小説と未来 -36ページ目

EmT.22 サルディーニャ

1999年10月23日、僕と友人Hはサルディーニャ島北東の街オルビアにいた。


 サルディーニャに来た理由は、パリからストラスブールに向かうオリエント急行の電車内で、友人Hが出会った女の子の出身地がサルディーニャだったためだ。その子に会うわけではないが、彼女から「サルディーニャは海が綺麗でいい所だ」という情報を聞いていた。

 僕らはサルディーニャについて調べていくうちに、島に渡るのにユーレイルパスが利用できることがわかった。しかもローマの北にあるチビタベッチアからフェリーが出ていて、そこはちょうど旅の通り道だった。もともと寄る予定はなかったが、たまには予定通りにしないのもいいかと行く事になったわけだ。

 僕の頭の中ではサルディーニャというと、ジョジョの奇妙な冒険の5部で、ボスの故郷として出てくる島だなという事の知識しかない島だ。どんな島かはまるでわからない。シチリアは有名だが、サルディーニャは一般的に無名だ。しかしサルディーニャは結構でかい島である。


 10月22日、夜遅い時間(11時くらい?)にサルディーニャ行きのフェリーが出ているチビタベッチア港に着いた。ローマからの列車が送れたせいもあって、フェリーに乗るまではかなり余裕がなかった。フェリーは一日一便しか出ておらず、チビタベッチアからは夜行便だ。一泊の宿泊費も浮く。

 僕らは何とか夜行のフェリーに間に合った。船は無事にチビタベッチア港を離岸した。


 二等席の椅子しかない場所にはほとんど人がいなかった。静かなフェリーの座席に横になり、僕はとっとと寝ようとしていた。

 そこへやってきたのは、口髭を生やしたちょっと太ったイタリア人のおじさんだった。彼は僕らが日本人だと聞くと喜んだ。そして何の話をするかと思えば、「日本人の女はたくさん抱いたよ」なんて話を始めた。「よしこ、ゆきこ・・・」みたいな感じで日本人の女の名前を出してゆく。なんだかすごいおっちゃんだ。まあおそらく出会った日本人の女を全部挙げているだけだったのだろう。

 そんなおっちゃんと友人Hは楽しそうに話をしていた。僕はなんだか疲れていて面倒くさかったので、早々と眠ってしまった。


 ゴルフォアランチ港には朝の5時くらいに着いた。

 目が覚めると、サルディーニャの島が迫っていた。とても静かな朝だった。

 友人Hは昨夜は夜、甲板に出て空を眺めていたと言う。とても綺麗な満月が浮かんでいたそうだ。だから今度フェリーに乗ったら、綺麗な星空が見たいと思ったことを忘れずに覚えている。余談になるけれど、昨年2010年沖縄にチャリを乗せていった際は、夜になる度に空を眺めに甲板へと出た。確かにフェリーから見る空は綺麗な星空だった。残念ながら満月には出会えていなかったけれど。


 船を下りる。

 サルディーニャでは止まったような静かな時間が流れていた。あまりにも静か過ぎる。

 海は恐ろしく澄んでいた。透明度は高く、木の桟橋の下を覗くとどこまでも透き通って見えた。

 僕らはどこへ来たんだろう?

 ふとそんな事を感じた。一分一秒がいつもよりも長く感じられる。余分な物がない。

 多くの風景が写真のように止まっていて、綺麗で静かだ。


 誰もいない無人の駅で1時間ほど待つと、列車がやってきた。列車のやってくる音は遠くから聞こえた。音がほとんどないから、辺りには列車の走る音しかしない。後は海鳥が鳴く声や波の音が優しく一定のリズムを刻んでいるだけだ。

 止まったような時間だった。


 2両くらいの列車に乗って、僕らはゴルフォアランチ港近くの街、オルビアまで移動した。石畳の綺麗な街をふらふらし、朝の時間を潰す。朝早いせいもあるが、いつもよりも一分一秒が本当に長い。川の橋下の石場に座り、遠くに見えるゴルフォアランチ港を眺めていた。

