あれだけ聴き込んで行けば想像はついたはずなのに

正常性バイアスってヤツかな

あ~席取り失敗した~というネガティヴな気持ちが

無問題だとわかった後でも尾を引いてしまった感じ

 

音だけ もしくは二次元だったオペラが

目の前で三次元で繰り広げられ始めると

あぁこれ 文楽の時と同じかも とかなんとか

あれこれ考え始めてしまって だめだった

 

今の今 少し前ならともかく 今このタイミングで

復讐とか裏切りとか戦争とか言われても

どうしても共感できない 物語に入っていけない

文楽の時も 子○しだの火付けだの心中だの

そんな無茶な! みたいな演目でも

それに共感し理解することが「正」だと思い込んで

頑張って観続けて

学生身分の喪失と共に止めてしまった

 

音楽的には 正直なところ

文楽よりも バロックの方が好きだ

これには明確な理由があるのだと思うけど

まだ想像でしかない

だから 同じ4時間でも 音楽だけとれば

長時間そこにいることは全然苦痛ではない

 

私が苦しかったのは これを聴いた後

「今度『魔笛』デビューするんです!」

と報告に行きたくても

「ほぉ ついに○○君もオペラを聴く気になったかね」

と言ってはもらえない という事実だった

 

登場人物の誰ひとり共感できないという

私の「問題点」にも 恩師ならきっと

「はは いかにも○○君らしいね」

と笑って何かアドバイスしてくれたと思うのに

 

記憶の中にしか存在しない

過去や未来に囚われないで

現在に集中すべし という

今 最も重視されている行動に

最も近いはずの音楽鑑賞の場に

私はどうしても入って行くことが出来なかった

もったいないことをしてしまった

 

なんて もっともらしいことを書いているが

本当は 精神が安定しなかった原因は

もっと つまらない くだらない

本当に 幼稚なことだったんだ

勘違いが晴れて 結果的には「障害」の無い

ベストな席を選べていたのに

よく見えるからこそ というのがあって

そこに拘って心が乱れる自分自身が情けなく

自己肯定感を下げることも

今 最もやってはいけない行動なのに

 

こないだあんなことを書いたけど

実は 私自身と 自分の名前との間に

乖離があるというか

音で呼ばれた時はともかく

(私を呼んでいるのはわかるので)

文字を見た時 私の名前だという認識が

薄い時がある

そういう場合 その文字は

私と同じ名前の人の名前であって

私の名前ではない場合が多いから

薄くて当然なのかもしれないけど

でも 乖離がある と

私自身が感じているのだから

そうなのだろう

自分の名前を書いていて

そう感じることすらある

 

 

それでも 演者の方々は

ひたすら美しく魅力的で

少しずつ 自分を空っぽにして

目の前に繰り広げられる世界を

素直に味わうことにした

 

何か所か 楽しみにしていたところは

どれも楽しかったけど

一か所 最後かな

とてもとても美しくて

これを聴けただけで元取れたと思った

 

良い聴き方かはわからないけど

短くても 心から感動できる時間があったら

ワタシテキには とても満足

 

どうしても共感できない とか

どうしても平常心でいられない とか

克服しなきゃいけないってわかってるけど

そういう自分を認めてあげられるのは

自分しかいないわけで

だめだだめだって思わないで

はは 私らしいね って

自分で笑ってあげればいいのか

 

 

これを書きながらトライしてたけど

『魔笛』のチケットは選択肢が無いのと

そもそもつながらない

いいとこ取れたら行くつもりだったけど

いいとこ売ってくれるとこがわからない

私には向いてないのかもしれないな

 

セカンドチャレンジ

酒の味しかしなくなるくらいキルシュかけて

遠~くに見えるくらい(笑)

なんか違和感あるな~と確認したら

やっぱ間違ってた NYの件

CDと聴き比べたのはバッハの方で

数え切れないくらい聴いているのは

バッハではない方

 

