小説と未来 -23ページ目

再接続 19.幻想に散ずる(2)

そこは一人の世界だった。


誰もいない、自由な遊び場。

「寂しい?寂しいなんて、そんな感情は生まれてこない。いつもぼくはここが好きで、ここが落ち着く。学校も、家も、ぼくにはわずらわしい」


冬には雪の降る森の闇に包まれて、春には突き出したつくしに囲まれた日差しの当たる世界が見渡せる。古川拓実にとって、誰も知らない世界で一人いる事は、楽しみ以外の何物でもなかった。


つむじ風に誘われて、誰もいない世界へと招待された。


広がる世界を見渡せれば、身心を脈打つ血の流れを強く感じる事ができた。その興奮は他では味わう事のできない唯一の幸せ。



ある日、街を流れる一本の川を眺めていると、誰かが拓実に声を掛けてきたような幻想を感じた。世界へではなく、人への誘い。


中学3年の梅雨頃だった。

雨の降り出しそうな曇り空の日に、拓実はその正体を探りに出掛けた。


川の土手沿いの道を下流へと下っていくと、そこには拓実の暮らす町の中心街がある。

いつもは山際に住んでいる拓実だが、人の誘いを感じて、中心街の方へと下っていった。そんなところへ一人で行くのは初めてだった。


ある程度の街中まで行ったところで、拓実は土手を街のある方へと降り、民家の立ち並ぶ裏通りを抜けると、街の中心に並ぶ通りに出るが、狭い道を歩き、表通りには出ずに進む。


するとやがて、洋風でおしゃれな民家のような、喫茶店にぶつかった。

拓実は自分の家に帰るかのごとくすんなりと入口のドアを開き、中へと。


バイオリンのクラシック音楽が流れる清爽な喫茶店。

拓実は周りを見渡し、客のいない奥の席へと行き、そこへ座る。


見上げた壁際に絵がある。田園風景に雨が降っていて、髪の毛の長い地蔵が一体描かれた絵。

薄暗く、寂しい絵。


絵は拓実を誘っていた。こっちへおいでと。

人に誘われて、幻想世界がその絵の中にある。


ウエイターは誰もやってこない。注文を取りに来る者はいない。呼んでいたのはその絵の中で遊ぶ誰かで、用があったのはその誰かだけだから、珈琲も紅茶も要らない。


雨の降りしきる田園世界へと誘われていった。


「地蔵。君がぼくを呼んでいたのかい?」

誰もいない。誰もやってこない。頭に長い髪の毛が生えた地蔵と二人きり、ずっとそこにいた。雨傘をかぶって、静かに待っていた。

地蔵は喋らない。静かにただ黙って、拓実が傍にいる事を望んでいる。


それに応えて、そうしていたら時間はずっと過ぎていって、やがて現実で誰かが微笑んだ。

一人の女性が絵のカバーとなる透明な板に映って、笑みを浮かべていた。


(つづく)

再接続 18.幻想に散ずる(1)

