小説と未来 -44ページ目

『何気ない毎にちを貴方に伝う』4ノ26

今、僕は君の家にいる。全てが片付けられ、何もかもがなくなろうとしている。


君は死んでしまったかのように姿を消し、君の残したもの全ては処理業者によって処分されようとしている。

もっと早く気づいていたら、こうはならなかったのだろうか?もっと早くここに来ていれば、僕は君に会うことができたのかもしれない。


病院から退院後、僕はしばらく実家で過ごした。何をするわけでもなく、ただ遅く起きては飯を食って、テレビの野球中継を見ながら夕食を取って、風呂に入って寝るだけの毎日だった。

君には2度電話した。どちらも電源の入っていない状態だった。不審には思った。僕はいちはやく行動するべきだったのだろう。だけど僕は冷静になろうとして、わざとゆっくり行動しようとした。焦らず行動に取り必要があると思ったのだ。むしろその反対だったのかもしれない。それとも、どうがんばっても僕には間に合わなかったことなのかもしれない。


3度目の電話を君にして、電源の入っていない状態だった後、ついに僕は君のアパートへ行くことを決意した。君のアパートには午前中に着いた。緑の男には会わなかったが、代わりに君の部屋からは大きなベッドのマットを運び出す廃品処理業者が出てきた。

すでに処理業者はほとんどのものを運び終えていた。

僕は何も言えずに、君の部屋の光景を眺めていた。

なんだかわからない僕の存在をすれ違った処理業者の男がちらちらと見た。

「あの、この部屋の人は?」と、僕は尋ねてみた。

「いや、知らないけど、部屋の処理をお願いされてね。それだけだよ」

筋肉のある男はそう答えてくれた。それだけしか答えなかったというべきか。


すれ違い、君はいなくなった。

僕は途方に暮れかけた。何もかも間に合わなかった気がした。


ずっと階段の踊り場で、僕は君の部屋から物が運び出される光景を眺めていた。するとやがて大家らしい人がやってきて、部屋の玄関の前で処理業者と最後の確認をしているようだった。

処理業者が去った後、部屋の中に大家は入っていった。何かの確認だろうか?

僕はしばらく玄関の前で待った。

やがて40代後半くらいの女の人が君の部屋から出てきた。

「わ、びっくりした」と、待ち構えていた僕にびっくりした。


「あの、この部屋の方は?」と、僕は尋ねてみた。

「え、何か?」

大家は僕の存在を少し疑っているようだ。

「あ、ちょっと知り合いだったんですが、電話を掛けても出ないんで」

「そう、そうなの?知らないけど、引越ししたみたいですよ」と、女は答える。

「物を全部処分していたみたいですが」

「そう、そう。なんかいいから全部処分してくれって、電話があったらしいよ」

「彼女からですか?」

「なんか、男の人かららしかったけど。あ、いえ、わたしもよく知らないんですけどね」

大家は余計な事を言ったと感じ、ごまかすそぶりをした。

「引越し先は?」と、僕は思い切って尋ねてみた。

大家は首を振った。

「すみませんが、そういうのは答えられませんよ。プライバシーなんで。じゃあ、失礼しますね」

と言って、女は去っていった。


まるで僕がストーカーでもあるかのように、女は僕を疑いの目で見ながら、そそくさと去っていった。

そう思われても、仕方のない質問をしてしまった。それはそうだ。いや、実際僕のやっていることはストーカー行為と変わらない行動かもしれない。

そう思うと、何もかもやめたくなってきた。全てを忘れようか、と考える。


結局、振り出しに戻る。

僕はまたあの町へ帰ることになった。



君はどこへ行ってしまったのだろう?


からっぽのまま、僕はこの先、どう生きていけばいいのだろう?


