いすみ市にある「ポッポの丘」というところに行ってみました。きっと我が子が喜ぶであろうと思い。
そこには、もう使われていない鉄道たちが並んでいました。
それにしてもこれだけの数のものをどうやっていすみ市の奥まで運んできたのでしょうか。ただただ、疑問でした。
昔懐かしブルートレインの中。もう日本ではこのスタイルの寝台車を見ることは叶わないのではないでしょうか。
随分前になりますが、あれは1990年の3月だったと思います。
第一希望の高校に合格し、中学卒業後の春休みに初めて北海道へ行きました。そして、初めての一人旅。
帰りに使ったのが「北斗星」という寝台特急で、札幌から青函トンネル経由で東京まで帰って来るのです。その時の車両がちょうどこんな感じの寝台車でした。
なぜか「私は横須賀から来たの」というおばさんに話しかけられたのを覚えています。電車の中で、知らない人に話しかけられてるという体験、当時から稀有そのものでした。
この電車も、元杉並区民としては懐かしさいっぱいでした。初めて乗ったのは1985年の杉並・阿佐ヶ谷へ引っ越して来たとき。(余談ですが阿佐ヶ谷姉妹の姉が栃木出身であると知り、驚きました。阿佐ヶ谷じゃないんかい、と)
かつて、丸ノ内線はみんなこの車両でした。
西新宿がまだありません。できた当初は新宿と中野坂上の間にシールを貼って「西新宿」を割り込ませていたか、あるいは西新宿開業までえらく駅間の長い新宿・中野坂上間のシールを貼っていたか、どっちだったか忘れましたが。
ここポッポの丘の丸ノ内線は運転台に入ることもでき、「パァーン!」という警笛も鳴らせます。
そしてここでもプラレールたち。我が子を引き剥がすのが大変でした・・・・・・
(それもあって、翌日散財する事になります)
なおこの謎の施設「ポッポの丘」ですが・・・
そもそもは鶏卵農場のようで(ニワトリ一羽も見ませんでしたが)、卵かけご飯メインの食事処がありました。
食事も、車両の中で。
これ、実に美味しかったです。「卵を味わう」というのに相応しいものでした。