また逃げてしまった…… はぁぁぁぁ……

 

いやいやいや だって

あのTPOで なんて完全に想定外だったから

回れ右して逃げてしまったよ…

 

予定より早くコンタクト付け替えていたのは

そういう意味だったのか

もし付け替えてなかったら 横断歩道の上で

大量のネモのパンぶちまけてたかもしれない

 

とにもかくにも キラキラツートップは

いつどこで見てもキラキラしててカッコイイ

にしても あれは反則だよな~(笑)

 

 

正直に言うと

演者の関係者が多いっぽい公演の待ち時間は

居心地が悪くて苦手 座席についてからも

うまくその他大勢に紛れ込めないのも苦手

誰も何とも思ってないんだから平然としてればいいのに

無駄に気にしてしまう自分自身も情けないけど

こういう 自他の境界の曖昧さの匙加減が

ちょっと人と違っているところが

私の良さでもあると思えるようにはなった

 

公演の趣旨というものがあるのであくまで個人の感想だけど

 

君様の演奏は大変なテクニックとパワーを必要とするもので

想定通りの凄さで凄く感動したんだけど

舞台上で行われた凄さに対する

観客席の反応の凄さ 鋭さみたいな をイマイチ感じなかった

私みたいにピンポイントで聴きに行ってる方が少数派で

公演の趣旨にのっとった良い反応ではもちろんあったのだけど

私としては ちょっと まぁ うん 凄く凄くってうるさいね

 

私としては そういうとこじゃなくて

あの凄さを ちゃんと 凄い!! とわかって聴けて

しかも 同じ空間で同じ時間を共有できたこと

ネット越しじゃなく 生の音を直接受け取れたこと

に 感動しなければならない

それは本当に 贅沢な空間と時間だった

 

今は確かめる機会も無いけど

授業や講義や講演中 凄く興味を持った時の私は

何かバキバキしたものを発散しながら

ギラギラした目で とまではいかなかったかもだけど

居眠り大王だったから でも強く興味を持った時は

そんな感じで 何かを発散していたように思う

それが教壇や舞台上の方々に届いていたかはわからないけど

そういえば自分は昔こうだったなって

思い出させてもらった

息子に何か教えていても暖簾に腕押し気味なのは

結局のところ興味が無いってことか なるほどね

 

 

やっぱりチラシってもらって来なきゃダメなのかな

重いしかさばるから定期の時はもらわないし

チケットサイトのお気に入り登録でメールも来るし

でも今回もらったチラシがなければ

気付けなかった公演がいくつもあってショックだった

 

余計なことまで知ってしまうので控えている検索

珍しくやったら ちょうど1年くらい前に

大きな公演を逃していたことを知ってしまった

どうして気付けなかったんだろうと自分を責めたが

そういうチャンスがあると気付いて通い始めるより

前のこと それに過去を悔いてもしょうがないので

気持ちを切り替えて前を向きたいのだけど

 

母数が小さ過ぎて周りに紛れ込めない場合

どうしたもんか 去年は そうか

体調絡みで それどころじゃなかったんだ

余計な気を回す余裕が無いように

身体の方が気を遣ってくれたみたい

 

去年はともかく 今年はもっとたくさんの人が

聴きに来るだろうし どうしようかな なんて

迷ったりして まだ買ってないんだけど

でも 私が行かないでどうする とも思う

私が行っても 誰も何もどうもならないけど

私が行かないと

私の世界が完璧に 素晴らしくならない

私が 私のために行かないでどうするよ

 

片道切符的な往復が出来たってことか やった

帰り道に見た銀行 写真撮っておけばよかった

かわいかったな~

 

これこれ この通帳とカードは欲しい

こないだ行った100均 懐かしいサンリオのが

凄く充実してて感激 大人買いしそうになった

結局買わなかったけど 大人っていいよね

 

舞浜で味わってたこの手の楽しみにはもう戻らないけど

これはかわいいな 乗ってみたい

 

>全てはエネルギーなので芸術が齎す力は大きい。エンターテインメントがカネを産むのはその通りだが、今までみたいな枕営業搾取構造では無く、発信者と受信者でエネルギーが循環するから豊かさが満ちる段階に移る。既に一部コミュニティでは実現している。お金の引き寄せでギャグ漫画を読んで爆笑したり、好きな曲を聴いて歌の世界に浸る事を紹介したのも同じ仕組み。物質のお金は単なる結果で有り、あなたのエネルギーが動いた点が重要。錬金術を使い熟す。あなた自身が黄金の生み出し手だった事に気付く。誰もがミダス王の手を持っている。

