小説と未来 -54ページ目

『何気ない毎にちを貴方に伝う』2ノ10


都会の灰臭い空気を吸っていた。薬味に鉄臭い味がする。

1ヶ月程、森の中の別荘で暮らしていた彼は東京の空気にそんな感触を感じている。


やたらと人が多く、ごみごみしている原宿の明治通りを慌しい気持ちにさせられながらポルシェで過ぎてゆく。


「人里離れた山奥も寂しいもんだが、人が多く過ぎるのも鬱陶しいもんだな」

彼は助手席に座る髪の長い女にそう話し掛ける。


「そうですね」と、女は愛想のない返事をする。

心の中では、東京に帰りたいと言ったのはあなたでしょ!?と言いたい。その気持ちを抑えている。


女は彼よりもごみごみした都会が好きではない。

人間関係も面倒だ。だから本当は帰らずにずっと山の中の別荘に居たかった。

東京にいると煩わしい関係が待っている。会社の人には彼との関係をこそこそ言われるだろうし、友人には有名人を紹介してとかまた言われるだろう。彼女はそんな特別な事なんて何一つない生活を送っているのに、彼との事や編集者の仕事をしている事であれこれ想像されて面倒くさい思いをする。

しかし彼女は強く言えないから東京に帰ってくると、無理していろいろあったように振る舞い、いろいろ気を使っていろいろな人と付き合わなくてはならない。

彼女はそういう女だ。


彼は彼女が都会が嫌で面倒な気分をなっている事を理解しているが、それを気にせずに黙って運転を続けた。



都心の高級住宅街にある15階建てのマンションの一室に彼は住居を置く。

地下の狭い駐車場に車を入れ込み、12階に上がる。


部屋は32㎡ワンルーム。LDKの部屋に住む暮らしもできるが彼は暮らしに一般的な生活観を求めなかったので、そんなだだっ広い部屋に住んでいる。

玄関側にに大きな冷蔵庫とドラム式洗濯機があって、窓傍に大きなダブルベッドが置かれている。広く開いたスペースにオレンジ色のカーペットが敷かれ、東の隅に机が一台置かれている。

後は何もない。

雑多な物は3つある大きなクローゼットか、別荘に置かれているから、部屋のパッと見は本当に何もない。

彼はそんな部屋を好んでいる。


相変わらず何もないな、と女は思う。


「はああ、疲れた」

彼はそうとだけ言うと、大きな背伸びをして、それからベッドにバタンと横になった。それからまるで動かなかった。スイッチの切れたロボットのようにうつ伏せのまま眠ってしまった。


髪の長い女はオレンジ色のカーペットの真ん中に座り込んで、これからいろいろありそうな関係に面倒な事を感じながら、それでも戻ってきた事に嘘をつけないと頭を悩ませるのであった。


(つづく)

『何気ない毎にちを貴方に伝う』2ノ9


どこにいる、どんな人間も基本的には似たような毎日を繰り返すものだ。


彼は別荘で1ヶ月を過ごす。作家としては4年になる。

10年、20年同じ会社に勤めるサラリーマンに比べれば、彼は遥かにいろいろな経験をしている。先日は南の島にも行ったし、この1年間でいろいろな旅行をしている。

それでも1ヶ月間、同じ別荘で同じ小説を書いていると飽きてしまう。


わがままな話だ。


想像できないでいる1週間を過ごしている。

いつもの書斎にある木の椅子の背もたれに背を凭れて、首の後ろで腕を組んで、椅子の前脚を浮かせてバランスを取って、天井の木の模様を見上げている。


髪の長い女は焼き芋が食べたくなって、車で10分ほど下った所の住宅地を巡回する焼き芋屋を探しに出かけた。

しばらくは帰ってこないだろう、と彼は何気なく彼女の事を考えてみる。空想にふけようとするがそんな無駄な意識が邪魔をする。仕事の進まない日の無駄な生き方をする。

ふと思いつけばまた筆が走り出すだろう、と信じて彼はただのんびりと過ごしている。



書斎での空想を諦めた彼は、居間にやってきてソファーにドカッと座る。ダラダラ過ごしてもいいかと諦めている。


すると外で車のエンジン音がして、やがてドカドカと慌てたように、髪の長い女が帰ってくる。

「おかえり」と、彼はソファーに横になって顔を上げて答える。


「あ、ああ、ただいま」と、書斎でなくソファーにいた彼に微妙な驚きをした女が答える。


火傷をしそうな程のホクホクの焼き芋が現れて、二人はミルクティーと一緒にそれを味わう。


彼女は他愛のない近所話や芸術の話をし始める。

あれはどうだのこれはどうだの言って、彼は相槌を打つ。それから会社の話になったり、音楽の話になったりして、尽きる事はない。


髪の長い女の退屈話は芋もお茶もなくなっても続く。

彼女もまた、退屈なのだ。



いったいいつまでこんな退屈が続くのだろう?


