(6月1日~)


この仕事を始めて3ヶ月、試用期間が終わり、晴れて正社員となった。しかし、特別な変化はないし、これを目標にやってきたわけでもない。ただ、自分は何も変化がないと思っていても、周りの目は違う。正社員を一人抱えるということは、会社にとっては単純に給料の負担だけが増えるわけではないのだ。年金や保険は、派遣社員やアルバイトはゼロであるが、正社員ではそうはいかない。その他、一人雇用するというのは、小さな会社にとっては、非常に大きなことだ。そのことは、しっかりと理解しなければいけないと思った。


6月の最も大きな出来事は、やはり引っ越しだ。大学を卒業してから、5回目の引っ越し。そして、5年ぶりの横浜。決して、あきる野が嫌であったわけではない。前の回でも書いたが、あきる野は非常に魅力的な街で、今後、もう一度住みたい街の一つだ。しかし、これは、タイミングの問題だった。何となくゆらゆらと彷徨っていた自然な流れが、何かのタイミングでおれを再び横浜へと導いてくれている。具体的に説明することなどできやしない。ただ、一つ確信していたことは、横浜に戻れることは、このタイミングしかなかったということだ。


あきる野には計9ヶ月、お世話になった。引っ越しの時にいつも思うことであるけれど、離れると考えると、その土地の全てがよく見えてくる。静かな街、窓から見える山々、徒歩15秒のスーパー、隠れ家的に利用していた山の麓のカフェ(コーヒーが最高だった)、1時間に2~3本しか走らない単線の電車、考えればキリがないくらい、様々な思い出が頭を過ぎる。引っ越しというのは、そういうものも全てトラックに詰めるということだ。残念な話を一つ、おれは引っ越しの時、お天気の神様との相性があまりよくない。5回の引っ越しすべて雨で、2回目と前回と今回は、延期を考えるくらい強い台風であった。おそらく、まだ何回か引っ越しはすると思うけど、その時までに、お天気の神様と仲直りしておかないと。


この月に行った東京ドームは忘れられない一日となった。6月6日、巨人vs千葉ロッテ。巨人・加治前のプロ初打席、初ホームラン、しかもサヨナラホームラン。そして、おれ自身も見に行った試合で、初めてのサヨナラゲーム。しばらくの間、興奮状態が続いた。加治前は、正直、この打席の前まで、存在すら知らなかった。しかし、この一振りで、おれの中で一生忘れられないジャイアンツの選手となった。サヨナラホームランを打った選手って、ホントにかっこいい。たった一振りで、5万人からスタンディング・オベーションだもんね。


ドラマ「CHANGE」は、毎回欠かさずに見ていた。キムタクのドラマは、賛否両論あるのかもしれないけど、やっぱ他とは全然違う。それをどのように捉えるかは、見てる人次第。ただ、おれはいままでのドラマもそうだけど、すごく面白いと思って見ている。今回は、他のキャストもすごく良かった。内容も、こんな総理大臣いるわけないと思いつつ、政治家にとって最も大切なことを言う台詞があったりで、最近の政治家を皮肉っている気がして、すごく良かったと思う。「小学生にでも分かる言葉で説明するということ。」それって、政治家だけではないと思う。最近、コンピュータ関係に多いけど、専門用語を並べて説明してくる人がいたりして、それはあんまり気分の良いものではない。知らないおれも悪いのだけれど、専門家なら、その知識をどうやったら伝えられるかも知っているはずなのに、わざと高飛車な態度を取られているような、そんな気さえする。他の仕事でも、そうだよね。なんか、’伝える’という事が、日本人全体で弱くなっているような、そんな気持ちになりながら、おれは今回、このドラマを見ていた。


そして6月末、汽笛が聞こえる街へ。自分の中では、Back to the basic(原点回帰)、そういう気持ちであった。








(5月1日~)


「水は自身で形を決められない。

 入れられた器に合わせて、自分の姿を変える存在だ。

 だから、四角い入れ物に入れられれば、四角く姿を変え、

 丸い入れ物に入れられれば、丸く姿を変える。」


ある程度経験を持った職業から、全く異業種へ飛び込んだ自分。最も早く成長できる手段は、恥を覚悟で、好奇心、探究心を持って、いろんなことに挑戦していくことだと思った。その時、自分はこうでありたいというプライドは、ある場面ではとても邪魔な存在となる。とにかく柔軟に、何事も経験という精神で、取り組もうと思っていた。水は自分、容器は環境であると考えて。


