お昼食べるまでは平気だったのに

やっぱり食べたものが原因だとわかって避けて来たのに

でもこの時は ドイツにいた頃の不調と似ていた

 

なんぼ普段着野球だからって

1万歩以上歩いた後で はダメだよね

疲労と不調でぐったり 序盤は視覚を休ませてもらった

 

さぁこれから という時になって 今度は

まさかの心臓バクバク 手まで震える なんで???

ただ座って聴くだけの身なのに なんで緊張してんの

私が手に汗かくって本当に珍しいことなもんで焦った

演奏が始まってしばらくしたらピタッとおさまり

それまでの疲労も不調も全て吹き飛んでしまったのだけど

 

なんでって 自分が一番よくわかっているだろうが

 

私はあの場所に 笑顔とか 安心とか 幸福とかを

持って行かなきゃいけないのに こんなことでは

オマエハナニヲシニキタノダだ まったく面目無い

ごめんなさい 以後気を付けます

 

 

私の記憶が確かならば 最近不確かでアレだけど

曲目が変更になった時 聴きたかったカンタータが

消えてしまってガッカリしたのと

あぁあれか みたいに思ってしまったのだけど

よくよく考えたら いやそうじゃない これは

私が一番 喜ばなきゃいけない選曲だ と気付いた

 

十年ちょっと前の自分がどんな気持ちでそこにいたのか

思い出しながら聴くことは難しかった

結局 音楽はその時その時で常に新しく

あの時もベストだったし 今この時もベストなのだ

 

あの曲を聴いてからの十年ちょっとというのは

私の属性が大きく変わって

それまでとは別人のような人生を送って来たわけだけど

あの時は全くの初見ならぬ初聴で(スミマセン)

足が跳ね上がるほど感動した大好きなアリアは

それから数え切れないほど聴きまくった後でも

新しく 新鮮で とてもとても美しかった

 

あの時は聴けなかった 楽しみにしていた楽章は

本当に素敵だった あまりに素敵過ぎて

この部分だけ小さく切り取って 財布に入れて

好きな時に取り出せないことを 本気で嘆いた

 

こういう演奏は キラキラツートップの手にかかると

無敵だ 音はもちろん

パフォーマンス自体がめちゃくちゃカッコイイ

皆さん気付いてるのかな でも

視覚的な素敵さを堪能できるのは

限られた観客しかいないんだよね

どなたと組んでも素敵な音になることはわかってるけど

キラキラツートップが並んで立つと

うーん なんて書けばいいのかな

言葉に出来ないくらい 嬉しくて楽しい

クリスマスオラトリオの時を思い出した

 

本当はとてもお辛かったのかもしれないけど

そんなこと全く感じさせない 完璧な演奏で

とても幸せでした ありがとうございました

 

 

ハーフタイムの後の2曲は

楽しみにしていた通りの楽しさを満喫

隣のご夫婦も言っていたけど

本当によく音が聴こえた

そういう位置に私がいることもあるけど

よく聴こえるようになったんだと思いたい

特にここ数年

 

NY公演のあの音のように

時々 神がかった音が鳴ることがある

アリアのどれだったか 全部かもしれないけど

最初から最後まで 音が輝いた時があった

 

視覚的なハプニングに囚われて

家に帰ってからやっと気付いたのだけど

CD録音とは違う編成のアリアがあって

逆に言うとなんでCDがこうなってんのかわからんのだけど

ともかく ナクソスでは再生できないことが判明

楽器を替えて脳内再生するのは難易度が高過ぎる

しょうがない 記憶に頑張ってもらうしかない

 

最近 記憶が不確かというか とっちらかって来た

何十年も思い出すことのなかった場面とか

行ったことないのに なぜか知っている場所とか

これは夢で何度も訪れている場所なのだと思うが

そういうものが瞬間的に目の前をよぎることがある

絶対に会ったことのない人の顔が浮かぶとか

前から不思議なことは多々あったのだけど

最近とみに増えた

いま記憶がとっちらかるのはポジティヴなことだと思うので

気にはしていないけど

そんな要らんことまで覚えてるくせに

肝心な思い出したいことは まとまって再生できない

 

