小説と未来 -19ページ目

再接続 39.覚醒に夢見心地(2)

2度目の高校3年の夏が過ぎ、学校へ通うようになった古川拓実の前に、黒い瞳の男、三島和貴が現れた。あれはまだ暑い夏の終わらない9月の出来事だっただろう。


学校帰りの道端に現れた黒い瞳の男を拓実は無表情に見つめていた。

人通りのほとんどない道だ。


「元気になったんだな」

和貴が拓実に話しかける。

夕暮れ時で、少しだけ涼しい風が正面から吹いてきていた。


拓実は会話することのできなくなったハンディー者のように何も答えずにいた。


「一度見舞いにも来たんだぜ」


『でも、その頃のぼくはずっと変わらないぼくだった。同世代の周りの相手を、信用していない自分がいた。いつも冷たい目で見ていた。ただ一人、彼女を除いては、全て』


それでも三島和貴は拓実を好むようにやってきて、彼に話しかけた。

「今は、どんな気分なんだ?」

拓実はその問いを無視して、歩いて去ってゆこうとする。

嫌っていたわけでも、避けていたわけでもない。ただ興味がなかっただけだ。それでいて、どうでもよくくだらない。ほとんどの人間をそういう目で見ていた。

そして、逃げるように歩いてゆき、気が付くと、そのあたりにあった廃墟のビルに入り込んでいた。

和貴は拓実の後を少し距離を置いて付いて行っていた。

「おい、こんなところ入ってどうするんだ?」

そう尋ねたが、拓実の声は相変わらず帰ってこない。


和貴が廃ビルの中に入り込んだとき、拓実の姿は消えていた。

「おい!どこいいるんだ!」

大きな声で、和貴はどこにもいない拓実に尋ねた。


しばらく無言が続いた。歩けばそこには自分の足音だけが響くような静かな場所だった。

「おーーーい!」

歩いて探す。大きな吹き抜けホールのような場所で、コンクリートがむき出しの空間にいくつもの扉のない部屋が1階、2階、3階へと続いて見られる。

まるで気配がない。人は自分以外どこにもいないかのようだ。和貴はそう感じていた。


「君はぼくの場所には追いつけない」

どこからともなく拓実の声がする。コンクリートの空間の中に響いて、その声がどこからやってくるのかはまるでわからない。

和貴は辺りを見回した。そしてそれからにっこりと笑った。

「そうだな。おまえらしい。俺はおまえを見つけられない。それでいい。おまえはそういう奴だ。どこまでも見つからない。俺にはおまえがわからない。それでいい」

そう大きな声で、叫んだ。


声は帰ってこなかった。

だから和貴はゆっくりとその廃ビルを後にした。一言の会話を交わさずとも、その不思議な行動を取った拓実に満足し、去って行った。


拓実も気づくと、廃ビルの外にいた。和貴はもうそこにはいなかった。自分でもどこでどうしていたのか覚えていない。記憶があいまいになってしまっていただけかもしれない。ただ意識を失って、そうだあったと思うような夢を見ていただけかもしれない。


『今でもわからない、たくさんの過去がある。過去のぼくはどこへ消えてなくなったのか。今もぼくの中にあるものなのか、それさえわからない』


(つづく)

再接続 38.覚醒に夢見心地(1)

2度目の高校3年の夏が来て、体力が回復した夏の事だった。

拓実はまだ、本当の現実に戻れない夢のような現実の時間を送っていた。


『あの日、ぼくはどうして、彼女と会うことになったのだろう。今となっては定かでない出来事の一つがそこにもある』


踏切の音が鳴り響いていた。その踏切を渡らなくてはならない。

拓実はいつもその事を想い出す。


夏の夕暮れ時だった。拓実は急いでいた。体は少しふわふわしていたが、体調は悪くはない。歩いて気持ち悪くもならなくなっていたし、疲れて動けなくなるような状態に落ちる事もなくなっていた。

