小説と未来 -26ページ目

再接続 4.瞳の下の三つボクロ(3)

太陽の日差しは強かった。

大地は乾いていて、水飲み場はなかった。

それでも、瞳の下に三つのホクロがある女の子にとっては、岩となってしまった男の子を運んで、元の姿に戻すための場所へと行かなくてはならなかった。


彼女は石で出来たソリの上に岩の姿を乗っけて、ソリの綱を引いて果てしなく続く岩砂漠を歩き続けた。


『そこは夢の世界だから死ぬことはない』

三つボクロの彼女は岩の男の子を助けてくれると言っていた女性にそう言われていた。でもこうも言われていた。

『だけど、夢の世界でも喉はカラカラで、ソリは重たい。とてもしんどいし、途中で脱げ出したくなる作業。途中で抜け出せば、その男の子を助ける方法はもう無い。男の子は栄養を与えてくれる羊の毛を失い、ずっと岩となって砂漠に溶け込み風化するまで誰にも発見されなくなる。それでもその子を助けようとしてみるのか?』

心臓のバクバクする決断だった。でも一度決めた事を投げ出すほど、三つボクロの少女は心の弱い女ではなかった。

「わたしはやります。彼を助けなくてはならないんです」


ソリは予想以上に重かった。一度引っ張るたびに足を少し止め、また再び力を込めなくては、前に進むことは出来なかった。肩や腰にも負担はかかった。掌は擦りむけて血豆が出来ていた。

一時間、二時間は頑張れた。でも三時間目では投げ出したくなる。また四時間、五時間頑張った。先の見えない荒野の果てを思い、また嫌になった。それでもまた次へと進むしかなかった。

三つボクロの少女はそうやって何度も諦めかけて、何度も頑張ろうとし直した。


拓実を助けなくてはならない理由は三つボクロの彼女にあっただろうか?勝手に動揺して、自分で事故に遭った男の子だ。そんな男の子を助けなくてはならない理由があったのか?


「あなたとわたしは現実では向き合えない。

 夢の中でだけ、互いは互いの気持ちを思い合えている。

 わたしとあなたはきっとそんな関係。

 これからもずっと。

 だからあなたには生きていてほしい。

 わたしが死ぬまであなたはわたしを思っていてほしい。

 わたしは死なないと決めたから、あなたもまだ死なないでいてほしい」


羊の毛だけは遠ざかり、拓実の岩はエネルギーを得られず、日照りに乾いて少しずつ砂になってゆく。ゆっくり休んでいる暇もなく、彼女は前へ進まなくてはならない。

三つボクロの女の子は急いで岩のソリを引いていった。何日も何日もかけて。


やがて遠くに森が見えた。彼女は森を目指して進んでいった。

目指す先が見えたら力が少し湧いていた。そこからは休まず、余計な事を考える必要もなく進んでいくことができた。

道も少しだけ潤っていて、ソリは思うよりも進んでくれた。

砂漠はやがて草原となり、森の中へと包まれていった。


木々の向こうで髪の長い女は待っていた。横笛を口にして、演奏は始められていた。

三つボクロの彼女が森の木々をかき分けると、池の畔へと出ることができた。そこに長い髪の横笛奏者がいて、真ん前までやってくると、周りにはたくさんの動物たちがいた。動物たちはそれぞれの楽器を持っていて、二人を囲んで演奏をしていた。

