで、沙希はニシキに話しかけていた。


「いいよ。いくらでも聞くよ」

そう言って、ニシキは沙希の隣に座った。


それから長い長い愚痴が始まった。普通の人が聞いたら本当にイライラする話だろう。だから何なのか?何がしたいのか?沙希はいつもはっきりしない。だけどニシキはその話を聞くことができた。ニシキは気づかなかったけど、人と会話をする事に餓えていた。誰かと話をする事が面倒だった昔と違い、今は誰かと話がしたかった。そしてそれはできる限り信用のおける相手の話が良かった。ニシキにとって沙希ほど信用のおける相手はいなかった。誰も信じずに生きてきたニシキが始めて心を許せる相手が沙希だった。


きっとニシキは沙希の色々な話を聞いていくうちに、沙希の様々な部分を知ってしまったのだろう。嫌な部分も、好ましい部分も、沙希はニシキに打ち明けたから、ニシキは沙希を信用しきってしまったのだろう。

それはカウンセラーだなんて騙したニシキの過ちのせいである。だけどその過ちがむしろ良かったのだ。宗教家でもなく、占い師でもないカウンセラーだったから、ニシキは沙希の話を聞いた。沙希は素直に自分を話した。それだけだった。それが二人には互いに必要な事だった。


その日も長い沙希の話が続いた。

やがて日が暮れて、夜、肌寒くなって、二人が同じ家に帰ることになるまで、二人の会話は続いた。


いろいろな小さな偶然が二人を結び付けていた。


新世界83-夢世界 24

2022年、夢の中の僕は視界を狭めた。


難しい事を考える必要はない。遠い未来はわからない。ただ僕はボスの言うとおり、金持ちから金を奪い取る。その作業に専念する。

不安はすぐによぎる。夢は小さなミスさえ見せる。指紋が検出されないか、殴った奴を殺してしまったんじゃないか、などなど嫌な夢が心の内を揺さぶる。



いくつの夢を見た事だろう。どれだけの汗をかいただろう。


現実は2012年だった。僕は夢に縛られていた。



2022年7月、僕は久しぶりにボスからお呼びが掛かった。

『ひょっとしたら、目的までもうすぐ僅かなところまで来ているのかもしれない』と、僕は笑みをこぼす。


僕は家具に囲まれたマイホームにいる。

夜の事で、コウキ君はすっかり眠っていた。

ふと、昔の事を思い出す。家の隅で雨宿りしていた少年もだいぶ立派になった。まだまだ子供だが、身長も僕に近づくくらい伸びた。子供の成長は早いものだ。

もしこの少年がいなかったら、僕は駄目だったかもしれない。不安に潰され、この場を諦め、どこかでゴミをあさって暮らしていたかもしれない。コウキ少年の寝顔に助けられる。

ここ最近、僕は少し変わったような気がする。なんだか意識がはっきりしている。とても現実的だ。僕は夢の中で現実のように生きている。こんな事があってもいいのだろうか?


家具だらけの部屋、こんな部屋だったろうか?僕はこの空間の夢をあまり見ない。そうこれはやはり夢だ。僕はこの世界のいろいろな事を知らない。視界は狭い。いつも同じ場所にはいない。いつも話は続いているけど、この夢は僕の居場所を飛ばす。いろいろな事を僕は忘れてゆく。


ふとそんな事を、夢の僕は思う。

きっともうすぐ、この夢は終るんじゃないかと感じている。この夢が終り、僕は現実に戻される。鍛えられた体もなく、求める事を追う使命もなくなる。コウキ君とももう会えない。もともと存在などしていない。この全ては僕の夢なのだから。

『こんな夢から目覚めたい』と思っていた頃もあった。でも今は夢から覚めたくない。恐くて不安な事がたくさんあるけど、僕は確実に生き生きしている。

現実の僕は、確か?夢の中ではよく思い出せないが、もっと駄目な人間だった。もともと僕は駄目な人間だった。今の僕が嘘のようだ。

強がって、格好つけている。これは僕じゃない。僕の理想だ。きっと僕はこんな僕になりたかったのだろう。

43歳の夢でやっと僕は理想を見つけた。

僕は理想になった。


2022年の夢の中で、僕は前向きに生きている。