半月前の9月9日、登り街道(八戸街道)を南郷まで歩いた時、道の駅南郷で「とうほく街道会議 第19回 南部町大会」というパンフレットを発見。基調講演や研究報告、パネルディスカッションがあるらしい。是非これに参加・聴講してみよう。と申し込んだ。
24.9.28(土)
前日午後、盛岡の自宅を出て本八戸駅前のビジホに前泊。
この日はJR八戸線と青い森鉄道を乗り継いで苫米地駅へ。この駅は初めてだな。駅前で待っていた会場行きの送迎バスに乗車。南部町立町民「楽楽ホール」に到着。
12:30 受付けを済ませて資料をもらった後、「南部氏城館・街道パネル展」の展示を見学。
郷土芸能
13:30~ 開会セレモニーで、郷土芸能保存会による郷土芸能披露。
13:55~ 基調講演「北東北の城館と道」。講師は青森県考古学会の元会長、工藤清泰氏。予定時間をかなり超過。
15:30~ 研究報告の予定だったが、15分ほど遅れて開始。
研究報告⑴:「糠部駿馬は奥羽山脈を越えて京都へ向かった… ―三戸南部氏の遠隔地所領と室町・戦国時代の都鄙間交通」講師は東北史学会員の若松啓文氏。
三戸南部(後の盛岡南部)藩と八戸南部の家系記録は、1539年の火災で失われたため不確かになり、21世紀になってからの研究で、定説はかなり書き換えられたとのこと。そうか。じゃあ、少し前の南部藩の家系図は間違いということだな。見る機会があればチェックしてみよう。
研究報告⑵:「聖寿寺館跡と奥州街道」。講師は南部町教育委員会の布施和洋氏。
パネルディスカッション
16:05~ パネルディスカッション「戦国大名南部氏と道」
コーディネーター:永井康雄氏(山形大学教授)
パネリスト:上記講演の3氏
4氏で見解の異なる事は多々あるらしいが、共通していたのは、南部藩では城郭の中を街道が通り抜けていたということらしい。間違っていたらすみません。私はそう聞き取りました。
16:45 閉会。18:00 から場所を変えて会費¥5,000 の街道懇談交流会があったが、街道会議のメンバーや地元民が主体の宴会だろう。知人はいないから、さすがにこれはパス。
17:15 の懇談会行き送迎バスに乗り、途中の苫米地駅前で降りた。懇談会には行かずにここで一緒に降りたのは私と40代くらいの女性だった。
話しをしたら、この女性は横浜の戸塚区生まれで、小学生の時からは仙台に住んでいるそうだ。とうほく街道会議は2回目で、前回はコロナ禍前の山形での開催時とのこと。戊辰戦争に興味があり、戊辰戦争の戦跡を何か所も訪れているそうだ。
私も、奥州街道や羽州街道を歩いた時に、戊辰戦争の戦跡は何度も見たことがある。話し好きの女性で、初対面だが戊辰戦争や旧街道の話しで、けっこう盛り上がった。
苫米地 17:44 の青い森鉄道で八戸駅へ。かの女性は八戸駅前のホテルにチェックイン済みとのこと。私はJR八戸線に乗り継ぎ、本八戸駅前のビジホに帰った。