この頃になると、徐々に仕事に慣れてきた半面、難しい部分も徐々に知るようなった。簡単な仕事なんてない。どんな仕事も、良い部分があって、そうでない部分がある。続けるためには、良い部分をどれだけ好きになることが出来るかであって、良くない部分に、どれだけ目を潰れるかであると思う。そして、最終的には、人間関係によるところが大きい。上司をどれだけ尊敬できるか、部下をどれだけ信じることができるか。完璧な職場なんて、きっとないのだ。みんな、気持ちのどこかでは我慢していて、辛いことや苦しいことがあっても、本当にギリギリのところで何とか踏みとどまって、その夜は散々心の中で泣いたとしても、次の日には皆に笑顔、笑顔。それって、本当に大変なことだし、皆すごいと思う。携帯の電話帳で、一人一人のことを考え、みんなきっと、同じなんだなぁと思った。それぞれのフィールドで、それぞれのやり方で、みんな精一杯がんばっている。この頃は、こんなふうに思う夜が、何度かあった。


お世話になっている上司がいて、その人が月に1回くらい1泊2日で勉強会を開いてくれた。彼はいつも、おれにこんなことを言う。「こっちに来るときは、たくさんお土産を持って来いよ!!」 ここでいうお土産とは、お菓子やおまんじゅうではなく、’良い質問’のことを意味する。つまり、その人から言わせれば、「勉強会をしてやるのだから、良い質問をたくさんぶつけて、意味のある時間にしろ!」ということだ。 この人は、すごく厳しい人であるけれど、言うことにはきちんと筋が通っていた。言われた瞬間は、頭にくるのだけれど、説得力があるから、最終的には納得している自分がいた。この人から、面と向かって褒められたりしたことなど一度もない。しかし、右も左も分からない自分にとって、褒められることなど何の意味もないし、そういう人は、非常に冷たい人だ。ここで書いた上司のように、厳しく怒鳴りつけてくれる人が、同じ組織の中にいるという幸運、そして、優しい人なのだと思う。これからも、この上司には、彼が困るくらいの最高の質問をぶつけていきたい。


5月19日。

この日は、おれたちにとって、忘れてはいけない日だ。大好きな友人の命日。まだ、信じられない。たぶん、100%信じることなんて無理だと思う。携帯の電話帳を見て、あいつの名前のところにくると、あの時のように何の用事もなく電話してしまいそうになる。けれど、あいつのことを思い出して悲しい気持ちになることを、あいつはきっと望んでなんかいない。おれたちにできることは、みんなが健康で、仲間内で争ったり、喧嘩したりすることなく、楽しく暮らしていくことで、あいつはそれを、一番望んでいると思う。あいつは、いつも言っていた。「みんな大好き、みんなが大好き」って。誰かと誰かの関係が上手く言っていない、そういう話を、あいつはすごく嫌っていたのを覚えている。


昨年は行けなかったが、今年は何としてでも会いに行こうと思っていた。お墓の前で、絶対に泣かない。涙なんか見せたら、あいつきっと、おれのことを馬鹿にするだろうし、心配するだろう。そんなことをするために、ここまで来ているのではない。東京からは簡単に行けるところではないし、仕事でなかなかみんなの日程を合わせることは難しいけれど、おれは年に1回くらいは、会いに行きたいと思う。


仕事のことに関して、これまでポジティブなことばかり書いてきた節があるけれど、その時その瞬間は、もうすべてを投げ出したくなるような、そんな夜だってあった。しかし、ここに敢えてポジティブに書くことによって、自分自身を救い出そうとしている。心の中を不規則に、あやふやな感じになっている何とも始末の悪い感情を、文章にすることは、おれにとっては、とりもなおさず、自分とあらゆる物事との距離や位置関係を確認することだ。このブログに書いたおれの文章が、いつか自分が苦境に立たされた時に、もしかしたら救いになるかもしれないなんていう、淡い期待を抱きながら。



(4月1日~)

風が暖かくなり、気持ちの良い季節となってきた。おれのマンションの前の道沿いにも、ソメイヨシノが咲き、夜はライトアップされて、本当にキレイであった。やはり、春は四季の中でも特別である。新しいことを始めた自分自身と季節のタイミングが合った気がして、桜を見る度、優しい気持ちになれた。

この頃になると、仕事で中国人に日本語を教える機会が多くなった。中国語しか話せない中国人に日本語を教えるというのは、非常に難しいことで、まず最初におれ自身が、中国語を学ぶ必要があったし、仕事としてやる以上は、初めてだからとかは、相手にとっては全く関係のないことであった。ただ、語学において、どうしても伝えなければならない状況に身を置けることは、非常にラッキーなことで、多くの人が自分でお金を出して学んでいることを考えれば、恵まれているのだと感じた。事実、家に帰って次の日の予習をしたりする時間は、充実していたと思う。