「なんかすごいところに来たな」と、友人Hと話していた。

 1999年8月23日の午前10時くらいに、僕らは動き出し、ホテルを探す。

 街の少年に「どこかにホテルがあるか?」と聞くと、少年は「オッテルミネルバ」と答えて、街にあるホテルを紹介してくれた。

 ほとんど人は歩いていない。車も海岸沿いの道をまばらに過ぎるくらいの静かな町だ。独特の緩やかな時間が流れる。

 赤壁で出来たホテルミネルバに着いて、部屋に入り、休養。時間はたっぷりある。やる事はない。ローマのように見るところもない。インフォでもらった観光案内にはいくつかの綺麗なビーチが書かれている。僕らはそんなものを見ながら、明日どこかのビーチへ行こうなんて事を話しながら、ゆったりした時間を過ごした。


 夜はレストランでディナーとした。レストランテアントニオで頼んだ魚はスズキだった。スズキはオリーブやバジルが効いていてとてもおいしい。これで僕はナポリの海老の失敗を消すことができた。


 とにかく、本当に緩やかな時間だった。

 今までせわしく動き続けた疲れがどっと出てきて、僕はサルディーニャにいる安らぎを大いに感じた。


 世界的に知られていない場所には柔らかな時間が流れている。あまりに観光地化されてしまうと騒がしいけれど、そうでないところには本当の良さがあるのだろう。

 たまにはガイドブックのルートを外れてみるものだ。

 そんな事を学んだ一日となった。


明日へつづく

EmT.21 ローマ テルミニ駅

2011年10月22日、僕と友人Hは新たな旅に向けての出発をした。


 この旅の中で、ローマとナポリは長い滞在となった。その中で多くの日本人と出会い、多くの話をした。旅への想いや目的は様々でも、こうして海外の旅に出ようと思う日本人の若者がいて、彼らと出会い、話した事は同じ時代を生きる、同じ国の者として、多くの共感と、強いパワーを得られたがした。

 僕ら日本人は誇りを持って旅をしていた。旅で出会う人は皆、そんな強さを持っている気がした。


 ローマ発ジェノヴァ方面行きの列車は出発が遅れていた。イタリアでは30分遅れくらいよくあることだが、どうやら1時間半から2時間は遅れそうな感じで、なかなか動きそうにない。

 僕と友人H、ローマで出会った仲間たちは、駅の喫茶店でだべっていた。フィレンチェの方に行く人もいれば、ナポリの方に行く人もいる。僕らと同じ方向に行くのは僕らともう一人のおとなしい人くらいだった。いずれにしてもイタリアの列車はいつ出るかわからないから、皆でのんびり待つしかないのだ。

 そのローマの仲間たちには、どんな人がいたか?ほとんど忘れてしまったが、僕らを除いて、皆一人で旅をしていたと思う。大学の出身が明治や早稲田の人が2人ずつくらいいて、皆高学歴だなあと思ったのを覚えている。

 明治卒で35才の人は、何年もずっと旅をしていると言っていた。お金がなくなったら日本に帰り、住み込みで働き、また旅に出ると言う。旅行先でも働くがあまり金にはならず、生活費にするくらいだそうだ。

 世の中にはすごい人もいるものだと感心した。まさか僕もそうなってしまうのでは?とかも思ったがさすがにそこまでの旅人にはならなかった(なれなかった?)。


 そんなローマ駅に辿り着く前の話をする。銀行での話だ。

 僕はお金を下ろすために銀行の入口にあるATMに立ち寄った。


 ATMはテーブル状のモニターと端にあるボタンを操作し、暗証番号や金額を入力するという形のものだった。僕はカードを入れて、操作をしようとした。

 そこへ一人の肉付きのいいイタリア人の男が近づいてきた。そのマッチョはモニターをテーブル代わりにして荷物を置いてしまった。僕はモニターが見えずに戸惑った。

 彼はズボンのポケットから鍵を取り出した。

 僕はなんだかわからないが、カバンが邪魔で操作できないので、彼の行動を見ていた。彼は取り出した鍵を入口の側に備え付けあったロッカーに入れた。そして銀行入口の方を指差し、何かのイタリア語を言って笑った。