それは彼にとってだけじゃない。むしろ僕にとって言えることなのかもしれない。


君にとってはどうだろうか?


いつまでこんな毎日を繰り返しているんだろう?


(つづく)

『何気ない毎にちを貴方に伝う』2ノ8


小さなマグカップに薄いカフェラテを入れ、程よくぬるめに温めて飲んでいた。

彼は、あれ、をした後だから、心はぐっと鎮まっている。大きな枝が折れたようで、彼は大きな自信に満ちたような目をしていた。


髪の長い編集者の女は何も知らない。いつもの繰り返しに戻ったところで未来を少し心配している。

ダイニングのテーブルに肘をつき座って黙っている。

たとえばもし結婚となったら、編集者を辞めるわけにもいかないし、でも続けるわけにもいかない、なんていうようなまだ彼と一度も話をしていないような事を、先走って考え続けている。


暗い森の中の別荘はいつになく静かだ。

秋の涼しさが増していて、外に出ると手足が冷える。部屋の中のストーブに温まって、二人は特に何をするわけでもない時間を送っている。

近くにあるマンションタイプの別荘には紅葉を見に、二家族ぐらいの集団がやってきていた。他人との付き合いの面倒な二人は余計に家から出ようとはしない。


彼はカフェラテを飲みきってしまうと、書斎へと向っていった。

二人は言葉を交わすこともなかった。喧嘩をしているわけでもなく、お互いどちらかというと言葉足らずの一面を持つ性格なので、会話のない、とは状態では本当に会話がないという事だ。

彼女はたまにその事で不安を感じて不満を増すけど、今回は気にせず彼を書斎に見送った。



木洩れ日の降り注ぐ書斎で彼は創作活動に打ちかかる。

窓の外の葉葉はすっかり色付き、赤や黄色のよりとりどりの色を見せている。

その合間を縫って、創作活動にかかる彼のいる書斎へと光は入り込んでくる。

光は暖かく、眩しいけれど心地よいくらいだ。

彼はその暖かい光を浴び、小説を書き始めることもなく、ペンを握ったまま目を閉じて転寝をするような態度を取っている。

夢と現実の間に行こうとしている。

想像はそこから生まれてくる。

彼は無理に頭を働かせようとしない。無駄な脳の回転は頭を疲れさせるばかりで身心を痛めつけるだけだから、という持論を基に眠ったような態度をして小説を書く。



創作活動中であるならば、髪の長い女はいっさい彼の書斎に入ることはない。彼女は彼のカノジョとしてでなく、編集者としてその辺りの事は心得ているつもりである。


彼女が彼の編集者になり立ての頃、彼は部屋から丸三日間まるで出てこない事があった。

その時彼女は心配になり部屋をノックした。何度ノックしてもあまりに反応がないから中に入ってみると、彼は机に向って黙々と筆を走らせていた。一瞬彼は彼女が入ってきた事に気づき、ちらっと彼女の方を見たが何も言わずすぐにまた机に向っていた。

その時から彼女は、彼が書斎に入ったらただひたすらずっと考え込んで文を書き続けている、と信じている。だからカノジョとなった今でも編集者である彼女は彼が書斎から出てくるまでただずっと待ち続ける。

それでいて彼は原稿を予定日までにはにしっかり間に合わせて出してくるから何も言える事はない。

髪の長い女は彼が部屋で篭っている間は、テレビを見ているか、趣味の編み物をしているか、置手紙をして買い物に出かけるか、めったに帰ることのない一応借りている自らのアパートに帰るか、している。


今日はしばらくセーターを編んでいたが途中でうまくいかず面倒になったので、ただテレビを付けて眺めていた。いつもの同じようなお茶の間番組を、テレビは放映していた。

何ともいえない退屈さだ。

それでも寒い中、外に出かける気にもなれずにリビングのソファーに座ってクッションを抱いたままテレビを眺めていた。


そんな日もある。ただ待っているだけ。

いやそれが大抵の、当り前の、編集者の女の、いつもである。


(つづく)

『何気ない毎にちを貴方に伝う』2ノ7

口紅の濃い女が去った夜は酷く不安定な夜だった。

彼が女から奪い取った優越感は酷く吐き気をもよおす臭いにおいがした。


安定した感情を歪ませるものがある。さらには無駄な興奮が彼の気を鎮めさせてくれない。

彼は夢の中で激しく何人もの人間を殴りつけていた。殴り殴って、血なまぐさい香りが辺りを包み込む。赤い世界が広がってゆく。彼は夢の中でその光景に顔を赤く染めて笑顔を浮かべている。


