いつも肝心なことを書き忘れる

こないだは時間が足りなかったのもあるけど

 

ああは書いたけど 本の世界と違って

音楽を聴いている時に広がるものが何なのか

本当はよくわかっていない

それにコンサート会場にいる時って

そういう何かをしっかりと味わう余裕がなくて

家で独りで聴いている時の方がいいのは

個人的なものである以上 仕方がないのかもしれないけど

なんだかなー もったいないよね

 

聴覚より視覚が勝っちゃってるからかもしれないな

 

肝心なことってのは

音楽を聴く時に生じる何かが

私にとって最も重要なものなのであれば

それ以外のこと 現実的なあれこれや

物理的なあれこれなんかに

一喜一憂したり 右往左往したりすることは

ナンセンスだ と気付けたこと だったけど

 

小説にしたって 誰がどう書こうか同じ

なわけないように

音楽にしたって 誰がどう演奏するかが

とても重要なのだし

今ここに存在して生きてる以上

そういう いわゆる三次元的な? あれこれに

一喜一憂したり 右往左往したりすることは

しょうがない 生きてる証拠じゃないか とも思う

 

とはいえ 気にしたって仕方のないことに

エネルギーを使うことは慎まねばなるまい

それは間違いない

 

 

シャーロックホームズの最初の2冊は

短編集だったんだけど

一編一編が 構成の妙とか 〆の粋な台詞とか

短いながらも絶妙にまとまってるところが

なんともステキでセクシーなんだよね

 

音楽も 何時間もかかる大作ももちろん素晴らしいけど

私は 魅力がぎゅっと詰まっている短めの楽曲が好きだ

もう会うことはないかもだけど

ドイツ語で知り合ったマダムと一緒にマタイに行った時

長いことマタイを聴いて来た方で

なんだったかな 「私のマタイ人生」だったかな

これまで聴いてきた様々なマタイ という意味で

彼女はしかしカンタータについては

「私はそこまでマニアにならなくていいわ」と語っていた

いや~ カンタータこそなのに~ と

今より少し若い私は思ったものだった

 

そう シャーロックホームズの短編を

読み終えた瞬間に感じたものが

聴き終えた瞬間のそれとすごく似てたんだ

はぁ わかってスッキリした

やっぱ共通するものはあるんだね

 

いや でもこれもちょっと違う

音楽を聴いていて生じる何かは

違う 敢えて名付けるとすれば

思い浮かぶ言葉はあるけど書かない

結局それも違うんだろうから

 

 

こないだ見つけたYouTubeに上がってる公演は

それまで聴いて来た演奏と少しずつ違っていて

キラキラの付け方とか 遊び方?とか

2パターン聴けるなんて思わなかったからとても嬉しい

それと 視覚が勝ち過ぎてて申し訳ないが

ライトの当たり具合(当たらなさ加減)が

もうめちゃくちゃステキでセクシーだった

セクシーセクシー書くと誰かみたいで頭悪そうで嫌だけど

今回は敢えて書く(笑)

 

もう日数ないのに また体調が崩れて来た

エゴが邪魔をする って意味がまだわからないのだが

あれこれ考え過ぎないように

なるべく無の状態で音楽を堪能できるように

自分で自分をどうにかしてるのかもしれない

 

サードチャレンジ

そもそも苦手な生クリームをわざわざ調達せずとも

キルシュを10mlほど

アルコールで苦く感じるくらい

少しジュワるくらいまでかけて

いずれにしろフライブルクと同じくらい遠い(汗)

 

自分が該当するとはまだ思えてない

星を眺めて「帰りたい」なんて一度も思ったことない

 

それでも現象としては 孤独とか 疎外感とか

合致するところが多いので興味深く聴いていて

「ヨーロッパの魔女」 !!!

なんだかすごい話になった~(笑)と思ってたら

最後のメッセージで泣いてしまった

遠い方の年間シートも希望通りの席をいただけた

叶えて下さった方に感謝申し上げます

これで来年度5回と今月末の1回の計6回は

大好きなカンタータを良い席で

聴かせてもらえることが確定したことを

もっと喜んで もっと感謝しなければならないのに

その辺の自覚がちょっと薄い まぁでも

あまり張り切るとロクなことないから

敢えて無心で 謙虚に席に座らせていただこう

 

シャーロックホームズの原作 というか

原作を邦訳しただけの作品を読んでいる

息子に読ませるつもりで借りたのだけど

さすがにまだ無理 難し過ぎる

私も小学生の頃は小学生向けのを読んでいたのかもしれない

 