世界は幻想に溢れていて、古川拓実は足を止めて、その様々な世界に迷い込む。

だから、中3のある日、拓実は後ろから三島和貴が着いてきている事に気づいて、あえて山へと足を延ばした。


森の中、道なき道を進んでゆく。

すっかり春も終わり、若葉が葉を揃えていて、くもの巣も張っていて、もう夕暮れ時でもおかしくないのに日差しが強く、長袖では暑く、モヤモヤしてる。


木々を追って、落ち葉を踏んで、足場の悪い道を山の奥へ、上ってゆく。

三島和貴は諦めずに拓実の後を追ってくる。


「どうしてぼくについてくる?」

ある場所でふと足を止めて、後ろを振り向いて、拓実が和貴に尋ねる。

木々はざわざわといっていて、日差しがどこからか降り注ぎ、陰と光のコントラストを作っている。その中に拓実は立っていて、下にいる和貴を見下ろしている。


「どこへ行くのさ?」

和貴はただ、拓実にそう尋ねた。


拓実は人差し指を突き立てて、その指をゆっくりと手前から真上に上げた。

和貴がその方向を見つめるとそこには大きな木がある。それはびっくりするほど大きな木だった。

「この木に登るのか?」


すると天から一本の蔓が降りてきて、拓実の突き上げた手に巻きついた。拓実はその蔓をしっかり掴む。蔓は拓実を引っ張り上げ、体を持ち上げて上っていってしまった。


「こがわーーっ」

三島和貴の声が森に響く。

拓実はもうそこにはいない。天高く上っていってしまったみたいだ。


「ぼくは夢だ。夢になれる。そしてそのまま自由に一人で遊ぶ事ができる。友達は要らない。友達なんてむしろ邪魔だ。ぼくの遊び場には誰も入り込んでほしくない。このまま一人、誰にも触れられることなく生きて行ければいい」


高い木の上からは遠く西の空が見えた。山々の間に田んぼが広がっていて、南北に川が流れていて、その向こうに夕陽になりかける前の太陽が眩しくこっちを照らしている。

「ぼくには見えた。ぼくは行けた。人の知らない世界。人の気づかない場所」

森の輝きの一部になれる。


『でもきみは、ぼくのいる場所まで上ってきた。そしてどうしてぼくがこんなふうにできるのかなんてたずねずに、となりにすわって、言った』


「いい景色だな」

和貴は汗を額に滲ませ、にこやかな表情をしていた。

その場を犯される事はいやな事かと思っていたけれど、拓実は想ったほどそうでない事を感じた。むしろこの事に共感してくれる和貴にわずかばかりの嬉しさを感じていた。


三島和貴は中学3年の夏に再び海外へと越して行ってしまった。だからその時の拓実の夢にはそれしか触れていない。


(つづく)

再接続 17.黒い目の奥にある世界(2)

校舎の3階から投げ出される机。

拓実は雲川亜人とその光景を校庭の隅っこから眺めていた。


最初はドカンと鳴り響く大きな音で始まった。

拓実がその方向に目をやると、教室がある校舎と新体育館の間に何かが落ちていた。

やがて二つ目が校舎の3階から飛び出して落ちてきた。

それで拓実は落ちてくるものが教室の机である事がわかった。


3つ目、4つ目と投げ出され、それは誰かが投げ出しているのだと、理解された。そしてそんな事をするのは、問題児の少年くらいである事はすぐに結びついた。


中学2年の春だった。

その事件は、三島和貴(みしまかずき)が起こした、中学時代の最大の問題だったかもしれない。

机はあっという間にほとんどが投げ出され、地上で壊れた。


気づいたクラスの生徒が教室に戻った時、あるのは机の中にしまわれていた教科書とかが散らばっているだけだったと言う。


三島和貴はその後、学校の教師に捕まり、親を呼び出された。

警察沙汰にまではならなかったようだが、大きな事件となった。彼の親はお金持ちだったため、その賠償をする事で済んだというのが、後々になって知った話だ。


翌日には余っていたクラスの部屋から机を運び出し、クラスは元通りとなった。

がらがらになった自由部屋と云われていた余った教室には新しい机が、翌週あたりには入っていた。


大人になったとき、拓実は、「なぜあんな事をしたのか」と三島和貴に聞いたことがある。

「理由?そんなの、よくわかんねえけど、綺麗並んでる机見てたら、そうしたくなったんだよ。なんにしてもあの頃は確かにむちゃくちゃだったからな。よく憶えてない」

それが彼の回答だった。

単純に、社会への反抗だったにちがいない。だから拓実はあの時の光景を心地よく捉えていた。


『ぼくは社会が嫌いなまま、大人になった。できればずっと社会と関わりあわなくて済む場所で暮らしてゆきたいと、心の奥では望んでいた。

 でもいつからか、ぼく等は吸い込まれていった。この大きな社会の中にすっと入り込み、そのまま全てを受け流してしまうようになっていた』


(つづく)

再接続 16.黒い目の奥にある世界(1)

中学1年の9月に、三島和貴(みしまかずき)は、拓実のクラスに転校してきた。


女の担任が三島和貴を紹介すると、クラスの生徒は皆黙って、黒い髪が少し伸びた印象の小柄の少年を見つめていた。

「三島和貴君です。三島君はお父さんのお仕事の関係でずっとアメリカで暮らしていましたが、このたび、日本に戻って生活する事となり、皆さんと一緒のクラスで勉強する事となりました」