ウサギに、タヌキ、クマに、リス、様々な動物のグループが演奏をしていた。心地よく、心の内から優しい感情が湧き出てくるような音楽が囲んでた。


森の演奏は長く続いた。やがて夜が訪れて、満天の星空が輝きが見えた。

星々の下で清らかな楽器の音色が鳴り渡っていた。

三つボクロの彼女は満天の星空を眺めながら、その音色に聴き入っていた。

やがてそっといつの間にか、ふと演奏は鳴り止んでいた。彼女の心には音楽の余韻が残っていた。


「もう大丈夫よ。彼は元に戻るわ」

横笛奏者の髪の長い女は彼女にそう告げた。

三つボクロの彼女は拓実の岩の頬に触れた。柔らかく、温かく、生身の体である事が伝わってきた。

「ありがとう。これでわたしも前へ進めるわ」

そしてそう礼を返した。


「じゃあ、わたしは行くわね」

横笛奏者の髪の長い女は彼女にそう告げて、にこりとすると、風と共に消え去っていった。周りの動物たちも同時に最初からいなかったように消えてしまった。


「わたしも行くわ」

三つボクロの少女は生身となった拓実にそう告げた。そしてその場から消えた。

拓実は森にある池の畔に一人眠っていた。


『きみの声を微かに感じた。きみの手がぼくの頬に僅かに触れたのを、ぼくは憶えている気がするんだ』


目が覚めると、病院にいた。一人きりの夜明けがふと静かに訪れていた。


高校3年の夏は二度ある。その事実は確かな事だ。

そしてその時に起きた僅かなあやふやな記憶を、拓実の肌は微かに覚えていた。


(つづく)

再接続 3.瞳の下の三つボクロ(2)

空は霞んだ青色だった。

世界は乾いて、広い岩砂漠が続いていた。


大地には大きな、大きな裂け目があった。裂け目は遥か下までどこまでも真っ暗で、深く、底もないと思えるくらいまで抉られていた。


岩となった拓実は、裂け目の側に置いてあった。膝を抱えて横たわった人間のような形状をした岩。

空には羊の毛だけが浮かんでいた。


ずっと同じ景色が、朝も夜もなく続いた。

僅かな雲の流れが時の流れを表していた。


『それでもぼくは気づかなかった。時がどれだけ流れていたのか、時がいったいいつなのか、ぼくはその時をまるで憶えていない』

その記憶は恐ろしく定かではない。


でもそれは、記憶に残る、確かな長い夢だった。


医者は拓実の両親に彼はすぐ目を覚ますだろうと言っていた。脳に異常は見られない。今は一時的なショックで眠っているだけだと言っていた。

でも、拓実が目を覚ますことはなかった。その理由はわからなかった。医者は何らかの精神的な障害が邪魔しているのではないかと言っていた。両親にはその理由が見つからなかった。

見舞いに来た同級生も、いくつかの事を思い出していたが、定かな理由はわからなかった。訪れるものは皆、意識を閉ざしている理由を掘り下げないまま、見舞いを終えるとすぐに病室を立ち去った。


夏が終り、秋が来て、また終り、春が来た。拓実はそれでも眠り続けた。


夢の中は、ずっと崖の傍の岩だった。

羊の毛だけが優しく癒してくれていた。


「こんな姿になってしまったのね。ごめんなさい。もっと早く来るべきだったのに。それなのに、自分の事で精一杯。あなたを知ろうとしなかった。ずっと避けていた」

瞳の下に3つのホクロがある女の子が夢の中に現れたのは、拓実が意識を失って9ヶ月が過ぎてのことだった。

彼女は太陽を逆光にして、拓実の岩を見下ろしていた。

「わたしがあなたを連れてゆく。そしてあなたは元居た世界に戻ってゆく」

彼女は自分の膝を抱えてしゃがんだ。

しばらく長く拓実の岩を見つめていた。笑っているのか、泣いているのか、無表情なのか、どうなのか、光の加減で彼女の表情はわからない。


『ぼくは微かに憶えている。彼女の声が聞こえていた。かつての時間の中で最も安らいだ一瞬だったにちがいない』


あの太陽の光、乾いた空気、彼女の影と香り、羊の毛だけ。羊の毛だけ?