コンタクトでもメガネでも本が読めなくなり

裸眼での時間が長くなったせいでさらに目が悪くなったが

久しぶりに読書の楽しさを実感できた

 

私にとっての読書の楽しさとは

開いたページの向こうに無限の世界が広がることで

それがどこに広がるのかを今の私が言語化するなら

それは自分の中に広がるのだと言える

私が人生で最も価値があると思うものはまさにそれで

そういえば音楽もまったく同じだなと気付いた

 

演劇が苦手なのも こないだのオペラの件も

ライヴやコンサート会場で周りとの一体感を楽しめないのも

私にとっての音楽とは非常に個人的なもので

自分の中に広がる何かを 意味的にも感情的にも

自分なりの解釈で味わうことが大事なのであって

舞台上から明確なメッセージを伝えて来られると

構えたり引いたりしてしまうんだろうと思う

 

小説なんておもいっきり文章で意味を表してるし

もし音楽が個人的なものなら

会場の席にこだわる必要も

そもそも会場に乗り込む必要すらないんじゃないの?

と自分自身に突っ込みたいのだが

 

文章によって広がる世界と

音楽によって広がる世界とは

説明できないが 別物に感じる

どちらも 最も価値があるもの だし

味わい方が違うとかじゃないんだけど

うーん 味わってる部位が違うのかな

私の中の

 

小説は読み返すことが出来るけど

音楽は聴いたそばから消えて行ってしまうもの

という認識はちゃんと持っている

 

 

行くべき公演は うまく気付けるようになっていて

行かない方がいいだろう公演は

気付かないか 終わった後に気付くように

誰かが仕向けてくれているみたい

昨日コンビニで5枚チケット発券して気持ち良かったが

定期とは別に 5回も 素敵な時間をゲットしたのだと

きちんと喜べる余裕が無いところが私のダメなところだ

 

世界一聴いているだろうバッハじゃない方の曲の

別の公演がYouTubeに上がっているのを昨日見つけた

まだそんなに聴けていないのでアレだけど

演奏が微妙に もとい けっこう違ってて

最初に観た最終公演? の爆発的な感じより

もっと丸い やわらかい感じの演奏だった

同じ演奏は二度としない という話も

こうやって聴くと よくわかる


そのYouTubeの会場はステージと客席がひと続きで

うわ~これはまたすごいな~なんてうっかり思って

直近の会場もそうだったことに気付く

いろんな感情を詰め込まず なるべく空っぽにして

素敵な何かを詰め込んで帰って来よう

 

こういうことが早くから出来ていたら良かったのに

名前の真逆に突っ走って来てしまった

急いで戻らないと

あれだけ聴き込んで行けば想像はついたはずなのに

正常性バイアスってヤツかな

あ~席取り失敗した~というネガティヴな気持ちが

無問題だとわかった後でも尾を引いてしまった感じ

 

音だけ もしくは二次元だったオペラが

目の前で三次元で繰り広げられ始めると

あぁこれ 文楽の時と同じかも とかなんとか

あれこれ考え始めてしまって だめだった

 

今の今 少し前ならともかく 今このタイミングで

復讐とか裏切りとか戦争とか言われても

どうしても共感できない 物語に入っていけない

文楽の時も 子○しだの火付けだの心中だの

そんな無茶な! みたいな演目でも

それに共感し理解することが「正」だと思い込んで

頑張って観続けて

学生身分の喪失と共に止めてしまった

 

音楽的には 正直なところ

文楽よりも バロックの方が好きだ

これには明確な理由があるのだと思うけど

まだ想像でしかない

だから 同じ4時間でも 音楽だけとれば

長時間そこにいることは全然苦痛ではない

 

私が苦しかったのは これを聴いた後

「今度『魔笛』デビューするんです!」

と報告に行きたくても

「ほぉ ついに○○君もオペラを聴く気になったかね」

と言ってはもらえない という事実だった

 

登場人物の誰ひとり共感できないという

私の「問題点」にも 恩師ならきっと

「はは いかにも○○君らしいね」

と笑って何かアドバイスしてくれたと思うのに

 

記憶の中にしか存在しない

過去や未来に囚われないで

現在に集中すべし という

今 最も重視されている行動に

最も近いはずの音楽鑑賞の場に

私はどうしても入って行くことが出来なかった

もったいないことをしてしまった

 