自分がどういう楽曲を好むかが

わかりやすく表現されているのと

よく間違えないな~から始まって

いったいどんな仕組みになっているのか

楽譜で確認してみたいのと

何より 君様の演奏でたくさん聴いてみたい

 

 

私のスマホだとなぜかエラーになってしまって

ますます悪化していたtwitter閲覧状況が

少しだけ改善した 一段階前に戻っただけだけど

まったく開かないよりは全然いい

 

開けたら開けたで うっかりというか

ちょっとしたこと 本当にちょっとしたことで

どかーんと落ち込む辺りが

まだまだ修行が足りない 全然成長していない

 

何で落ち込むかって まことに情けないが

住む世界が違う テキな感情

オイコラおぬしは今まで何を学んできたんじゃい!!!

と上方から激しいお叱りが下りて来そうだが

そもそもが低い上に修行も足りてないってことで

ほんとスミマセン

 

 

自分の誕生日と名前は自分で決めて生まれて来る

ということを少し前に知って

現時点で私の誕生日に与えられている意味や価値は

いずれなくなることをわかっていて敢えて書くと

なぜ私は この誕生日にこの名前 が持つ

イメージを目指して生きて来なかったのか

半世紀も生きて来て今になって気付き猛省

ま~ていたらくったらないよね

 

漢字に関しては いつか母と話していて

なんとなく でもとても良さそうだから と

母が決めてくれたことを初めて知ったのだが

よく使われる組み合わせとして A>B>C と

あるとすると私のはBの定型というか

前後の組み合わせでもっと様々あるから でもって

Bの人はAの人より少々クセが強い みたいに

散々言われて来た(しかも合ってると思う。汗)

けど Bの頭の そもそもがクセの強い漢字は

古来から とても良いものを表す

とても縁起の良い文字だということもわかった

この字が良い という明確な何かが

母にはあったらしい

 

これも合ってると思うんだけど

音だけ取って AもBもCも 子つき子なし

その他バリエーションも含めて この名前は

音楽を生業にしている方々に 非常に多い

すごく多いのに どうして私は違うのか

いやそもそも住む世界からして違うって

そりゃ落ち込むよね(笑)

 

 

どかーんと落ち込んだ時は

もういいかな 終わっても

次もあるらしいし

半世紀 そこそこ楽しい思いもして来たし

みたいなことがよぎる

始まりも終わりも設定されているなら

自分で終わりを捻じ曲げることは

当然許されてはいないのでしないけど

 

自分は誰にも必要とされていないのではないか

という疑問は 愚問だとわかっていても

たまに ちらっとよぎる

 

だから チケットを買っておく

それまでは自分をつないでおけるから

 

 

あと少し ここまでなんとか来たけど

前夜にまたどかーんと壊れちゃったりして

 

でも この手の公演は

君様が全体をリードしているのがよくわかって

すごく楽しかったから

さらに上から見下ろすのは身体に堪えるけど

とてもよく見えるので前回と同じ席を取った

 

コンサートホールの座席に座っている間だけは

あのイメージでいきたいな

見た目じゃなく 心持ちの問題ね

昨日おすすめに上がって来て1時間観ちゃった

旧市街限定だけど すごくゆっくり歩いていて

当時はなかったお店とか 懐かしさより

新鮮さの方が勝った感じで 私も楽しく歩けた

 

オルガンコンサートの帰りに

Dクンのママにアイスをごちそうしてもらった

Eiscafe の2階に上がることが出来るなんて

眺めも抜群 でもドイツのパフェは巨大だから

私はもう無理だな 当時も食べなかったし

何より 今もものすごいことになってるけど

1ユーロ170円って 今より全然すごいよね

2スクープ買って外で立って食べるのが普通だった

 

Rothaus のレストランは 前は無かったと思う

店内も新しい感じだし いつ出来たのかな

Dクンは行ったことあるのか聞いてみたいけど

連絡するのに腰が引ける

 