 彼はモニターのカバンを持って、それからその入口に向かった。自動ドアが開いて、扉が閉まる。

 しかし彼は中入口みたいなところにいて、中に入らない。入らないというより、入れないのだ。二重の扉となっていて、金属探知機か何かが付いているらしく、ひっかかると中側の扉が開かない仕組みになっているらしい。確かに小さなブザー音が『ピンコンピンコン』と鳴っていて、何かがひっかかっていて中に入れないようだ。

 さすがはイタリアローマ、銀行強盗対策も入念だ。

 ぼけーっとそれを見ていた僕の方へと、扉から戻ってきたマッチョな男は近づいてきて、またモニターの上にカバンを置いた。そして僕に、ベルトのバックルを見せつけた。大きく派手なバックルが付いている。

「これが悪いんだよな」というような事を彼は言って、笑顔を見せた。

 僕は苦笑いを返した。

 そしてベルトを外し、ロッカーにそのベルトを入れて、再びカバンを持ち、ドアの内へと入っていった。

『ピンコンピンコン』

 ドアは再び開かない。彼の何かが引っかかっている。

 僕はこんな茶番みたいな事に付き合ってられず、今度は気にせずにATMを使おうとしたが、モニターは彼のカバンによってふさがれた。

 彼は着ていたジャンパーを脱いだ。

 そしてそれをさっきまで鍵やベルトを入れていた狭いロッカーに無理やり押し込もうとする。

「これで、いいだろう!なんか文句、あんのか!」みたいな感じでリズムを付けながら押し込んでいる。

 他にも大きなサイズのロッカーはあるのだが、わざわざ入れ替えるのが面倒なのか、大きなロッカーが見えてないのかわからないが、彼は狭いロッカーにジャンパーを押し込んで、寒い中、半袖になって、「これで完璧だ」みたいな事をわざわざ僕に言ってみせた。

 そしてそれから、カバンを取って、三度自動ドアの中へ向かう。

 外扉が開き、再び閉まる。

 ドキドキの瞬間だ。僕もついに目が離せなくなった。

『ピンコンピンコン』

 また、ダメみたいだ。

 しかし彼は、今度は僕の方には舞い戻ってこない。あきらめたわけでもない。

 内側の自動扉を叩き、「うおぉおおおおおおおおおお、俺の何が悪いんだ!ベルトも取った。ポケットも何も入ってない!上はシャツ一枚!いったい俺が何を持っているって言うんだ!」みたいな事を最大ヴォリュームの声で、最大限の身振り手振りで、中にいる銀行員に訴えている。

『ビーン』と言って、内扉はあっけなく開いた。

「最初からそうすりゃいいんだよ」みたいな事をつぶやいて、マッチョな彼は中へ入っていくことができた。


 恐るべし!イタリア!


 いったいイタリアのローマやナポリではこんなドリフのコントみたいな事が日常でどれだけ起こっているのだろう。そう思うと、日本で起こっている小さなクレームがどうでもいいように思えてくる。

 僕がカバンの置かれなくなったモニターを見て、やっとお金を下ろした頃に、マッチョな男は銀行から出てきた。いかりやさんみたいなおじさんに寄り添い、「おい、この銀行はダメだな」みたいな事を言いながら出てきた。いかりやさんも「この銀行は対応が悪い」みたいに同感している。

 なんだか僕はどんな世界に迷い込んだのだろう?コント映画の世界に吸い込まれてしまったような気分だ。


 友人Hにそんな話をしながら、駅へと向かった。

 下ろしたお金で、僕は腕時計を買った。もちろんスイス製、値段は5000円くらいだったと思う。買ったのはローマ駅の駅ビルみたいなところでだ。そうじゃないと安心できない。