どうしていいかわからないが、僕にはもうどうにも出来そうにない。


不覚。


(つづく)

『何気ない毎にちを貴方に伝う』4ノ25

君が彼との関係を持ったのはあの日一日だけだった。


行為の後、君は眠ってしまったから、目が覚めたときには裸の自分の姿や思い出した自分の行動を思い、ひどく恥ずかしくなった。君は名前も知らない出会ったばかりの男性とそんな行為に移れる、とは思ってもいなかったし、自分は付き合いもしない相手には簡単に体を預けない、という強い心を持っていると信じていた。たとえ相手がジャニーズみたいなかっこいい男であってもだ。

でも君は簡単に彼に抱かれたし、思った以上に彼の体に喜んでしまった。


君は彼に言い訳がしたかった。

そんな事は何の意味もないかもしれないけれど、こんな事をしたのは初めてだったし、この先もするつもりがない事を自分に言い聞かせたかったのかもしれない。

寝室に彼はおらず、どこかに行ってしまっていたので、君はとにかく慌てて下着類を集めて、脱いだ服の全てを着た。そして彼にどう言い訳をしようかと考えた。


でもその言い訳の必要はなかった。

彼は寝室に入ってくると、にこりと笑った。

君は顔を赤くして、言葉を発しようとしたが、その前に彼の声が耳に入ってきた。

「わかっているよ。君はそんな簡単な女性じゃないってことくらい」

言われた事に君は安堵して、うなずいた。それから彼が話を続けた。

「ただ、君と目が合った瞬間、ふと吸い込まれていってしまった。ぼくと君とは互いに強く惹かれあった。一瞬でぼくらは運命的に引き寄せられ、一緒になった。それは一生にそう何度もある事じゃない。いや、普通は一度としてないことだ。ただ一度、ぼくと君の間にはあったのさ」

きざなセリフだったが、その時の君にはその言葉が嘘偽りのない真実の言葉に聞こえた。だから君はまた顔を赤くし、恥ずかしさは恋する乙女心に変わった。



そしてそれから数日間、君は彼の住む山の中の家にいた。

誰も君を探しには来なかったし、誰も君がいなくなったことには気づかなかった。一ヶ月くらいなら君がどこで何をしていようと親でさえ気づかない。携帯の電池は切れていたが、君に掛かってくる電話はどうせなかっただろう、と君は思っている。実際には君を探す男が一人いた。でも君はそんな人の存在なんてすっかり忘れてしまっているけれど。

君は彼の本名だけを知った。彼は自分が『溝端』であることは名乗らなかった。君も聞かなかったし、なるべく聞かないようにした。気になることは君の頭の中にたくさんあったけれど、何もしなくても安心できる環境が整っていて、彼の家にいる君はその環境を壊したくなかったから何も聞かずに黙っていた。

ただ君は、彼がお金持ちで、時間にも余裕のある人だ、ということだけはわかっていた。彼は自分で買い物に出かけ、いろいろな食べ物や飲み物を買ってきた。それもコンビニ弁当とかじゃなくて、パーティーの時に頼むような食事を買ってきたり、どこかのおすし屋さんのすしだったりする。

君はいつも部屋で寝て、居間でテレビを見ているだけだった。一人でいた時と変わらないけれど、明らかにリッチでラクチンな生活だった。



でもそんな生活も長くは続かなかった。一週間くらい経った日に、彼は言った。

「実はここに君がいられなくなりそうなんだ」と彼は言った。

君はショックだったけど、当然の事と受け止めた。

「理由は聞かないでほしい。君とは長く一緒にいたかった。いやこれからもまた会える。ただここにいるわけにはいかない」

君は、彼が結婚していて、相手がここに来るんじゃないか、となんとなく考えた。心がぎゅっと切なくなったけれど、そうだとしてもそれは仕方がないことだ、と考えた。それよりもむしろ、きっとひどく嫌な嫁で、彼に嫌な思いをさせている女なんだろう、と勝手に妄想の彼の嫁を悪にしたてあげて、怒りをこみ上げていた。

「ううん、いいよ」と君は少し女の子っぽく言った。


別れはすぐだった。

それからしばらく時間が経って「あつし」がやってきた。

来るときにここまで来た緑色のセダンが緑の木々に囲まれた外のスペースにやってきていた。君はそいつに乗せられて、彼に手を振って分かれた。あっという間の出来事だった。

君は帰路に向かった。


でもその道は帰路ではなかった。

車が山道を出て、どこにでもありそうなのどかな郊外の風景を見せられながら走っていると、車は突然狭い道に入り、アパートのある前の駐車場に、横付けに停まった。そして君はそこで下りように言われた。辺りは、最近田んぼを潰して家やアパートを造って振興しているような住宅地のような場所だった。