 

今日辺りじゃなかったかなと思って財布を開いて

クリスマスオラトリオ全曲演奏のチケットを見たら

あたり 23と24 で今日が25

その翌日に名古屋に行ったんだっけと記録を見たら

はずれ 翌日から舞浜に行ってた

 

あの年の2日連続公演のせいで

クリスマスオラトリオの全曲演奏は

今後されなくなったんだと思うけど

私にとっては とても大切で素敵な想い出だ

クリスマスオラトリオ自体が大好きなのもあるけど

 

あの年 人間ドックでひっかかり 再検査になって

テレビにも出ている有名な専門医に予約を入れたら

1ヶ月待ちだと言われて それでも予約をして

あの2日間は診察待ちだったのかな 忘れたけど

とにかく 初めて死ぬことを意識した時期だった

テレビCMで洗脳されてたのもあるのかもしれない

まだ小さい息子の将来を悩んだりして

あの2日間は 大好きな音楽を聴きながらも

大きな悩みを こっそり抱えていたのだった

 

それこそ心臓バクバクで臨んだ検査の後 先生の

「なんでもないですねぇ」のひとことに

ほっとするより ズコッ(笑)ってなもんで

さらに 後日がん保険に入るために

「なんでもないです」のたった一行のために

チケット代並の証明書代を払ったりと

まぁ今からすれば笑える話なんだけど

 

クリスマスオラトリオに治してもらった

という気持ちは今でもある

この曲は どこを聴いても

楽しくて 元気が出る そして何より

君様が大活躍だから

もう二度とやってもらえないくらいね

 

 

この日はマダムとはお話し出来なかったけど

帰り際に旦那様をお見掛けして挨拶したら

○○○○○、すばらしかったね! 大活躍だったね!

と言ってもらった これもいつものことだけど

確かにこの日の君様は大活躍で

すばらしさを共感してくれる人がいるのは

すごく嬉しいことだと改めて思った

 

十年ちょっと前から おふたりには

同じようにお声掛けしてもらっている

ド素人の私が定期に通うようになって

なんか褒められでもしたのか(違うか)

いや~でもぼ~っと聴いているだけですから~

と言ったら 旦那様に

いや ぼ~っと聴くのがいいんだよ~

と言われて とてもほっとしたものだった

 

あの2曲を小さな薄い黄緑の箱に入れて

産婦人科の機械につながれる数十分の間

いつも聴いていたことも思い出した

でも そのCDに

今は君様のサインが入っていることを思い出すのに

時間がかかってしまった

 

 

1週間ずれたら大変だった 風邪ひいちゃった

でも来月の3連荘は なんでの理由を持たずに

こっそりのんびり聴いていられそうだから

早く治して 光を持って行こう

いやぁ いろんなことがありました

 

1.乗ってる最中に直通運転中止

2.入場前大行列

3.狙ってた席が使用不可

4.ハーフタイム中に自分の席がなくなる

5.大階段踏み外し未遂

6.メトロ乗り入れのはずがJRに乗ってる

 

しかし 慌てず落ち着いて対処すれば

 

1.1本かまして予定時刻に到着

2.狙ってた付近はまだ空席多し

3.諦めて座った席が大正解

4.席復活(先方から荷物を取りに来てくれた)

5.未遂に終わる(新選組の羽織がちらついた)

6.JRのみで乗換駅まで到達

 

このように よりよい結果がもたらされるということを

学ばせていただきました ありがとうございました

 

 

何度も予習して臨んだはずが

目視しないとわからないことってやっぱりいっぱいあって

「!?」「!!」の連続 とても楽しかった

 

予定より 普段より かなり遠かったけど

とてもよく聴こえた この日もステキな音だった

最初 また私がアンラッキーを持ち込んでしまったかと焦ったり

皆さんがとても楽しそうに音や声を重ねているのを見て

またしても孤独の泥沼に足を突っ込みそうになったけど

こないだキーリーさんが語っていた

あなたは を わたしは に置き換えて

わたしは 「孤独」を体験しに来た

孤独ってどういうものか どう感じるのか

孤独なんて無い場所から それを体験しに来たんだ

そう考えるようにしたことを思い出して踏み止まった

 

