メキシコ回想記3.ロサンゼルス初日
僕は、2004年11月25日のロサンゼルスを思い出そうとしている。思い出そうと思うがほとんどの事は覚えていない。当時書いた旅行日記があって、それを基に回想している。
サンタモニカの太平洋に、夕陽が沈んでいったのを覚えている。強く大きな夕陽だった。大きな海を一っ飛びして、西岸から東岸までやってきたわけだ。
話は「メキシコ回想記」であるわりに、スタートはロサンゼルスから始まる。このまま飛行機でもう一っ跳びすれば簡単にメキシコへと入国できるわけだけれど、それでは面白くない。メキシコへは陸路で入国し、陸路で進む。そんなわけでスタート地点は、ロサンゼルスとなった。
せっかくロサンゼルスに来たのだから、簡単に通り過ぎてしまうのも勿体ない。せっかくなので、ここでは2泊3日を過ごすこととした。
ロサンゼルスといえば大都会だけれど、東京のように巨大なビルディングが所狭しと並んでいるような場所ではない。比較的広々していて、5階建て程度の大きな建物が余裕をもって並んでいる。そんなイメージだった。
太平洋のフライト中で、隣に座った人は日本人の方で、ジャズのマイクを扱う会社を起業して、その買い付けにロサンゼルスに行く方だった。今回の旅は出会いを目的としていたので、この方とも出会いの一つであり、いろいろとお話をさせてもらった。残念ながら何を話したのか、ほとんど覚えていない。出会った人を写真に残そうと、彼の写真だけが今でも残っている。
その日本人の方の説明で、初日に泊まるホテルまでは難なく行くことができた。ホテルについて一人になって、1日が41時間になってしまう時差ずれもあって眠かったが、昼過ぎに寝てしまうと余計に時差ぼけしてしまうので、ホテルを出た。
どこへ行っていいかわからず、とりあえずメトロバスに乗った。そして行き着いたのが、サンタモニカビーチだった。
ああ、アメリカに来たんだ。
海岸沿いを薄着のアメリカンガールが歩いている。子供がローラーブレードで走っている。大きな犬を連れたミセスがジャージ姿で走っている。もはやそれは勝手なイメージでしかないが、僕はそんなアメリカの西海岸にいた。
ロサンゼルスって意外と肌寒いな。
11月の終わりだ。当り前だけれど、もう少し暖かい気候を思っていたので、そんな事を感じていた。でもTシャツのガールもいたし、アメリカ人は寒さに強いのかもしれない。
夕陽が沈んだ後は、日本人街へと足を運んだ。小さなマーケットには醤油も味噌も売っている。
アメリカに来たのだから、アメリカらしいものを食べればいいのだが、時差ぼけもあって、初日の夜から慣れないアメリカのメガ盛りの食事が喉を通る気がしなかった。だから日本人街で夕食を探していた。
アメリカといえば、人種のモザイクだ。メキシコ街、チャイナタウン、コリアン街、日本人街、様々な街が点在している。ロサンゼルスはアメリカだが、様々な人種の人が暮らしている。特にメキシコ人いわゆるヒスパニック系のアメリカ人が多い。看板の英語の下には、必ずスペイン語表記がある。
街中の露店ではメキシコ人が商売している。メキシコ人からいわせれば、ロサンゼルスもメキシコらしい。カリフォルニア、テキサス、ニューメキシコ、アリゾナ、この辺りはもともとメキシコでアメリカ側が都合で国境線を引いたという話もある(ちゃんと調べてないので、問題ありましたら撤回します)。
とにかくそんなわけで、アメリカという国に、アメリカ人という種族はいないようで、たくさんの人種の人が暮らしているのが、アメリカという国のようだ。
僕は日本人らしく、日本人街に行って、日本のラーメンを食べた。結構普通に美味しい日本風のチャーシューメンだった。ここは日本じゃないかと思うくらい、日本と変わらない。支払いがドルで、サービス料が10%付くことをレシートで確認しなければ、アメリカにいることを忘れてしまいそうなくらいだ。
一日が過ぎてゆく。
何気なく過ぎてゆく一日目。まだ僕は、着いたばかりの未知の地に慣れようと頭を働かせていた。
日本人街からホテルに戻るまでの道中は暗い場所で、ホームレスもたむろしている。どこかで銃声が響いてきそうな、危険な臭いのする暗い夜道を少しだけ恐れながら、ホテルに帰った。
日本を旅立ち、一日41時間の長い11月25日が過ぎていった。
メキシコ回想記2.夢を叶える
たくさんの叶わなかった夢があって、ほんの少しの叶った夢があった。
夢を叶えるには、夢を叶えようと行動しなくては叶わない。
その前に、夢を見なければ、どんな幸運な出来事が起きても、「夢が叶った」とは言わない。
叶わなかった夢は、たいてい、夢を見ているだけで、行動に移さなかったからだ。
どうしてもやりたいことがあるのなら、どうしてもそれをしようと考えているのなら、夢は叶えることができるのかもしれない。