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後半は あの綺麗な小路とか 秘密の階段(笑)とか

かっこいい兄さんたちが手を振ってくれた出窓とか

見所に想い出が重なった場所の連続 とてもうれしい

 

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そうそう 私のフライブルク最終日も

Bächle は水が止まっていたんだよね

それまで散々見たから格別落胆もしなかったけど

やっとこさ行って流れてなかったら 悲しいな

いつも元気なワニもしんどそうだった(笑)

 

動画を観る限り 初夏までは車両禁止の旧市街にも

工事車両が多く停まっていて歩きづらそうだったけど

今はそうでもなさそう 何より

工事の幕が外れたミュンスターの尖塔を

私は生で見ていない

 

でも 街歩き動画を観て

自信がない 行ける気がしない

みたいな気持ちは もう起こらなくなった

 

いつも独りだ孤独だ書いて過ごしてたけど

実際は フライブルクでは周りに誰かしらいて

必要な時は 誰かと一緒に行動できていた

ミュンヘンやライプツィヒとは違って

フライブルクでの想い出は

誰かと共有できるものばかり

 

独りで訪れたら

どういう気持ちになるんだろう

 

生クリームも買って来ればよかった

一瞬だけ これは! と思えたけど

やっぱ別物 ぜんぜん別物 だけど

やってみたら楽しかった またやる

 

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2番線の終点でバスに乗り換えて

終点のカフェで本物をいただく日が

早く来るといいな

 

>良くも悪くも周波数が違うと出くわさない。話には聞くけど本当にそんな人達いるの?となる。フェーズが違うので見ているのに見えていない、聞いているのに聞こえていない。どこで生きて行きたいかを選ぶのは自分。完全に自由意志。

 

ニアミスの回数と内容の変化は

不器用ながらも 引き寄せてるのかな なんて思う

不器用とはいえ 先方にはわからない というのは

なかなかのテクニシャンだったりして

 

>愚か者を見て「あいつは愚か者だ」と言った所で愚か者が賢くなる訳でも無いので、自分の世界だけは天国にしておく自分の周囲数人を幸せに出来れば十分で、その数人もそれぞれ周りの数人を幸せにする波動のペイ・フォワードが実現。周りの数人とは必ずしも親しい間柄とは限らないので家族や友人に拘らない。話が合わなければ距離を置く。家族や友人に余計なお世話をしてはいけない。あなたの助けが必要な人は別の場所にいる

 

自分の世界ばっかり気にしてて

他の誰かには何も出来ていない気がする

 

 

来年の定期は物理的にタフで驚愕したけど

ラインナップ確認したら すごいのの連続

1回だけトラップがある(笑)のと

特に遠い方で希望の席がもらえるかが不安だけど

あまり先を追い過ぎないで

直近のに無事に行けるよう

1回1回 謙虚に 欲張らずに

行けるところには 頑張って行こう

また逃げてしまった…… はぁぁぁぁ……

 

いやいやいや だって

あのTPOで なんて完全に想定外だったから

回れ右して逃げてしまったよ…

 

予定より早くコンタクト付け替えていたのは

そういう意味だったのか

もし付け替えてなかったら 横断歩道の上で

大量のネモのパンぶちまけてたかもしれない

 

とにもかくにも キラキラツートップは

いつどこで見てもキラキラしててカッコイイ

にしても あれは反則だよな~(笑)

 

 

正直に言うと

演者の関係者が多いっぽい公演の待ち時間は

居心地が悪くて苦手 座席についてからも

うまくその他大勢に紛れ込めないのも苦手

誰も何とも思ってないんだから平然としてればいいのに

無駄に気にしてしまう自分自身も情けないけど

こういう 自他の境界の曖昧さの匙加減が

ちょっと人と違っているところが

私の良さでもあると思えるようにはなった

 

公演の趣旨というものがあるのであくまで個人の感想だけど

 

