小説と未来 -24ページ目

再接続 14.残聴に掛かる声を追うが如く(2)

古川拓実(こがわたくみ)が、雲川亜人(くもかわあひと)と再会したのは、24歳の7月だった。


亜人とは中学校の2年で同じクラスになってからの拓実の友人だ。とは言っても、さほど親しい間柄というわけではない。中学生時代の拓実には、ろくに友人がいなかった。中学一年で周囲との距離を感じ、中学2年でつむじ風に左巻きにされてから、拓実に寄り付く同級生は、問題児の少年くらいだった。

亜人は問題児の少年ではない。もう一人の、拓実の友達だった。ただ拓実はその目立たない存在を友達としては感じていなかった。

互いに友達のいない二人が、催しで二人組にならなくてはならない時に組む唯一の相手。それが拓実と亜人の関係。


その後、亜人とは高校でも一緒だった。同じクラスで、出席番号順でいつも席が前後になる。雲川、古川その順番で呼ばれる。だから親しくなるつもりはなくても自然と話す相手。腐れ縁という間柄。

個人的に遊んだ覚えもなければ、互いの事を笑い話をした記憶もない。

雲川亜人は、拓実にとって、ただ傍にいる存在。


そんな亜人とも高3の夏の出来事以来は別々となる。

17歳の夏以降、亜人とは成人式と教習所、あと地元のハンバーガー屋で偶然会ったが、その程度だった。偶然会う存在、イコール亜人だ。


24の夏、拓実は遠い旅から戻り、地元の町にいた。

10数年の間に田んぼもめっきり減り、新しい家々が立ち並ぶ住宅地。

2階建ての拓実の家に電話があり、母親は拓実を呼んだ。

「たくみーー、電話よ」

「誰!?」と、拓実は二階の部屋から一階の母親に尋ねる。

「雲川君だって」

「・・・」と、拓実はなぜそんな相手から電話があるのかわからなかったが、その電話に出てみた。


そして二人は数日後、再会する事となった。


「やあ、元気だった?」と、亜人は拓実に挨拶をしてきた。

「ああ、まあ」

拓実は亜人がどうして拓実に電話を掛けてきたか知らない。それに、こんなふうに約束をして亜人と会うのはこの時が初めてだったから、何らかの不信感が残っていた。

「突然電話して、驚いているんだろ?でも、別に変な用事とかじゃない。ただ、君がこの町に戻ってきたって聞いてね。会えるかなって思って」

「ああ、会えるさ。それは」

二人は街中にできたチェーン店のカフェで会った。窓際の席で、さほど混んではおらず、半分以上の席は空いていた。

「もうすっかり元気みたいだね」

「いつの話をしているんだよ。あれはもう6,7年前の話」

「ああ、それでも、あの時は本当にびっくりしたんだ。学校へ行ったら突然先生が君が倒れて学校に来れなくなったって言ったからね。前も話したかもしれないけれど、意外と衝撃的だったよ。ぼくもいつ死ぬかわからないなって考えたよ」

「おいおい、おれは死んでない」

「ああ、もちろんわかってる。それで、大学行って、海外に行っていたんだって」

「三島和貴からの誘いでね」

「そうか。彼は元気?」

「相変わらず。と言いたいけど、少しは大人になった。だいぶ落ち着いたよ」

「ハハハ、それはそうだね。あのままじゃあ、犯罪者になりかねない」

三島和貴(みしまかずき)というのは、例の問題児の少年だった男だ。拓実はその男と長い長い付き合いをする事になるのだが、その話はまた後にしよう。何はともあれ、こうして二人は再会した。拓実はこの後一年近く、雲川亜人とよく会う事となった。

「君とは、なんだか話をしたくなった」

亜人が拓実と会った理由はただそれだけだった。


(つづく)

再接続 13.残聴に掛かる声を追うが如く(1)

今年も冬が近づいている。

いや、もう、冬の中にいるのかもしれない。


夜風は冷たい。

コートを羽織って白い息を吐く。変わりゆくようで何も変わらない日々が続いている。


『会わなくなった人間と、死んでしまった人間に、何の違いがあるのだろう。みんな、一色に過去の思い出となってしまう』

東京で過ごす、いつもの帰り道で、拓実はふとそんな事を考える。

『どんなに嫌な場所にいたって、そこを過ぎ去ってしまえば、すべてが過去の記憶の残存となるだけだ。もう会うことのない誰かにとって、ぼくが生きていようが、死んでしまっていようがさして変わらない。

