羽州街道ウォーク6日目 楯岡→尾花沢 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

22.05.05(木)
朝6時過ぎ、山形駅前のビジホをチェックアウトし、車で新庄へ。この日から予約しているホテルに行き、車を停めた。まだ朝なので、チェックインまで駐車させてくださいとフロントに話し、快諾を得た。新庄駅前 8:00 発の山交バス仙台行き48ライナーに乗り、村山へ。

 

↓この日歩いたルートと写真,以前歩いたおくのほそ道の一部→大きい地図で

 

9:05 村山駅でトイレを借りた後、この日のウォーク開始。すぐに旧楯岡宿の中心部を通過。桑折から14番目の旧宿場である。この日は朝食を食べる時間がなかったので、最初に見かけたコンビニに入り、朝食を買って食べた。
天童あたりから続いてきた長い直線が、このあたりでいったん終わり、旧街道は少し右に曲がって切り通しを通る。この切通しは明治の初頭、初代県令三島通庸によって開かれたらしい。そばにあるケヤキの木は「三島けやき」と呼ばれているそうだ。切り通しの右側(東側)には楯山という山があり、楯岡城跡があるそうだ。

10:25 林崎居合神社に立ち寄った。居合流という剣道の一派発祥の地だそうだ。私は剣道のことはほとんど知らないので、どういう流派かはわかりません。

 


居合道のロシア語看板

 

居合発祥のロシア語看板があった。村山市は、ロシアはシベリアのヤクーツク市と姉妹都市とのこと。今年2月のロシアのウクライナ侵攻以来、反露感情が高まっているが、こういう時だからこそ友好関係は重要だろう。その先の運動公園にもロシア語の看板があった。

11:00 尾上の松の傍を通過。その少し先の地面に残雪があったが、気温は30℃近い。雪捨て場だろうな。
間の宿、土生田(とちゅうだ)宿に差しかかった。手前の飯田宿とこの土生田宿は合宿で、月初から20日までが土生田宿、21日から月末までが本飯田宿の担当だったそうだ。半々ではなく、1/3と2/3に分けたのは何故だろうな?


土生田宿を過ぎた先で、国道13号線の下を潜る地下通路を通った。その少し先が土生田追分となる。おくのほそ道ウォークではこの追分を2回通った。尾花沢から南下してこの追分を通ったのが、5年前の2017年6月18日で、北上してここから分かれて大石田方面へ向かったのが、翌2018年4月29日だった。

現在の追分の両側には、右にバイパス,左に高速道路が見える。結果として、無駄な投資になってしまってるんじゃないのかな。

12:35 土生田と尾花沢との境であろう峠に蕎麦屋があった。ここで昼食を取ることにしたが、けっこう混んでいて、座るまで25分待った。村山駅前バス停からここまで 19,491歩,15.6km。

13:40 昼食後、ウォーク再開。じきに15番目の旧宿場、尾花沢宿に入り、山交バスの尾花沢待合所に到着。山交バス尾花沢待合所は、かつての山形交通尾花沢線尾花沢駅の跡地にあるそうだ。JR奥羽線の大石田駅から尾花沢駅まで2.6kmで、途中に駅はなかったとのこと。廃止は1970年で、半世紀以上経っている。地図や航空写真を見ると、昔の線路跡がくっきり残っている。少しだけ廃線跡へ行ってみた。

山形交通尾花沢線については「しょう」さんのアメブロ「廃鉄の処女Ⅱ」山形交通尾花沢線に詳しく記事アップされています。
廃線跡からバス待合所に戻り、この日のウォーク終了。昼食後は 5,740歩,3.0km。14:51 の山交バス48ライナーで新庄に戻った。