夏休みが明ける事には、2度目の高校3年生の生活が始まる。


8月の終りだった。

ドアを開けると風鈴の音がする喫茶店を潜った。

待ち合わせである事を告げると、店員は2階を案内してくれた。狭い階段を上ると、テーブルが数個しかない狭いスペースの窓際の席に彼女は座っていた。

拓実は一瞬ドキッとして固まったが、すぐに冷静にその女性を見直し、平静な心を取り戻した。

「こんにちは」

三つボクロの女子高生の姉である女の子は、拓実にそう挨拶をしてきた。

「こんにちは」

拓実は低い声でそう答えて、手前の席に座った。

「大丈夫そうに見えるけど、大丈夫?」

姉のその気遣いに、素直に頷き返す。

「もう、なんともありません」

彼女は涼やかなノースリーブのドレスを着て、柔らかく微笑んでいた。三つボクロの彼女に見た目はほとんど似ていないけれど、どこか内面に持つ柔らかい感触が似ていた。その感触が拓実を少しドキドキさせていたし、それだけでなくても拓実はその長女の事を好き好んではいた。

恋でも愛でもない。ただ、優しい姉として、自分の姉であったらいいと感じられるように、その目の前にいる細身の女性を嬉しく懐かしんでいた。

「わたしが今日、ここにあなたを呼んだのは、あの子の事よ」誰とは言わなくても、二人は理解し合えている。「あなたが入院した後、あの子は学校へ行かなくなったの。それで、ずっと家に閉じこもるようになったの」

彼女は何を聞く前に、自らそう話し始めた。

三つボクロの少女は拓実が雷に打たれて後、学校を辞めた。どうしてそうなってしまったのか、その理由は誰にも分らなかった。親はとても心配した。でも、ついこの間、少女は姉である、今拓実の目の前にいる女性に大してだけは、その理由を少しだけ話してくれたという。

「あなたが雷に打たれて、意識不明になった前にあなたに会った話をしてくれた。そして、その意識が最近戻ったことも話した。でも意識が戻ったことは定かでなかったみたい。あの子はあなたの事を心配していたの。だからわたしがあなたを呼んだ。あなたに会って、確かめる必要があったの」

「彼女は、元気ですか?」

拓実は瞬時にそう尋ねた。

「ええ、今は家で勉強している。大検を取って、大学へ行くつもりよ。『わたしもそうしなくてはならない』って言ってたわ。きっと、あなたが頑張っていると信じていたのね」

「そうですか」

淡々と答えたつもりの拓実だったが、口には笑みが浮かんでいた。


『あの夢のような世界の出来事が真実であったと、感じたんだ。彼女はぼくの場所に来て、ぼくを救ってくれた。そして互いに生きてゆくことを誓い合ったんだ』


長女の冷たいジュースがストローで啜られ、氷のみに変わるまで、拓実は何か懐かしいような話をしていた。その話が何であったかは定かではない。みっちが手を付けた三女の女の子が今は普通に高校生になったことや、一番下の双子の女の子が大きくなったことを話していたのかもしれない。

ただ、拓実がそこに生きていたことで、目の前にいる女性の家族が平和な生活を取り戻した事は確かなようだった。


暗い闇のような数年が過ぎて、明るい日差しが差し込む毎日が訪れている。

何もなかった過去には戻れない。ただ、未来には闇を抜ける場所が確かにあった。


『過去は闇や光を繰り返してきた。今もわずかに揺れている。過去がぼくを苦しめる日もある。でも過去がぼくを救う日もある。終ったわけではないし、終りが近づているわけでもない。まだ続く。この日々の先を、今も繰り返している』


(つづく)

再接続 37.黄色いボールの行方(2)

過去は忘れられる。そこにある思い出は自分の事ではないかのように、テレビで見た内容のないドラマのようにどうでもいい記憶として、思い出そうと思えば思い出せる程度のものにできる。

20年も過去の事はそうやって消えてゆき、当時の苦しみからは解放されるだろう。その遠い過去は忘れてしまっていいはずの事。忘れてしまって、嫌な気分にはもうならない。


それでも拓実は、あの時の記憶を、我が心に残る記憶として、思い返そうとしていた。


『ぼくはあの時、あの場にいた。ぼくはぼくの目であの場を見ていて、ぼくの体はあの場にあり、あの空気に触れていた。誰かは訊ねるだろう。そんなものを思い出して何になるんだ?と。思い出さなくても生きてゆく事はできるだろう。忘れたままの方がずっと楽に生きていけるかもしれない。それでもぼくは思い出したい。あの頃のぼくが肌身に感じていた事、そしてそこから受けた一つ一つの感情を』


