羽州街道ウォーク23日目 白沢→碇ヶ関 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

羽州街道ウォークで次に歩く区間は碇ヶ関までとなるが、碇ヶ関から大館へ戻る交通機関はJR奥羽線のみ。大館から行きの下り列車は 7:17 の次が 9:24。碇ヶ関から帰りの上り電車は、16:51 に特急があるが、水害の影響で当面運休。各駅停車は 15:07 の次が 17:59 で、3時間近くある。本数が少ない上に、歩く距離約20km超を考えると、どうもスケジュールが合わない。

いろいろ考えた結果、車で道の駅「いかりがせき」へ行って車を停め、碇ヶ関駅から白沢駅へ電車で戻って、歩き始めるスケジュールに決めた。これだと碇ヶ関まで歩いた後、電車を長時間待つ必要もない。

その日のウォーク終了予定地点に車で行って、電車で開始地点に戻って歩き始める。という、やや変則的なこのパターンはいつ以来かなと考えたら、一昨年10月15日、おくのほそ道ウォークで、松任から小松まで歩いた時以来だな。その時は小松駅前の駐車場に車を停めた後、JR北陸線に乗って松任駅へ戻った。

22.9.11(日)
大館駅前のビジホで朝食を取った後、7:10 頃車で出発し、道の駅「いかりがせき」へ。道の駅に車を停めた後、300メートルほど離れた碇ヶ関駅へ歩いて行き、碇ヶ関 8:16 の電車に乗った。ワンマン運転ではなく車掌がいたので、車内で白沢までの乗車券を購入。碇ヶ関→白沢なんて区間の乗車券を買う人なんて、ほとんどいないだろうな。

 

↓この日と翌日歩いたルートと写真→大きい地図で

 

8:45 白沢駅からこの日のウォーク開始。すぐに川を渡ったあたりが旧羽州街道52番目の宿場、白澤宿。旧主要街道の宿場のご多分に漏れず、明治天皇行幸の碑があった。ただ、「明治天皇矢立行在所」で、白澤ではなく矢立の名だった。
9:10 頃、白沢の先で国道7号線の橋梁付替工事区間を通った。旧街道は線路と国道に遮られていて、さらに国道は橋の付替え工事中。新しい橋を渡ったら、古い橋が見えた。これから撤去工事が始まるんだろうな。
9:21 寺ノ沢境口御番所跡を通過。江戸時代初めの番所で、その後は長走に移されたとのこと。9:30 白澤一里塚跡の石碑がそばにあるらしいのだが、見落としてしまった。

10:08 秋田藩長走番所跡を通過。ネットからダウンロードしたデータでは、その少し西を通るルートだったが、藤原優太郎著「羽州街道をゆく」の地図にあったとおり、番所跡を通るルートの方が正しいだろう。

10:15~ 長走風穴高山植物群落に立ち寄って見学。風穴から冷風が吹き出て夏でも涼しいため、高山植物が自生しているそうだ。

 

長走風穴高山植物群落のエゾリンドウ


やや萎み始めていたが、エゾリンドウが咲いていた。高山植物群落から下りて、風穴冷蔵倉庫に入って涼んだ。4.7℃との表示。

11:31 陣馬駅の少し先で、JR奥羽本線の旧鉄橋が見えた。現在の奥羽線はこの川を渡らずに北上するが、複線化前の旧線は国道7号沿いにここで川を渡っていたそうだ。この廃線跡については「しょう」さんのアメブロ「廃鉄の処女Ⅱ」の記事「奥羽本線旧線(陣場~津軽湯ノ沢)秋田方」にアップされている。

 

これは何だろう。

 

旧鉄橋廃線跡を過ぎて旧道に入ったら、鉄板で作られたものがあった。何じゃこりゃ? こういうのは何と呼ぶのかな? フィギュアとは言わないだろうな。

その先に、 藤原優太郎著「羽州街道をゆく」に「下内川旧道」と書かれている旧街道がある。現在の国道7号より、川沿いを通っていたらしい。旧道の方向に行ってみたが、川の反対側に行けそうがなく、現国道の橋の下あたりで引き返した。
未舗装の道だったが、なぜか小型トラックが停まっていて、運転手が昼食を食べていた。ちょうど正午を回ったところだった。国道に出る道がないかたずねたが、引き返すしかないとのこと。

