
だいぶ前のことだけど 先生のゼミの中で
人間とは 他人との関係性でもって成り立っているのではないか
という話があり とても納得したことを思い出した
恩師が亡くなって 私を構成している部分のうちの
学問的な側面 学問なんておこがましくて呼べないのだけど
語学とか 文学とか 音楽も含めて その辺りの側面が
大きく損なわれた気分になっていた
恩師のせいにするわけではもちろんないけど
恩師あっての という側面が非常に大きかったのだと
だから Dクンと会って話が出来たことは本当にうれしかった
ドイツ語をひねり出して話す余裕は無いと踏んで
日本語で話してしまったが 既にブランクは4年を超え
相当リハビリしないと元の状態には戻らないことくらい
Dクンだってわかってくれているだろうし
教室にいた頃には「ナニソレ?」状態だったバッハの演奏会で
顔を合わせるというのも 思えば不思議なことだ
仕事を辞めてから妊娠・出産するまでの6,7年間の経験は
たとえ「経験」で終わってしまったとしても
私という人間にとって 無駄なことでは決してない

出産後しばらく経って 預けて出られるようになってから
恩師に会ったのはたぶん3回 後になって思い返したら
3回とも この街で この会場で 会っていたのだった
埼玉の真ん中で ということにはなっても
ここに来るのも ここから帰るのも けっこう大変だったのでは
ないかと思うのに 外出しにくい私の事情を優先して下さった
肉体が消失してしまったら 意識はどこに行くのか
肉体が消失してしまったら 「意識の交わり」なんてことも
絶対に起こりえなくなってしまうのかもしれない でも
いま一緒に聴いてくれてるといいなと思ったり
コンタクトを強いのに替えて来なかったことを後悔したり
音楽の一番イイ聴き方ってのは
何も考えないこと 頭も身体も空っぽにすることじゃないかな
なんて結局は考えながら いま一番好きな大曲に身を任せた

独り旅はとても楽しかった 滞在時間は短かったけど
こういう小旅行を ドイツにいる間はよくやっていたのだし
距離的に離れたからかもしれないけど
息子からきちんと自分を切り離して 時間を使うことが出来た
死ぬまでにもう一度聴きたいと思っていた結婚カンタータ
実際に聴いて 聴けてしまうと やっぱり欲が出るもんで
ソプラノの声量が素晴らし過ぎて
バランス的に物足りなかったこともあり 素人耳だけど
ぜひとももう一度
今日これ聴いたから もう死んでもいい とは思えなかった
期待が高過ぎたのか どっちかというと
コンチェルトの方が 日本ではなかなかかからない曲でもあり
すさまじく感動した

初めて メッセージを付けた
昨日も 今日も 明日も 聴きます と伝えた
伝わったかどうかは知らない でも
コンタクトを替えて臨んだ最終日
3日間同じショールをまとっていた私に向かって
笑顔で挨拶をしてくれた ように見えた
片想いは楽しい
弔辞を聴いていて改めてわかった
相手がどんな人でも ちゃんと話を聴いてくれる先生だったと
現役時代は全くのダメ学生で
やり直し期間にしたってだいぶ中途半端だったのに
時間を割いて会ってくれて マンツーマンで話を聴いてくれて
書いたものも読んでくれて コメントまでしてくれて
今思えば 私はそれが普通だと思ってしまっていたかもしれない
大学院でのつまずきは 実は入学前から始まっていた
先生から思いがけず 太いパイプをつないでもらえたのに
教授とのメールのやり取りの中で
今通っているオープンカレッジの先生に
卒論を読んでもらおうと思っている と書いたことに
あなたごときが とは書いていなかったと思うけど 近い表現で
あのような大先生にそのような無遠慮なことが出来るのですか
と返され 完全に委縮してしまった
確かに 超のつく大御所で 今先生に言っても
「それはあなたがいけなかった」とたしなめられる話だと思う
けど 当時も たぶん今も
「先生」とは そうであって欲しいと
教え子に対しては こう書いてみると私はオープンカレッジ生で
教え子ではなかったわけだから完全に私が悪いのだな
でもとにかく このことで 心理的に 大きなつまずきをしていた
さすがに先生には言えず ずっと黙っていてごめんなさい
もしかしたらそれは日文だけの話ではなく
独文の世界でも同じだったかもしれない
どこの誰だかな しかも中途半端な年齢の私が
研究室で1時間も2時間も話をしているのを
不快に思っていた人も もしかしたらいたのかもしれない
でも恩師は そういうことをまったく気にしない人だった
先生はうまいこと振る舞えばもっとイイとこに
つまり目立つとこに いけるんじゃないのかな
実際に理事まで務めてたわけだし もっとイイとこに
と何度も思った でも
先生はそうじゃないからスゴイんだってことも
なんとなくわかっていた
読んだ小説について 聴いた音楽について
私の浅く狭く拙い感想を辛抱強く聴いてくれて
それを何倍にもして返してくれる先生が
いた現実と
いない現実との間の「ずれ」があるとすれば
現実の側ではなく 私の中に生じた という気が今はする
先生が結局 『ねじまき鳥』をどこまで読んでいたのか
わからないままになってしまったけど
先生にとっては読んでなくても充分に語れるテーマだし
作品にあったことが実際に私の身にも起きてるし
書きたかったことと だいぶずれてしまった
人を失うということは
その人と一緒にしていたことが出来なくなるということで
それがどれくらいつらいことかを
今頃になって痛感するという私は
ある意味 とても幸せな人間だけれども
今はとてもつらい
あれだけ哲学や文学に精通していた恩師の
意識と肉体が消えてしまうということを
どうしても受け入れられない 納得出来ない
全部消えてしまったのか そんなのありえない
斎場で感じたのは
死ぬのが ちょっと 怖くなくなったな ということ
先生でさえ あの先生でさえ 死んでしまえるんだから
私だって きっと平気
あっちに先生がいると思えば
折り返した残りの人生 私なりに楽しんで頑張って
あっちに行ったらまたいろいろ教えてもらえるだろうって
それは今だから思うことなのかもしれないけど
少し 怖くなくなった
なんて書いてるけど もし出来ることなら
時間を巻き戻したい
数日前 夢に恩師が出て来た
ほんの数秒のことだったが けっこう衝撃的な内容で
目覚めてからもその「感覚」が消えなかった
しかもこの小説を読んでいる最中だったから
なおさら
三度目の通し読みと ひっかかりポイントの書き出しも
あと少し 木曜までは間に合わないまでも
自分が感じたことくらいはしっかりまとめて送ろう と
思えるところまでやっと来たのに
亡くなられた というメールの文章を
私は信じなければならない
恩師から送られたメールではないのに
いつかもしそうなったらものすごく後悔するだろうな
なんてものは まだやって来ない まだ先の話だ
この小説を読んで感じたことを直接伝えられない現実を
私は受け入れなければならない
Dクンに会いたいと思った
私にとって「センセイ」である人に
でもきっと 発すべきドイツ語を考える前に
私は泣き出してしまうだろう
ふたりには面識がなかったにもかかわらず
でも私は 恩師にとっては出来の悪い教え子だったけど
ドイツ語はやめないし
この小説を読むのをやめようとも思わなかった
先生
「意識の交わり」というものは
本当にあると思います