彼は寝汗で目が覚めた。胸糞悪い感情が夢の後でも胸中で暴れている。

窓の外はまだ薄暗い。


「歪んでいやがる」

彼は大きな声でそう吐き捨てた。口紅の女はもういない。けどそうとでも叫ばなければ彼の感情は爆発してしまいそうだった。


世の中はけち臭く、どす汚い人間どもで溢れている、と言って彼は誰かを殴り殺したい。

小奇麗な格好をした女も化けの皮一枚剥がせば、汚いどぶ色をしていた。わかっていたつもりでも実感した後の感情は落ち着かない。


彼は奪うには奪った物を大変卑しく嫌う。

腐敗臭が鼻の穴に残る。だから彼はけち臭い奪い合いが大嫌いだ、と実感する。



夜も明けて、一階のロビーでコーヒーを飲み、新聞を読んで過ごしていた。とても一人でいる気になれない彼は現実感のある人の多い場所で落ち着いていた。


やがて昼前に髪の長い女がフロントを訪れ、白シャツとパンツで一色の彼の姿を発見した。

彼は昨夜と今朝に熱いシャワーを浴びたがどぶ臭さは今も消えていない。それでも彼は彼女の前で何事もない幸せを示さないとならない。

「やっとの休日なのに残念ね」と髪の長い編集者の女は彼に声を掛けた。

彼は一瞬ドキッとしたが、それが外の天気である事に気づき頷いた。昨日ほどの大雨ではないが、今日もポツポツと雨が降り続いていた。


二人は近場のレストランでその日を過ごした。甘い女の香りに彼は少し落ち着いた。

でも彼はその日、彼女を抱くことはなかった。

「疲れているんだ」と彼は言った。



さらにその翌日は空色がすっかり青く回復した。

二人はレンタカーを借り、島を一周するドライブを楽しんだ。少しずつ状態は快方には近づいている。

潮風も心地よい。日差しも強く浴びている。ビーチ脇を走り抜ける景色も最高だ。岬の強い風に吹かれて彼女がはしゃげば彼は心からの笑顔を見せることができる。


それでも彼の心の奥底はすっきりしない気持ちをはらんでいる。


枝を折らなくちゃ済まない気分なんだろう?


苛立ちを消しにくればいい。


僕はどこにも消えやしない。


いつまでもここで待っているさ。


(つづく)

『何気ない毎にちを貴方に伝う』2ノ6


「きみがどこをどう辿って、ぼくのところまで来たのかは知らないけれど、きみとぼくは同様の可能性を秘めているということだろう?」

彼は口紅の濃い女にそう尋ねた。


「さて、どうかしら?あなたが私よりも可能性が高いとは思えないわ」

女は彼にそう告げて、彼の顎に人差し指を当てた。


そして濃い口紅を彼の唇に近づける。その口紅を打ちしつけるかのような強い口づけが彼を襲う。

彼は抵抗することなく対応する。女の口紅の全てを奪い取ってしまうかのようなさらに強い口づけを返す。


二人は彼の部屋の中にいた。立ち上がり向かい合って口づけをした二人はやがてベットに倒れこみ、さらに深い奪い合いを始めた。それは異性の求め合いなんかではない、激しい奪い合いのようだ。


自分の優越を争いあう。

互いにどちらが上になるかを奪い合う。

どちらが相手を感じさせているかを競い合う。

自分が男として、はたまた女として魅力的かを示しあう。

相手を自分の虜にする。

いかに下品な人間かを知らしめるかのように試す。

『きみは下等な生命体だ。どこまでも愚かではしたない』と彼は女に言っているかのようだ。


女は抵抗し、自分の陰部にくい付く男の物を食らい尽くそうとするが、彼は大きなまま女の中で暴れ続ける。

その激しさに女はもはやただの雌にしかなれなかった。

女はいくらいっても、たまらない感情で求め続け、全ての生気が果てるまで彼に吸い付いた。

後は奪い続けるのみだった。

彼は女の中から全ての生気を奪い取っていった。


なんて醜く、汚い光景なのだろう。

口紅の女は枯れ果ててゆく。彼はさらに自信を増してゆく。


彼はそんな男だ。

君に勘違いがあったらいけない。

あの男はひどいケダモノ。血を吸うバンパイアのような男だ。


全てが終ると、女は疲れ果て、自殺志願者のような虚ろな瞳で天井を見上げていた。

「どうだい?満足か?」と彼は女に尋ねる。

女は答えない。答えられないといった方が正しいのかもしれない。まるで行為の前とは人が変わってしまったかのように覇気がなくなってしまった。


「早く帰るがいい。ここにいてもきみには何の価値もない」


「そうかもしれない」

女はぼそりとそう答える。そして彼女は脱ぎ捨てられた下着やらワンピースやらを着飾ることもなく、ただ身に覆い、髪の毛も顔も汚いまま、サングラスで顔を隠して部屋を出て行った。


卑下、劣等化し、蔑み、笑う。

彼のその笑みに僕は強い吐き気さえ感じる。


それが彼の生き方だ。

人が人を見下す。見下せば見下すほど、彼は優位に立つ。


それが奪い合いを始めた種の人間の生き方。


僕は関与を望まない。


君もきっと望まないだろう。


(つづく)