「Mon cheri」 -5ページ目

さみしんぼ


ひとりに慣れてたのに、人と居る楽しさを知ってしまうと、ひとりでいることに淋しさを覚えてしまう。

ひとりでいることに寂しさなんてなかったはずなのに、一端ひとりが普通じゃなくなっちゃったら、前と変わりないはずの日々が、今は淋しくて仕方ない。

また、ひとりに慣れないといけなくなる。

昔に戻っただけだから大丈夫だって言い聞かせても、ふと気づいたときには、ひとりの淋しさに、いつの間にか悲しんでる。

でも、この悲しさも、たぶんいつもみたいに、いずれまた消えていく。

この淋しさとか悲しさがいつなくなるかなんて知らないし、完全に消える保証はないけど。

きっと明日はまだ淋しいし、1週後もたぶん淋しくて、1ヶ月たっても淋しいかもしれないけど、完全に淋しさは消えてなくても、そのときは確実に今より弱い淋しさになってる。

時間は淋しさを拐う優しい誘拐犯。

早く拐っていってくれないかな。


姿を消した救世主


今から3ヶ月前。

新しい環境、それに伴う孤独の中に埋もれていたわたし。

そんなとき、救世主が現れた。

彼から、何度も声をもらった。

声をもらって居場所をもらって、そして次第に孤独をも拐ってもらった。

3ヶ月。

目まぐるしく時は過ぎ、ずっと支えだった救世主は、今の環境に慣れつつあるわたしを見越したかの様に、いきなり別れの言葉を告げた。

それは、あまりにも突然。

信じたくなくて、作動しずらくなった頭。

耳も動くことをやめてくれたらよかったのに、わたしの耳はそんな都合の良い様にはいかなくて・・・。

嫌でも届いてくる声は、いつもかけてくれる軽い挨拶や暖かい励ましの言葉でもなく、紛れもない感謝の言葉であって、そして最後を意味する言葉だった。

拙い挨拶を残して、みんなの拍手とともに姿を消した救世主。

握手をするどころか、お礼の言葉を述べることすら叶わずに、そっと扉は閉められた。

足音は余韻も残さず消えてしまった。

もちろん彼氏でもなければ、友達とも違う。

夜に届いた、告げるのが遅くなったという謝罪と「またいつか」というメール。

この約束が守られるかはわからない。

期待することは、寂しくなるからやめとくけど、

でも、実はこっそり信じてもいる。

また、いつか、どこかで会えたらいいですね。



She was


今年中には、ギターが弾きたかった。

だけど、その願いが叶うことはなかった。

“わたしとギターとビートルズ”

本来なら、そんなタイトルの記事を、このブログに書き記しているはずだった。

今年中にギターを弾くという淡い願いは、きっと叶いはしないだろう。

叶えられるはずのこの願いを、自ら叶えようとしないだろう。

なんで、簡単に諦めてしまうんだろう。

明日いなくなるかもしれないのに。

どこに自信があって、時間を無駄にできるんだろう。

自分は死なないだとかって、きっと心のどこかで思ってるせい。

命の無駄遣いは終わらない。



自分の思いとか感性を、歌にできるってすごいな。

そんな才能、欲しかった。