国道に戻り、新潟から 402km のキロポストの脇にLED掲示板があり、気温27℃と表示されていた。そのすぐ先で国道の旧道に入り、矢立温泉の跡を通過。
温泉跡の先の明治新道の位置を確認した後、古羽州街道入口の碑から山道に入った。明治以前の旧羽州街道とのこと。下草刈りされている遊歩道で、歩き易かったが、渡辺信夫監修「東北の街道」には「今はその特定が難しくなっている」と書かれているので、明治以前の旧羽州街道とは少しずれているかもしれない。上っている途中、カモシカが1頭、5メートルほど目の前の斜面を走って逃げて行った。


12:52 伊能忠敬測量隊の記念標柱や解説板があった。200年以上前にここを通って測量したんだな。そこからしばらく先に、矢立杉の解説板。ここが峠らしい。秋田・青森の県境で、出羽と陸奥の国境でもある。4月25日に宮城・山形県境の金山峠を越えてから、21日かけて出羽国を縦断したことになる。矢立というと、昔の携帯筆記用具の矢立を連想するが、この峠の地名とどう関連があるのかな。

白神矢立三山展望所というところがあった。ただし、高圧送電線の下で樹木が伐採されている場所なので、自然の展望地という訳ではない。13:07 矢立峠一里塚跡を通過。13:13 茶屋跡を通過。

峠を下り、13:24 矢立橋を渡って、明治新道と合流。そのすぐ先、峠下番所跡で舗装路に出た。ここで持参したおにぎりの昼食。白沢から、24,903歩,14.7km。

13:40 昼食後、ウォーク再開。13:48 一里塚跡の標柱があったが、矢立峠一里塚跡から一里あるとは思えない。古街道と明治新道の2ルートある影響かも。

川沿いに下り、国道7号に出たあたりで、複線化前の奥羽本線の廃線跡が見えた。この廃線跡についても「しょう」さんのアメブロ「廃鉄の処女Ⅱ」の記事「奥羽本線旧線(陣場~津軽湯の沢)青森方」に詳しく載っている。
JR津軽湯の沢駅の先、折橋御番所跡に行こうとしたが、見あたらなかった。旧街道はさらに数百mほど平川の左岸を進んだようだが、川を渡れそうがなく引き返すことにした。
引き返して追分橋を渡り、右岸の国道7号へ。この追分橋、どの道との追分かと思って地図を見たら、坂梨峠へ向かう現在の国道282号との追分である。東北自動車道は盛岡で国道4号から離れ、国道282号沿いとなるが、ここで国道7号沿いになるんだな。

15:22 旧羽州街道53番目の宿場、碇ヶ関宿のあたりを通過。15:35 道の駅「いかりがせき」に到着。ここでこの日のウォーク終了。昼食後は、12,501歩,8.3km。朝に来て停めておいた車で、大館のホテルに戻った。

 

大館神明社例大祭の山車


大館駅前のホテル近くには、かつて同和鉱業のヤード(貨物駅)だったスペースがあり、今は広い駐車場となっている。この日の夜、ここに祭りの山車が4台集まっていた。前々日に立ち寄った大館神明社の例大祭の山車である。

22.9.12(月)
前日、矢立峠の古羽州街道を通った時、明治新道の様子もわかった。何でも明治10年に幅3間で造られた新道とのこと。明治新道も歩きたくなったので、この日歩くことにした。

朝、ホテルをチェックアウトし、車で峠下番所跡へ。車を停め、10:10 ウォーク開始。現国道に出て現在の国道峠を越えた後、国道の旧道へ。前日も通った矢立温泉跡に着いた。番所跡から、6,684歩,4.5km。

11:23 明治新道へ入った。入ってすぐの所から数十メートルほどは新道が残っていないようで、いったん谷に下って斜面を上った。その後は幅3間と言うだけあって、比較的広い道だった。

 

駐輦:「ちゅうれん」と読むそうだ。

 

11:38 明治天皇御駐輦之地という石碑があった。旧街道には明治天皇行幸の記念碑がよくあるが、「駐輦」という表記は初めて見た。「駐輦」て、何と読むのか帰宅後に調べたら「ちゅうれん」だそうだ。意味は「天子が、行幸の途中で車をとめること。または、行幸先に滞在すること。」だそうだ。

 

明治新道にあった県境の標柱


11:43 イザベラ・バード記念碑,11:45 県境標柱を通過。11:58 2時間かからずに峠下番所跡に戻った。矢立温泉跡から、3,046歩,1.6km。停めておいた車に乗って帰宅。