とうほく街道会議 2日目 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

2日目は街道探訪会。これには事前申込が必要で、締め切りの3日前に参加を申し込んでいた。2コースあり、「A.奥州街道コース」に参加。他の一つは「B.法光寺街道コース」。

24.9.29(日)
本八戸駅前のビジホをチェックアウトし、車で青い森鉄道三戸駅へ。8:25 駅前の駐車場に車を駐めた。駅には、前日の帰路に一緒だった女性がいた。挨拶した後、しばし会話。

 

この日歩いたルートと写真など

 

9:10 送迎バスの最終ピックアップ地点、三戸駅前で乗車。乗ったのは私を含め4人だった。乗客は全部で20名ほどかな。

「奥州街道コース」は、唐馬の碑→地獄澤土橋跡→馬場館跡→南部安信の宝篋印塔→追分石→明治天皇休憩所碑→聖寿寺館跡→史跡聖寿寺館跡案内所→南部利康霊屋で、ガイドは前日のパネルディスカッションでパネリストを務めた布施和洋氏と、南部屋形聖寿寺館ガイドの会のメンバー2名ほど。
定員40名だったが、実際に参加したのは、上記のとおり20名ほど。

 

街道探訪開始

 

9:15 唐馬の碑の前で送迎バスを下り、街道探訪開始。唐馬の碑は、徳川吉宗がペルシャから輸入して南部藩に与えた馬の碑とのこと。奥州街道ウォークでこのあたりを歩いた3年前の6月09日にも唐馬の碑を見た。その時は三戸から五戸まで歩いたな。

唐馬の碑からしばし奥州街道を北上。南部町のサイトには奥州街道の町内の区間について情報がわりあい詳しく出ていたが、リニューアルでURLは変っていた

地獄澤土橋跡,南部安信の宝篋印塔などに立ち寄った後、鹿角八戸街道(三戸鹿角街道,来満街道)との追分に到着。今年5月11日に鹿角街道を毛馬内まで歩き、1週間後の18日に毛馬内から続きを歩いたが、鹿角八戸街道はその毛馬内へ至る街道である。鹿角八戸街道も歩いてみたいが、青森・秋田県境の来満峠付近が廃道に近い状態らしい。

 

聖寿寺館の井戸跡

 

鹿角八戸街道とはすぐに離れ、聖寿寺館跡(本三戸城跡)へ。ガイドを務めている布施和洋氏は、この遺跡の発掘調査に携わっているそうで、遺跡から発掘された物や位置に詳しく、解説もたっぷりだった。

 

南部利康霊屋

撮影禁止のため、写真は案内板のもの。21年6月撮影

 

聖寿寺館跡の次は、11:45 南部利康霊屋へ。南部利康霊屋は、3年前の奥州街道ウォークで前を通ったが、中には入らなかったので、内部を見るのは今回が初めてである。

探訪会は、史跡聖寿寺館跡案内所で終了。霊屋駐車場 12:05 の送迎バスで三戸駅へ。ちなみに三戸駅は三戸町ではなく南部町にある。駐めておいた車に乗り、秋田市へ向かった。