なんて もっともらしいことを書いているが

本当は 精神が安定しなかった原因は

もっと つまらない くだらない

本当に 幼稚なことだったんだ

勘違いが晴れて 結果的には「障害」の無い

ベストな席を選べていたのに

よく見えるからこそ というのがあって

そこに拘って心が乱れる自分自身が情けなく

自己肯定感を下げることも

今 最もやってはいけない行動なのに

 

こないだあんなことを書いたけど

実は 私自身と 自分の名前との間に

乖離があるというか

音で呼ばれた時はともかく

(私を呼んでいるのはわかるので)

文字を見た時 私の名前だという認識が

薄い時がある

そういう場合 その文字は

私と同じ名前の人の名前であって

私の名前ではない場合が多いから

薄くて当然なのかもしれないけど

でも 乖離がある と

私自身が感じているのだから

そうなのだろう

自分の名前を書いていて

そう感じることすらある

 

 

それでも 演者の方々は

ひたすら美しく魅力的で

少しずつ 自分を空っぽにして

目の前に繰り広げられる世界を

素直に味わうことにした

 

何か所か 楽しみにしていたところは

どれも楽しかったけど

一か所 最後かな

とてもとても美しくて

これを聴けただけで元取れたと思った

 

良い聴き方かはわからないけど

短くても 心から感動できる時間があったら

ワタシテキには とても満足

 

どうしても共感できない とか

どうしても平常心でいられない とか

克服しなきゃいけないってわかってるけど

そういう自分を認めてあげられるのは

自分しかいないわけで

だめだだめだって思わないで

はは 私らしいね って

自分で笑ってあげればいいのか

 

 

これを書きながらトライしてたけど

『魔笛』のチケットは選択肢が無いのと

そもそもつながらない

いいとこ取れたら行くつもりだったけど

いいとこ売ってくれるとこがわからない

私には向いてないのかもしれないな

 

セカンドチャレンジ

酒の味しかしなくなるくらいキルシュかけて

遠~くに見えるくらい(笑)

なんか違和感あるな~と確認したら

やっぱ間違ってた NYの件

CDと聴き比べたのはバッハの方で

数え切れないくらい聴いているのは

バッハではない方

 

自分がどういう楽曲を好むかが

わかりやすく表現されているのと

よく間違えないな~から始まって

いったいどんな仕組みになっているのか

楽譜で確認してみたいのと

何より 君様の演奏でたくさん聴いてみたい

 

 

私のスマホだとなぜかエラーになってしまって

ますます悪化していたtwitter閲覧状況が

少しだけ改善した 一段階前に戻っただけだけど

まったく開かないよりは全然いい

 

開けたら開けたで うっかりというか

ちょっとしたこと 本当にちょっとしたことで

どかーんと落ち込む辺りが

まだまだ修行が足りない 全然成長していない

 

何で落ち込むかって まことに情けないが

住む世界が違う テキな感情

オイコラおぬしは今まで何を学んできたんじゃい!!!

と上方から激しいお叱りが下りて来そうだが

そもそもが低い上に修行も足りてないってことで

ほんとスミマセン

 

 

自分の誕生日と名前は自分で決めて生まれて来る

ということを少し前に知って

現時点で私の誕生日に与えられている意味や価値は

いずれなくなることをわかっていて敢えて書くと

なぜ私は この誕生日にこの名前 が持つ

イメージを目指して生きて来なかったのか

半世紀も生きて来て今になって気付き猛省

ま~ていたらくったらないよね

 

漢字に関しては いつか母と話していて

なんとなく でもとても良さそうだから と

母が決めてくれたことを初めて知ったのだが

よく使われる組み合わせとして A>B>C と

あるとすると私のはBの定型というか

前後の組み合わせでもっと様々あるから でもって

Bの人はAの人より少々クセが強い みたいに

散々言われて来た(しかも合ってると思う。汗)

けど Bの頭の そもそもがクセの強い漢字は

古来から とても良いものを表す

とても縁起の良い文字だということもわかった

この字が良い という明確な何かが

母にはあったらしい

 

これも合ってると思うんだけど

音だけ取って AもBもCも 子つき子なし

その他バリエーションも含めて この名前は

音楽を生業にしている方々に 非常に多い

すごく多いのに どうして私は違うのか

いやそもそも住む世界からして違うって

そりゃ落ち込むよね(笑)

 

 