長いメサイアを 体調の不安なく最後まで満喫できたことは

本当に幸せで この幸せな感覚は とても不思議なんだけど

すごく長く続いた 今も思い出せる

胸の前に 見えない箱みたいな 20cm四方くらいかな

丸っこくないのはどうなんかなと思ったりもするけど

その箱というか 塊みたいなものが

とても幸せで 温かくて

それが胸の前にあることを思い出せることは

いつもイライラガミガミしている自分が

いくらかマシに 新しい自分に なれた気がする

 

この箱みたいなものは 贈り物なのかな

この箱の中に音楽と時間と空間を入れて

いつでも開けられるようになったのかな

 

 

少なくとも 私が価値があると考えるものは

この箱みたいに 目に見えない 形のないもので

それをしっかり認識できるだけで まずはよしとする

自分で書いといて文句言うなって感じだけど

これマジで何の修行!? ってくらい

体調が悪かった

帰りの電車(なぜかすべて最高の乗継)の

向かいの窓に映った自分の顔を見て

既に終わったはずのハロウィン再び

こんなひどい顔で会場に座っていたなんて

ホラーでしかない

 

この歳になって 人前で

倒れたり吐いたりすることは避けたいので

途中どうしようか何度も迷ったけど

とにかく何事もなく家に帰れますように!! の願いは

きちんと聞き届けてもらえた ふぅ

 

直前に食べたものがダブるから勘違いしがちだけど

結局のところ 緊張と不安が引き起こす

精神的なトラブルのせいだと結論づけた

表面的には平静を装っていても

無自覚的に そして自覚的にも

帰宅ラッシュが怖いとか

いい席が取れるか心配だとか

脳より偉い内臓が それを真面目に反映するらしい

もっと怠けてくれていいのにさぁ

 

しかも想定外の暑さが加わって

熱中症の一歩手前だったかもしれない

ハンカチで汗を拭くって私にしては珍しいことで

一刻も早く屋外に出なくてはならず

出掛けに顔を上げる余裕は全く無かった

ライプツィヒ並みに暑かった~ に

(笑)を付ける余裕も全く無かった

演者の皆様も同じ条件なのだからと

自分と皆様を励まし続けて何とか耐え抜いた

 

思い通りにならない身体から離れて

なんとか心だけででも存分に楽しみたかったけど

なかなかそううまくはいかず

離れては引き戻されての連続

 

でも この日の君様の音はとっても素敵だった

この楽器をこの距離で聴くとこんな風に聴こえるんだ

と 激しく感動できる時間も ちゃんとあった

 

自分のコンディションがどうであれ

演者の皆さんも 会場の皆さんも

元気に音楽を楽しんでいることが

今一番大事なことであり

自分がどんなにボロボロであっても

会場に足を運んで それをこの目で確認することが

私の仕事というか 役割というか だと今は思うのと

この音楽を聴くために 自分でチケットを買って

独りで来ている人も少なからずいるようだったし

明らかな観客数の増加を目の当たりに出来たことは

素直に嬉しかった

 

それよりなにより

本当に すばらしい音だったんだよ

ワタシテキには あの楽器の場合は

ちょっと引いてかかるのが普通かもだけど

よく知らないからこそ 無条件で感動した

 

もうあの会場は怖くない 緊張もしない

行き帰りの電車も怖くないし

あんな素敵な音が聴けるなら

君様が見えなくても気にしない(嘘)

もう平気 ぜんぜん行ける かかってこいやー

 

 

せっかくあの辺りまで行くんだから

職場復帰した同期の顔でも見て来ようかな

なんて思ったりもしたのだが

今このタイミングで会っても

いろいろと難しいだけかもと思い やめておいた

それでも開場を待つ間がしんどいので

そのビルの近くまで歩いてみることにした

 

朝ご飯に毎日買ってたおにぎり屋さんは

たぶんもうなくなってて

その付近の雰囲気も「国際化」しており

そりゃ30年近く経てば変わるだろってもんだが

なんというか 自分が通っていた界隈という感じは

あまりしなかった

時間がなかったのでビルの前までは行かずUターン

 

