ブログを更新しなければ、と思いつつ遂に10月に入ってしまいました。現役引退で毎日が暇で、毎日でもブログが書けるぞと思っていたのですが、思った以上に雑用が多くて、なかなか自分の時間が作れません。でも南那須に来て父の山荘で暮らすようになって、3ヶ月を超えたのですね。少しずつ地域の様子が分かって来て、どこに行けばどんな物が手に入るかがようやく分かってきました。そうこうしている内に南那須はすっかり秋が深まり、この夏の暑さが懐かしくなるほど朝晩は冷え込むようになり、慌てて秋冬用の衣類や寝具を取り出したりしています。朝夕の散歩道では秋を代表する花々が咲き出し、木々は紅葉し、栗もコナラもクヌギも身を振るうようにしながら樹上の実を次々と地上に落としています。山桜はすっかり葉を落として早くも樹上に青空がすっきりと見える冬支度。
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秋を代表する萩の花にも真っ白な「白萩」が有るのですね。散歩道の途中で見つけました。
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そして、秋のあぜ道や道端を彩る「彼岸花」、これは根茎に毒を持つ恐ろしい花ですが、群落で咲いていると見事です。
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8月のお盆前に植木屋さんの片隅で捨てられようとしていた売れ残りのゴーヤ(苦瓜)の苗を、3つ90円で買って、庭の片隅に植えておいたら、何と恩返しに実を付けてくれました。
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栃木県のお隣の福島県の白河市、僕のところからは車で1時間ほど。用事で訪れた帰りに白河城(正しくは小峰城と言います)を訪ねてみました。昨年の震災で石垣が崩れて、本丸は下の写真のように外から見るだけで入れないのですが、とても綺麗なお城でした。
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このお城は明治維新の戊辰戦争で、会津藩と奥羽列藩同盟の同盟軍が官軍と戦った激戦地です。市内周辺には両軍の戦死者の供養等やお墓があちこちにあって、今でも市民の供養の香華が絶えないそうです。来年のNHKの大河ドラマはこの戊辰戦争で、女性でありながら会津藩士の娘として会津若松城の籠城戦で自らスペンサー銃を持ち戦った「新島八重」が主人公の一人だそうです。戦争で果敢に戦い、生き延び、後に京都に移住し、同志社大学を作った「新島襄」夫人となり、数々の功績を残した人です。この「新島八重」の足跡と戊辰戦争の武器や、資料を展示する展示会が行なわれておりました。
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秋の訪れで木立の中で見つけたアケビのつるを取ってきて、籠を編んでみました。山荘の周辺に様々なつる性の植物があります。山葡萄、アケビ、葛等々ですが、これから少し細工を工夫して挑戦してみたい蔓細工であります。
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さてこの辺りは山栗の宝庫。朝夕の散歩から帰ると、ポケットの中は拾った山栗で一杯。大きさもまちまちですが、茹でても、渋皮煮にしても、その甘さは抜群です。とうとう冷凍庫の中が山栗で一杯になってしまいました。茹でた山栗を割って実をスプーンでほじって取り出して、栗きんとん用に冷凍保存できる所までの作業は94歳の父の役目。指先を使う作業はボケ防止になるからともっぱら高齢の父に押し付けて、僕は気楽に散歩の途中で拾ってくるだけ。60リットル以上は集めましたよ。
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この季節は栗と一緒にキノコのシーズンです。栗の木の下に写真のような巨大なキノコを見つけました。直径20cm以上はあります。裏側をみると食用になるイグチの仲間と思われますが、毒キノコに当ったら最悪ですからもっぱら写真採取にとどめております。その内に近くのキノコ名人を探して弟子入りしたいなと思っております。