どかーんと落ち込んだ時は

もういいかな 終わっても

次もあるらしいし

半世紀 そこそこ楽しい思いもして来たし

みたいなことがよぎる

始まりも終わりも設定されているなら

自分で終わりを捻じ曲げることは

当然許されてはいないのでしないけど

 

自分は誰にも必要とされていないのではないか

という疑問は 愚問だとわかっていても

たまに ちらっとよぎる

 

だから チケットを買っておく

それまでは自分をつないでおけるから

 

 

あと少し ここまでなんとか来たけど

前夜にまたどかーんと壊れちゃったりして

 

でも この手の公演は

君様が全体をリードしているのがよくわかって

すごく楽しかったから

さらに上から見下ろすのは身体に堪えるけど

とてもよく見えるので前回と同じ席を取った

 

コンサートホールの座席に座っている間だけは

あのイメージでいきたいな

見た目じゃなく 心持ちの問題ね

昨日おすすめに上がって来て1時間観ちゃった

旧市街限定だけど すごくゆっくり歩いていて

当時はなかったお店とか 懐かしさより

新鮮さの方が勝った感じで 私も楽しく歩けた

 

オルガンコンサートの帰りに

Dクンのママにアイスをごちそうしてもらった

Eiscafe の2階に上がることが出来るなんて

眺めも抜群 でもドイツのパフェは巨大だから

私はもう無理だな 当時も食べなかったし

何より 今もものすごいことになってるけど

1ユーロ170円って 今より全然すごいよね

2スクープ買って外で立って食べるのが普通だった

 

Rothaus のレストランは 前は無かったと思う

店内も新しい感じだし いつ出来たのかな

Dクンは行ったことあるのか聞いてみたいけど

連絡するのに腰が引ける

 

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後半は あの綺麗な小路とか 秘密の階段(笑)とか

かっこいい兄さんたちが手を振ってくれた出窓とか

見所に想い出が重なった場所の連続 とてもうれしい

 

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そうそう 私のフライブルク最終日も

Bächle は水が止まっていたんだよね

それまで散々見たから格別落胆もしなかったけど

やっとこさ行って流れてなかったら 悲しいな

いつも元気なワニもしんどそうだった(笑)

 

動画を観る限り 初夏までは車両禁止の旧市街にも

工事車両が多く停まっていて歩きづらそうだったけど

今はそうでもなさそう 何より

工事の幕が外れたミュンスターの尖塔を

私は生で見ていない

 

でも 街歩き動画を観て

自信がない 行ける気がしない

みたいな気持ちは もう起こらなくなった

 

いつも独りだ孤独だ書いて過ごしてたけど

実際は フライブルクでは周りに誰かしらいて

必要な時は 誰かと一緒に行動できていた

ミュンヘンやライプツィヒとは違って

フライブルクでの想い出は

誰かと共有できるものばかり

 

独りで訪れたら

どういう気持ちになるんだろう

 

生クリームも買って来ればよかった

一瞬だけ これは! と思えたけど

やっぱ別物 ぜんぜん別物 だけど

やってみたら楽しかった またやる

 

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2番線の終点でバスに乗り換えて

終点のカフェで本物をいただく日が

早く来るといいな

 

>良くも悪くも周波数が違うと出くわさない。話には聞くけど本当にそんな人達いるの?となる。フェーズが違うので見ているのに見えていない、聞いているのに聞こえていない。どこで生きて行きたいかを選ぶのは自分。完全に自由意志。

 

ニアミスの回数と内容の変化は

不器用ながらも 引き寄せてるのかな なんて思う

不器用とはいえ 先方にはわからない というのは

なかなかのテクニシャンだったりして

 

>愚か者を見て「あいつは愚か者だ」と言った所で愚か者が賢くなる訳でも無いので、自分の世界だけは天国にしておく自分の周囲数人を幸せに出来れば十分で、その数人もそれぞれ周りの数人を幸せにする波動のペイ・フォワードが実現。周りの数人とは必ずしも親しい間柄とは限らないので家族や友人に拘らない。話が合わなければ距離を置く。家族や友人に余計なお世話をしてはいけない。あなたの助けが必要な人は別の場所にいる

 

自分の世界ばっかり気にしてて

他の誰かには何も出来ていない気がする

 

 

来年の定期は物理的にタフで驚愕したけど

ラインナップ確認したら すごいのの連続

1回だけトラップがある(笑)のと

特に遠い方で希望の席がもらえるかが不安だけど

あまり先を追い過ぎないで

直近のに無事に行けるよう

1回1回 謙虚に 欲張らずに

行けるところには 頑張って行こう