あの時、拓実は全てが嫌になって眠っていた。

3つボクロの少女を傷つけた社会が嫌だった。社会の中の一員としては生活を営みたくはなかった。括られた枠の中は最低だ。枠の中では救いがない。

だから眠り続けた。あの時は、それが唯一の答えだった。眠る事だけが許される術だった。


『いつまでも、1000年先まで眠っているつもりだったか。人類には戻るつもりはなかったはずなのに』


(つづく)

再接続 2.瞳の下の三つボクロ(1)

彼女には、右瞳の下に3つのホクロがあった。セーラー服の似合う、髪の綺麗な高校生。


でも彼女はいつも俯いていた。人前に立って話すタイプでもなかった。本当に、目立たない女の子だった。


『もしきみの家に、黄色いボールが打ち込まれなければ、ぼくはきみを知ることもなかっただろう。

 きみはぼくの運命を変えたのだろうか?

 それとも、決められた道筋の上で起こった事に過ぎなかったのか?』


高校3年の夏だった。

古川拓実(こがわたくみ)は三つボクロの高校生が通う女子高の傍にいた。近くには拓実の通う塾があったから、ちょっと遠回りのルートを辿ればそこは通らないこともない通り道だった。

その言い訳を一人頭の中でぶつぶつ呟きながら、拓実はその道を歩いていた。


そして塾の帰りに女子高の傍を通って帰るのは、1年前からの拓実の決まりとなっていた。


『きみに会えるはずもないだろう。

 けど、きみに会いたい。

 必然ではなく、偶然として、きみに会えたら、ぼくはきみと話せるだろう』


高校3年の7月だった。

必然に近い、偶然は訪れた。

夕闇の中に彼女は佇んでいた。歩くこともなく、塀の外脇に立ち竦んでいた。


三つボクロの彼女が気づくのは、拓実がその姿を直視してから1分近く経ってからの事だった。夕闇にもなっていたので、そこを通る人はいない。数台の車が通り過ぎていくだけだった。


2人は近くにあるお寺の境内へと歩いていた。2人には話しにくい理由もあったけれど、ただ、『久しぶりだね』というそぶりをして歩いていた。


境内に着いたとき、彼女は泣いた。三つボクロの下には涙の雫が零れ落ちていた。


『きみが発した言葉の一つ一つを、いやその全てをぼくはもう覚えていない。ぼくはただきみの涙の理由に、なんて言葉を返せばいいかわからなかった。

 きみの話からは、涙の理由が君の受けているいじめについてだとすぐに理解できたんだ。でもぼくはきみに会えて話さなれけばならない事ばかり考えていて、きみの突然の涙をどうすることもできなかった』


寂しさの中に、女の香りがした。

涙には男を誘う欲情が仕込まれていた。

高校生の少女にも、それは自然と含まれていて、放たれていた。それは自然の大人への入口だった。

でも、まだ高校3年生の女を知らない若者には、放たれた香りに誘い込まれる許容が存在しなかった。

若者は女の香りを拒んだ。


それでも若者は理性の表層で、彼女と逃げ出す事を考えていた。


抜け出せない学校と言う日常社会から、何もかもを捨てて彼女を救い外の世界へ行こう。

手を引っ張って、この街を出て行こう。

微笑みと自由の街へ。


後先考えずに、行動に移れればよかったのに。

けれど、脳裏に浮かんだのは、財布に5千円しかない事や、学ランにセーラー服姿の2人の事。もし今日この場を逃げても、明日にはお金もなくどこかで補導されることは目に見えている。そんな現実が先に過ぎっていた。