担任はそんなふうに彼を紹介した。

それから自己紹介をするように促したが、彼は何も喋らなかった。日本語が喋れないのか?と一瞬クラスの大勢が思ったが、そうではなかった。

彼は教壇を降りると、廊下側の一番前の、女の子の前に立った。

「井沢香奈枝。暗そうな奴だな」と、井沢に対して言った。

彼女は確かにおとなしい女の子で、友達もほとんどいない。彼の考えに間違えはない。和貴は特に井沢香奈枝に興味を持ったわけではない。そんな風にして、前から順番に、ひとりひとりの顔を見て、名札の名前を読みながら順々に歩き回っていった。

「三島君!」

教師はその行動を止めようとしたが、和貴は止まらずにその行為を続けた。

「安原。おまえはスポーツができそうだな」

「おお、まあな」と、返す安原だが、三島はその答えを気にしない。そして次へ向う。

「木原道代。おまえはかわいいからもてるだろう?」なんて、木原さんには言う。

彼の言葉にオブラートはない。言いたい事を言っている。

もはやあっけに取られて、誰も何も言い返す気になれない。やがて、拓実の前にもやってきた。

黒い目が、拓実の顔を覗きこんでいた。笑いもせず、不思議そうな、何かを考えるような顔つきで、拓実を見ていた。

「ふーん」と、だけ三島は言った。

拓実に対してはただそれだけだった。


その日から、拓実のクラスの雰囲気は変わった。なんだか異様な監視にあっているようで、誰もが騒いで話をしようとはしない。

黒い瞳の三島和貴が、一番後ろの真ん中の席にどすんと座って、辺りを見回している。

あいつとは付き合わない方がいい、という感じが口に出さずともクラス中で感じていて、誰も三島和貴には近づこうとはしなかった。


しばらくは何もない日々が続いた。

ただ黙って、眺められているだけのような日々。不思議なオーラが漂っているが、今までとクラスの友人関係やなにやらに変わりは無い。結局いつもの日々が繰り返されるだけか、とクラスの皆が思い出していたある日の授業の事。

数学の若い男性教師は一人マイペースに黒板へと数字を書き続けていた。

「えーと、これがこうなって、こうなるから、ここが9になる」

そんな授業をしていると、突然、「つまんねえなあ」という声がクラスに響き渡った。

皆が後ろを振り返る。

三島和貴が発した声。

「つまんねえ。くだらねえ。授業だ。ああ、つまらん」

またあっけに取られて誰も何も言えない。先生も止まっている。

和貴はさっと立ち上がると、彼は後ろのドアから教室を出て行ってしまった。

若い男教師はさすがに驚いて、その後を追って教室を前から出た。

二人は廊下でしばらく立ち話をしているようだった。教室では皆ざわついていたが、誰も廊下の外に出て、二人の話を聞こうとはしなかった。

結局すぐに男教師は一人で戻ってきた。そしてそのまま三島和貴が戻ってくることはなかった。


その日から三島和貴の学校での自由行動が始まった。

それが拓実の三島和貴に対する最初の思い出となる。


(つづく)

再接続 15.残聴に掛かる声を追うが如く(3)

拓実(たくみ)と亜人(あひと)は、地元にある昔のデパートを改装した雑居ビルの一番上3階にあるJAZZBARで、夜に会った。


デパートが廃業して10数年経ち、その間にまた多くの店舗が潰れてほとんどが貸し店舗となってしまっているが、そのJAZZBARだけはずっと続いていた。

なんとなくぼくらは互いにそこの事を知っていて、まだあるかと試しに覗いたのが最初にそのバーに入った理由だった。

薄暗い裸電球が照らす下に、木製のカウンターがあって、古い木製の丸テーブルが4つほどある。奥の方には、演奏ステージとソファー席が3つほどある。古いレコードステレオがあって、そこから毎日JAZZが聴こえてくるが、たまには地元のJAZZ好きが集まって生演奏もしている。