黄色いボールの飛び込んだ民家では、心地よい時間が流れた。縁側に、長女は冷たいカルピスをお盆に乗せて運んできた。

拓実はテニスをして火照った体をそのカルピスで冷やした。


「また来てたの?」

3女の女の子はみっちにそう言って、「なんか、ボールが飛んできちゃうんだよね」とみっちが笑って答えた。二人は他愛のない話をしていて、拓実はどこか一人取り残されたように会話に入れず、手持ち無沙汰な気分になってゆく。

『あのさあ、先に帰るよ』と言いたいが、その声が出てこない。帰るタイミングが見つからない。きっと自分がそこにいる事が邪魔な事もわかれているけれど、どうしていいかわからない。

その頃の拓実は、幻も捨てて、現実に生きようと、必死で現実にくらいついていた。そこにある現実的な感触を失うと、また一人夢幻の世界に囚われてしまう自分に陥ると、一人になる事を避けてそこにい続けた。


やがて帰ってくる次女の女の子と目が合う。

「こんにちは」と、拓実は挨拶をする。

「こんにちは」

彼女は無表情にそう言って、2階へと続く階段を上って行ってしまう。二人の会話はほとんどその程度だった。でもなぜか瞳と瞳が重なり合った瞬間に、忘れられない心の声が残って、いつまでも彼女は拓実の夢の中に潜り込んだいたかのように居続けてしまう。

たった何度かの、その思い出が忘れられなくなった。


『またきみに会える。また君の瞳と繋がって、その時打つ、あの胸のときめきを味わいたくて、ぼくはみっちに付いて、いつも、無駄な黄色いボールの行方を追っていた』


でも、ある冬に、その入口には黄色いボールを持った父親が立っていた。

「すみません。ボールが」

今日は親か、と思った拓実だったが、いつものように笑顔でその家の父親に謝ったが、父親は拓実の問いかけなど関係なく、みっちの方をじっと睨んでいた。みっちは何かを感じていた。逃げるに逃げられずにいるように固まっていた。

その状況は数分の事だったけど、とても長い出来事のようでもあった。今にも殴りかかりそうなあの、父親の目に、拓実もまた恐れを感じずにはいられなかった。

ただじゃすまないような事がそこにはあって、みっちと3女の子が一線を越えた仲になっていることを理解した。その事が何らかの理由で、親にばれてしまった事。

「もう、二度と家に来るな」

父親は怒りをにじませた弱い声でそう言って、みっちに黄色いボールを渡した。

みっちはそれを受け取り、二人は逃げるように走り去って行った。


帰り道で、拓実はみっちから聞いた。

「何だよ。ちょっとやっちゃったくらいで、なんで親が出てくんだよ!」

拓実は何も言えなかった。


それ以来、テニスをする事もなくなった。拓実はみっちと話すこともなくなった。たまに軽い会話は交わすけれど、それだけ。

そして拓実の心の中には、あの家の次女、三つボクロの女子高生の姿だけが残った。


『きみの顔にはいつも笑顔がなく、きみの瞳はいつも黒く淀んでいたけれど、瞳の遥か奥では優しく微笑んでいて、優しく、美しい未来を望んでいるかのようだった。きみの瞳はぼくを瞳を通じて、ぼくの中に残り、ぼくを傍へと呼び寄せようとしていた。それは幻の出来事かと思っていたけれど、起こった出来事の一つ一つを思い返せば、ぼくの心に残されたきみの瞳が本物だったことが思い返せる。そしてその全てに応えられなかった事も。それでもきみに応えたかったと残る強い後悔の念』


(つづく)

再接続 36.黄色いボールの行方(1)

遠い過去には、もう二度と戻れないだろう。

そうでなければ良かったことはいつもあり、いくつもの、そうでなかったらよかったことが、事細かに再発してくる。


たとえば20年近く前、高校生であった古川拓実が打ったテニスボールが壁を越えて、その向こうにある民家に入らなければ、その先にはまた別の人生が待っていたはずだ。

三つボクロの女子高生にも逢わなかったし、みっちとも仲良くしていたかもしれない。


高校1年生の時、拓実とみっちは同じ高校に通っていた。中学時代には全く一緒に過ごすことのなかった小学校時代の親友と高校1年の時に同じクラスになったのが、再び二人を引き合わせるきっかけとなった。

二人はテニス部に入った。

その部活はほとんど活動をしていなかったので、二人にとってはただの遊び程度。上級生は見せかけだけで、ろくに練習もしていない。テニスコートは開いていて、二人は放課後、ボールを打ち合った。

