町田ロッテと野球散策 -25ページ目

町田ロッテと野球散策

いやぁ、野球って、本当にいいものですね。

昨日勝って連敗をストップしたと思ったら、今日は再び大敗でした。9回表の久々松川のヒットから久々池田のタイムリー、というのが唯一の明るい材料だったかもしれません。

種市が打たれすぎました。さすがに私も、投手交代が遅いのではないかと思いました。しかし種市KOの後に登板したのが鈴木昭汰だったのは、やはり少し複雑です。本来、大量ビハインドで投げる投手ではないと思うのです。

 

2021年4月の日曜日。我が家はなぜか、江戸東京博物館にいました。妻が見たがっていた「エジプト展」が開催されていました(なぜエジプト?は、実は未だにわかっていません)。ファラオ像やらツタンカーメン像やらエジプト人の死後への特別な感覚を勉強しながら身体に沁み込ませるというちょっと稀有な体験だったのですが、野球バカの私は都度、札幌ドームのマリーンズ戦をチェックしていました。

その時の先発が、ルーキー鈴木昭汰でした。2度目(たぶん)の先発で、なんと7回無失点。プロ初勝利の権利を持ってマウンドを降り、残り2イニングをリリーバーに託すという状況をスマホでチェックしながら、墓石やら壺やら石碑やらに囲まれていました。

ちなみにこの試合は8回に小野郁が失点し、鈴木のプロ初勝利はなりませんでした。

 

その鈴木ですが、結局ルーキーイヤーは1つしか勝てず、ここまでの通算でもわずか2勝にとどまってしまっています。そして今、「敗戦処理」に近いような形での登板を重ねています。なかなかチームが勝てず、かつ序盤から劣勢となる試合が多い状況ゆえ、登板も増えています。これまでの実績を考えると仕方がないのかもしれないのですが、彼は法政のエースで、2020年のドラフト1位です。このままでは終わってほしくないと、強く思います。

 

とくに、楽天の早川には絶対に負けないくらいの投手になってほしいのです。鈴木は、早川の外れ1位。ただ早稲田の早川は、六大学での好敵手だったわけです。

「早川を引き当てていれば…」と思う人はたぶん多いと思うのですが、そんな思いを吹き飛ばすくらいの活躍を見せてほしいです。

まずは敗戦処理でもなんでもいいので、実績を積み重ねてもらいましょう。そして、再びまっさらなマウンドに鈴木昭汰が立つ日が来ることを、願いたいと思います。

たしかカブレラが55本打ったシーズンでした。

 

初めてマリンスタジアムに行ったのは2002年…伊原春樹の西武が優勝を賭けた試合で、その瞬間を観ようと思い、初めて海浜幕張駅に降り立ちました。

この時、すでに谷保さんはマリンスタジアムのマイクを握っていました。2002年はおろか、マリンスタジアム開場時からいたはずです。

その谷保さんが、今年マイクを置く…つまり、引退するとの報を今朝目にしました。

 

驚きました。そして、無念さを感じました。

 

マリーンズはついに、谷保さんに本拠地での優勝の瞬間を見せることができませんでした。本拠地で優勝を決め、その瞬間には谷保さんの「千葉ロッテマリーンズ、優勝でございます!」を聞くはずだったのです。私は真剣に、その瞬間をマリンスタジアムで谷保さんとともに迎える日をずっと待っていました。

叶いませんでした。

 

ただ、やはり2000試合超えのアナウンスは、とんでもない記録です。そして、谷保さんのいないマリンスタジアムを知る人は当然ながらいないわけですので、2024年のマリンスタジアムがどんなことになるのかは全く想像できません。残り数試合ですが、谷保さんの発するアナウンス一つ一つを聴きたいと思います。

 

夜はエスコンフィールドのマリーンズ戦をテレビで観ました。マリーンズ、ついに連敗を止めましたね。

久々に登板した益田が実に圧巻でした。最終回、見事な三者三振締め!

 

700試合登板に華を添えました。それにしてもものすごいペースだなあと思ったら、どうやら史上最速の700登板のようです。

 

岩瀬の1002登板超えも、きっと夢ではありません。これからも鉄腕益田、我らとともに。

見ていて、全く楽しくありませんでした。何よりも、プレイヤーが全く楽しめていない感すらありました。マリーンズ、泥沼の7連敗…

特例2023による離脱者がここまで積み重なると、やはり戦力は落ちますね。そしてそんな中でシンデレラボーイが現れて全員の力を合わせて勝利をもぎ取るなどと言った「水島新司的世界」が実現されるほど、現実のプロは甘くないです。したがってチーム全体がお通夜のようになり、この日も全くいいところなく敗れてしまいました。そんな中で「いいところ」探しをするのであれば、直近2試合で大量失点降板となった横山がこの日は2回無失点と結果を出したことでしょうか。