拓実と亜人は丸テーブルに座って、乾きもののピスタチオを口にしながら、アメリカのビールを瓶ごと飲んでいた。

飲みに行くのはその日が初めてだった。互いにあまり弾む会話は見当たらなかった。


「最近は、ボーリングをしている」と、亜人は言った。

「ああ、駅前のボーリング場?まだやってるんだ」

「まだあるさ。マイボールも持っている」

「本格的だね!プロにでもなるつもり?」

「ちがうさ。ただ、何か一つくらい特技が欲しくてね。アベレージは140くらいだよ」

「うまいじゃん」

「素人にしたらってところ。ぜんぜんうまくない。160、180、200、まだまだ目標は上さ」

「そうか。そんなものか」

拓実は高校1年くらいからボーリングなんてやった覚えもなく、返す答えはそれくらいしか思いつかなかった。


夏の夜で台風が近づいていたから、店の窓には叩きつけるような強い雨が降り出していて、拓実はそればかりを気にして出していた。

「古川くんは?何か、やりたい事とかないの?パリに行っていたんでしょう?何かやりたくなったとか」

「そんなもの、何もない。何かあったら、実家に帰ってダラダラ過ごしたりはしていない」

また会話の進みそうにない回答をしてしまった事に、拓実は少し後悔する。

「でも、君は変わったね。

 昔は、もっと、どこか陰があって、なんていうか、悪くはないけど、楽しそうじゃなかった。

 今は、とても明るくなった感じがする」

その事は事実だった。拓実は自分でも気づいている。パリで受けた何か得体の知れない経験が、拓実の闇をふり払ってくれた事を。

「変わったかもしれない。

 でも、何かがやりたいとか、進むべき道が見えたとか、そんなかっこいいものは何もない。

 でも、今までつまらないと思っていた色々な事が、実はとても楽しいものである事を感じたってところ」

ちょっと照れくさいような事を言ってしまい、拓実は亜人の表情を気にした。

亜人は下をうつむいて、小さく微笑んでいるように見えた。

「そうだよね。何だって楽しいと思えれば、楽しくなるよね」

ぼそりとそう呟いた。

独り言なのか、拓実に答えた言葉なのか、拓実はそれに迷って、そのままその会話は止めにしてしまった。そして何気ない年末年始の話や就職やらなんらやら世間話を始めた。


あの日はあれで別れた。けど、拓実の記憶にはあの日の出来事が不思議と、しっかりと残っていた。


それからは亜人と会うのはいつもボーリング場だった。

彼は趣味のままに、ボーリング場でアルバイトを始めていた。もともとコンビニのアルバイトしかしていなかったから対して変わらない。実家で生活しているから自分のこづかい程度が稼げればいい感じで、平日はアルバイト外の時間もボーリング場にいて、一人端っこのレーンでボールを投げていた。

そんな亜人に、拓実はたまに会いに行った。

いつも拓実はボーリングをせずに、ただ亜人のプレイを見ていた。何が悪いか良いか、フォームだの視線だのあれやこれやとボーリングの話をする亜人の話をして頷いているだけだったが、その事が、なんとなく拓実には楽しく感じられていた。

そんな日々が数ヶ月続いた。


そして、拓実の就職と共に、拓実は亜人と会わなくなった。

拓実は静岡市に引っ越し、そう遠くはないが、実家に戻るのもまばらになり、亜人に連絡を取ることもなくなった。

亜人が亡くなったと知らせが入ったのは、それから4年後の夏だった。


『ぼくを包み込む闇のないあの頃に、会った彼は、闇へと包まれていこうとしていたのか。

 この世界には、闇や光が、生まれたり、消えたり、繰り返し、命の輝きを操っているかのよう。

 光の中では、ありふれた毎日が、楽しみ。闇の中では、楽しみを探しても、全てが不満。

 闇に染まり落ちてゆき、どつぼの穴に落ちたら這い上がれないかのよう。

 彼はそうやって消えていったのか。必死に楽しみを探そうとして、見つからず、見えず』

今いる一人きりの部屋が闇か光か、拓実は部屋の蛍光灯を見つめていた。カーテンを開いて、窓の外を見るとたくさんのマンションの部屋の明かりが付いている。

『星のない夜空に輝く、一部屋の光に、一つの命。あの光は・・・』


(つづく)