 ローマでの生活は日本でのいろいろな常識を破壊してゆく。

 電車が2時間も遅れれば、日本では大混乱だろうが日常茶飯事。車はクラクションを鳴らしまくるし、歩く人と車で文句を言い合ったりしている。売ってる時計は壊れていて、子供はおもちゃの銃でパンをよこせと言ってくる。銀行のドアは開かないし、変な詐欺師はいるし、なんだかわけわからん。が、それはそれで楽しい。

 窮屈にあれこれ文句をつけたり、付けられたりして、それに対応する日本人の世界とは大きく違う。もちろん日本は日本ですばらしいが、あまりあれこれと悩むものではないな、という想いにさせれられるローマ、ナポリでの旅となった。


 2時間半遅れで動き出した列車に乗って僕らは次の地を目指す。

 コントワールド、ローマでの休日はそんな風にして過ぎ去っていった。


つづく

EmT.20 ヴァチカン

2011年10月21日、ナポリを離れた僕らは再びローマに戻った。


 ナポリのホステルで一緒になった料理人や、3度の再会を果たしたY君とは、そのままナポリでお別れとなったが、この時、僕と友人Hはナポリで出会った何人かと一緒に行動していた。

 ローマでは、共に行動した誰かが知っていたホステルに泊まる事となった。どんなホステルだったか忘れてしまったが、ここでもたくさんの日本人と会った覚えがある。多分、10人くらいの集団になって、皆でトラットリアに夕食を食べに行ったのは、この時だったように思う。


 その前に、昼間の話だ。僕らはヴァチカンミュージアムを観に行った。

 ここはさすがに見ごたえのある大聖堂だった。アダムとイヴなど、代表的な壁画がそこかしこにあり、まさに芸術の宝庫、興味がなくてもそのすごさには圧巻させられる。

 そんなミュージアムを一通り見て・・・、とあっさりしてしまうが、実際のところ僕はさして興味がなかったので、何を観たか覚えていないのが現実だ。だからとりあえず満足して出た。というところになってしまう。


 それよりも僕は時計が欲しくなっていた。というのは、ナポリにいた時に、日本から装着してきた安いアルバの時計が電池切れになってしまっていたからだ。

 時計ならスイスで買えばよかったのだが、そううまいこと時計の電池は切れてくれない。今はすでにイタリア。スイスに戻るわけにも行かず、しばらく時計もなく過ごすわけにも行かず、イタリアで時計を買うしかない。

 この際だから、イタリアの時計を買おうなんて考えてみた。


 世界的にも有名ではないだろうが、歴史あるイタリアだ。時計のメーカーくらい当然あるだろう。と思い、ヴァチカンの帰りに、時計屋に寄った。

 確かにイタリア製の時計がある。値段も3,000円程度で貧乏旅行の僕にはお手頃だ。

 さてどれにしよう。みな金メッキの安そうな感じだが、デザインはイタリアだけあって、さすがにおしゃれな感じだ。いくつか見比べて気に入った一つを店員に頼む。

 ショーケースの向こうの白い手袋をした眼鏡を掛けた若い店員は、オ・カピートと言って、それを取り出す。そしてなにやら手元で時間を合わせているのか操作をしている。


 なかなか時間が掛かる。


 数分後、彼は言う。


「ブロークン」


 さすがイタリア製!靴や服はおしゃれでも時計は・・・という事らしい。

 まあ気を取り直して、別のやつを選ぶ。眼鏡の店員はにこやかにそいつをショーケースから取り出し、また同じように調整を始める。


 またもや時間が掛かる。


 そして数分後、「ブロークン」と言って、にこやかに笑みを浮かべている。


 え、じゃあ、じゃあ、・・・


 って選べるか!


 僕もショーケースから目を外し、笑顔の店員を見ながら苦笑いを浮かべ、少しずつ後ずさり、そして店を跡にした。

 彼は時計を売る気があるのだろうか?あそこにある時計で売れる時計があるのだろうか?見た感じはそんなに怪しい時計屋ではないが、まともな時計は置いてあるのだろうか?スイス製なら良かったのかもしれない。店が悪かったのだろうか?時計が悪かったのだろうか?