 ぼくは思い出される存在か、思い出されない存在か、せいぜいその違いだけがある。思い出されるならば、ぼくはどんなふうに思い出されて、その誰かに何の意味を与えるのだろう』


過去は増えてゆくけど、今も歩く都会の通りですれ違う人に知り合いはいない。東京では知らない人間どおしが暮らしあっている。

微笑み、笑う、綺麗な女性も、ゆっくり歩く老人も、突然走り出す幼子も、同世代の帰路を急ぐ男性も、まるで知らない人だらけ。


『誰かがぼくを、思い出してくれるだろうか。ぼくの事を思い出して欲しいと願う相手は、ぼくの事なんて忘れてしまっているだろう。せめてそうでない誰かでも、ぼくの事を思い出してくれているだろうか』


繁華街をすれ違う人の目は寂しさを与える。

子供の頃の小さな空間から広がりすぎた世界の一部に含まれて、自分の存在が小さく成り変わって行く感覚が強まる。

『過去につながり合えた多くの人たちよ。ぼくはここに生きているよ』

心の中で、拓実は全ての過去に向けて声を掛ける。


『会わなくなってしまった人と、死んでしまった人に違いがあるのなら、掛けた声が届く可能性があるか、ないかの違い。死んでしまった相手に、声は届かない』


拓実の脳裏に過去の映像が浮かぶ。その映像に映る男が拓実に話しかけている。

『腐れ縁の男だったな』

その男は、拓実と中学、高校と同じだった。そして大学時代にも少しだけ付き合いがあった。

長い腐れ縁の中で、二人がよく会うようになったのは、25歳の年の頃だった。


『死んでしまった人間には、もう二度と出会うことはない』

そう思えば、彼の事を思い出さないわけにはいかない。死んでしまった男の事。幻よりも遠い、現実にあった死の前の姿が尊く思い出として浮かんでくる。


(つづく)

再接続 12.マンモス岩の精霊(4)

人のいない沢に一人足を濡らして立っていた。

太陽は真南の真上に輝いている。

その眩しさをふと遮る人の姿。

「あなたはだあれ?」

と、小学6年生の拓実は尋ねる。

お坊さんのような姿をしたその人は、マンモス岩の上に立って、拓実に笑みかけた。


「ずっとそこにいたの?」と尋ねると、坊主は頷いた。

「ひょっとして、いろいろな事を見ていたの?」と尋ねると、それにも坊主は頷いた。

拓実はその坊主が見たいろいろな事を想像して、黙り込んだ。きっとみっちとリボンの子が抱き合っているのも見ていたのだろうと思って、尋ねたかったけど、それが本当だったのかどうか聞く勇気はなかった。