たくさんの人に慕われ 頼られ 囲まれて

自分とは対局にいる人だといつも思う

 

でも そのビルに通っていた数か月間 この私も

30人の同期と 様々な形で がっちりつながっていた

どうしてあんなに強固なコミュニティになりえたのか

今となっては不思議でたまらない

 

当時の私は 今とはまるで別人のように

元気で 明るくて パワフルで

どうしてあんなに頑張れていたのか ほんと

今となっては不思議でたまらない

 

人付き合いから遠ざかった今だからわかる

人に囲まれて生きるって

楽しくて 幸せだけど

疲れるし パワーが要る

私の場合は 若かったから出来たことで

今はとても無理だ

 

それでも今 同期のみんなと会えば

昔と同じように接してくれることも

わかっている 会わなくてもわかる

だから いくらホラーな顔になり下がっても

絶望なんかしちゃダメだよね

 

 

なんだかんだ言っても

いい席に座れてしまう自分 やるな

いや 欲を出す余裕が無い ことが

たぶん功を奏しているんだろう

次も無欲で行こう

いつも肝心なことを書き忘れる

こないだは時間が足りなかったのもあるけど

 

ああは書いたけど 本の世界と違って

音楽を聴いている時に広がるものが何なのか

本当はよくわかっていない

それにコンサート会場にいる時って

そういう何かをしっかりと味わう余裕がなくて

家で独りで聴いている時の方がいいのは

個人的なものである以上 仕方がないのかもしれないけど

なんだかなー もったいないよね

 

聴覚より視覚が勝っちゃってるからかもしれないな

 

肝心なことってのは

音楽を聴く時に生じる何かが

私にとって最も重要なものなのであれば

それ以外のこと 現実的なあれこれや

物理的なあれこれなんかに

一喜一憂したり 右往左往したりすることは

ナンセンスだ と気付けたこと だったけど

 

小説にしたって 誰がどう書こうか同じ

なわけないように

音楽にしたって 誰がどう演奏するかが

とても重要なのだし

今ここに存在して生きてる以上

そういう いわゆる三次元的な? あれこれに

一喜一憂したり 右往左往したりすることは

しょうがない 生きてる証拠じゃないか とも思う

 

とはいえ 気にしたって仕方のないことに

エネルギーを使うことは慎まねばなるまい

それは間違いない

 

 

シャーロックホームズの最初の2冊は

短編集だったんだけど

一編一編が 構成の妙とか 〆の粋な台詞とか

短いながらも絶妙にまとまってるところが

なんともステキでセクシーなんだよね

 

音楽も 何時間もかかる大作ももちろん素晴らしいけど

私は 魅力がぎゅっと詰まっている短めの楽曲が好きだ

もう会うことはないかもだけど

ドイツ語で知り合ったマダムと一緒にマタイに行った時

長いことマタイを聴いて来た方で

なんだったかな 「私のマタイ人生」だったかな

これまで聴いてきた様々なマタイ という意味で

彼女はしかしカンタータについては

「私はそこまでマニアにならなくていいわ」と語っていた

いや~ カンタータこそなのに~ と

今より少し若い私は思ったものだった

 

そう シャーロックホームズの短編を

読み終えた瞬間に感じたものが

聴き終えた瞬間のそれとすごく似てたんだ

はぁ わかってスッキリした

やっぱ共通するものはあるんだね

 

いや でもこれもちょっと違う

音楽を聴いていて生じる何かは

違う 敢えて名付けるとすれば

思い浮かぶ言葉はあるけど書かない

結局それも違うんだろうから

 

 

こないだ見つけたYouTubeに上がってる公演は

それまで聴いて来た演奏と少しずつ違っていて

キラキラの付け方とか 遊び方?とか

2パターン聴けるなんて思わなかったからとても嬉しい

それと 視覚が勝ち過ぎてて申し訳ないが

ライトの当たり具合(当たらなさ加減)が

もうめちゃくちゃステキでセクシーだった

セクシーセクシー書くと誰かみたいで頭悪そうで嫌だけど

今回は敢えて書く(笑)

 