 疑問は止むことがなかったが、結論としては、イタリア、恐るべし!


 そう、確かこの日の夜、僕らは10人くらいの大人数で食事をした。帰りの途中に、変な詐欺師に出会った。

 ロバートデニーロの偽者みたいな男は道に迷ったふりをして僕らに近づいてきた。

「ああ、ここはどこだ。困った?」風な感じである。

「君たちは日本人か?道はわかるか?」みたいに尋ねてくる。

 誰かが、「チャイニーズ」と言った。

 そしたら、彼は何かをあきらめるようにして去っていった。

「チャイニーズ」と言った彼の話では、いんちき詐欺師が日本人を狙って話しかけてくるそうだ。中国人は金がないからすぐにあきらめて、去っていくらしい。(これは1999年の話で、今は逆だったりするかもしれない)

 いずれにしても、ローマやナポリで起こる事は、こんな事ばかりが起きる。


 そしてもう一つネタがある。しかしそれは10月22日に起こった出来事なので、また明日の事としよう。

 ローマ、ナポリはスリや詐欺師が多くいて危険といわれるが、むしろおもしろい。

 好きな人は気に入り、いやな人は嫌いになるだろう。

 僕はもちろん好きなほうで、「もう一度旅をするなら?」と誰かに聞かれれば、やはり「ローマ、ナポリ」と答えるだろう。


 明日へ、つづく。

EmT.19 カプリ

1999年10月20日、僕らはナポリの港を歩いていた。


 サンタルチア港周辺を、僕と友人Hと、料理人、ししてY君、あと数人で一緒にふらふらと歩いていた。

 Y君は前日、ローマからナポリにやってきた。ミラノ、ローマに続きナポリ、これで3度目の再会となる。今回はローマで別れる際に、後から来ることを聞いていたので、当然の再会ではあったが3ヶ月の旅の中、3度再会できた相手は後にも先に、も友人Hを除いてはY君しかいない。それはとても奇遇な出逢いだった。


 そのY君、イタリア人には大人気だった。

 と、いうのも当時2部リーグだったナポリの水色と白のナポリのユニフォームのレプリカシャツを着ていたからだ。

 背の高いお姉さんは、「おお、ナポリ」とか言って、Y君に後ろを向かせる。

「おお、マラドーナ」と言って喜ぶ。

 そこにはかつてナポリに在籍していた頃のマラドーナの名前と背番号10が記載されている。

 彼はその後もあちらこちらで呼び止められ、後ろを振り向かされ、マラドーナを見せ、イタリアのナポリ人から喜ばれていた。


 僕らは港の近くを、なぜうろうろしていたかというと、それはカプリ島に行くためだった。

 カプリ島は、『青の洞窟』と呼ばれる一面が青色で染まる美しい洞窟があることで有名だ。だがこのシーズンは一週間に二日くらいしかそこに行ける日がないという。波の荒い日はそこに行くことはできないためだ。


 それでもまあ、ナポリに来たからには。というわけで、僕らはカプリ島へと向かった。

 カプリ島まではナポリ港からおよそ30分~1時間で着く。船の種類によって差があるらしく、僕らが行きに乗ったのは水中翼船という速い方の船だった。

 しかしこいつは波をかききるように進むため、ザバンザバンと前後に揺れて船の中は大変な状態、椅子に黙って座っているしかない状態。会話をする気にもならない。しりが浮いている気がする。


 そんな船に揺られて30分、カプリ島に着いた。

 何人かが青の洞窟行きの船場を調べに行って、僕らは酔いを紛らわすため、カプチーノを飲みながら、ハムのパニーニを食べて、胃を落ち着かせていた。

 辺りは僕らを見て、「ナカータ、ナカータ」と声を掛けてくる陽気なナポリ人で溢れている。Y君を見ては、「マラドーナ」という人もいて、中には「ナナーミ」というイタリア人もいる。海岸沿いを歩いていると、「カズー」という掛け声も聞こえた。イタリア人はどれだけサッカー好きなんだろう。