 

かいれんさんの言いたいことと合致してるかわからないけど

読んですごく安心しました ありがとうございます

 

だから 私のやるべきことが未だにわかってないけど

まず チケット買って 会場に行って 音楽を堪能して

帰る これが今のところの答えかなと思う

お腹痛いとか 始まるまで辛いとかは 修行だと思おう

シューベルトはとても楽しかった

この機会がなければ

シューベルトのこーきょーきょくを聴きに行くなんて

一生考えもしなかったかもしれない あと

シューベルトは Schubert と書くのだと

知っている自分が なんというか 好きである

 

ハーフタイムにドイツ語仲間のマダムとお話しして

これは前にも聞いたかもしれないけど

ドイツ語の後にフランス語を学ばれたことを聞いて

これは前にも書いたかもしれないけど

私はどうしてもフランス語はダメだったんです~と

変な力説をまたしてしまった 何度目だろ

 

これも前にも書いたかもしれないけど

ドイツ語圏のあれこれしか受け付けないというのは

何か意味があることだと思うので

悲観しないことにしてる あと

イタリア関係はまだマシというか

言葉も食事も人間関係も だけど

今 次のオペラの予習してるんだけど

ドイツ語以上に 今どこ歌ってんだか

わからなくなる どうしたもんだかね

 

ほんでもガッツリ聴くべきポイントは

覚えて行けそうなので頑張ろう

 

 

あなたは今ここにいるだけでいい

という言葉に励まされてしばらく経つけど

舞台に出て来た瞬間から

わーうれしいよかったー という幸福感に加えて

ほら あなたの世界は完璧でしょ?

という言葉が聞こえて来るように感じた

 

この完璧な私の世界は

私自身が創り出しているわけではないのだろうけど

私の世界に 悲しいことは起こらない だから

私の大切な人たちに 悲しいことは起こらない

という 大前提というか 自明の事実というか

ここを疑わないことが 今はとても大事なのだろう

 

先日おすすめに上がって来た動画に

ちょうど生まれ年前後しばりのものがあった

インディゴなんとかンっていうやつ

私は全くもってサイキックじゃないし

特徴に該当するものが多いわけじゃないので

勘違いかもしれなくてあまり書きたくないけど

これは他人がどうこう判断することじゃなくて

自分自身で 自分はそうかもしれない と

自覚することが大事なんだとおっしゃっていて

抱えている違和や普通じゃなさ加減からして

私は該当してると考えて生活するのが妥当で

むしろラクかもしれない と思うようになった

 

確かに 価値観とか 違和感とか あと

同い年から1,2歳上の人にしか

興味が無いというか 縁が無いというか

けっこう年齢や世代にこだわるところが

あ~なるほど~と腑に落ちた感じがして

だから 私もそうかもな と思った次第

 

仮にそうだとして この人たちの役割は

社会的に成功することではない と言われて

心底ほっとした なるほどそうかと

だからあの時こうだったし あの時も と

いちいち説明がついてくるのがおもしろい

 

で この人たちの役割は

突き詰めればみんなそうかもしれないんだけど

「光」を定着させることらしく 言い換えれば

正しさとか 明るさとか

私に当てはまらないけど 優しさとか

あとなんだ

 

言葉にすると難しくなっちゃうけど

今のこの社会状況ならわかりやすい

自分が正しいと信じることを普通に続けること

 

今ここにいるだけでいい とはそういうことで

何か特別な行動を起こして社会を正すことでは

ないらしい とわかっただけで とても救われた

 

 

もちろんいいことばかりではなくて

開演日時のぴったり1週間前に食べたもので体調崩すし

帰りは帰りで 電車内の話

前に座っている3人が揃って「赤い靴」を履いており

ぎょっとして顔を上げたら

その座席は7人全員ポコってて

気付けば私の両隣もポコってて

なんだかな~と一瞬凹んだりもしたけど

 

その7人の背後の窓からは

夕暮れの美しいグラデーションが見えた

 

少なくとも

音楽を聴いている私の世界は完璧で

人は たった一瞬で

誰かの人生を薔薇色に変えることが出来るのだと

感動させてもらった

 

