朝から我が子が発熱し、学校を休ませました。病院へ連れて行くために、私も午前中の2時間仕事を休みました。
我が子は、「ドラえもん」を観まくっていました。いつの世代も楽しめるアニメなのですね。
そして、突然こう言うことがしばしば。
「キャー、のび太さんのエッチ!」
…それはやめようか。
朝から我が子が発熱し、学校を休ませました。病院へ連れて行くために、私も午前中の2時間仕事を休みました。
我が子は、「ドラえもん」を観まくっていました。いつの世代も楽しめるアニメなのですね。
そして、突然こう言うことがしばしば。
「キャー、のび太さんのエッチ!」
…それはやめようか。
「遠征」とは、遠くに行って何かを征伐することというのが本来の意味ではないかと思います。古くはヤマトタケルや神武天皇の「東征」があり、世界史ではアレクサンダー大王の「東征」が有名です。秀吉の朝鮮出兵もそうですし、元寇もしかりです。
ところが野球バカにとっての「遠征」は、「遠くの球場に(泊まりがけで)行くこと」となってしまいます。我が家も毎年そんなことばかりやっているので、普段の生活は実に質素です。我が子が産まれてからは遠征費もかさむようになりました。
初めての遠征は、たぶん1999年の大阪ドーム(現在の京セラドーム)です。その日はたまたま近鉄の佐野(ぴっかり投法の人)の31歳の誕生日(もしかしたらその前後)で、記念のカードを配っていました(今も持っていたらかなりレアだったと思うのですがたぶん1年かそこらで無くしたと思います)。そう、近鉄対西武です。ブロッサーとかシアンフロッコとかがいたような気がします。どっちが勝ったとかはよく覚えていないのですが、初めて見る大阪ドームの特徴的な天井に驚いたことだけは覚えています。
それ以来、遠くの野球場に惹かれました。12球団の本拠地だけでなく、よく知らない地方球場もいっぱい訪ねました。
ただ子どもが幼稚園に入ってからは平日に遠方に行くわけにはいかず、かなり遠征は減りました。せいぜい夏休みに行くくらいです。
今日、パ・リーグの日程が出ました。マリーンズは例年地方での試合はほぼ絶無に近いのですが(マリーンズ自体がそもそも地方開催をほとんど行わないこともあり…)、今年はけっこう楽しそうです。まず4月に西武主催で大宮。こちらは2年連続となりました。大宮は、マリーンズ移籍後の涌井が移籍後初勝利を挙げた球場ではなかったでしょうか(観ています)。そして…なんと那覇!久々の那覇遠征となります(前回は西武戦でマリーンズの1勝1雨だったと記憶しています(これも観ています!))。さらには北九州(ホークスがずっと負け続けている球場。何年か前に行ったときも、やはりマリーンズが勝っています)。あとは平日ですがほっともっと神戸2試合…おお、神戸はしばらく行けていません。
もっとも、上記全く行けません。全部平日ですし、さすがに子どもの学校を休ませるわけにも行きません。
やはり遠征するとしたら、今年も夏休みです。
…ついに、エスコンに行けるかも!
来年はもう始まっています。
鬼、笑いまくりです。
あの年、母を亡くしました。
当時新駅であった武蔵砂川駅近くの家に住んでいましたが、その年の夏休みから親戚に引き取られるように、居候生活となりました。
居候先の従兄弟は、なぜか阪神ファンでした。その年の阪神は絶好調で、毎朝、西武柳沢駅前の売店まで日刊スポーツを買いに行くのが私の仕事でした。当時は今ほどコンビニエンスストアもありませんでした。
駄菓子屋もありました。そこで買うのはもちろんプロ野球チップスでした。そして阪神の選手が出たら、否応なく従兄弟に没収されました。私はなぜか山本和行や中西清起を引き当てることが多かったのですが、手許には残らず。代わりに原や吉村まみれになりました。理不尽極まりないものでしたが居候ゆえ、耐え忍ぶしかありませんでした。
その年の日本シリーズは、地獄でした。武蔵砂川の前は東大和市駅の近くに住んでおり、その前は保谷。ずっと西武線沿線に住んでいる私はもちろん西武ファンでした。1982年、翌83年と広岡監督のもので日本一になった西武は84年こそ阪急に負けましたが85年は再びパリーグを制覇したのです。当然、日本シリーズも広岡西武が制覇するものだと思っていました。相手は「21年ぶりの優勝」となった阪神タイガース。
ゲイルがピッチャーゴロを処理してゲームセットになり、阪神が日本一になった瞬間は忘れられるものではありません。ちなみに最後の打者は、当時熱心に応援していた伊東勤…後年マリーンズの監督を務めるあの伊東でした。それだけに、相当悔しい日本シリーズとなりました。従兄弟には、今でいうマウントを取られ続けたものです。
あれから38年ですか。