 だけど、そんな中で僕らが盛り上がっていたのは、なぜか、アントニオ猪木の話だった。料理人と友人H、もう一人誰かプロレス好きがいて(Y君だったか?)、彼らは猪木話で盛り上がっていた。僕はそんな話を笑いながら聞いていた。

 たぶんその話の発端は、アニメにあったのだと思う。当時イタリアでは『タイガーマスク』のアニメが放映されていた。もちろん僕らにとってもかなりの昔のアニメだが、ヨーロッパでは過去も今もなく、放映されたアニメの順番に新しい。気に入ればはやる。

 だからその時、イタリアではタイガーマスクが大盛り上がりとなっていた。

 アニメにはアントニオ猪木も出てくるから、「猪木が実在の人物だとイタリア人にいったら驚いていたよ」なんていうのが話の始まりだったのだろう。

 話はそこから猪木が1,2,3,ダァーを始めた裏話や、入場のテーマの話等、料理人が詳しく語り出した。その話はおもしろく、くだらない。僕らは青の洞窟の事等すっかり忘れ、猪木話に盛り上がっていた。


 やがて青の洞窟の船乗り場を見に行った人たちが帰ってきた。船は欠航だったということで、結局見ることは出来なかった。そして僕らはそのまま、フェリー乗り場の近くでくだらない話を続けて、次のフェリー(1時間掛かる方の船)に乗って、ナポリまで戻った。


 そのまま皆で盛り上がって、ユースホステルまでなにやらかにやらを話しながら一日が過ぎていった気がする。僕らはいったい何しにカプリ島に行ったのだろう。

 さらに言えば、僕らは何の為に旅をしているのだろう。夜になって振り返ると、そんな一日だったな、と思い返す一日となっていた。


 僕らは海外に行って、日本人同士でつるむ。「何で海外にまで行って?」と言う人もよくいるが、この海外での日本人同士の集まり、実に安心できて、楽しい。結局僕らは極東の国日本から来た日本人、同じ仲間を好む傾向にあるのだな、という事を理解した。


つづく

EmT.18 ナポリ モンテサント

1999年10月19日は、ナポリでゆったりとした一日を過ごした。


 ユースホステルの共同スペースには5,6人の日本人が集まって、今までの旅の話をしていた。僕もその場に混じって周りの人の話を聞いていた。

 ローマでの出会いに引き続き、ほとんどの人を忘れてしまった。僕が覚えているのは、イタリアで料理修行をしていた料理人くらいだ。ギリシャからフェリーの甲板で2日間過ごしてやってきた広末涼子好きの坊主君もナポリのユースで出会った一人だったかもしれない。この二日後に、僕らは再びローマに帰るが、一緒にローマへ向かった人も何人か一緒だったはずだ。

 しかしほとんどの事は忘れてしまった。話したことなんてほとんど覚えていない。

 この集団の中で、僕の記憶にある話といえば、僕と友人H、二人での旅が珍しいという話題だ。二人組で日本からやってくるというのは結構多いらしいのだが、たいていの場合、一週間もしないうちに途中で別れてそのままになってしまうらしい。僕らはもう1ヶ月近く、ほぼ毎日一緒にいる。家族ですらこれだけ一緒の時間を過ごすことはない。

 確かに珍しい。


 そんな僕の友人Hだが、この集団にはいなかった。その日はモンテサントというナポリの繁華街に、靴を買いに一人出かけていた。フィレンチェ以降、彼の靴に対するこだわりは消えていなかった。彼は気に入った靴を探しにモンテサントへと出かけていた。

 しかしミラノでもフィレンチェでもないこの街は、あまり買い物をするような街ではない。皆ナポリで買い物に出かけた彼を珍しがっていた。


 友人Hはやがて帰ってきた。僕は彼がどんな靴を買ったのかさっぱり覚えていない。基本的には興味がなかった。ただ彼は風邪も治り、すっかり元気になっていた。顔を笑顔だったはずだ。

