さみしんぼ
ひとりに慣れてたのに、人と居る楽しさを知ってしまうと、ひとりでいることに淋しさを覚えてしまう。
ひとりでいることに寂しさなんてなかったはずなのに、一端ひとりが普通じゃなくなっちゃったら、前と変わりないはずの日々が、今は淋しくて仕方ない。
また、ひとりに慣れないといけなくなる。
昔に戻っただけだから大丈夫だって言い聞かせても、ふと気づいたときには、ひとりの淋しさに、いつの間にか悲しんでる。
でも、この悲しさも、たぶんいつもみたいに、いずれまた消えていく。
この淋しさとか悲しさがいつなくなるかなんて知らないし、完全に消える保証はないけど。
きっと明日はまだ淋しいし、1週後もたぶん淋しくて、1ヶ月たっても淋しいかもしれないけど、完全に淋しさは消えてなくても、そのときは確実に今より弱い淋しさになってる。
時間は淋しさを拐う優しい誘拐犯。
早く拐っていってくれないかな。
姿を消した救世主
今から3ヶ月前。
新しい環境、それに伴う孤独の中に埋もれていたわたし。
そんなとき、救世主が現れた。
彼から、何度も声をもらった。
声をもらって居場所をもらって、そして次第に孤独をも拐ってもらった。
3ヶ月。
目まぐるしく時は過ぎ、ずっと支えだった救世主は、今の環境に慣れつつあるわたしを見越したかの様に、いきなり別れの言葉を告げた。
それは、あまりにも突然。
信じたくなくて、作動しずらくなった頭。
耳も動くことをやめてくれたらよかったのに、わたしの耳はそんな都合の良い様にはいかなくて・・・。
嫌でも届いてくる声は、いつもかけてくれる軽い挨拶や暖かい励ましの言葉でもなく、紛れもない感謝の言葉であって、そして最後を意味する言葉だった。
拙い挨拶を残して、みんなの拍手とともに姿を消した救世主。
握手をするどころか、お礼の言葉を述べることすら叶わずに、そっと扉は閉められた。
足音は余韻も残さず消えてしまった。
もちろん彼氏でもなければ、友達とも違う。
夜に届いた、告げるのが遅くなったという謝罪と「またいつか」というメール。
この約束が守られるかはわからない。
期待することは、寂しくなるからやめとくけど、
でも、実はこっそり信じてもいる。
また、いつか、どこかで会えたらいいですね。
She was
今年中には、ギターが弾きたかった。
だけど、その願いが叶うことはなかった。
“わたしとギターとビートルズ”
本来なら、そんなタイトルの記事を、このブログに書き記しているはずだった。
今年中にギターを弾くという淡い願いは、きっと叶いはしないだろう。
叶えられるはずのこの願いを、自ら叶えようとしないだろう。
なんで、簡単に諦めてしまうんだろう。
明日いなくなるかもしれないのに。
どこに自信があって、時間を無駄にできるんだろう。
自分は死なないだとかって、きっと心のどこかで思ってるせい。
命の無駄遣いは終わらない。
自分の思いとか感性を、歌にできるってすごいな。
そんな才能、欲しかった。