父の命日にもの想う | 『もの想い』macoto

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2020年9月26日(土)

 

今日で父が亡くなってから

 

11年が経ちました

 

 

 

2009年9月26日(土)

 

午前10時33分

 

父が永眠してから

 

私は後悔の日々を過ごしました

 

 

 

もっと父の気持ちに寄り添った

 

リハビリができたのではないか

 

 

 

もっと自分に知識があれば

 

父も鬱になってたと気付けたのに

 

一方的に回復してほしいと願う余り

 

辛い想いをさせていたのではないか

 

 

 

最期の父の言葉を分からなかった

 

あの時の自分を見る悔しそうな顔

 

息絶え絶えで必死に書いた一文字

 

ペンを持つのも無理だった父が

 

その数日後に亡くなると思わず

 

休ませることを優先した後悔

 

せめて「ミス」と把握したならば

 

 

 

父が何度も語っていた

 

高知の実家に兄弟と作ったお墓に

 

入りたいと言ってた望みさえ

 

土下座までしてお願いしても

 

結果的にはアル中の叔父に阻まれ

 

叶えてあげることすらできなかった

 

 

 

私はそんな後悔ばかり感じて

 

自分のことを責めては

 

鬱々と過ごしていました

 

 

 

結果的に父の死や他の事で

 

後悔が積み重なり

 

私はうつ病を発症しました

 

 

 

父が亡くなって

 

家族や親族に傷つけられ

 

逃げるように実家を離れ

 

いまは一人で暮らしています

 

 

 

家から出ていく際に兄からは

 

連絡だけは取れるようにと

 

言われて家族から逃げました

 

 

 

 

 

いま思えば介護うつ状態で

 

あのとき逃げ出してなければ

 

私はこの世にいなかったかもしれません

 

 

 

それくらいギリギリの状態で

 

とにかくその場から離れたことは

 

私にとっては重要な行動でした

 

 

 

HSP(繊細な気質)と知るまで

 

なぜこんなに「生きづらい」

 

のだろうと感じていました

 

 

 

こうして昔のブログを

 

振り返って読んでみると

 

HSPだからだったんだな

 

その場その場でちゃんと

 

自分なりに守る行動を

 

していたんだなと思います

 

 

 

自分なりに認知行動療法を学び

 

なぜうつ病になったのかを

 

自責する自動思考の癖を洗い出し

 

光をみつけられる癖に修正する

 

 

 

たとえば

 

父とのリハビリでは

 

ちゃんと目標を達成できたとき

 

笑顔の父と心を通わせて喜んでいた

 

寄り添ってなかった訳ではなかった

 

 

 

知識もネットの検索力を駆使して

 

医者からもアドバイスも受けて

 

父の希望もちゃんと聞きながら

 

やっていたということを思い出す

 

 

 

父の最期の言葉に気付いた所で

 

父が亡くなる事実は変わらなかった

 

むしろそんな疑念を一人抱えたまま

 

葬儀を迎えていたら

 

私の精神は崩壊していただろうし

 

あえて気付かないようにしてくれた

 

 

 

もしもアル中の叔父が

 

電話した時に飲んでいなければ

 

父の遺骨は高知にあり

 

母は気軽にお墓参りに行けなかった

 

元々駆け落ちのように東京に出て

 

あまり父の兄弟は仲良くなかった

 

死んでまでいざこざに巻き込まれる

 

よりも父も母の近くに居た方が

 

なによりも嬉しいだろうと思います

 

 

 

いままで私が抱えていた負の感情

 

ちゃんと記憶を歪めずに考えれば

 

私なりのベストな行動もしていたと気づく

 

 

 

父が亡くなって11年の月日が過ぎ

 

その時間の薬の効果もあるでしょう

 

でも一番の変化は「気づき」

 

いつも悪く考える癖を修正し

 

認知行動療法による自動思考を

 

自分の気持ちに対して

 

「なぜそう思ったか?」

 

「他の方法はないのか?」

 

「逆によかったことは?」

 

と問いかけることで

 

あなたの感じている負の感情が

 

見方を変えれば正の感情なんだよ

 

と「気づく」ことが大事でした

 

 

 

そこに辿り着くまで

 

ずっと父は見守っててくれた

 

苦悩した年月はそのために

 

自分に用意された時間なんだと

 

やっと気づけた気がします

 

 

 

またすぐに波はやってきても

 

その波は永遠には続かない

 

凪のときもあれば嵐のときもある

 

自然とはそういうもの

 

だから自然体とはそういうもの

 

どんな感情でも無駄じゃない

 

いまは受け入れなくても

 

そのうち受け入れられる日も来る

 

そんな風に思って

 

焦らず気負わずあるがままに生きる

 

命さえあればなんとかなる

 

そうもの想う私なのです

 

 

 

 

 

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202009261033エッセイ『もの想い』

 

あとがき

私の父は急な変更により実家の

近所の共同墓地に眠っています

 

私自身は無宗教のため

父の命日や大切な人の命日は

いつも心のなかで故人を偲びます

 

できるだけ命日には

その故人を心のなかで思い出し

心の対話をする時間を作ります

 

そうすることで故人は

私の心の中で生き続けます

 

ふとした日常のなかでも

故人を思い出すエピソードに

触れれば思い出しますし

自分が生きている限り

自分が憶えている限りは

故人は心のなかに居ます

 

そんな風に想えたら

死も生の一部だと感じられる

そう私は想うのです

 

今後とも未熟者のmacotoですが

読んでくれる誰かに寄り添った

言葉を綴って生きたいと願って

PCの画面を閉じます

 

最後まで読んでくれて

ありがとうございました😌

 

 

 

 

 

父の病気発覚から葬儀後までの思い出の一部

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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