日本橋から歩く『大山詣り』12-4 ✿「大山街道のステッカー」と同行二人 | 一人、"地下鉄の地上を歩く会"

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山や街を歩いて見聞したことや身の回りのことなどをお話しします。

2021年11月23日(火・祝日)から始めた「日本橋から歩く『大山詣で』」。
「やはり街道歩きは日本橋からでしょう」と1回目は日本橋を出発点としました。
大山詣りが盛んな頃には入れなかった江戸城の一部(皇居東御苑)にも寄りました。
第1回目はこちらに載せました。(2021年12月7日~12月13日)

一般的には「大山街道」というと、東京都千代田区の三宅坂の交差点からの国道246号(この地点では青山通りと呼ばれています。)、あるいは赤坂御門(赤坂見附)からを言うことが多いです。

こちらに載せました。(2021年12月12日掲載)


この大山街道のステッカーにはどんなにか気持ちがほぐれ、道迷いかな?と思った時にこの赤いラベルを見つけて助けられたことか。

 

 


初めて大山街道のステッカーに気が付いたのは2回目(2021年12月25日・土)の時。こちらに載せました。(2022年1月4日~1月12日掲載)


当時はこのシールがこの後も同行してくれるとは思ってもいませんでした。こちらです。(2022年1月9日掲載)

 

 


地図を見ながら、市米橋から少し歩いたところに果樹園が続く道があるらしいわ、と思っていたらこのラベル。

「あった、あった。ここでいいのね。」

 

 


その通り、柑橘類、柿やキィウィフルーツ、ブルーベリーの畑が続きました。

 

 


しばらく両側の果樹の中を歩いた後に、大山街道のステッカーに大山道「三軒茶屋」の説明と三軒茶屋の模型。

 

 


ここは多方面からの道が交差する場所で、江戸時代には多くの人が行き交う賑やかなところで、今も「三軒茶屋」という地名が残っているそうです。
渋谷の「三軒茶屋」でよく吞んでいるM.J.さんが熱心にお話を聞いていました。
こちらが 渋谷の三軒茶屋です。(2022年1月10日掲載)

 

 


「夫は留守だけれど、これを参考にしていますよ。」と言って持ってきてくださったこの本。

「私たちもその本の地図を見ながら歩いているのですよ。」
『ホントに歩く 大山街道』(著者 中平龍二郎 発行所 株式会社 風人社 2007年7月25日 初版第1刷発行)

 

 


しばらく立ち話をした後に次の大山街道のステッカーを目印に歩き始めました。

 

 


東名高速道路をくぐる前にも、大山街道のステッカー。

この辺りはステッカーが頻繁にありました。道が分かりにくい時に助かります。
一体、どういう方が印を付けてくださっているのでしょう。東京都、神奈川県、区や市をまたぐ組織があるのでしょうか。
伊勢原市や世田谷区等の役所に電話をして聞いてみましたが分かりませんでした。
民間の団体があるのでしょうね。先ほどの「三軒茶屋」の方がいらっしゃれば分かったのかもしれません。

 

 


このデザインは職人さんが長い木太刀をかついで大山に納めに行く姿。
源頼朝が武運長久を願って自分の刀を大山寺に納めたのが始まり。
江戸時代になって大山信仰が盛んになり、とび職、酒屋、魚河岸等の商業団体が講を作って納め太刀をまねて、木太刀を納めるようになりました。と、伊勢原市の教育委員会の方が教えてくださいました。