再接続 34.絡み合う結び夢(2)
過去に夢を見ていた事がある。それは決して訪れない幻想とは違う。いずれ来る未来とも違う。
夢はたいてい夢のまま終わった。誰かに会いたいと願った予感は呼応することなく終わった。
誰かの事を想えば、いつもそれは一方的な願望にしか過ぎない事を知る。
感情はいつも空回りする。激しい思い込みに囚われてしまう。
長い間、瞳の下の三つボクロがある女の事を想い続けていた。彼女とどこかでバッタリ出逢う瞬間を待ち望んでいた。
それが長い間、古川拓実が抱いていた夢だった。
大学時代の東京暮らしでも、初めて就職した時の静岡の暮らしでも、拓実はその子と出逢う数々の想像を描いていた。
地元に帰った時は、いつも街中で彼女とすれ違う想像を抱いていた。いつも想像で、その想像に至る事はない。彼女が住むのは隣町だったし、拓実の家は町の中でも田舎の方だったから、わざわざ彼女が拓実の住む場所の側にやってくる理由もない。
家を出た瞬間、駅のホーム、スーパーで買い物の途中、車で移動中に歩道を歩いている姿、その想像はいつも意味のない幻で消えてゆく。
その幻の先には夢がある。共に暮らす想像や、互いに励まし合うイメージ、抱き合って、愛しみ合って、時に喧嘩する。
それは、妄想か、いや、それもまた夢だった。
たくさんの夢が、夢のままに消えていった。
イメージの沸かない、なんとなくそうなる予感だけが未来となってやってきた。
拓実の夢の未来では、今の歳なら山のふもとに住んでいて、木のおもちゃでも作って暮らしていたはずだ。子供も一人いて、彼女は二人目を身ごもっていた頃だろう。木の家に住んでいて、暖炉があって、シチューの匂いが部屋の中を漂っていたはずだ。
また別の夢では、高層マンションの上階で、ワイングラスを片手に、愛しい人の帰りを待っていたのかもしれない。
そんなものはどこにもない。今の暮らしで迷子になっている。
『いったいどうしてここに、ぼくはいるのだろう』
拓実をここに連れてきたのは、望んだ夢ではなく、むしろ奇遇の現実でしかなかった。奇遇の現実は望んだ夢とは遥かに遠い。
望んだ夢のない奇遇の現実に生きる男。それを運命というのなら、拓実は自分が極めて不運に思えていた。
(つづく)
再接続 33.絡み合う結び夢(1)
でも、過去は、思い返したい出来事ばかりではなかった。
忘れてしまいたい多くの事もある。その一片が、強く脳に響けば、死にたいほどの心の痛みに捕らわれる。自分の愚かを感じれば、小さな自分の存在が嫌になり、消えてなくなりたくなる。
拓実はまた、ふと虚しさに捕らわれる。
その虚しさがどこから来るものかを考える。
いくつもの芽生えた恋心と、そこに生まれた切情と、届かない結末だけが続いたかのように感じられる。
思い返したいはずの過去はまだたくさんあるはずなのに、一方で忘れたかった過去が思い返そうとする思いを邪魔している。
それに、大半は、思い返す意味もない無駄な時間だった。学校の勉強、会社の仕事、雑用、通勤通学、生きる為にしなくてはならない日常の出来事、テレビ、ゲーム等など。
多くは一人の時間だった。家族と暮らしていても、一人で自室にいる時間ばかりだった。誰かといても、テレビを観ていたり、映画を観ていたり、その感覚は大半が一人だった。
触れ合い、愛し合う時間が短く、心は寂しい。
現実は、夢を見る心によって、美しく輝いた。
ありたいと願う想いが叶った時にだけ、世界は大きな広がりを見せる。
強く感じようとする感性が生まれて、過去は綺麗な思い出を作っていた。
「なぜ、過去を思い返すの?」
「思い返したい過去がある。忘れたくない過去がある。大切にしたい過去がある」
「あなたはなぜ、ここにいるの?」
「夢を追って、ここにいる。現実に縛られて、ここにいる。望む未来がなければ、ぼくはこの先へ行けないだろう。ぼくは未来へ行けるだろうか。ぼくは何を思い描き、過去を未来へ繋げてきたのだろうか。失われたたくさんの過去の夢がある。何かを信じて進んできた経緯がある。君もまた同じようにその経緯がある。出逢った全ての人に経緯があり、今があり、ぼくらは共有し合って、ぼくらの互いの過去ができた。また、今があり、また、未来がある。思うようにいかない現実の中で、希望を抱いて夢を見て、進んでいる」
「あなたはいったい何を未来に思い描いていたの?そしてこれからどんな未来を思い描いているの?」
「そうか。そうだね。忘れてしまっていたよ。そんな事。それについて少し思い返してみようかと思う」
語り合う女を相手に、過去を思い出す。
古川拓実は過去に見た夢を追っていた。それは幻想とはまた少し異なるものだったのかもしれない。