私もそういう人だったらいいのに

全然そうではないのが残念 無念

 

素敵な音楽と時間を

どうもありがとうございました

とても楽しかったです

いつもありがとうございます

こないだ先行販売の時 いつもの席がなくて

結局2公演とも買わなかったんだけど

あとから自分が見逃してたことに気付いて

意気消沈してたチケット獲りですが

今日は頑張りました とったどーー

 

あとはイブのを買えば完了

いや自由席のがまだだった

さっきついでに買えばよかったのに

なんか後回しにしてしまう

 

CDと聴き比べたのは

バッハじゃない曲の方

世界中一番この演奏を聴いているのは

まちがいなく私

 

YouTubeがこの先どうなるかわからないけど

普通に生活してたら得られない情報が

満載なのはまちがいなくて

いろいろ学ばせてもらっている

 

空っぽにして聴くっていうのは

身体的なあれこれ 顔だの髪だの含めて は

ホントどうでもよくって

精神で聴け 魂で聴け ってことだと理解した

いくらかは合ってるはず

 

身体がなければ そもそも音すら聴けないし

様々な快感を得ることも出来ないはずだけど

身体がなくても感動は得られるということに

いい加減気付きなさい ってことかも

 

そもそも 向こうから私は見えていないし

私がいてもいなくても 起こることは一緒

 

だけど 私が席に座らないと

私の望む世界は生まれない

だから チケットを買って

コンサートホールに行くのが

今の私がすべきこと

 

今年は第九は無いみたいで残念だけど

とりあえず年内は行けるだけ行く予定

 

何やってもうまくいかないし

何のために今ここにいるのかわからなくて

毎日イライラしてしまう

暑くて引きこもってたら

そのまま外に出られなくなってしまった

 

でも いろいろ見ている中で

あなたは

今そこにいるだけで充分働いているんです

と言ってくれた人 人?

存在 の方がいいか がいて

とても励まされた

 

チケットが取れたってことは

そこに行っていいってことだよね

独りになる時間がないない思ってたくせに

独りになると何していいかわからなくなり

あっというまに1日おわり

 

書いておこうと思ってたことだけ

 

こないだ書き忘れたこと

前回は こうなればいいとか あれはどうしようとか

あれこれ考えず ただ聴こえて来る音楽を受け取る

という感じで臨んだら なかなかイイ感じだった

なにがイイのかわからないが 冬に思ったように

からっぽなところに音楽を入れてもらう というのが

私にとっては正解なのかもしれない よくわからない

 

今あまりイイ調子じゃなくて

それわかってて書くとロクなこと書かないから

やめときたいのだが チャンスもないので

 

先月のハッピーデーだから28日の夜中

目覚めてなかなか眠れなくなった時

 

自分が世界を作っている っていうのは

 

私が誰かを思い出した時 その人は元気であり

今後もう会うことはなくても心配しなくていい

 

私がいつもの席に座ったら

君様が出て来て 素敵な演奏を聴かせてくれる

それが 自分が世界を作っている ってことで

私がそこに行かなかったら

そういう世界にはならない 言い換えると

なっていてもなっていなくても

私が認識できないから ならないのと同じ

それと

私があの席に座ることが許されないなら

そうなるべき事象が必ず起きるはずだから

今のところ許されている たぶん

 

なんて 悟った気になって

我ながら感動していたのだけど どうなんだか

 

明晰夢というやつなのか

単に明け方に見る夢だからか

やけにクッキリした夢を見るようになった

楽しい経験をすることもあるし

ただひたすら疲れるだけのこともあるけど

 

まだ視聴が許されているNY公演

数え切れないほど聴いてわかったのは

音というのは 音程というべきか

その時その時 一瞬ごとに

演奏者によって選択されるものだ ということで

鍵盤ごとに決まった音が出る電子オルガンに慣れた

私の耳には かなり難易度の高い演奏に感じていた

 

いま試みにCDと聴き比べてみたけど

慣れを差っ引いても NYの方が難しい気がする

 

寝る前にNY公演の動画を観るのを3晩続けたら

そういう夢を見ることが増えたんだけど(笑)

 

で こないだふと気付いたんだけど

あれだけ難しかったNYの音程? が

ぜんぜん難しくなくなった いきなり

 