君は言われるままに車を下りた。

「君はここで暮らすんだ。すべてのものは揃っている。金も用意してある。近くにいくつかの店がまとまった商業施設がある。それで暮らせるだろう?」

君はどうしていいかわからないが、どうにもできなかった。「あつし」は車から下りてきて、君に鍵を渡した。アパートの鍵のようだった。「あつし」は後部座席の荷物をアスファルトの上に下ろし、また運転席に乗り込むと、何も言わずに車を発進させ去っていってしまった。

君は自分の状況を見つめなおした。考えてもどうにもならない。鍵にはアパートの名前の書かれた札がついていて、目の前にあるアパートと同じであることがわかった。Aと表記があり、それは4つの平屋で並ぶアパートの一番左のドアの上の表記と同じだった。

そこへ行き、鍵穴に鍵を差し込んだ。鍵は回って、部屋の中に入れた。真新しい家で、白く輝いて感じられた。2階がないだけあって、天井は高く、入ってすぐのダイニングは8畳くらいの広さがあった。しかも家具も電化製品も揃っている。玄関を上がり、奥へ進むと部屋が2つあった。いわゆる2DKだ。ひとつはベッドが置いてある寝室だ。もう一方は畳の方の部屋で、入るとちゃぶ台の上に封筒がおいてあった。君は気になって、早速その中を覗いた。そこには100万以上はありそうな札束が入っていた。


どうなっているんだろう?と思ったが、どうにもならない。

ただ君はここでしばらく生きていそうなことだけは確かだと感じた。


幸せなのか、不幸せなのか、わからない。


君は何かに騙されている。


(つづく)

『何気ない毎にちを貴方に伝う』4ノ24

医者は僕に掛かっていた催眠術を解いてくれた。

僕の脳はがちがちで、掛かった術を解くにはかなり難度が高かったらしい。何が起きたのか?どんな人に会ったのか?と若くて、いかにももてそうなイケめんの医師は僕に何度もそう聞いてきたが、僕は何も答える気にはならなかった。何も離したくはなかった。


体が動くようになっても、数日ほど僕は病院に入院させられた。

体ががちがちで、しっかり歩くことができなかった。手もうまく曲げられない。指にいたっては2日くらい感覚が戻らなかった。胃も弱まり、腸も活動していない。栄養はもっぱら点滴から、だからすぐに帰ることはできなかった。

母親はずっと僕の看病をしてくれた。父親も一度やってきた。もう仕事もしていない親だ。久々に会ったんで、結婚はどうだ、だの?町の暮らしはどうだ?だの他愛のない話ばかりをして、親だけれど、どことなく遠い人のように感じられた。

大切な事は何一つ聞いてこなかった。



5日後には元に戻った。

変な事だったから、警察が来て、事情聴取でもされるんじゃないかと恐れていたが、何もなくすんなり家に帰された。ただし帰る場所は実家の二階だった。久々に帰って来た自分の部屋は当時と何も変わっていない。本棚のマンガ本、机の上のCDラック、数年ぶりに帰ってきたが、本当に何一つ変わっていない。

いったいこの1年が何だったのか?1年だけでなく、2年3年4年5年‥、数えればきりがない。意味を持たない月日が流れ過ぎてしまった。


僕はこのままここにいるわけにはいかない。

でもいきなり出て行くには、親にも悪い気がする。数日はここで過ごそう。お風呂掃除くらいはしてやろう。買い物もしてやろうか。心配をしてくれている親の気持ちが伝わってくる。

思えば親不幸な息子だ。ろくに連絡もしないし、プレゼントとかもしたことがない。僕は親を避けるように生きてきた。中学校の時代にいじめられっこだった僕が、大人は何もしてくれないんだな、と悲観して以来、親や先生という存在を遠ざけてきた。でも今は僕も大人になった。何の役にも立たない大人と変わらない。いじめられている子供を助けてやることなんてできない。結局僕もダメな大人になった。親が親なら、子は子。育ててきてくれた親だ。今は少しだけ感謝しよう。