君様の演奏は大変なテクニックとパワーを必要とするもので

想定通りの凄さで凄く感動したんだけど

舞台上で行われた凄さに対する

観客席の反応の凄さ 鋭さみたいな をイマイチ感じなかった

私みたいにピンポイントで聴きに行ってる方が少数派で

公演の趣旨にのっとった良い反応ではもちろんあったのだけど

私としては ちょっと まぁ うん 凄く凄くってうるさいね

 

私としては そういうとこじゃなくて

あの凄さを ちゃんと 凄い!! とわかって聴けて

しかも 同じ空間で同じ時間を共有できたこと

ネット越しじゃなく 生の音を直接受け取れたこと

に 感動しなければならない

それは本当に 贅沢な空間と時間だった

 

今は確かめる機会も無いけど

授業や講義や講演中 凄く興味を持った時の私は

何かバキバキしたものを発散しながら

ギラギラした目で とまではいかなかったかもだけど

居眠り大王だったから でも強く興味を持った時は

そんな感じで 何かを発散していたように思う

それが教壇や舞台上の方々に届いていたかはわからないけど

そういえば自分は昔こうだったなって

思い出させてもらった

息子に何か教えていても暖簾に腕押し気味なのは

結局のところ興味が無いってことか なるほどね

 

 

やっぱりチラシってもらって来なきゃダメなのかな

重いしかさばるから定期の時はもらわないし

チケットサイトのお気に入り登録でメールも来るし

でも今回もらったチラシがなければ

気付けなかった公演がいくつもあってショックだった

 

余計なことまで知ってしまうので控えている検索

珍しくやったら ちょうど1年くらい前に

大きな公演を逃していたことを知ってしまった

どうして気付けなかったんだろうと自分を責めたが

そういうチャンスがあると気付いて通い始めるより

前のこと それに過去を悔いてもしょうがないので

気持ちを切り替えて前を向きたいのだけど

 

母数が小さ過ぎて周りに紛れ込めない場合

どうしたもんか 去年は そうか

体調絡みで それどころじゃなかったんだ

余計な気を回す余裕が無いように

身体の方が気を遣ってくれたみたい

 

去年はともかく 今年はもっとたくさんの人が

聴きに来るだろうし どうしようかな なんて

迷ったりして まだ買ってないんだけど

でも 私が行かないでどうする とも思う

私が行っても 誰も何もどうもならないけど

私が行かないと

私の世界が完璧に 素晴らしくならない

私が 私のために行かないでどうするよ

 

片道切符的な往復が出来たってことか やった

帰り道に見た銀行 写真撮っておけばよかった

かわいかったな~

 

これこれ この通帳とカードは欲しい

こないだ行った100均 懐かしいサンリオのが

凄く充実してて感激 大人買いしそうになった

結局買わなかったけど 大人っていいよね

 

舞浜で味わってたこの手の楽しみにはもう戻らないけど

これはかわいいな 乗ってみたい

 

>全てはエネルギーなので芸術が齎す力は大きい。エンターテインメントがカネを産むのはその通りだが、今までみたいな枕営業搾取構造では無く、発信者と受信者でエネルギーが循環するから豊かさが満ちる段階に移る。既に一部コミュニティでは実現している。お金の引き寄せでギャグ漫画を読んで爆笑したり、好きな曲を聴いて歌の世界に浸る事を紹介したのも同じ仕組み。物質のお金は単なる結果で有り、あなたのエネルギーが動いた点が重要。錬金術を使い熟す。あなた自身が黄金の生み出し手だった事に気付く。誰もがミダス王の手を持っている。

 

かいれんさんの言いたいことと合致してるかわからないけど

読んですごく安心しました ありがとうございます

 

だから 私のやるべきことが未だにわかってないけど

まず チケット買って 会場に行って 音楽を堪能して

帰る これが今のところの答えかなと思う

お腹痛いとか 始まるまで辛いとかは 修行だと思おう

シューベルトはとても楽しかった

この機会がなければ

シューベルトのこーきょーきょくを聴きに行くなんて

一生考えもしなかったかもしれない あと

シューベルトは Schubert と書くのだと

知っている自分が なんというか 好きである

 