下を俯いていた。


しばらくして見上げると、そこに坊主の姿はなかった。

拓実にとっては、その坊主が最初に出会った幻だった。だから拓実はその坊主を、マンモス岩の精霊だと思う事とした。そしてその秘密は誰にも言わない事とした。



その出来事から数日後、夏の午後だった。

充は風邪を引いていたので、その日も拓実は一人でマンモス岩に遊びに行った。

そこには水辺に立つリボンの女の子の姿があった。

「みっちは風邪を引いて、来ないよ」

女の子が聞く前に、拓実は答えた。

女の子は何も答えなかった。

「みっちゃんは今日も野球だよ。6年生になってからそっちばかりでぜんぜん来ない。だから、今日はぼく一人だよ」

リボンの女の子は笑顔を見せない。

不満そうな顔をしている。

拓実は何だか心が痛かった。自分はきっとこの子にとって、つまらない、どうでもいい人間に思われているんだと感じた。


「ねえ、たくくん。わたしと二人じゃいや?」

女の子は拓実にそう尋ねた。

「いや、いやじゃないよ」

むしろその逆だったので素直にそう答えると、女の子の真顔は笑顔に変わった。

「じゃあ、よかった。ねえ、実はわたし、今日でお別れなの」

と、女の子はさらりと言った。

拓実は最初は何の事かわからなかったけれど、やがて女の子がお山の小屋を引っ越すのだと悟った。

「最後に二人で遊びましょ」


そして拓実とリボンの女の子はままごとをした。

拓実はリボンの女の子の旦那役に初めてなれた。

ドキドキするような出来事だったけれど、拓実はただ女の子の言うままに従った。自分ではどうしていいかわからなかった。

山の木々に囲まれた場所を家として、会社から帰ってくるふりをする拓実がいて、一緒にご飯を食べるふりをした。そしてただ微笑みあった。

女の子はいつになく楽しそうに微笑んでいた。充がいないのに微笑んでいる姿が、拓実には不思議に思えたけれど、それ以上に状況的な楽しさに拓実はウキウキしていた。


そしてその日はあっという間に日が暮れてしまったようだった。

「ありがとう。今日は楽しかった」

と、リボンの女の子は言った。

「ねえ、明日は?みっちとみっちゃんには会わなくていいの?」

ワンピースの大人びた姿の女の子はニコニコして、首を振った。

「今日はとても嬉しかった。たくくんと二人で嬉しかったんだよ」きっと女の子はそう言ったのだろう。拓実はそんなふうに過去を思い出す。「明日には南の島に行ってしまうの。明日、皆が学校に行っているうちにね」

その言葉が不思議に耳の中に残った。その後も会話したはずだけれど、拓実はその後の事を覚えていない。女の子はふとそのままそこで消えてしまったみたいに記憶から消えてしまった。

その時、女の子のいる向こう側の沢には、ちょうどマンモス岩があって、坊主がそこで笑っているように見えた。

そして拓実は忘れずにその光景を記憶した。

マンモス岩の精霊がぼくに最後の楽しみを与えてくれたんだ、ずっと信じるくらいに脳裏に残った。


『それだけじゃない。あの子にとっても、きっとそれは本当に嬉しいことだったに違いない』

遠く未来で拓実は理解する。あの女の子は、本当は自分の事を好きでいてくれたのではないかと。引っ込み思案な拓実はいつも充の影に隠れてしまっていて、その子は拓実に近づけなかった。ただそれだけが本当の理由だったのではなかろうかと。



翌日、拓実と充は、小屋を訪れた。小屋はもぬけの殻になっていた。

「本当だ。いなくなっちゃったんだ。どこへ行っちゃったんだろう」と、充は言った。

「言ってたんだ。南の島へ行くんだとさ」と、拓実は充に答えた。


『あの時のぼくは、その子に行き先を聞かされていたことだけを優越に感じていた。全てを充に取られてしまっていたけれど、南の島へ行くと聞かされたことだけ、それだけがぼくにとっての優越だった。本当の真実はどこにあるのだろう。もうそれを見つけることはできないけれど、今になれば少しは感じることができるのかもしれない』

幻に現実、消えた過去が、拓実の脳内を漂い続けていた。


(つづく)

再接続 11.マンモス岩の精霊(3)

どこが出所かは忘れてしまった。

「お山の女の子と遊んでいるの?」と母親が言ったのかもしれない。

あの頃の記憶はすでに定かなものではない。記憶はどこへ行ってしまったのだろう。ただ、確実な事は、赤いリボンの女の子と遊んではいけない理由が大人の社会にはあって、子供はそんな事情を理解できるわけもなく、むしろ反抗的な想いを抱いた。


小学6年生の少年は家を飛び出して、リボンの女の子が住む小屋へと向った。

小屋の玄関のドアを叩いたけれど、女の子は出てこなかった。しばらく待ったけれど、誰も出てこない。誰もやってこない。


少年は今度は走って、さらに山の道を上って、ガードレールの下を潜って、木々の生える崖を下って、マンモス岩のある沢までやってきた。

沢の脇には、二人分の靴と靴下が並んでいた。リボンの女の子と、充の靴だった。


なんだ、先に遊んでいるのか、と思い、拓実も靴を脱いで、沢へと足を入れた。

まだ夏の前で、とても水は冷たい。

二人がマンモス岩の裏側にいることは、拓実には想像できた。そっと歩いて、ごつごつしたマンモス岩の岩肌に手を掛け、反対側に回る。


でもある瞬間で、拓実は足を止めた。それ以上進むことができなかった。

その先には、抱き合う男の子と女の子の姿があったからだ。もちろん小学生の二人がする大人の真似事。それでも抱き合って、いちゃいちゃしている感じは、拓実の胸を締め付けた。


