ニューハーフ水朝美樹(吉川未来)の ~乙女な内緒話~
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最上義光②

今日から岡山です✨


さて最上義光つづき。


最上騒動は、ひとつの事件を指すものではなくて、長年にわたって混乱した山形藩の情勢を指します。🤔

最終的に最上家は、1622年に改易となるのだが、そこにいたるまでには大変な紆余曲折があったようです。🤔

山形藩最上家内部の混乱は、初代藩主・最上義光の頃からすでにあったようだ。

さらに遡るなら最上氏は、
戦国時代の頃から内部対立が激しく、義光がその豪腕によって、
まとめ上げることによって、

伊達氏などとも互角に戦える大勢力になります。

一代の英雄である義光の死後、優れた家臣がいなくて、最上家が崩壊へ向かうのは必然だったのかもしれない。

最上義光は、豊臣秀吉がまだ生きていた頃から、
すでに徳川家康に傾倒していました。

豊臣秀次の側室になったばかりの娘が、
秀次事件に連座して処刑されると、
家康への傾倒はより一層強くなります。

秀吉死後の関ヶ原の戦いでは、
上杉方の直江兼続の部隊と戦いこれを破り、
功績が認められて、57万石の領地を安堵された。

しかし1613年頃から義光は体調を崩し、寝こむことが多くなります。

死期を悟った義光は、最後の挨拶として駿府の大御所家康と、

江戸の将軍秀忠のもとへ赴き、
自分の死後の最上家のことを託してから、1614年に息を引き取ります。

家督を継ぐのは、本来なら長男の義康となるはずでした。

しかし義康は、1603年に父の手によって惨殺されている。🤔

最上家がその後没落していくのは、そもそもこの事件から端を発しているといってもいい。
つづく



最上義光①

今日は実家の堺で、明日から岡山、高松とつづきます😀


さて最上家がなぜ改易になり、消滅したのかを考察したいとおもいます。


最上義光の死後1622年、

孫の最上義俊の代に起きた最上騒動が原因。


幕府は家中不和を収められない統制不能な状態を重く見て、

領地没収の処分を下しました。


家督相続をめぐる対立で、

2代藩主・最上家親(義光の次男)が急死した際、


幼少の義俊が家督を継いだことで、有力家臣の間で後継者争いが勃発。


家臣同士の対立やクーデター未遂が起こり、江戸幕府が仲裁に入っても一向に内紛が収まりませんでした。


奥州の要衝を治める57万石の大大名 である最上家が、


内部の混乱で統制が取れなくなるなど、考えられないことです。

幕府が問題視しはじめるのも当然。


最上義光が凄かったのであって、家臣が無能すぎたとしか、

いいようがないのである。

つづく









携帯紛失

この間は栄養をつけるために鰻をたべました。


さて昨日は大変でした。駅のベンチに新しい機種の携帯を忘れ、


もどるとなくて、警察場所を探し出し、さらに携帯店を探しにいき、すぐに電波ストップ。


古い方の携帯を再び復活させ、


データーやアプリを再登録で、もうてんやわんや🥶


しかも携帯の中には、銀行のカードも😭。無くした携帯から電話も使えず、


もうフラフラ。


帰りに念のため駅の事務所に電話すると、たった今紛失届に届いたと。


はやめに使えないように出来たのと、画面立ち上げ暗証が必要なシステムに切り替えていたのと、


最近は携帯で位置情報を調べることが

できるので、持っていると、逆に警察に跡をつけられる恐れがある。


届けてくれたのは、日本人なのかなぁ。新しい機種にしてまだ2日しか経っていない。


携帯は財布と同じ。対策を練らねば🤔昨日はフラフラでした💦😅


携帯の紛失には、きをつけようね😅








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