 

すでに優勝は逃しているのですから、クライマックスシリーズ進出なんてちんけなものを目指して強張るくらいであれば、勝敗さておきで一人一人が楽しんで野球をしてほしいと思います。

 

なお解説の清水直行氏はエスコンフィールドを存分に楽しんでいたようです。

 

とにかく何でもいいので、楽しんでほしいです。

 

 

夕刻の海浜幕張です。ずっと楽しみにしていた月曜開催のマリンスタジアムでのナイター。仕事もあらかじめ2時間早めに終える段取りを整えて臨んだのでした。
結果として…
 
何物にも代えがたい修行の場となりました。マリーンズ、6連敗で一挙に4位に転落となってしまいました。なおこの日のマリンスタジアムは今年何度目かの「満員御礼」。平日の今日にそれが出るのはかなり異例だったのではないかと思うのですが、沢山詰めかけたマリーンズファンにとってはとんでもないものばかり見せつけられています。山本由伸のノーヒットノーランも満員御礼の日ではなかったでしょうか。
チケット代も全く安くないので、マリーンズにはもっと頑張ってほしいところです。
 
しかし、小島が、そして東妻がどんどん点を取られていく渦中において一種の「天啓」的なものが降りてきたような気がしたかもしれません。野球とは勝つこともあれば負けることもあるのです。野を駆け、転がる白球を操り、扱い、所定のルールにおいて巧みに得点を挙げ、失点を阻止するゲームが野球です。その技術を競う彼らアスリートの研鑽のさまは文化そのものであり、その結果として年間の王者が決まっていくのはご褒美だとして、それぞれのプレーヤーの切磋琢磨する様をしっかり見届けるのがファンたる私たちのできる、唯一つのことなのかもしれません…と、恐ろしく難解かつ意味不明なことも書いてみたくなってしまいます。それこそが、「達観」の「境地」でありましょうか。
勝っても負けても、一生懸命やってくれればいいのです…という故・上岡龍太郎的な境地まではまだまだ辿り着けそうにはありませんが、この日のマリンで少しだけその扉を開けたような気がします。
(「と、ぐだぐだ言わせる前に勝てよ」と思う自分のほうがまだ強いですが)
 
「優勝」についても考えました。マリーンズは2005年に「優勝」していますが、リーグ最高勝率のそれでなく、当時のレギュレーションによってそうなったわけですのでそれを除けば「優勝」については1974年までさかのぼらねばなりません。もう、半世紀です。そこで、かつて西武ファンだった当時を思い出しました。その時は西武は黄金時代真っ盛りで、「優勝」なんて軽くできるものだと思っていました。その時、近鉄やロッテや南海を応援するファンのことなど、全く考えられていなかったと思います。なお近鉄はその後1989年の仰木彬監督のもとで「優勝」を果たし、南海も後継のダイエーが世紀末に滑り込みで「優勝」しています。
毎年、あるいは数年に一度のペースくらいで「優勝」してしまうと、やはりその価値が軽くなりそうな気もします。翻って我がマリーンズ…もう半世紀も「優勝」していないのです。これはもう、「生きているうちに優勝が見られるかどうかすらわからない」という、とんでもないチームなのです。
ある意味で、すごいチームです。
そんなチームを応援するなんて、もはや「人生」です。上記のような意味でファン生活を「人生」そのものと言えてしまうのは、ほかならぬ千葉ロッテマリーンズファンしかいないのではないでしょうかっっ!!
 
面白いじゃないですか。
 
マリーンズが優勝するまで、生きましょう。
 
(追記:上記、現地スタンドで本当に考えていたことをそのまま文字にしてみました。それくらい、考えさせてくれた試合でした。まさに、「修行」です)

今日は我が子の試合でした。小学3年生以下の子だけで戦うリーグ戦だったのですが…

我が子、第二打席で公式戦初ヒットを打つことができました! 三塁線を破る見事な一打でした。ベンチと父兄エリアは大歓声でした。ただ、私だけはその輪に加われませんでした。

 

…よりによって、球審を務めていました。

 

さすがに審判服を着てホームプレートで喜ぶわけにはいきません。その三塁線を破る打球も、球審として見ていました。ちなみに球審経験もそれほどなかったので、自身としては緊張しまくったうえで臨んだ試合でした。全体の状況判断をもっときちんとせねばと反省点は残りましたが、なんとか務め上げられてよかったです。

試合後、我が子は自身の成績を「3打数3安打!」と言っていて、「そうだったか!?」と思ったものですが、スコアブックを見返したら、残りの2打席はエラーによる出塁でした。

このヒットに満足することなく、練習を積んでもっとうまくなってもらいたいと思います。

 

で、マリーンズは5連敗ですか。でも、和田康士朗の4安打あわやサイクルというのはお見事でした。