夢の中で 私の中のチューニングを

直してもらえたみたいで 感動した

 

なかなか事が進まなくてアレだけど

この感動を思い出して乗り越えたい

とっちらかった文章だけど 書いて良かった

あくまでワタシテキに だけど

定期公演でこれだけ盛り盛りだくさんなことは

あまりない 少なくともここ数年はなかったような

気がする ものすごく贅沢な2時間だった

とても貴重な時間だってわかってるのに

あれこれ余計なことを考えてしまうのは

もう治しようがない癖なのかもしれない

 

ワタシテキに盛り盛りだくさんな分

君様テキにはとても大変だったと思うけど

そんなこと微塵も感じさせないで

最後は笑顔で締め括るところが本当に凄い

 

息子に書け書け言う手前

私も少し記録しておこう

 

75番は

ドイツで聴いたのと

今ここで聴いているのとは

違う 別モノだ と思いながら聴いていた

もちろん同じ曲だし

どっちが良い悪いじゃなくて

音楽は 常に新しく ユニークである という感じ

九大の懐かしい曲はこれじゃないかと

ちょっと前に気付いたけど 自信が無い

いずれにしろ 素敵な演奏だった

 

別モノだけど というより

別モノだから こそ

あの時 自分が確かにドイツにいたことを

改めて認識できたのと

あの時は遠かったのでよく見えなかったが

休みがなくとても忙しい曲だということも

改めて理解した もしかしたら

ドイツに行く前に東京でも

演奏されていたかもしれないけど

 

23番は

予備知識をもらえたおかげで

時間と空間を超えて

自分が「そこ」にいるつもりで聴いた

若マエストロの演出なのか 75番もだけど

おぉ! と視覚的な驚きがあるのも楽しかった

 

はるか昔 別の姿をした私が

今みたいに 少し高いところから

絶対に埋まらない距離を憂いながら

この曲を聴いていたかも という想像は楽しかった

この「少し高いところ」が もし立証できたら

今の私が家庭人として壊滅的ポンコツなことも

許してもらえるのではないかと思うので

なるべく濃い想像であることを望む

 

おそらく皆さんが最も楽しみにしていた

147番は

期待通りの美しさで でもその美しさは

演奏する方々の苦労に裏打ちされていることが

改めてわかった

前に鍵盤で少し弾いてみた時に気付いて

一体どうしているんだろうと思ってはいたけど

やっぱり すごく大変そうだった

 

この曲は何度も聴かせてもらっていて

感動することはわかっていたので

ワタシテキには75番と23番が目当てだったが

期待を超えて 楽しませていただいた

ハーフタイム前 息子が「すごかった…」と

つぶやいたので 何がと聞いてみたら

君様の楽器が返ってきたことは

そりゃそうだろって席ではあるにしろ

素直に 嬉しかった

147番の後ならともかく

1曲聴いただけでそう言ってくれたことも

嬉しかった

 

文字にすると感動も感激も陳腐なものに成り下がる

書かなきゃよかったかな

 

 

少なくとも200年くらいは

圧縮されて吹っ飛ぶ可能性があることは覚悟してる

その開示によって

歴史的に 宗教的に 学問的に 何がどうなっても

今ここに 音楽(楽譜)と 楽器が

在る限り それは正当化されるべきで

音楽を聴く楽しみが吹っ飛ぶことはないし

自分の中から吹っ飛ばすつもりもない

 

路線の端っこのぐるりんは

1番線にも3番線にもあって

終点に着いても降りない謎の Japanerin を

またやりたくなった

この動画のサムネに映ってる

Rothaus のラッピングがかわいくてたまらない

前は Ich bin Freiburger がお気に入りだったが

この Rothaus のかわいさには勝てんな

現地で一番多く飲んだビールじゃないかな

ここの施設は遠くて行けそうにないけど

このラッピング車両はぜひとも見たい

 

人間は 今ここにいる存在だけなのではなく

時間的にも 空間的にも 多元的に存在する

という話が本当なら

動画を観ながら 路面電車やバスに乗って

フライブルクの街中を「意識が」旅することは

悪いことではなさそうだ

かつてフライブルクを歩いていた自分と

今ここにいる自分が別人だとは思わないし

もうひとりの自分って意味でもないけど

今ここにいる自分の意識を

フライブルクに飛ばして歩いてみるのも

よりどころのない今の私には

許される気がする