遠野街道歩き 2日目 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

23.4.04(火)
一日空けて、遠野街道歩きの続き。盛岡バスセンターで 9:40 のバスに乗り、長岡支所前バス停へ。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

10:20 長岡支所前バス停から歩き始め。前回は路線バスルート沿いだったが、この日歩く予定ルートはそうではない。急行バスが1往復だけ経由するが、それ以外に公共交通機関はないので、目的地の大迫まで歩き切らねばならない。

すぐに、一昨日通った「とのかいど にぎり 山でらみち ひだり」碑の追分に。ここで右折して遠野街道である国道に入るが、小川の橋を渡ったすぐ後で国道から左折して旧道へ。旧道の途中に「長岡城跡入口」と書かれた標柱があり、行ってみたら城跡ではなく配水池があった。城跡はどこだろう。配水池から戻った先の馬頭観音碑から右の道へ。すぐに国道に出た。

11:00 歩道上にタヌキの死体があった。付着した血にはまだ赤みがあり、漏れた糞はまだ乾いていなかったので、死後そんなに経っていないだろう。布の上に置かれ花が供えられていたので、車にはねられた後、誰かが移動させたのだろうが、可能なら埋めたほうがいいように思える。

 

オーナー制? のぶどう畑

 

11:20 「ぶどうの樹のオーナー」という札が多数掲げられた葡萄畑があった。札の下段にはオーナーの名前が書かれている。かつてオーナー制の牧場というのがあり、すべて経営破綻してしまったけど、この葡萄畑の樹もそのような制度なのかな。

11:25 道の駅紫波・ルート396長岡産直に立ち寄り、小用と小休憩。ここで昼食を取ることもできたが、それほど空腹でもなかったので、ソフトクリームを食した。

12:00 「木戸脇一里塚」の標柱。記された矢印を見ると、切通しの上に一里塚があったようだ。
12:07 旧国道らしき道へ少し入って戻ったが、旧道らしき道は続いていたので、再び行ってみた。果樹園か何かがあり、電気柵が張られていたので引き返し。
その先でも旧街道か旧国道の痕跡らしき道を何か所か見かけ、1,2回ほど通ってみた。


13:14 「鴨目田一里塚跡」という標柱が薮に埋もれかかっていた。一里塚らしきものは見当たらず。
13:27 佐比内代官所跡があったらしい場所へ寄り道してみたが、案内標識や痕跡は見当たらず。その先に、佐比内小学校跡があった。ここにも少子化の影響があるね。

13:50 旧街道が現国道の浅い切通しで遮られている所に出た。国道へ下りるのは簡単。切通しの反対側に道の痕跡が見え、たいして高くもなかったので、国道から薮の中をよじ上った。道の跡を数十mほど進んだら、国道から上るコンクリート階段があった。なあんだ。これなら、手前で薮をよじ上る必要はなかったな。階段のある所からは舗装路。

14:05 紫波ふる里センターに立ち寄り、小用。その後、東屋で持参したおにぎりの昼食。長岡から 21,900歩。


昼食後、街道歩きを再開。すぐに紫波町から花巻市大迫町に入った。合併前は稗貫郡大迫町だった。町境を越えてすぐ、閉鎖された店舗の前にぶどうのフィギュアが2つ置かれていた。

大迫は60年代初め頃からワインの生産に取り組んでいたそうだ。70年代、私が高校生の頃には「エーデルワイン」という名で生産・販売していた。
近くにある早池峰山に高山植物のウスユキソウ(エーデルワイス)の自生地があり、それに因んで命名されたそうだ。ラベルには「EDEL WEIN」と書かれていて、英語の wine ではなくドイツ語 Wein としているのも、当時としては珍しかった気がする。
地元特産品への取り組みとしては、他の市町村より早い方だろう。今では全国ほとんどの自治体が、特産品に取り組んでいる。

14:35 追分の石碑があった。「右かうり山 もりおか道」と刻まれているそうだ。「かうり山」は奥州街道の旧宿場、日詰郡山宿の意味だろう。

一里塚跡,天保義民之碑などの前を通り過ぎ、2番目の旧宿場、大迫宿の町内に入った。通りの両側に旗が掲げられていた。進行方向左(北東側)には「あんどんまつり」の旗、右(南西側)には「雛まつり」の旗。今は4月だから「雛まつり」はもう終わっているだろう。「あんどんまつり」はいつやるのかな。

 

「エーデルワイン」の看板

 

酒屋の前に「エーデルワイン」の看板があり、その先の建物の前に「南部たばこ会館跡」という石碑があった。何となく気になって後で検索したところ、詳しい情報はあまり得られなかったが、南部葉と呼ばれるタバコがあり、他の品種と収穫時期が違うらしい。これも大迫の特産とか?
さらにその先、平沢屏山生家跡という解説板があった。アイヌの風俗を多数、絵に残した人物だそうだ。大迫からはいろいろな人物や特産品が出ているんだね。

15:15 大迫バスターミナル到着。昼食後は 6,136歩。歩き始めから 18.7km。前回に続き、この日も1日に歩く距離としてはやや短めだが、歩く区間の区切りの都合により、この日の歩きは終了。ターミナルと言っても、バスの本数をみる限りただのバス停である。待合室の裏にトイレがあり、小用を足した。

旅先で知り合った人の中に、ここ大迫出身の男性がいた。3月04日の記事に書いたYHのメンバーだった。私より3歳年上で、割と若い頃から心臓肥大があり、2009年夏にくも膜下出血で急死した。52歳かな。奥さんが単独帰省中で、帰宅したら倒れていたそうだが、くも膜下出血で発見が遅れると致命的だね。心臓肥大と関連あったかは聞いていない。
その頃私はAPL白血病再発の治療中で、住んでいた横浜から一時退院中、盛岡の今のマンションに帰省していた。昼食中にその訃報をメールで受信したが、調べたら09年8月16日に記事アップしていた。アメブロに移住する前、ヤフーブログ時代の記事である。

15:32 の盛岡バスターミナル行き急行バスに乗った。このバスは1日2往復しかない盛岡⇔大船渡の中距離路線バスだが、その2往復はルートが異なっていて、ここ大迫を経由するのは1往復だけである。ただ、遠野街道歩きでは、次回とその次にこのバスを利用することになりそうだ。17時過ぎ、盛岡の自宅に戻った。