そういえばいろいろな事がどうなっているのだろう?という現実が僕を襲う。

気になって、携帯電話を見る。ずっと充電が切れたままになっていた。東京に行くとき持っていたバックとその中身は全て無事だったのだ。

電話をコンセントにつなぎ、電源が入ると、家庭教師先の登校拒否子から携帯に電話が何度も入っていた。僕はあわてて電話を入れた。

「もしもし?」

「あ、はい」

出たのは、母親だった。

「いま、替わりますね」


「もしもし、先生?」

「ああ、ごめん。予想通り、しばらく行けなくなってしまった」

「‥‥」

少女は黙っている。

「ごめん。数日したら戻るから」

沈黙は続く。

「いろいろあったんだ」

「違うよ。先生、わたし、わかったの。きっと自分でどうにかしなくちゃいけないんだよね」

今度は僕が「‥‥」

「わたし、来週から学校へ行く。だから先生は自分のしたい事をして」


僕は何も言えなかった。うれしいような、かなしいような、複雑な感情だ。娘の成長を思う父親のように。

「そうか。わかった。何かあったら電話しておいで」

と、僕は少女に告げた。それしか言えなかった。


僕らはそれからしばらく、勉強のあれやこれや、がんばるんだぞ!って話をした。

そして電話を切った。


また一人の部屋に戻される。そうだ、僕にはやらなくてはならないことがある、って事が思い出される。



今度は、君に電話をしよう。


それが僕の進む道だ。


(つづく)

『何気ない毎にちを貴方に伝う』4ノ23

寝室から出てきた彼は、ソファーに座る君を見つめていた。

若くはないし、美人ではない。ブスでもないが、これといって好める部分には欠ける。胸も大きくなさそうだし、服のセンスは悪い。どことなく子供を二人くらい生んだ主婦のようだ。と、彼は君を見つめる。


自信に満ち溢れた彼の目は君を捕らえて離さない。君は彼の目を見つめ返す。彼の円らな瞳に君は吸い込まれてゆく。

彼は君を見つめながら、君の座るソファーまで近づいて、隣に座った。まだわずかに二人の間には距離がある。


「ようこそ」と、彼は君に言った。


「はじめまして」

君はそんな決まり文句の挨拶をして、自分の名を名乗った。

でも君はまだ彼が何者なのかを知らない。『溝端』であることはまだ知らない。


そして彼は自分を名乗ろうとはしなかった。

何も言わず、君の肩に触れた。君はぴくりと反応したが、逃げようとはしなかった。まだ何をされてもいないからと焦らないようにしていた。


次の瞬間、彼は君を抱き寄せた。

いきなり君は彼の胸の中にうずもれていた。君にとっては久しぶりの男の感触だった。いい匂いがした。そのまま抱かれているのにいやな気はしなかった。むしろずっと求めている自分があった。


「いろいろと君のおかげだよ」と、彼は言った。

それはただのお世辞のようなものだった。事実そうであっても、彼は心からそう思っていたわけじゃない。でも君はその言葉で十分満たされた気になっていた。



小説を書き上げ、出版が決まってから、彼は退屈をしていた。

身なりのいい編集者の女は彼の事を好みつつあったが、彼はその女がどうしても好きにはなれなかった。抱くのも面倒くさいという気持ちがその女を遠ざけていた。女だけでなく、今ひとつ楽しみという楽しみが思いつかない毎日を送っていた。 どこかへ出かけても一人じゃつまらない。長く付き合った前の編集者の女に会いたかったが、今はまだそれも出来そうになかった。彼は退屈をしていた。

そんな所へ、緑の男がやってきた。

「おまえに例の女を会わせてみたいと思ったが、どうだ?」と、男は彼に尋ねた。


「おもしろい。いいねえ」と、彼は言った。



そして、君は彼の住む別荘へと連れてこられた。

彼にとっては残念な事に、君はつまらない女だった。彼は感じていた。『これが力を失った人間というものか』と。


でも君は彼にとって面倒じゃない存在だった。君は抱かれても逃げなかった。彼もまたしばらく女を抱いていなかったので、君相手でもいいと体が反応していた。


「こっちへおいで」

彼は立ち上がると、君を寝室へと誘った。


君は彼の誘いに恐る恐る従っていた。

小鳥のさえずりがする静かな森の中の別荘にある一室で、君は抱かれた。体の一つ一つに触れられるたびに君はより自由になっていった。

彼にとって、君はただのおもちゃでしかない。暇つぶしのつまらないおもちゃだ。


君は彼の暇つぶしの道具となり、全てを与えてしまった。



僕がその事実を知れば惨めでしかないだろう。


何も知りたくはない。


何も知らないまま、このまま、ずっとこのままでいようか。


(つづく)

