遠野街道歩き 3日目 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

遠野街道3日目に歩く予定区間は、大迫→達曽部。開始地点の大迫へ行く手段は当初、花巻駅 9:30 の路線バスで大迫 10:15 着という計画を立てていた。


ところがその便は平日のみで土日祝日運休。4月6日(木),7日(金)は雨予報のため街道歩きには不向き。8日(土)は他に用事があったため、9日(日)に歩くことにした。日曜のためこのバス便を利用できない。花巻からの次のバスでは大迫着が午後になる。それでは遅すぎるので、土日も運行のある石鳥谷駅前 7:25 の路線バスという選択しかなかった。

大迫バスターミナル着は 7:45 。平日計画の 10:15 着より、2時間半も早い。帰りのバスは 15:17 発の1本しかないので、この日歩く予定の距離 15km に時間は7時間余りある。ゆっくり歩いてもかなり時間が余りそうだが、余裕がないよりは余裕があるほうがいい。と、いい方に考えよう。

23.4.09(日)
盛岡駅前の牛丼屋で朝食を取り、6:39 の在来線に乗った。7:09 6駅目の石鳥谷で下車。この駅で乗降するのは初めてだな。

 

↓この日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

大迫バスターミナルの少し手前のぶどう沢バス停から歩き始めたのは 7:15 過ぎ。かなり早い時刻での歩き始めとなった。ところで、先週は平年より暖かい日が続いたのに、この日は上空に寒気が入るとかで寒いとの予報。予報は知っていたが風が強くて予想よりかなり寒く、パーカーを着ていたのだが、それでも足りないくらい。
前回前を通り過ぎた町中の金比羅神社に立ち寄った後、8:00頃 バスターミナルに着いた。待合室に入って風を避け、15分ほど中で体を温めた後、出発。近くに暖かい飲み物の自販機がないか探したが、あいにく冷たい飲み物ばかり。自販機はもう夏モードかあ。

代官所跡へ行ってみたが、標柱や解説などは見当たらなかった。旧稗貫郡役所の建物に立ち寄った。残念ながら建築当初のものではなく、復元されたものだそうだ。
その先に暖かい飲み物のある自販機があった。やれやれ。ほっと一息。その頃から時々陽が射すようになった。陽光が当たるとだいぶ違うね。暖かく感じる。でも雲に隠されるとすぐに寒さが襲ってくる。寒いながらも国道396号の旧道を南東方向へ歩いた。歩いていれば少しは体が温まるさ。

 

大迫の東の旧街道は少し離れていて、そのルートを通れないか何か所か行ってみた。国道バイパスを横切って、遺蹟の標柱や一里塚跡の標柱を通り過ぎた後、「梅林試験栽培圃場」という看板があった。梅林の試験栽培という看板は初めて見た気がする。


そのすぐ先で小川を渡った後、9:30 道標があった。「右ハとをの」,「左ハそとかハめみち」という2つの古い道標が左右にあり、その2つを清書した新しい石碑が真ん中にあった。なんでわざわざ新しい道標を建てたのかな。古い方の摩耗が激しいので、その保存目的とか?

9:48 馬を飼っているところがあった。3頭見たが、馬を飼っているところは岩手でも珍しい。10:16 ガードレールの破損箇所があり、「保険事故対応中」という札が掛けられていた。こんな札は初めて見た。その先の国道沿いの駐車スペースに花壇があり、タイル絵があった。近くには「これ以上ゴミを捨てたら、駐車スペースを閉鎖する。」という看板。不届き者がいるんだね。そのまた先には「育林薫郷」と書かれた石碑があった。後でネット検索したが、四字熟語ではなさそうだ。意味はおおよそわかるが、造語かな。

10:45 花巻市から遠野市に入った。峠ではなく、少し手前が境のようだ。合併前は上閉伊郡宮守村だった。
国道から分れ、11:25 3番目の旧宿場、達曽部宿に差しかかった。達曽部館跡に行ったら東屋があったので、持参したおにぎりの昼食にした。大迫から 20,652歩。

昼食中、目の前のスギ林が風で大揺れするのが見えた。また風が強くなってきたようだ。

昼食後、街道歩き再開。旧街道は達曽部小学校のグランドに遮られているらしい。校舎を見ると現役の小学校のようだ。ただ、いつまで存続できるかね。

小学校の先で達曽部地区センターへ行くつもりが、通り過ぎてしまった。入口が保育園と一緒で、保育園の看板のほうに気を取られたせいかな。すぐに引き返して、12:22 達曽部地区センターに着いた。この日の街道歩きは、取りあえずここが目標。大迫から15.2km。
次回はここまで車で来て、ここから歩き始める予定なので、車を停めておける場所か、状況を確認。事前チェック。


ここから帰宅の途となるが、公共交通機関はないに等しい。遠野市中心部との間に路線バスがあるが、朝昼夕だけという申し訳程度のもの。で、前回、大迫から乗った大船渡発盛岡行きの急行バスのバス停へ。

 

骨董品店の壁

 

バス停へ行く途中、車のナンバーや標識が多数掲げられた壁があったので、何だろうと見たら骨董品店だった。失礼ながら、こんな田舎で骨董品店の経営が成り立つんだろうか。

12:50頃、 米田交差点に着いた。盛岡⇔大船渡の急行バス2往復のうち、1往復だけここを通る。発車は 15:17。当初計画の平日ダイヤでのスケジュールでは、ちょうどいい時刻にここに着くのだが、冒頭に書いたとおり、休日ダイヤでのスケジュールで、2時間半早い開始となったため、ここに着くのも2時間半早くなってしまった。

午前は風が強かったので、ここからこの急行バスに乗ることも考えていたが、午後になって風も少し弱まって来て、2時間半も待つのは退屈なので、5kmほど先のJR宮守駅まで歩くことにした。旧街道歩きだけがウォーキングではないさ。

 

SL銀河

 

14:25 JR釜石線の宮守駅に着く前、SLの音が聞こえた。ちょうどSL銀河が来るところだった。4月は毎週土曜に下り、日曜に上りの運転があることは知っていたが、意図的にこの来るタイミングを狙って宮守駅まで歩いた訳ではない。こういう偶然もあるか。
ただ、すぐに発車してしまうだろうと思って駅から少し先まで行って引き返したら、10分近く停車していたようだった。あれま。もっと近くで見ればよかったな。

昼食後は13,203歩。達曽部地区センターから 7.4km。待合室で50分ほど待っている間、撮り鉄の人が話しかけてきた。東京・練馬から来た67歳の人だった。この後、新花巻から新幹線で帰るという。


定刻 15:37 の快速盛岡行は強風で10分遅れだったが、強風で止まることなく、盛岡に帰ることができた。新幹線も動いていたので、練馬から来た67歳撮り鉄も無事帰宅できたかな。