和太鼓をついに
2年間、寝かしつづけてきた和太鼓。
音に惚れた大型の欅太鼓。まだ売れずにそこにありました。🍓
私にとって和太鼓は、日本文化としての敬意であり、
芸術作品としての価値、
素材への思い。
そして何より音色への恋でしょうか。😌
生活用品や家電の買い物とは、
なにか質がまったく違うように感じます😌
買うか迷っていたのですが、
自分の人生に迎え入れるかどうかを、
考えているような、
そんな段階にきているように感じるんだよね😌
欅材は日本でもどんどん希少になっていて、質の良い素材で作られた和太鼓は、
年々手に入りづらくなっています。🤔
2年越しでも気持ちが消えない理由の一つは、
この作品そのものへの出会いが、
特別だからなのだろうか。
芸術への投資は、
気持ちを底上げする買い物。
また心の支えや安定、
日常の質の向上をも長期的にもたらします。🤔
音が自分を調整してくれる存在にすらなり得ます。🤔
長く人生を支えてくれる作品であればなおさら。
あとはタイミングだったのだけどもね。
私が迎え入れてよかったのか、私以外のほうが、、などもかなりよぎりました。
受け付けにたまたまいた査定店長。
なにかこう、不思議な力で選ばれるというよりも、
物が持つ性質や背景状態が、自然と
、合う人を呼び寄せるというほうが近いのかな。
その物が背負ってきた時間や役割に、響く人が現れるといいます。
長く誰かに大切にされてきた物や、強い想いのこもった物は、
「雑に扱う人」には魅力的に映らないけれど、
「丁寧に向き合える人」にはなぜか心に引っかかることがあります。🤔
これはまるで
物の側に “条件” があって、合う人だけが反応する
みたいな現象です。😌
人の側の心の状態が、特定の物を見つけさせる。
太鼓は特に、音・手入れ・保管・扱い方など、
持ち主の性格や覚悟に左右されるので、
“この人なら” と物のほうが言っているように感じます。😌
この和太鼓、呼吸している音まで聞こえる。
やっぱり私でよかったのだろうか。
塩田王の野崎家⑦
今日は接骨院など、身体のメンテナンスです。
さて塩田王の野崎家の最終回は、
富士銀行の関係をみてみましょう。 ✨
富士銀行の歴史は、慶応2年に安田善次郎が創業した安田銀行に遡ります。
日本橋に両替専門商「安田商店」を開き、✨
露天の両替商から身を起こした安田善次郎は、
堅実経営を実践して、70におよぶ銀行を救済統合していきます。😉
明治13年には
両替商安田銀行に。🤔
経営難に陥った中小銀行を吸収合併して、株式会社安田銀行となり、
明治維新後の日本国家建設を支援するために、
築港や鉄道などの公共事業に積極的に資金提供しました。✨
その後富士銀行と改称。
公金扱いにも強く、地方自治体の信頼を得て、公金の富士と呼ばれるように。✨
現在のみずほ銀行の前身の一つになっていきます。😌
その中で、地方大地主の野崎家にも取り引き相手として、目の前に建設していきました。
塩田王の野崎家没落と共に、富士銀行の歴史も傾いていきます。🤔
そして社内不祥事もおきます。
春日部市にあった富士銀行では、支店行員の男が、
顧客だった夫婦から預かった金を、
別の運送業者へ融資するという、
不正浮貸しを行っていたところ、
2500万円の債務を負ったため、その発覚を恐れて夫婦を殺害。🥴
そんなきな臭い事件が絶え間なく起きます。🤐
そう考えますと、経営もまさに生き物なのですね🥺
紆余曲折した歴史。
旧野崎家の目の前には、いまでも富士銀行がその歴史をとどめています。