今日は9月1日、連日暑い日が続きますが、南那須の父の山荘に来て、丁度2ヶ月が経ちました。自然に溢れた南那須で、94歳の父の世話をしながらノンビリできると楽しみにしておりましたが、それなりに雑用が多くて、結構忙しく暮らしております。外出が無い日は、朝夕の散歩は欠かさないように努めておりますが、たった2ヶ月でも、散歩道の風景は季節の移ろいと共に日々変わってきます。下の写真は父の山荘の直ぐ近くにある大きな貯水池です。休日ともなると釣り人がたくさん訪れて、「この池での釣りは禁止します」との大看板をものともせずに、ルァーでバス釣りに夢中です。池の大半は蓮の群落に覆われていて、本当に釣れるのか、未だにヒットしたシーンは見たことがありません。蓮の花がとても綺麗で、思わず足を止めて見とれてしまいます。
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山道を散歩していると、「ツリガネニンジン」の紫色の花を見かけるようになりました。小さな釣鐘型の可愛い花をたくさん付けています。東北では「トトキ」と言って、美味しい山菜として知られている、キキョウ科の多年草です。
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路傍で見かけた「キンミズヒキ」の黄色い花も可憐ですね。
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それぞれに初秋を代表する山野草です。そして下の写真のように「葛(クズ)」のブドウの房状の紫の花もあちこちで見かけるようになりました。この「葛」と言うつる性の植物は、強い繁殖力で森の中を席巻しております。ぐんぐんとツルを伸ばし、我が山荘の庭の20m以上有る樹木に絡み付いて、樹上を覆ってしまって、遂には樹木を弱らせてしまいます。7月1日に南那須に来て、最初の仕事は、大きな樹木のてっぺんまで覆っている「葛」の除去でした。何と育ちすぎた葛の根元は直径20cm以上もある大きなもので、それを数本もノコギリで根元から切り倒し、樹木に絡み付いているのを引きずり落とす大作業でした。この葛の根には澱粉質が多く含まれていて、それを製品にしたものが「くず粉」ですが、市販のくず粉の大半は小麦やジャガイモの澱粉から作られたもので、本物の葛の根から取れたものは、奈良県の吉野地方の名産の「吉野葛」で、極めて高価です。
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下の写真は「キツネノカミソリ」と言う彼岸花の仲間。葉が見当たらず、伸びた茎の先に紫色の綺麗な花を咲かせますが、彼岸花同様に毒草ですよ。
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さて、如何にも地味な花を咲かせている「イラクサ」。本体も花も地味で何の面白みも無い植物ですが、東北では「アイコ」と呼ばれる美味しい山菜です。葉茎には小さな棘が密集していて採取するときは手袋必携ですが、茹でてしまうと全く気にならない棘です。
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Aコースの途中に「鬼グルミ」の木を見つけました。たくさん実を付けています。僕が幼少期を過ごした仙台の母の実家の庭にもあって、冬の囲炉裏端で祖父に胡桃を割ってもらい食べた事を懐かしく思い出しました。
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さて、更にCコースの路傍で珍しい「アザミ」を見つけてしまいました。花が黄色なのです。アザミと言えば花は紫と思い込んでいた僕はビックリして、思わず新種発見と写真を撮って、家でウェッブで調べたら、な~んだ、ちゃんと黄色のアザミも出てきました。でも極めて少ないそうで、なかなか実物を見ることは少ないそうですよ。皆さんには写真でお裾分けしましょうね。
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秋が近づくとキノコのシーズンです。散歩道でもたくさん見かけるようになりました。これは多分「イグチ」の仲間と思うのですが、毒キノコに当ったなんて洒落にもなりませんから、キノコはもっぱら写真採取で楽しむ事にしております。
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今朝は庭の椿の木に蜂の巣を発見。母に気を付けて傍に行くなと注意をしたら、早々に除去しろとのきついご命令。男は母の命令には弱いものでありまして、とは言え刺されるのは厭だし、どうしようかと思案していたら、母がキンチョールのスプレー缶を持ってきて、これで蜂を殺してから除去しろとの事。殺生は厭だなと思いながらも、キンチョールで蜂が死ぬはずが無いし、かえって興奮させて刺されるに決まってると思いつつ、母の指示通りにキンチョールを思いっきりスプレーしたら、蜂は全部逃げてしまって、あっさり巣の除去ができました。やっぱり年の功、でも万一息子が刺されても平気なのかと、ちょっぴり不信を感じました。
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蜂はたぶん足長バチ。刺されたら結構痛い奴です。少しづつですが南那須は涼しくなってきました。

8月29日、知人を訪ねて、南那須から猪苗代までドライブをしました。先週も訪れたのですが、その時は東北自動車道の矢板インターから高速道路に入り、郡山ジャンクションで磐越道方面に入り、猪苗代インターで降りると言うルートだったのですが、今回は知人のアドバイスに従って、全て一般道を走ってみました。南那須から福島県の白河市経由で国道294号線を走ります。白河から旧陸羽街道(これも国道294号線です)を会津若松方面に向かって北上し、峠を越えたら右折して、猪苗代湖の南岸を右回りで猪苗代に向かいます。約2時間の行程でした。下の写真は猪苗代湖の湖南から見た風景ですが、真ん中の白い雲の下に見える山が、かの有名な会津磐梯山です。
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峠道を走っていると、あちこちに「オオハンゴンソウ」の大群落を見かけました。オオハンゴウソウと言えば思い出すのが、あの名作テレビドラマ「北の国から」の「’98時代」の名シーンです。不倫相手の子供を身籠ってしまった蛍が、1人で産んで育てる決意で有ることを知った草太兄ちゃんが正吉をけしかけて、蛍にプロポーズさせます。なかなか承知しない蛍を口説き落とす為に、正吉は百万本のバラに代えて、百万本のオオハンゴウソウを、富良野の原野で毎日、毎日刈り取って、札幌の蛍に送り続けます。そうです、あのドラマの中で主役級の役割を演じたのがオオハンゴウソウなのです。漢字で書けば「大反魂草」、明治時代に北米から渡来した外来種の植物だそうです。それが今や日本全国に繁殖地を増やし続けて、沖縄にまで広がっているそうです。
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その傍らで、日本の秋の植物の代表選手「ススキ」が穂を伸ばしていました。そうです、毎日暑い日が続いていますが、秋の気配は確実に忍び寄っていますよ。黄金色の穂先が陽光に煌めいてとても綺麗です。ケニーのブログ

陸羽街道を北上して天栄村に入ると、道路わきに写真のような案内板が次々と出てきます。多分、旧家のお屋敷が保存されているのでしょうが、興味しんしんです。今度は時間に余裕を作って見学したいものです。
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帰路も同じルートで帰ったのですが、少し時間に余裕があったので、「白河の関」の史跡に立ち寄ってみました。この関所は7、8世紀に作られたらしいのですが、ここが大和朝廷の支配する地域と陸奥(みちのく)との境界で、ここから北は陸の奥、即ち陸奥の国(むつのくに)と言われた訳です。
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江戸時代に白河藩主松平定信公が史跡跡を発掘調査をさせて、ここが白河の関の跡地と認定したのだそうですよ。僕が訪れた夕方は、誰も見学者がいなくて、ひっそりとしていました。奥の細道を旅した芭蕉と曾良の二人旅の銅像がありました。この付近には芭蕉の奥の細道にちなんだ史跡をあちこちで見かけます。
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高速道路を走っていると気が付かない風景に出会えるのが一般道ですね。改めて一般道の良さを再認識しました。まだまだ残暑が続きますが、皆さんどうぞ元気で過ごしましょうね。