30年 計算すると合ってる
中学卒業直前 つるんでた仲間の家で食べた
当時の私にこの手の食べ物はとても新鮮で
当時は生の味噌というのも新しく とても美味しく感じた
つるんでたというより 無理矢理入り込んでたという方が
イイコじゃなく ワルイコに見られたかった
隣のクラスの担任の美術の先生に
おまえはアタマが良さそうには見えないなーと言われて
とても嬉しかったのを覚えている
ここ数ヶ月 私は「過去の人間」なんだなと感じていた
私が今に引きずっている経験や想い出なんかも
今を忙しく生きている かつての仲間達にとっては
ハッキリとした「過去」であり 私もそうなのだと
先生からメールをもらって 少しほっとして 自覚した
変わってしまったのは私の方で
実際に 筆不精になり出不精になり
それは今はしょうがないとはいえ それが現実であると
他人のせいにはしたくないけど 今になって思えば
勉強とはそういうものではない と言ってくれる大人が
私の周りにはいなかった
試験の成績は 十代の私には 非常に重要なものだったし
それで苦労することが無かっただけで幸せな十代だったが
それでも 勉強とは本来はそういうものじゃないんだぞと
こういうものだと 言ってくれる大人が もしかしたら
そう言える大人が いなかったのかもしれない
やり直そうとした三十代の私も 結局は
どうすればいいのかわからないまま 結果だけ取って
逃げ出してしまった
今日 久しぶりに でも全然久しぶりな感じにではなく
高校からの友達がメールを送って来た
私の担任と 私も知っている同級生数人と飲んだ という
私にしては珍しく 素直にうらやましいと思える内容だった
今の私は その場に行けたとしても
恥ずかしくて座っていられない 話すことも何もない
行けないからこそ うらやましいのかもしれない
でも彼女が 私のことを
「過去」とはみなしていない だろうことが
一番うれしかった
もっと独りの時間が欲しい
独りであっても集中できるのは2,3時間で
いさぎよくあきらめて第3部の序盤で切り上げた
この作品に「解」はあるんだろうか
頑張って解いて A.解なし だったらキツイなぁ
とてもおもしろかった おもしろかったという表現は
だめだめだが もう一度観たいと思うくらい
与野本町で上映された時に
恩師と観に行きたかった作品なんだけど
ドイツ映画でもないのに と思ったんだったか
お声掛け出来ないタイミングだったんだったか
そういえばそういう時期だと気付いて調べたら
今年も先生のスクーリングを見つけて でも
去年やその前の年のように
とても受けたい と思うことが出来なくなってしまった
もちろん気持ちとしては受けたいのだけど
あの頃のような文学作品に対する「感度」を
今は持ち合わせていないだろうことと
振り返って 自分がいかに勉強して来なかったかを
痛感している真っ最中で
とても「受けたい」なんて言える立場にないことと
勉強に充てれば良かったのかもしれないけど
久しぶりの映画 今の私には 観て良かった
こんな私でも いて良いのだと 思えたから