(つづく)
再接続 32.最果ての空の街にて(3)
古川拓実と三島和貴は、中学2年の同級生であり、互いを友人と理解していたが、実際にはほとんど一緒に遊んだこともない。学校でも一緒に過ごすことはほとんどない仲だった。
それでも互いは互いを意識する関係にあったから、どこかで唯一人間味を感じることのできる相手だったろうと感じ合えていた。
もし、三島和貴が中学3年の夏に海外へと引っ越さなければ、もう少し遊び合える間柄になっていたのかもしれない。でも破天荒すぎる和貴に拓実は付いてゆけずに変わらず別々の日々を過ごしていたのが本当のところだろう。
パリでの再会は、それ以来というわけでもない。
二人は拓実が高校4年生の時に再会している。その話はまた後で思い出すこととして、拓実はパリでの出来事を思い出している。
三島和貴の住むアパートで再会を果たしてから、二人はしばらく街の中をうろうろと散歩した。日本人街を歩き、パリだというのに寿司を食って、日本の映画を観たりして、数時間を過ごした。その間はパリの街をあれこれ紹介するだけで、懐かしい話は一切しなかった。そして今何をしているとか、これからの話とかは全然なしだった。
それは、三島和貴らしいと言えばらしく、普通だと言えば普通のようだった。
それから、広い歩道にテーブルを並べたカフェに落ち着いて、しばらくぼおっと過ごすこととなった。日はまだ暮れそうにはない、長い午後だった。
「意外と普通に暮らしているんだね」と、拓実はぼそりと言っていた。
「俺がどんな生活をしていると思ったんだよ。銃でも持って暴れまわってるとでも思ったのか?」
「いや、そうじゃないけど」しばらく間をおいて、「でも君は、机を3階から投げ落としたこともある」
三島和貴は少し困ったような笑みを浮かべ答える。
「ああ、そんな事もしたっけな」
「君は、とても、危険な人間のようだった。周りの皆はそう見ていた」
「あれは、日本が異様なだけさ。なんでああも、一つにまとまっているんだ?軍隊でもあるまい」
「それと、机を投げるのに、どういう関係が?」
「そうだな。並んだ机を見てたら気持ち悪くなったのさ。俺は苦手だった」
「日本じゃない国は違った?」
「違ったといえば違う。だけど、俺も状況や気持ちの変化というものがある。あの時は特別だった。それから、おまえも特別だ。おまえは俺の前から2度も姿を消して見せた。ずっと寝たままだった事もある。俺を変人扱いするなら、自分の事を見つめなおした方がいい」
「そうだね。そうかもしれない」
「おい、やっぱし、変人扱いしてたって、か?」
「あ、いや、僕は」
そんな過去の話をして、笑った。
その時、三島和貴はパリに住んでいて、パリの大学に通っていて、それなりの勉強と、それなりの自由な時間を過ごしていた。
「でも、もうすぐ終わりさ」と、三島和貴は言った。「もうすぐ俺も、親の会社に入って仕事をする。長い遊びももうすぐ終わりだ」
「そうか。君は、もっと、変わったことをしていくのかと思った」
「こんな話を聞いたことがあるか?昔人殺しだった男がある日から人を救う名医になったって話。作り話だったと思うが、それって若干わかる。俺は人殺しじゃないけど、まあそういう事さ」
わがままやって、やりつくして、次は人のためになることをしたくなる。きっと彼はそう言いたかったのだろう。
「おまえは、どうしたいんだ?」と、和貴は拓実に尋ねた。
「ぼくは、わからない。自由になりたかったんだ。どう生きられるか、試してみたくなったんだ」
『僕らの感情はあの時、入れ替わるかのようだった。今まで自分の思うままに暮らしてきた彼が一つの社会に落ち着き、今まで社会に従ってきた僕が自由な暮らしをし追い始めようと考えていた』
でも、あの時、拓実は少しだけ寂しい気持ちになっていた。自分にとって、三島和貴とは、どこまでも破天荒で、自由に走り続ける存在だった。それはどこか自分の目標のようでもあった。でも、彼は親の仕事を次いで普通の生活を始める。目指す方向を見失ったかのようにも思えた。
『これから先は、見えない未来に、自分で進んでいかなくてはならない』
そうも思ったはずだ。
それから二人は何を語り合った事だろう。語り合った事は忘れてしまった。ただ、互いに新しい未来を見つけ始めて歩き始めていた。その交差点がそこにはあった。
(つづく)
再接続 31.最果ての空の街にて(2)
言葉の通じない街の中、頼りにしていた宛先もわからず、街に佇む。
ただでさえ通じないのに、誰かに助けを求めようとする勇気もない。