 


 僕らはこの夜、夕食として、二人でレストランに出かけた。

 ユースホステルの日本人たちの話やガイドブック等で、ナポリが美食の街である事を知った為だった。


 僕らはガイドブック等から有名なレストランを選んで、そこに行った。いつもよりは倍高い夕食だが、イタリアに入って以後、僕らの食費はかなりフリーになっている。イタリア料理がうまいというのもあるが、宿泊費にしても、普段の雑用費にしても、スイスまでの旅と比べて格段に安く済んでいる事を知ったのが食費が多く掛かっている最も大きな理由だ。


 その店に行くと、日本のガイドブックにも載っていただけあって、となりでは一人の日本人のおっさんが生ハムメロンを食べていた。僕らはとなりのテーブルに付き、そこでメニューを広げる。何の料理だかよくわからない。

 とりあえず、パスタは何とか読めそうだった。ペスカトーレがうまいと聞いていたのでそれを頼む。メイン料理を何にするか悩む。

 友人は何らかの肉料理を頼んだ。僕は魚が食べたいと思った。ペッシが魚なのは分っていたので、ペッシ料理から選ぶ。しかし何の魚だかさっぱりわからない。

 とりあえず値段とかいろいろ見て、Gから始まるやつを頼んだ。


 二人でどんなのが来るのかな?と楽しみにしながら待っていると、やがてペスカトーレがやってきた。オリーブに浮かぶパスタ、その上を貝だのイカだのが盛られている。そしてフォークでくるくるして一口。


 美味!ヴェリーッシモ!


 この旨さは、高校の時にうまいと言われるラーメン屋に始めて行って食べた時の感動に匹敵する旨さだった。口が自然に緩み、笑みになってしまう。

 とにかくオリーブオイルが違う。深く濃厚な味わい。かといってどろどろしているわけでなく、ピュアでさらりとしている。それがパスタに絶妙に絡まってうまい。魚介類も新鮮!余計な味付けはいらない。シンプルイズベストだ。


 そしてメインディッシュを待つ。次はどんなものが来るのだろう?

 僕らはその期待に溢れている。


 友人Hの肉料理がやってくる。記憶は定かでないが、たしかラムか何かだったかもしれない。彼はおいしいと言っていた。

 彼が何を食べたか忘れてしまったのは、パスタの方が特別にうまかったせいもあったが、僕の前に運ばれてきたインパクトのありすぎるメインディッシュのせいだ。


 海老!


 その海老があまりにうまくて!というわけでない。


 海老!20匹!


 皿の上、海老がてんこ盛りになっている。

 しかも、車えびくらいの頭つきの茹でただけの海老だ。


 友人Hは大爆笑。


「いいんだよ!海老好きなんだよ!俺!」と、僕は強がった。

 頭を取って、殻を向き、そいつを一匹かじる。


「いい塩加減!うまい!」

 これは本当だ。その海老は確かにうまい。新鮮でいいものなのだろう。塩もいい塩を使って茹でたに違いない。殻ごと食べてもおいしい。


 僕は海老を一匹二匹と片付けてゆく。

 五匹、六匹、七匹。

『もういいわ!』

 心の中で叫んだ。いくらうまくてもこんな海老ばかり食べさせられても飽きる。


「うまいから食ってみろよ」

と、僕は友人Hに言う。でも、本当はもう十分だからだ。

 友人Hは「たしかにうまい」と言っていたが、僕の言おうとしている心の声はすでに漏れていた。


 僕らは二人でその海老20匹をやっつけた。


 最後の締めのデザートもなんだか忘れたがうまかった。

 ナポリの飯は最高だった。

 そのよき思い出は確かだが、僕にはうまい魚料理が食べたいという心残りも出来てしまった。


 海外旅行に出かける際は、料理の名前を覚えていったほうがいい。

 そんな教訓を得た、1999年8月19日の出来事だった。


つづく