大きな影響を受けた知人の葬儀 - わが人生の区切りかな | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

5月02日の記事に書いた、某YH(ユースホステル)のペアレンの通夜と告別式へ。


24.5.05(日)
連休中なのでホテルはもう満室かなと心配したが、福島駅近くのホテルを予約できた。昼過ぎ、盛岡から新幹線で福島へ。自由席だが、盛岡始発なので余裕で座れた。連休とあってだんだん混み始め、仙台からは立ち客が出た。
ホテルにチェックイン後、通夜へ。ホテル近くのバス停で路線バスに乗ったら、知っている顔がいた。某YHでの知り合いである。1学年上で、たしか千葉県の柏市在住だったな。通夜の会場にはなじみの顔が大勢いた。18時から通夜。
故人には97歳の母がいて、3月30日にYHに泊まった時と翌朝に会っている。その後入院し、時々意識が混濁する状態だそうだ。息子の死去のことは伝えていないという。

24.5.06(月)
ホテルをチェックアウトし、路線バスで告別式会場へ。告別式の後、伊達市の斎場で荼毘。収骨の後、故人の次男の車で、阿武隈急行の保原駅まで送ってもらった。福島から新幹線で帰宅。

24.5.07(日)
1晩経って疲れが出て来た。私の人生に大きな影響を与えてくれた人の死去。先月から年金受給者になったこともあり、若かった頃と今後の人生の区切りのようにも思える。