『何気ない毎にちを貴方に伝う』4ノ22

緑の花柄パンツに黄色い水玉シャツを着ると、センスが悪い。

さらに浅黄色となった色あせたチューリップ帽がさらに見た目の悪さを増している。あべこべな格好だが、君は君なりにおしゃれをしたつもりだ。

生乾きの下着類と衣替えをせずに押入れにしまいっぱなしになていた洋服を、大きな革のバッグに詰め込んで、君はそれを担いで家を出た。


空は晴れ渡り、春はすっかり終り、夏になっていた。実はまだ梅雨の合間だけど、天気予報も見る気にならずにいる君だから、そんな事には気づいていない。

アパートの玄関の外には背の高い男が立っていた。

「行こうか」と男は言った。

茶髪の髪型に緑色のTシャツに、緑色のズボン、靴も緑色の男だ。君はかれを『あつし』という名前で知っている。ここではかれを緑の男と言う。

君は緑の男についてゆく。アパートの外には緑色のセダンが路駐されている。男はその車の運転席に乗り込み、君は助手席に乗り込んだ。

君はどこかに連れて行かれようとしている。


首都高に乗って、それを抜けて、東名を進んでゆく。

どこまでいくのか君は知らない。地理には詳しくないからどこだかはあまり気にしていない。ただなんとなく、そっちの方へ行くんだな、と君は感じている。

サービスエリアもよらずに、2~3時間は走った。やがてどこかのインターチェンジを下り、一般道を走っていた。君は目を瞑り、うつらうつらと眠っていたため、どこだかよくわかっていない。

緑のセダンはバイパスを走り抜け、辺りは田園風景に変わる。30分、1時間、どれだけの時間が過ぎたことか。やがて車は山道を上り始めた。右へ左へくねくねと上ること、さらに20~30分、車は木々に囲まれた砂利道の私道へ入り、少し広い駐車スペースに止まった。


森の中だ。

避暑地とでもいう感じの場所だ。目の前には別荘というような木の家がある。少し離れた場所には鉄筋コンクリートの建物が見える。

「どうぞ」

緑の男はそう言って、エンジンを停めた。車から降りるように、君を促しているようだった。

君はとても疲れた体を起こし、荷物を降ろして、車の外に出た。

空気のいい場所だった。遠くで、ホーホケキョとなく鳥の声がする。


緑の男は車に乗ったまま、降りてはこなかった。

君は運転席の方に回り込み、座ったままの緑の男を見つめた。

「あのお」と君は窺う。


「俺はここまでさ。後は君が行くんだ。目の前にある別荘に入ればいい。玄関は開いている。呼び鈴を押す必要はない。君が来ることは知っている。中に入って、通路を抜けて、ソファーのあるリビングまで行く。誰もいなければソファーに座って待っていればいい。それまでだ」

緑の男はそう言った。そして、サイドレバーを解くと、車をバックした。君は突然動き出した車に驚き離れて、戸惑った。緑の男は鋭い目で少し微笑むと、そのまま車を前進させ、公道へ出て行ってしまった。


取り残された君はどうしようもなく、言われたとおり、丸太の別荘に向かった。そして玄関から中に入った。

緑の男が言うように、玄関の先には通路があったので、君は靴を脱いでそのまま奥へと進んだ。そして、右に折れた場所にダイニングというか、リビングというか、広い部屋があって、確かにソファーがあった。そこには誰もいなかった。だから君は緑の男の言うとおり、そこにある2人用のソファーに腰を下ろした。

大きな荷物を肩から下ろし、チューリップハットを取った。


君の心臓はバクバク言っていた。でももうどうしようもなく、目を瞑り、深呼吸をして、次の瞬間を待っていた。長い旅の終りだ。どこかの旅館に着いたかのように君は落ち着こうとしている。

今はまだ何も起きない。


やがて、彼がやってくるまで。


(つづく)