日本橋から歩く『大山詣り』12-3 ✿ 丸山城址公園・太田道灌が暗殺された場所 咳止め地蔵 | 一人、"地下鉄の地上を歩く会"

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山や街を歩いて見聞したことや身の回りのことなどをお話しします。

高部屋神社から国道246号を越えて、広々と平坦な感じの丸山城址公園に来ました。

 

 


昭和59、60年度と、平成18~20年度に伊勢原市教育委員会が城跡を詳しく調査し、さまざまな遺物、遺構が確認されました。

 

 


先ほど行った高部屋神社、これから行く東海大学医学部付属病院あたりまで規模も大きなものでした。

 

 


平安時代末から鎌倉時代初期に活躍した糟屋有季(かすやありすえ)の居跡。

室町時代後期には上杉定正の城(館)の可能性が高いとか。
太田道灌が主君の扇谷上杉定正に暗殺されたのはここであったと考えられているそうです。(伊勢原市教育委員会の方に電話でお聞きしました。)
以前から「太田道灌が暗殺された扇谷上杉の屋敷ってどこ?」ってとても気になっていました。お話をうかがってすっきりしました。

 

 

 

 

渋田川にかかる市米(いちごめ)橋(せきど橋)の近くに咳止め地蔵。

 

 


痰咳平癒の守護仏として崇められてきたそうです。
覗かせていただきました。静かで優しいお顔をしていますねえ。

 

 


咳止め地蔵近くからこんもりと見えた小さな山。

畠堀操八氏が大山講か富士講の痕跡があるはずとおっしゃるので、探検することに。

 

 


地元の方でも、講の姿を見たことがある方も、全く知らない方も。

昔は大山詣りが盛んで景気も良く、伊勢原には呉服屋さんが多いのはその名残りとおっしゃる方も。
皆は期待してサクサクと落ち葉の中を探し回ります。

 

 


あっ、ありました!庚申塔の向こうに小さな祠。

 

 

中をのぞくと、三ツ峯の富士山のマークに富士山頂上浅間大社神璽と書かれたお札が納められていました。富士講の拝所でしょうか。

今もどなたかが行事を続けていらっしゃるようです。

 

 


市米橋バス停から今行った小山が見えました。
大山街道からは外れたけれど(今までもはずれてばっかりじゃぁ!)、そういうのってちょっとだけ冒険心がくすぐられて嫌いじゃないですねえ。