難しいこともあるし、容易いこともある。人それぞれ、夢を叶えるための可能性は異なる。同じ夢でも、ある人にとっては叶いやすい夢だけれど、ある人にとっては叶いにくい夢もある。野球選手に成れる人もいれば、成れない人もいる。どんなに望んでも、能力がなくては叶わない夢もある。
僕にとっても、叶いやすい夢と、叶いにくい夢があった。行動するための労力を費やせる力が足りる場合と、足りない場合もある。100万円の欲しい時計があっても、そこまでのお金を時計に費やすことができる場合と、できない場合がある。夢を叶えるには、お金や時間を費やす必要がある。また、お金を貯めている間に、その時計は売り切れてしまうかもしれない。途中で別の物に目移りしてやはり要らないと思うこともある。
いくつになっても夢は叶えたい。今もまだいくつかの叶えたい夢がある。でも今は、その行動力が足りない。労力も、能力も、足りていない。
夢を叶えるとは、結構大変な事ばかりだ。
2004年11月の事だった。僕は行動力を持って、メキシコへと旅立った。安月給ながら100万ほどの資金を貯め、仕事を辞め、無職になる必要があった。旅行計画を立て、多少なりともスペイン語の勉強もした。
少しの労力と能力が満たされ、旅立つことができた。
ただ、夢というのはイメージであって、現実ではない。メキシコへの旅は、僕の夢ではあったけれど、その夢のイメージと、現実で旅したメキシコの旅は、異なるものだった。
「メキシコの旅をする」という夢は叶ったけれど、「僕が見たメキシコの旅の夢」は叶わなかった。叶えた夢は、現実に塗り潰されてゆく。僕はこの旅でいくつもの夢を塗り潰されていった。
「求めていた運命なんてものはどこにもない。少なくても、僕にとっては」
そう思い知らされた。
だからといって、旅をしたことに悔いはない。旅なんて意味ないという人もいるけれど、旅をして本当に良かったと思う。
旅をしないことで、また別の運命があったことだろう。今より貯金もあったろうし、いい仕事に就けていたかもしれない。結婚をして、今の暮らしよりも良い暮らしかもしれない。そう思うことはある。でもそれは、「旅そのものの後悔」ではない。それはきっと「旅をしなかった場合の僕が見ていた夢」でしかないのだろう。
人生は一本しかない。だから旅をしなかった僕は、もうここにはいない。そう思うと、そんな後悔は無意味だと感じる。できる事なら全ての夢を叶えたい。だから、その年々で、その時できる夢を叶えた方がいい。それで別の夢が叶わなくなっても、その時の夢は叶ったのだから。
旅をした僕は、今、ここにいる。あの日あの時、メキシコの旅をするという夢を叶えた僕がいた。
きっと夢は叶えられる。現実と夢とは違うものだけれど、それでも夢を叶う。
僕は知っている。少なくとも、叶えられる夢はある。
今もまた、あの日の原点に立ち返り、ふとそんな事を懐かしむ。ところで僕は、いったいどんな旅をしたのだろうか?回想は続く。
メキシコ回想記1.導入
いろいろと物語を書いてきたけど、まだ書いていない題材がいくつかある。
その一つが、メキシコ旅行の思い出である。今から11年前、僕はメキシコを約2か月半にわたって旅をしたことがある。その時の記憶について、ここに記しておきたい。
数ある国の中で、僕はその年、メキシコに旅をすることを決めた。2004年の事だった。
なぜメキシコになったのか、それはまさに、「運命」を求めたためだろう。
アメリカ大陸が、まだヨーロッパの国々とって未知の世界であった頃、一人の人物が運命に受け入れられるかのごとく、アメリカ大陸へと上陸した。当時、メキシコの中心で、国を支配していたアステカ帝国のモクテスマは、西洋より来た一人の人物を、神ケツァルコルトルの分身と信じて、受け入れた。
スペインよりアメリカへ渡った人物、エルナン・コルテス。
僕は、その時代の「運命」の物語に魅かれ、メキシコを目指した。
僕の好きなアーティストであるニールヤングに、「コルテス・ザ・キラー」という曲がある。アメリカ大陸では、コルテスは、インカ帝国のピサロと同様、極悪な西洋の統治者としてのイメージで描かれている。「コルテス・ザ・キラー」は、コルテスが大西洋を渡り、メキシコの地にやってくるシーンを歌った叙事詩だ。
僕はメキシコに行く前から、この曲を聞いていた。メキシコについて、興味を持ったとき、この曲もまた、僕がメキシコに行く理由となった一つだ。
僕は「運命」という言葉に魅かれていた。
そこでの出会いを求めていた。
マヤ文明の神秘や、ユカタン半島に落ちた隕石のクレーターに魅かれていた。人が人と出会う、ということに魅かれていた。
「運命」の出会いが欲しかった。コルテスとモクテスマのように、その日、その時の出会いが、世界をも変えてしまうような「運命」の出会いに、僕も巻き込まれることを期待した。
だから、僕は、メキシコを旅した時、出会いを大切にしようと思ったんだ。