拓実はマンモス岩の表側から隠れるようにその二人を見ていた。

『ああ、死にたい。ああ、何度死にたいと思ったことか』

長い人生には、いろいろな恥ずかしいこと、後悔することがある。なんであの時、あんな事をしたのか、とか、どうしてあの時、何もできなかったのか、とか、思い返せばいくつかの嫌な思い出がある。

その感覚は大人になるにつれて、鈍っていくものなのか、あの日あの時、拓実が感じた強烈な痛みはいつまでも忘れられずに染み付いた。


拓実は慌てて、靴のある沢の脇へと走って戻る。

慌てたものだから、最短距離の少し深いところの沢をバシャバシャと音を立てて、二人が気づいたのだろう。沢の脇で足を乾かしていると、二人はすぐにマンモス岩の脇からひょこりと顔を出した。

「ああ、たっくん。来てたの?」

充が大きな声で拓実にそう声を掛けた。

拓実はこくりと頷くだけ。

二人とも何事もなかったようににっこり笑っていた。マンモス岩の裏側の出来事は拓実の妄想であったかのように忘れられ、二人はいつもの二人に戻っていて、拓実もそれに合わせて、にこりとする。

そしていつも通り三人で遊んだけれど、少しだけ、すでに心の内は不穏な揺れて、震え出していた。


『想像も無く、勇気も無く、あの頃から、ぼくは逃げてばかりいたのだろう』

憶えていたはずの記憶がまた別の記憶となって現れる。

『あの頃は、充とぼくには差の無い、気の合う親友だと思っていた。でも、もともと充とぼくは違っていた』

それはかつて感じたことのない充という存在に対する否の思いだった。拓実は充をとても気の合う小学生時代の親友として覚えていた。そして少しのすれ違いから別々の道を歩むことになってしまっていたことを後悔していた。あの日のマンモス岩の出来事は、その始まりに過ぎないとずっと考えていた。

だけど再び思い返した時に、その思い出は違うことに気づく。

『最初から違っていたんだ。子供だったぼくが、その違いを理解していなかった。充は恋に積極的で、ぼくは恋に疎かった。ぼくは社会を嫌う事になったけれど、充は社会と上手に付き合ってゆく術を探っていた。充はたくさん失敗していたけど、たくさんの経験を得て、成長していったにちがいない。ぼくは恐れて、何もせずにうずくまっていた。失敗も成功もせず、ただ避けていた』


『ずっとぼくがいる。ずっとぼくが浮かんでいる。じゃあ、やはり、ぼくは、ぼくなのか。魂は唯一無二か。ぼくはぼくにしかなれず、どんな姿形であっても、過去も未来も、ぼくはぼくであり続けるのだろうか』


(つづく)

再接続 10.マンモス岩の精霊(2)

マンモス岩が少年たちの遊び場だった。


山を流れる渓流の真ん中には大きな岩があり、ゾウの頭のような形をしていたので、少年たちはマンモス岩と名付けた。


そこが拓実らの秘密の遊び場だ。

ガードレールの脇を無理やり降りて、泥道を下った所にある場所だから、やってくる人はいない。誰も知らない。


「よし、探検しようぜ」

充のみっちはそう言って、拓実らをリードして、渓流を上流へ行く。


その行動は、“たとえば”の話で、たとえば少年らはそんなふうに探検ごっこをした。


「ねえ、ここがわたしたちの家よ」

たとえば、大きな葉っぱに覆われた場所を、リボンの女の子が家とすれば、そこが少年らの遊び場となる。


たとえば、マンモス岩に上って、辺りを見渡せば、それはそれで気持ちいい。


そこでいくつの遊びが生まれたことだろう。

どれだけ笑ったことだろう。


アハハハハって笑ったんだ。

とてもとても楽しそうに。


春夏秋冬遊んだろう。暑さも忘れ、寒さも忘れ、マンモス岩や小屋の周りや、その周辺で、走り回って、騒ぎ合って。


『あんなに楽しい時間は、きっと過去にも未来にもなかったろう。小学5年の一年間は、ぼくにとっての最も楽しい一年間だった』


(つづく)