泣いている彼女をただじっと見つめていた。

手も差し伸べられず、傍にいることしか出来なかった。


「ごめんね。こんな話をしたって仕方ないよね」

彼女は拓実にそう言って、涙を止めた。


拓実は逃げ出した。その場にいる事が出来ずに。

雨が降り出していた。雨は瞬く間に土砂降りとなり、遠くで雷鳴が轟いた。


拓実は彼女の下を走り去った。境内を飛び出して、路上をひたすら走った。降り出した雨の中を訳もわからず行く先も考えずに走っていた。

彼女から逃げたかった。自分から逃げたかった。起こった全てから逃げ出したかった。

彼女はどうしただろう、と拓実の脳裏に一瞬過ぎり、立ち止まった。一人きりになっていた。雨が強く降りつけ、落雷の音が近くで轟いた。


拓実は路上の上に立っていた。

光はやってきた。車のヘッドライトだった。

クラクションの音やタイヤの擦れる音が遠くで鳴り響いていた。

それは近い音だったのかもしれない。でもその時の拓実にはとても遠くの音に感じられていた。


『痛みも何もなかった。ただぼくは宙に浮いた。宙に浮いて、全てから去ることが出来た』

高校3年は二度あった。けれど、彼の記憶には一度しかない。後はずっと崖の傍で岩となっていた。

ずっと、何もかも忘れ、岩となっていたかった。望みのままに。


(つづく)

再接続 1.プロローグ

「ぼくは、ここにいない。 いや、 ここにいるのか? ぼくは」


夜の東京にいた。歩道橋の下を、ヘッドライトが眩い車が次々と、通過してゆく。


男は、今、自分がわからない。

考えなくてはならないことが、山ほどあるような、何一つとして、ないような。そう考えて、何一つとして答えを出せずに、また、無の物質に戻る。


男と共にいた女は、その男と同じだけの年月を重ねていた。同じ年齢、同じ生年月日の女。男がその女に出会ったのは、そんなに昔の話じゃない。一年、いや、まだ半年も経っていない。


「わたしの姿は女。

 だからわたしは、美しいか、美しくないか、たったそれだけで決められるの。

 わたしは美しくもなければ醜くもない。

 誰かがわたしを見ていて、誰かはわたしを見ていない。

 年々気づいてゆく。わたしは、わたしに気づいてゆく。

 だけどわたしは年々、齢を取ってゆくのね。

 齢老いるのに負けないように、醜さに捕らえられてしまわないように、美しさを保たないと、わたしはわたしを失ってしまうでしょう」


男にとって、女の容姿は美しく感じられた。誰が見ても美人といえる顔立ちではないかもしれない。でも、その男はその女を美しいと認めている。

その年齢にして、その心の持ちようをして、またそれも、美しい理由に付け加えられているのでしょう。


「想像する限り、ぼくらは老い、朽ち果ててゆく。

 その抵抗として、美しさを保とうとしている。

 きみはそうだ。きみはそうで、ぼくもまた、いや、ぼくはそうじゃない。


 生まれながらに、ぼくは、ぼくを、探していた。

 遥か昔から決まっていた。

 ぼくは、ぼくを追い続けることを、また始めないといけない。

 情熱の残る限り、ぼくは、ぼくを追っている」


古川拓実(こがわたくみ)は少しだけ、気づけた気がした。

生まれてから死ぬまでの自分という線の上にいる。

「ぼくはここにいる。ここにいて、燃えたり、冷めたりしている。

 時に途切れそうにもなるような、ぼくの線の上に、ぼくはいる」


川口江沙奈(かわぐちえすな)はうすい唇を微笑ませた。

生きる線の話は、前に拓実から聞いていた。その不思議な世界に、江沙奈が引き込まれていったことも、今はふと思い出せていた。

「わたしも、わたしの線の上にいる。あなたが生きてきた線と同じだけ、わたしもわたしの線の上にいた」

江沙奈は線の上の世界を想像した。

そこには、輝きや色や、熱や感触があって、とても美しさを解き放っていた。

美術や芸術を愛する江沙奈はその美しさに笑みを浮かべたのだった。


「ぼくはまだ線上の途、これまでもこの先も長く、線は繋いでゆく。

 過去に未来、切なくも、もろくも、しっかりと、たくましく、過去と未来を繋いでいる」


「一人、一つの線の上」


東京の夜。人の通らない歩道橋の上からヘッドライトの眩しい車が下を通過していくのを眺めている。

古川拓実はそこにいる。


『どうしてぼくは今、ここにいるのだろう。どうして ぼくは、 ここに・・・・・


再び過去に繋がろうとしている。遠い過去が思い出されようとしている。


(つづく)

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