その時、出会った人との出会いを大切にしよう。
多くの人に出会おう。
僕は人見知りだった。今も変わらない。でも、あの時は、それでもできる限り、多くの人と話をしようと決めていた。
人生を変える、大きな出会いを求めていた。20代の僕には、そういった運命を信じていた。
さて、あの年、2004年から2005年に掛けて、どんな旅をしたのか、11年ぶりに思い返してみようと思う。
なんとなく今、そんな事を思い返しながら、ここに記してみたいと。
再接続 40.エピローグ
こどもたちのはしゃぎまわる声がする。
若い女が男に話しかける声がする。
幼き子をおぶる父親が子の話に耳を傾けている。
老夫婦が互いに手を取り合い歩く姿がある。
拓実は一人、東京の平穏な街の路地を歩いていた。
『いったいどうしてぼくはここでひとり、あるいているのだろう。ぼくはいつからひとりで、あるいているのか』
でも、その疑問はすぐに晴れる。人はいつも一人だ。ずっと前から、生まれた時から、誰だって。
本当は甘えん坊だった自分にさえ気づいている。誰かと一緒にいたいと感じる強い寂しさが心にあることもわかっている。
今はなぜ、この静かな時の中に自分を置いてしまっているのだろう。
声のない木漏れ日の下に、蝉の声もきこえない夏の終りに、静まり返った休日の中で、何もかもが壊れて、過去が思い出され、全てがゆきすぎて、消え、無くなる。誰もいないばしょで一人、見えないみらいを求め、この世界は不変であるかの続いていて、自分もいずれ、消え、無くなる。
誰もが誰かを探して、誰かに出会い、その触れ合いに、自分を記憶に残し、自分は誰かを記憶に残し、いずれは消えてゆくのだ。互いに。
拓実は知っている。
父親、母親、祖父、祖母、親戚、数多くの出会った人たちが、まだ自分の記憶の中にあるということ。
でもそれと関係なく、拓実が思い出した過去の記憶にいた人々。
『きみの記憶に、ぼくはいないかもしれない。でも、ぼくの記憶にはきみたちがいた。忘れてはいけない大切な人たちだと思ったんだ』
人生の半分程度が過ぎた。まだ半分にも至らない人生かもしれない。
拓実はこの先の人生に後どれだけの人に出会い、その出会いをどれだけ大切にしようとするかを考える。
「多くはないんだ」
そう呟く。
緑の公園を抜けて、駅前のロータリーに出る。
駅の入口で、川口江沙奈が待っている。
「これだけ多くの人が行き交う中で、きみが待っていて、ぼくがそれを見つける」
「遅れてきた言い訳?」と、江沙奈を答える。
「いや、ただ、ぼくは」
拓実は江沙奈の顔をじっと見つめる。彼女の顔は優しい笑みをしていた。
「ただ、ぼくは、きみがここに待っていてくれて、とても、ただ、とても、うれしい」
「あなたはどこへ行ってたの?」と、江沙奈は拓実に尋ねる。
「遠いばしょを旅していた。はるか遠い、遠いばしょで、そこにいた人はみな、消えて、無くなってしまった。
ぼくはただ一人残されて、ここにいる。
ここにいるのは、知らない人ばかりで、知っていても、それは生きていくために必要な記憶ばかり。
はるか遠いばしょにいた人とは違う。
ここにいる人は、ぼくの記憶にはただの人でしかないとばかり。ただひとり、きみを除いては」
そう言って、拓実は江沙奈への愛着を示した。
「でもあなたは、まだわたしのことを何も知らない。
わたしにもあなたと同じように遠いばしょがあって、その場所を旅できる。
あなたはわたしがどこから来て、どこへ行こうとしているのか知らずにいる。
わたしがいつもここであなたを待っているとは限らないわ。
いつかあなたはわたしを探しにこなくては見つけられない日が来るとも思う。
わたしを探しても、わたしが見つけられない日が来るとも思う。
それでもあなたはわたしを見つけようとしなくてはならないの。
そうしないと、わたしは消えてなくなってしまうでしょう?」
今も、まだ江沙奈は拓実の前で消えようとしている。和貴の前で拓実が消えてみせたように、彼女は不安定な姿で拓実の前に立っている。
『きみを見失わないことができるだろうか。この不安定な世の中で、ぼくらはただよい、人としての存在を、ただの形でしか残せずに生きているだけだから、ぼくも失われ消えてゆき、きみも失われ消えてしまうかもしれない。ぼくはどうしたら、きみを見失ず、きみを見つけることができるだろう』
「あなたの声が必要よ。わたしに声を届けて。そして届くまで、どこにもいかないって約束してくれる?」
江沙奈は迷いを見せる拓実に求めた。
でも、拓実にはそれさえもわからなかった。江沙奈のばしょにやってきたのに。
「人は、孤独なんだ」
江沙奈はニコリと微笑んだ。
少しずつ、夜へとなっていった。
二人は美味しいフランス料理店で食事をして、その一夜を楽しんだ。
まだ光の線は繋がっている。
まだ光の線は続いている。
(おわり)