都会の中で一人の存在は海外であっても目立たない。異国の人が通り過ぎてゆく。国にいた時も孤独だと感じていた拓実だけれど、海外はより孤独。いやどちらも変わらない孤独。
意を決して歩き回る。とにかく住所の場所に行かなくては、どうにもならない。
それでもとりあえず着いた場所はユースホステルだった。旅行本と会話本だけが役に立つ。それが現実だった。
そこを拠点に数日は住所の宛先を探していた。
孤独でも、ここには街があり、一人の外国人を受け入れて生活させることを拒まない。若干のお金と不自由ない体があるから、拓実はちゃんと生きてゆける。
きっとここだろうという場所はすでに見つけていた。
地区に、ストリートを探し、その道に建ち並ぶビルの入口に記されたビルの名前を見れば、場所がはっきりする事はすぐにわかった。ただ、その入口にあるベルを鳴らせばいいだけの事ができずに毎日が過ぎる。
やがて一週間が過ぎていた。
ユースホステルには日本人もやってきて、拓実とコンタクトを取ろうとしていたけれど、拓実はそれを拒んで一人で過ごした。いつだって一人の理由は変わらない。人との関わりを拒めばどこに行っても孤独になれる事を知っている。
誰とも関わり合わず、一人で在れる事に心地よささえ感じる自分がいる。いつだって孤独だったけれど、このさらに極めたような孤独は、あらゆるものから解き放たれた自由を与えてくれている。
低い雲がパリの連なるコンクリートの街並みのすぐ上を覆っている。セーヌ川の畔でボケっと過ごしていれば時間は無限にあるかのように感じられる。
それが、拓実には心地よく感じられた。
『生きていく理由は、どうでも良くなった。ただ、いつまでも、あの時間を感じていたかった。それが、僕にとっての幸せだった。生きていけば、いつか幸せが与えられる気がした。どこにあるかはわからない。どこまで行けばいいのかもわからないけれど。それがあの時の、僕の生きてゆこうとする理由になった』
建物のブザーを鳴らした。
何度も、何度も。
フランス語で、彼はよくわからない問いかけをしてインターフォンに出た。
「僕だよ。古川拓実だよ」
と、拓実は三島和貴に伝えた。
パッと明るくなるような彼の声が聞こえて、拓実も笑った。
(つづく)
再接続 30.最果ての空の街にて(1)
拓実に一通の手紙が届いたのは、学生を終わらせる気のない毎日が続いている日のある晩の事だった。
親愛なる親友への手紙だと、黒い目の少年は拓実に伝えていた。
もしその手紙がなければ、どこへ行っていた事だろう。ぬかるみの上の死体に操られ、いかなる悪さを働いていたかわからない。その手紙だけが行く方向を残してくれた。たった一つ唯一の抜け道に思えてならなかった。
『俺は今、パリにいる。この手紙のあて先は知り合いに聞いて届けてもらったが、君が今何をしているかは知らない。学生だと聞いたが、そのほかは不明だ。機会があったらパリに遊びに来ないか。君と会って話がしたい。ここに俺が今いる住所を示す。ではいつか会える日を楽しみにしている』
彼が何を思い、それを拓実に宛てたのか、詳しい理由を拓実は知らない。でもそれだけが頼りだった。それが唯一の道しるべだった。
翌年拓実はギリギリの単位を取得して大学を卒業した。そしてパリへと旅立った。何も知らないまま、ろくに言語もわからない。わずかばかりに学んでいたフランス語で何ができるとも思わない。英会話もままならない。頼りは、たった一通の手紙の差出元だ。
シャルルドゴール空港に着いた夜の全てを、拓実は生涯忘れる事はないだろう。決して感動を呼ぶような景色に出会ったわけではない。そこは現実で、ただそこには外国といわれる場所が実際に存在しているんだと思えるくらいの場所だった。
多くの外国人が流れてゆく中を一人ベンチに座っていた。行き場はどこだかわからない。言葉はわからない。勇気のない時間を過ごしている。
『ここにしか来る場所がないから来たけれど、ここにきていったい何があるのだろう』
その時、彼はそういうふうに何度も何度も頭の中で反芻させた。
居場所の全てを失ったかのようだった。
外は闇に覆われていた。
メトロに乗って、パリの中心地まで移動した。
赤い灯りが辺りを包む古い街並みの光景はここが外国であることを教えてくれる。一人その街並みにぽつりと置き去りにされて、生きる方向、向かうべき道の果てを考えさせられる。
何のために生まれ、何のために生きてゆくのか、ひどく考えさせられた独りぼっちの時間が心に穴をあけようとしている。
『生きてゆく人生とは何なのさ。楽しみとは何なのさ』
彼は心の中に棲みついた死んでしまった人間に尋ねかけた。でも答えは帰ってこなかった。そこにいるのは自分という存在のみだった。
(つづく)