24.5.11(土)
朝、自宅を出て盛岡駅前の牛丼店で朝食。ここまでは前回と同様だが、盛岡駅西口 7:20 発の高速バスに乗車。湯瀬PAのバス停で下車。
8:40 湯瀬PAから鹿角街道の続きを歩き始め、すぐに国道282号に出た。国道を横断したところで、携行した紙の地図を見ていたら、同年代の男性が話しかけてきた。「どこへ行くのですか?」「鹿角街道を歩いています。」「昔の道? この先の橋の手前で右に入る道です。」「ありがとうございます。」
その少し先で国道の旧道と思われる左の道に入った。今では東北電力の敷地になっているらしく、立入禁止の表示があったが、ゲートの脇を通って旧道を通った。
すぐに現国道に合流し、9:00 腹病石という標柱のあるところで山側の道に入り、高速の脇を通れないか行ってみたが、行止りのため引き返した。
国道を進み、川の南側左岸へ渡る橋の手前で右の道へ入った。さきほど男性からも言われた北側右岸を通る道で、国土地理院の地図にも記載されている。
渓谷沿いの旧街道へ
9:28 すぐに通行止の表示があり、その先が少しぬかるんでいた。地図を見ると急斜面を通っているので、旧街道の難所だろう。ただ、ぬかるんだ区間はすぐに終わった。オンロード四駆車なら通れるかな。
いったん平らな所に出たら、大地平農村公園というのがあった。対岸の駐車場から来られるらしく、そのあたりだけ舗装されていた。東屋で小休止。
湯瀬渓谷
農村公園の先は再び急斜面の難所。急流でなかなかの険しい渓谷を、遊歩道で通る。幅が狭くて車は通れないだろう。国道の旧道は農村公園のあたりで、対岸の現駐車場あたりに渡っていたのかな。
難所を通り過ぎ、東北自動車道の高架下を通って、10:23 国道の旧道に合流。標柱があり「湯瀬渓谷入口」「津軽街道」と書かれていた。
ユネスコ無形文化遺産
10:30 大日靈貴神社の前に「ユネスコ無形文化遺産」という看板があった。神社の建物が文化遺産ということではなく、ここの舞楽が無形文化遺産ということらしい。神社の中を見学。
鹿角八幡平ICの料金所接続路を迂回した後、11:30 山道へ入った。下草刈りされておらず、夏には草ぼうぼうになるかも。途中、かなりぬかるんだ箇所があり、靴に泥が入りそうになった。11:45 山道から出て、12:10 道の駅「かづの あんとらあ」に到着。歩き始めから 11.8km,18,775歩。
地ビールと昼食
「かづの あんとらあ」で昼食。地ビールも注文した。ここの道の駅にはバス停があり、盛岡⇔大館の高速バスが発着する。
12:55 昼食後、街道歩き再開。武家屋敷通りを通り、13:45 JR花輪線の踏切のない箇所を越えた。14:24 トイレを借りようとJR柴平駅に立ち寄ったが、トイレはなかった。
黒船来航の嘉永六年?
それにしては真新しいな
14:52 真新しい庚申碑があり「嘉永六年」と鮮明に彫られていた。ペリーが黒船で来た最初の年だが、それにしてはずいぶん真新しい石碑だな。最近作り直したとか? まあ、嘉永6年当時のままではないだろう。
15:05 三戸鹿角街道に入った。来満峠を越えて三戸を通り、八戸に至る街道とのこと。鹿角街道はここから西へ向かう。この日の鹿角街道歩きはここまでということになるが、帰りのバスに乗るため三戸鹿角街道の方へ進んだ。
15:15 錦木塚歴史公園前に「菅江真澄の道」という標柱があった。菅江真澄の名は、一昨年の羽州街道で何度も見たなあ。江戸時代の民俗学者で、東北の民俗について多数の調査・記録をしたらしい。
15:20 十和田南駅に立ち寄ったら、今年4月から無人駅になったと表示されていた。花輪線ももう、歴史的役割を終えようとしている。トイレへ行ったら閉鎖されていた。駅は無人化してもトイレは残して欲しいな。また、進行方向が変わる駅なので車止めがある。車止め近くまで行ってみた。
十和田南駅の車止め
この駅から盛岡へ向かうJR花輪線上りは時間帯がよくないので、約1km北にある高速バスのバス停へ向かった。15:42 高速けまないバス停に到着。盛岡⇔大館の高速バスは1日11往復で、花輪線より多い。
バス停の位置を確認した後、発車時刻まで1時間近くあるので、近くのコンビニへ行った。最近のコンビニには座って飲食できるスペースがあるが、ここのコンビニにはなかった。あれまあ。アイスカフェラテを買って立ったまま飲んだが、できれば座って休みながら飲みたかったな。
高速けまないバス停に戻った。昼食から 12.2km,18,553歩。16:36 のバスに乗って帰宅。