大して習ってもいないで始めた二人のテニスは適当だったので、ボールがあっちへ飛んだり、こっちへ飛んだりした。


そしてある日、ボールは学校の塀を越えて、ある民家へと入ってしまった。普通には飛ばないほどの大ホームランだった。

二人はその民家に行き、ボールが行ってしまった詫びる事とした。

民家の中では、その日は中学3年生の3女の誕生会をやっていて、2人がその家の中でボールを探していると、なぜだかその会に加わるかのようになってしまった。結局ボールは見つからずじまいだったけど、なぜだかその家の人たちと仲良くなってしまっていた。


そしてそれからしばらく、みっちはわざとボールをその民家に飛ばすようになった。いずれは理由もなく、その家を訪れる事となっていた。

みっちの目的はその家の3女の女の子にあった。二人は仲良くなっていて、拓実はみっちのお供のようにその家を訪れる事となった。


三つボクロの女子高生は、その家の次女だった。彼女は無口であまり喋らない女の子。

高校を卒業していた長女は短大生で、遊びに来る二人を嫌がらずに相手をしてくれた。正しくは、みっちが3女の女の子と話し、暇そうにしている拓実の相手をその長女の女子短大生がしてくれた感じだ。

でも、拓実はあまり話さない次女の女の子の事が気になって仕方なくなっていった。その想いは心の中にしまっておいた。実際にその子が出てくることもあまりなかったので、目立って何かを起こすわけでもなかったけれど、たまに現れるとドキッとしていた。


民家を訪れる事は、ほんとに1か月に1、2回だったけれど、夏から冬にかけて、そんな日々は長く続いていた。


起きてはいけない出来事が起きなければ、日々は変わっていたはずだった。

思い出したくはない思い出がその先にはあり、拓実は心の痛みを強く感じる。


(つづく)

再接続 35.絡み合う結び夢(3)

奇遇の現実。

でもそこには、拓実の意志も含まれていた。

パリや沖縄へ行き、東京へ来たのも、拓実にその意志があった。


何かをしたいと思って、やった事に悔いはなかった。

意志は今も、拓実をどこか別の未来へと向かわせている。


強い意志があれば、そこへ向かうことができる。


辿り着けた事もあるけれど、たくさんの辿り着けなかった場所もあるだろう。

ほとんどは辿り着けずに夢と消えた場所ばかりだけど、辿り着いた場所がいくつかあり、今がある。


拓実は今も望む。

たとえば、愛しき、温もり。

そこには幸せのイメージがあって、夢を描かせてくれる。


夢が誘って意志が生まれる。

そこへ行きたいと願い、その気持ちのままに、もっと素直な感情になって向かってゆこうとする。

そうやって、夢へ近づてゆく。


『でも、たいていの夢は叶わないのに、どうして意志を持って向かわなくてはならないのだろう』

拓実は疑念を抱く。


この世界には溢れるほどの命を持った人がいて、あちこちへと向かっている。

たくさんの気持ちがあって、いろいろな方向を向いている。


あなたの事が好きです、と言っている。

いいえ、あなたには興味がありません、と言っている。


声と声、言葉と言葉が行き交っている。


声を聞いている。聞こえている。

文字が書かれている。目で見えている。脳に記憶される。記憶を思い返す。

触れている。味わっている。嗅いでいる。


感じていた。その記憶が脳に残っている。

静かに、ゆっくりと、じりじりと、思い出すことがある。

忘れていない。何度でも思い返し、思い出したい。

強く残っている。

脳は、しっかりと覚えている。


新鮮なもの。

懐かしいもの。

感じたいもの。

すき

きらい


今も感じている。

くるしみ

つかれ

ここちよさを求めている。


『ほんとうは、ただ、好きだった』

拓実は思い出す。


向かう意志が、脳の中にあった。

かつての記憶が残っている。いつの時の事かは思い出せない。

苦しみから解放される、やさしい、ぬくもり。


意志に囚われる前の夢に戻る。

夢を見る前の感触を思い出す。


単純に、簡単に、『好きだった。だからぼくは、夢を見る。だからぼくは、そこへ向かおうとする』


たくさんの人がいて、たくさんの好き嫌いがある。そして感じた思いのままに、みんな向かっている。


すべての人が、すなおに拓実のなかに溶け込んできた。

おなじように望んでいる、すべての人の感情を、拓実は受け入れられている気がした。


『むかし、感じたことがある。ぼくはそれが好きで、また、感じられたらいいな、と思っていたんだ』


(つづく)