ニューハーフ水朝美樹(吉川未来)の ~乙女な内緒話~ -4ページ目

御釜神社

今日で無事に仙台でのお仕事がおわりました🏝️


さてこの間、視察いたしました塩釜町。

そこには御釜神社があり、塩釜を使った塩精製の釜があります。


近辺の貝塚遺跡からも、海水を煮詰めた土器の破片も数多く発見されています。✨


土器製塩が、鉄釜による製塩へと変わるのは、一般的には平安時代。


鉄釜の使用によって、塩の生産は飛躍的に発展したことでしょう。


1300年頃に描かれた塩津の風景画には、

二基の釜が描かれています。🤔


江戸時代には、世に変事のある時、その前触れとして、


御釜の水の色が変わるといわれていました。🤔


奥地名集には、釜はかつては七口あり、そのうち三口は盗賊に持ち去られたという伝説が記されています。


古代の製塩法を今に伝える塩焼神事なるものもあり、🥰


初日は沖で海築のホンダワラを創り取りだし、

二日目は、満潮時の海水を汲み、本樽に入れて運び、これを御釜に注ぎ入れ、

三日目は鉄をのせ、竹の上にホンダワラを広げ、海水を注ぎかけ、石で点火して釜の海水を煮詰め、塩を作ります。💝


 古式に則ったその製塩法は、無形民俗文化財に指定🌻✨


奥の細道にも、芭蕉が釜を拝見とありますが、

この木の柵の間からすこし見えるのが、

芭蕉がみた釜だな🤔💋


うむ。タイムスリップしたようだ😌


さあ、今日も1日がんばっていきましょうね💓💋











丹六園

今日は仙台での最終日です🏝️😉

さて塩釜町の続き。

塩竈神社の門前にある味のある店構えは、
銘菓『志ほがま』で知られる丹六園です。🌻

創業はなんと享保5年の1720年。

現在の主人で11代目という塩竈の中でも老舗中の老舗で、

代々受け継がれた昔ながらの製法で、塩竈の古き良き味を守り続けています。😉

木造・町屋造りの建物は、その材料のほとんどを江戸時代の建物から再利用したようで、

塩竈の町屋建築の特徴とされる軒下のだしげたなどもありました。😏😉

昔ながらの頑丈な大黒柱のおかげなのか、震災にあっても建物本体は無事だったようです。😌

当初は廻船問屋で、

伊達藩では大きい廻船問屋が塩竈に7軒もあり、丹六園はその中の1軒。🤔

船を持つということは、嵐に遭って沈んでしまえば莫大な借金を背負うことになるので、
そういうリスクも多分にあったようですね。

丹六園の先祖が、伊達藩の御用菓子を作っていて、

初代が古梅園というお菓子屋の六番目で、“六右衛門”と名乗ったようだ。✨

塩竈の保護政策を行った伊達綱村公が、神社を訪れた時に、
志ほがまというお菓子を食べた、という記録も残っています。💋

大崎産の、みやこがねを用いた上質のもち米粉と、
塩竈ならではの藻塩が使われて、

青紫蘇の香りが品格を醸し出すお菓子。

製塩に使用された青紫蘇は、天然栽培。
箱を開けると爽やかな香りが漂う。

志ほがまは昔、海の藻と、塩水の塩と、お砂糖の糖で、藻塩糖と呼ばれていたようですね。🤔

今でも、80歳・90歳くらいの方がいらっしゃると、
『藻塩糖けさいん~』とお店に入ってくるそうな。

その時代時代をうまく対応していくことが、
伝統を守っていく秘訣のひとつではないかと思うのであった🍎🍏






塩釜のゑびや

今日も引続き仙台です✨💓


さて今日は塩釜町です。


塩釜漁港があり、昔は天然塩作りや魚河岸、廻船問屋で賑わっていました🏝️


その塩釜町に江戸時代から残る建物があります。

旧ゑびや旅館


この建物は塩竈に現存する明治初期の貴重な町屋建築です。🍧


慶応三年に、塩釜町は大火に襲われました。


この建物はその復興のなか、

江戸時代から当地で旅館を営んでいた海老藤蔵によって建てられました。


当時としては珍しい木造三階建。


室内には港町らしさや、

松竹梅と桜をあしらった部屋ごとの内装の旅館も残る🤔


明治九年には、明治天皇による東北御巡幸の一行が塩竈を訪れます。


参議大隈重信ら二十二名は、 ゑびや旅館に宿泊したことが分かっています。✨

東北初の鉄道が上野——仙台——塩竈間に開通すると、


ゑびや旅館は駅前に出店。


この建物はゑびやの経理担当であった日野友吉が継承。


明治から大正にかけて、塩竈芸者と旦那衆らによる伝統的な芸能文化の舞台ともなっていきます。🥰


明治の頃の塩竜の街並みにも、えびや旅館がみえますね💌


昭和の町というよりは、江戸、明治の香りを残す町並み的ですね😌


伝統は伝わっています。