もう日数ないのに また体調が崩れて来た

エゴが邪魔をする って意味がまだわからないのだが

あれこれ考え過ぎないように

なるべく無の状態で音楽を堪能できるように

自分で自分をどうにかしてるのかもしれない

 

サードチャレンジ

そもそも苦手な生クリームをわざわざ調達せずとも

キルシュを10mlほど

アルコールで苦く感じるくらい

少しジュワるくらいまでかけて

いずれにしろフライブルクと同じくらい遠い(汗)

 

自分が該当するとはまだ思えてない

星を眺めて「帰りたい」なんて一度も思ったことない

 

それでも現象としては 孤独とか 疎外感とか

合致するところが多いので興味深く聴いていて

「ヨーロッパの魔女」 !!!

なんだかすごい話になった~(笑)と思ってたら

最後のメッセージで泣いてしまった

遠い方の年間シートも希望通りの席をいただけた

叶えて下さった方に感謝申し上げます

これで来年度5回と今月末の1回の計6回は

大好きなカンタータを良い席で

聴かせてもらえることが確定したことを

もっと喜んで もっと感謝しなければならないのに

その辺の自覚がちょっと薄い まぁでも

あまり張り切るとロクなことないから

敢えて無心で 謙虚に席に座らせていただこう

 

シャーロックホームズの原作 というか

原作を邦訳しただけの作品を読んでいる

息子に読ませるつもりで借りたのだけど

さすがにまだ無理 難し過ぎる

私も小学生の頃は小学生向けのを読んでいたのかもしれない

 

コンタクトでもメガネでも本が読めなくなり

裸眼での時間が長くなったせいでさらに目が悪くなったが

久しぶりに読書の楽しさを実感できた

 

私にとっての読書の楽しさとは

開いたページの向こうに無限の世界が広がることで

それがどこに広がるのかを今の私が言語化するなら

それは自分の中に広がるのだと言える

私が人生で最も価値があると思うものはまさにそれで

そういえば音楽もまったく同じだなと気付いた

 

演劇が苦手なのも こないだのオペラの件も

ライヴやコンサート会場で周りとの一体感を楽しめないのも

私にとっての音楽とは非常に個人的なもので

自分の中に広がる何かを 意味的にも感情的にも

自分なりの解釈で味わうことが大事なのであって

舞台上から明確なメッセージを伝えて来られると

構えたり引いたりしてしまうんだろうと思う

 

小説なんておもいっきり文章で意味を表してるし

もし音楽が個人的なものなら

会場の席にこだわる必要も

そもそも会場に乗り込む必要すらないんじゃないの?

と自分自身に突っ込みたいのだが

 

文章によって広がる世界と

音楽によって広がる世界とは

説明できないが 別物に感じる

どちらも 最も価値があるもの だし

味わい方が違うとかじゃないんだけど

うーん 味わってる部位が違うのかな

私の中の

 

小説は読み返すことが出来るけど

音楽は聴いたそばから消えて行ってしまうもの

という認識はちゃんと持っている

 

 

行くべき公演は うまく気付けるようになっていて

行かない方がいいだろう公演は

気付かないか 終わった後に気付くように

誰かが仕向けてくれているみたい

昨日コンビニで5枚チケット発券して気持ち良かったが

定期とは別に 5回も 素敵な時間をゲットしたのだと

きちんと喜べる余裕が無いところが私のダメなところだ

 

世界一聴いているだろうバッハじゃない方の曲の

別の公演がYouTubeに上がっているのを昨日見つけた

まだそんなに聴けていないのでアレだけど

演奏が微妙に もとい けっこう違ってて

最初に観た最終公演? の爆発的な感じより

もっと丸い やわらかい感じの演奏だった

同じ演奏は二度としない という話も

こうやって聴くと よくわかる


そのYouTubeの会場はステージと客席がひと続きで

うわ~これはまたすごいな~なんてうっかり思って

直近の会場もそうだったことに気付く

いろんな感情を詰め込まず なるべく空っぽにして

素敵な何かを詰め込んで帰って来よう

 

こういうことが早くから出来ていたら良かったのに

名前の真逆に突っ走って来てしまった

急いで戻らないと