ハーフタイムにドイツ語仲間のマダムとお話しして

これは前にも聞いたかもしれないけど

ドイツ語の後にフランス語を学ばれたことを聞いて

これは前にも書いたかもしれないけど

私はどうしてもフランス語はダメだったんです~と

変な力説をまたしてしまった 何度目だろ

 

これも前にも書いたかもしれないけど

ドイツ語圏のあれこれしか受け付けないというのは

何か意味があることだと思うので

悲観しないことにしてる あと

イタリア関係はまだマシというか

言葉も食事も人間関係も だけど

今 次のオペラの予習してるんだけど

ドイツ語以上に 今どこ歌ってんだか

わからなくなる どうしたもんだかね

 

ほんでもガッツリ聴くべきポイントは

覚えて行けそうなので頑張ろう

 

 

あなたは今ここにいるだけでいい

という言葉に励まされてしばらく経つけど

舞台に出て来た瞬間から

わーうれしいよかったー という幸福感に加えて

ほら あなたの世界は完璧でしょ?

という言葉が聞こえて来るように感じた

 

この完璧な私の世界は

私自身が創り出しているわけではないのだろうけど

私の世界に 悲しいことは起こらない だから

私の大切な人たちに 悲しいことは起こらない

という 大前提というか 自明の事実というか

ここを疑わないことが 今はとても大事なのだろう

 

先日おすすめに上がって来た動画に

ちょうど生まれ年前後しばりのものがあった

インディゴなんとかンっていうやつ

私は全くもってサイキックじゃないし

特徴に該当するものが多いわけじゃないので

勘違いかもしれなくてあまり書きたくないけど

これは他人がどうこう判断することじゃなくて

自分自身で 自分はそうかもしれない と

自覚することが大事なんだとおっしゃっていて

抱えている違和や普通じゃなさ加減からして

私は該当してると考えて生活するのが妥当で

むしろラクかもしれない と思うようになった

 

確かに 価値観とか 違和感とか あと

同い年から1,2歳上の人にしか

興味が無いというか 縁が無いというか

けっこう年齢や世代にこだわるところが

あ~なるほど~と腑に落ちた感じがして

だから 私もそうかもな と思った次第

 

仮にそうだとして この人たちの役割は

社会的に成功することではない と言われて

心底ほっとした なるほどそうかと

だからあの時こうだったし あの時も と

いちいち説明がついてくるのがおもしろい

 

で この人たちの役割は

突き詰めればみんなそうかもしれないんだけど

「光」を定着させることらしく 言い換えれば

正しさとか 明るさとか

私に当てはまらないけど 優しさとか

あとなんだ

 

言葉にすると難しくなっちゃうけど

今のこの社会状況ならわかりやすい

自分が正しいと信じることを普通に続けること

 

今ここにいるだけでいい とはそういうことで

何か特別な行動を起こして社会を正すことでは

ないらしい とわかっただけで とても救われた

 

 

もちろんいいことばかりではなくて

開演日時のぴったり1週間前に食べたもので体調崩すし

帰りは帰りで 電車内の話

前に座っている3人が揃って「赤い靴」を履いており

ぎょっとして顔を上げたら

その座席は7人全員ポコってて

気付けば私の両隣もポコってて

なんだかな~と一瞬凹んだりもしたけど

 

その7人の背後の窓からは

夕暮れの美しいグラデーションが見えた

 

少なくとも

音楽を聴いている私の世界は完璧で

人は たった一瞬で

誰かの人生を薔薇色に変えることが出来るのだと

感動させてもらった

 

私もそういう人だったらいいのに

全然そうではないのが残念 無念

 

素敵な音楽と時間を

どうもありがとうございました

とても楽しかったです

いつもありがとうございます