羽州街道ウォーク7日目 尾花沢→新庄 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

22.05.06(金)
朝、新庄駅前発 8:00 の山交バス48ライナーで尾花沢へ。

 

↓この日歩いたルートと写真,以前歩いたおくのほそ道の一部→大きい地図で

 

8:40 尾花沢バス停からこの日のウォーク開始。すぐに羽州街道15番目の旧宿場、尾花沢宿の中心部を通過。5年前の2017年6月17日、おくのほそ道ウォークでここに着いた。その時は赤倉温泉から歩き始め、山刀伐峠を越えて尾花沢まで歩いた。
近くに芭蕉清風資料館があり、5年前に見学した。開館前だったこともあり、今回はパス。この日歩く予定の区間は、おくのほそ道ウォークで5年前と4年前に歩いた区間と何か所か重複している。
芭蕉も宿泊した養泉寺の裏を通った後、丹生川を渡った。かつては渡し船だったそうだ。

10:25 おくのほそ道ルートと合流。土生田追分で羽州街道から離れ、大石田,向川寺を通ってここで羽州街道に最合流したのは、18年4月29日だった。その時は舟形まで歩いた。合流地点に廃業した店があり、その前に自販機が置かれている。4年前にこの自販機で飲み物を買って飲んだ記憶がある。なんでそんなこと覚えてんだろな。
10:55 旧道の橋跡があった。現在は水道管が架けられているだけだが、道路橋の痕跡がはっきり見て取れた。その水道管には通路がなく、渡れそうがない。

羽州街道16番目の宿場名木沢宿を通り過ぎた後、羽州街道の案内板があり、地図もあった。地図には猿羽根新道,旧羽州街道の両方が書かれていた。猿羽根新道は初代山形県令の三島通庸が開かせたため、三島新道とも呼ばれているらしい。
ただ、ネットから入手したデータや、藤原優太郎著「羽州街道をゆく」の地図では、ここの地図とはまた少し違ったルートに見える。

東北中央道の下をくぐって、11:25 猿羽根新道に入った。4年前におくのほそ道ウォークでも歩いた新道は、未舗装ながらFF車でも通れそうな道だが、すぐに通行止の表示があった。4年前はなかったような気がする。
その先に羽州街道入口の標柱があったが、草ぼうぼうで道がどこか分らず、そのまま新道を歩いた。15分ほど新道を歩いたら、旧街道の標識があったので、そこからは旧街道の山道に入った。4年前はそのまま新道を進んだ記憶がある。

12:00 猿羽根(さばね)峠に到着。この峠が尾花沢天領と新庄藩の境だったそうだ。藩境の石碑がある。猿羽根地蔵尊という寺に立ち寄り、一休みした後、峠から下る。

 

 

峠を下る途中に、舟形町歴史民俗資料館があり、国宝「縄文の女神」という幟があった。モダンアートのようなこの女神、写真で見た覚えがある。残念ながら休館日で、見学できず。
羽州街道17番目の宿場、舟形宿に入ったら蕎麦屋があったのでここで昼食。尾花沢から、23,564歩,15.3km。

13:20 昼食後、ウォーク再開。すぐに小国川を渡った。ここもかつては渡し船だったそうだ。川を渡った1kmあまり先、坂を上る途中で陸羽東線の鉄橋下をくぐった。その先、国道13号に合流したあたりから、陸羽東線と奥羽本線が並んで走る単線並列となるが、山形・羽前千歳間と同様、標準軌と狭軌の単線並列となっている。14:15 南新庄駅でトイレを借りた。奥羽本線と陸羽東線の単線並列区間にある駅だが、ホームは陸羽東線だけである。


15:10 鳥越の一里塚の前を通った先で、芭蕉の句碑に立ち寄った。ドラッグストアとコンビニで買い物をしながら、16:00 ホテルに到着。ここでこの日のウォーク終了。昼食後は 14,830歩,9.5km。