登り街道(八戸街道)の続きへ | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

今年6月12日に、登り街道(八戸街道)を歩き始めた。初日に奥州街道との追分から晴山まで歩いたが、真夏は暑いので続きは控えていた。涼しくなってきたので、そろそろ続きを歩こう。
前回初日は山道の区間も多く、道を間違えて山中を彷徨ったりもしたが、残りの晴山→八戸は概ね県道・国道沿いの道で、県道・国道から大きく離れる箇所もない。
距離は30km余りで、1日で歩けないこともないが、久々に歩くにはやや長め。開始地点への路線バスも本数が少なく、歩き始めは10時過ぎになるので、30km歩くと夕方までかかってしまう。3か月ぶりで脚力も弱っているので、途中の道の駅で分けて2日で歩くことにした。

24.9.09(月)
盛岡駅前の牛丼店で朝食後、7:32 発のIGRいわて銀河鉄道の電車に乗車。定刻 8:42 二戸駅で下車。二戸駅前 9:35 発のJRバス東北に乗り、山内通(さんないどおり)バス停で下車。

 


この日歩いたルートと写真など


10:20 山内通(さんないどおり)バス停からこの日の街道歩き開始。県道を北東方向へ。前回は2kmほど先の横枕バス停まで歩いたのだが、途中の観音林一里塚に立ち寄らなかったので、手前のこのバス停から歩くことにした。

 

観音林一里塚

 

10:30 その観音林一里塚に立ち寄った。一里塚の先にはソバ畑があった。その少し先、高清水の集落で県道から少し離れるが、民家近くの道である。そのあたりにもソバ畑があった。ソバ畑が多いのは、このあたりが台地で水資源に乏しいためだろう。田圃は全くなかった。

 

収穫中のアマランサス

 

11:10 深紅色の花の畑があり、収穫作業をしている最中だった。何の花だろう? と思い、帰宅後にネット検索したところ、アマランサスという擬似雑穀とのこと。軽米町観光協会のサイトでも、今が見頃と紹介されていた。
東北地方ではアカアワ(赤粟)とも呼ばれ、食用になるほか、赤い染料も採れるそうだ。全然知らなかった。ソバにしろアマランサスにしろ、このようなものを栽培するのは、やはり台地で水資源に乏しいためだろう。

そのしばらく先で、晴山の一里塚を通り過ぎてしまった。11:52 県境に差しかかった。そこからしばらくは、県道が県境となる。こういう、道が県境という例は、しばしばあるね。道路沿いのポールには「軽米町」と書かれているので、県道自体は岩手県らしい。県道の北側(向かって左側)が青森県ということか。12:12 青森県に入った。

文化庁が1978(昭和53)年から都道府県教育委員会の協力によって作成した「歴史の道調査報告書」のうち、岩手県分は、全国遺跡報告総覧からダウンロードできる。このサイトで『浄法寺・八戸街道:岩手県「歴史の道」調査報告 岩手県文化財調査報告書第六十七集』(岩手県教育委員会 昭和56年)をダウンロードし、岩手県内のルートと沿道にある遺跡の情報を入手した。
他の県の「歴史の道調査報告」もダウンロードできるといいのだが、残念ながらできない場合が多いようだ。しかし、森塚良郎という人が「歴史の道調査報告」の地図をトレースして、自身のブログに「日本の街道地図一覧表」として掲載している。八戸街道の青森県分の地図は、ここから入手した。ただ、報告書の地図以外の部分(文章・写真・図など)は、残念ながらここからは入手できない。

青森県に入ったあたりにはアカマツが多かった。伐採用の重機があって、積み上げられた丸太もあった。
12:40 頃だと思うが、大森の一里塚を見落としてしまった。帰宅後にストリートビューで見たら、一里塚と書かれた柱があるではないか。何で見落としたのかな。

「東北の街道」監修:渡辺信夫,無明舎出版,1998年初版によると、「岩手県側では国道395号として利用されている部分があるほか、青森県側ではかなりの部分が国道340号として利用されている。松並木はほとんど残っていないものの、一里塚が数多く残っているのが特徴である。」とのこと。
前回見なかった観音林一里塚に立ち寄るため、わざわざ手前のバス停でおりたのに、晴山の一里塚、大森の一里塚と、2か所続けて通り過ぎてしまった。何という不覚。

 

昼食

 

13:05 いろり亭で昼食。歩き始めから 11.5km,16,803歩。実は朝にコンビニで、昼食用におにぎりを購入して持っていたのだが、外食できるところがあればそのほうがいいし、ビールを飲みたいとも思い始めていたので、ここで昼食を取った。13:40 昼食後歩きを再開。

 

市野沢の追分石

 

13:56 県道から国道340号に出た。合流地点に市野沢の追分石があり、嘉永元年の銘が刻まれているそうだ。どれがその追分石か分らなかったが、国道の反対側に日清戦争以降の忠魂碑があり、説明板があった。見たら、市野沢追分の句碑の説明があり、追分石の図も書かれていたので、石の形を見て、どうやら国道反対側の石のようだと分った。行ったら確かにその追分の句碑だったが、摩耗のせいで、嘉永元年の銘は読み取れなかった。

14:05 旧街道から離れ、「道の駅なんごう」へ向かった。14:20 道の駅でこの日の歩き終了。昼食後は 2.6km,3,658歩。トイレを借りた後、1時間ほど路線バスを待つ間、この道の駅には宿泊施設があることに気付いた。バスの便を考えると、次回はここに前泊して、翌朝ここから歩き始めるのがよさそうだ。
また、「とうほく街道会議 第19回 南部町大会」というパンフレットを発見。基調講演や研究報告、パネルディスカッションがあるらしい。よし。これには是非、参加・聴講してみよう。

15:32 の南部バスに乗り、本八戸駅へ。所要40分ほど。本八戸駅では94年5月に降車している。30年ぶりかあ。本八戸 16:49 の列車に乗り、八戸駅で新幹線に乗り換えて帰宅。