「きちんとした日本語を伝えたい。」

それは、自分自身の一つのテーマであった。いま、日本の多くの若者は、どういいうものがきちんとした日本語なのかさえ分からず、毎日を生きている。おれもまた、その一人だ。外国人に日本語を教える、文化や風習を伝える、それは簡単なようで非常に難しい。自分がいかに、今まであらゆる物事に無関心で無頓着であったか、つまりはそういうことなのだと思う。日本人として、もっともっと、知らなければいけないことがたくさんある。そしてそれを、多くの人に伝えていかなければいけない。欧米文化がこの国にたくさん入り込み、日本の正確な言葉というものが、次第に失われていってるような、そんな錯覚に陥ることがある。その時、自分はただ指をくわえて、その状況を見ているだけのような、そんな人間にはなりたくない。きちんとした日本語、言葉が持つ美しさ、伝統文化の数々、自分自身が外国人に対し、それらを伝えることにより、一人でも多くの’親日家’が増えればという想いが、この時の自分にあった。もちろん、今でもそれは変わらず、強く思っている。


入社して一ヶ月、会社は新宿なのだけれど、4月は挨拶周りも兼ねて、いろいろなところに行った。4日間で、関東全県に行った週もあって、移動は大変であったけれど、電車や車で、今まで行ったことのないところに行き、初めて見る景色の数々は、すごく新鮮であった。 車で移動中、コンビニや高速のパーキングで、一人で缶コーヒーを飲んでいる時、パン屋の仕事をしている時の缶コーヒーとは、少し違うと思った。うまく説明できないけれど、缶コーヒーでもきちんと味わえる余裕があるというか、きちんと自分の時間軸の中で、意味がある時間となっているような、そんな気がしていた。


東京ドームでジャイアンツの試合を見ることは、自分にとって非常にスリリングな時間だ。土日が休みになったこと、そして会社が東京ドームまで30分以内のところにあるため、平日でも観戦に行くことが可能になり、今年はたくさんの試合を見に行けることとなった。ライトスタンドでユニホームを着て、選手一人ずつの応援歌を皆で歌い、点数が入ったら、オレンジのタオルを振り回す。子供みたいと、言われるかもしれないけど、それが自分にとって、最高のストレス解消法となっていた。そして、同じ想いで毎回一緒に観戦に行ける人がそばにいることも、非常に嬉しいことだ。


生活は180度CHANGEした。何か新しいことと出会う毎日。それが、非常に刺激的であった。

(2008年3月)

3月初日、仕事がついに決まった。第一希望は、最後の最後で残念な結果に終わったけれど、それでも決まった会社は、自分自身の結論に納得できる会社であったので、そこでお世話になろうと思った。完全に異業種への転職は、簡単なことではないことだろう。今まで経験したことのないような絶望が待っているのかもしれない。ただ、この時は、そんな絶望にさえ、待ち遠しく思うくらい、早く仕事がしたかった。


仕事が決まってから、初出勤日まで、2週間ほどあった。この2週間を、何とか有効活用できないものか、少しでも仕事で役立つ知識を増やしておきたい、そのためには、やはり関連する本を読むことだと思った。本は本当にたくさんのことを教えてくれる。人生で、何が大切で何がそうでないか、これまで本から得たものは数知れず。 人生において、本当に重要なことは、文章にすればおそらく2~3行で書けるのかもしれない。ただ、それを理解するためには、想像も出来ないくらい膨大な量の本を読まなければいけないのだと思う。


仕事が決まらない時、毎日就職活動をしていた時、自分のことのように親身になって心配してくれた友人がいた。

しわしわになった気持ちを、あたたかい言葉で励ましてくれ、辛いことが続くけど、明日も頑張ろうと思えた。仕事が決まった時、仕事が出来る喜びと同じくらい、支えてくれた人達に良い報告が出来ることが嬉しかった。学生時代の就職活動と違って、この年での転職は、一人の戦いになってしまう。同じ状況の誰かと、励ましあうことなどできやしない。ただ、おれは経験してみて、自分自身を強くするという意味では、非常に良かったと思っている。そして、前よりも色々な人の気持ちが理解できるようになった、前よりも、もっと色々な人に感謝していかなければいけないと感じた。これに気付かせてくれた、励ましてくれた真友には、感謝の気持ちでいっぱいだ。


あきる野は、厳しい寒さが和らぎ、少しずつ春の匂いが香り始めた。今でも覚えてる、おれが毎朝、乗っていた朝6時41分の中央線東京行き。東京では珍しい、自分でドアを開けるシステム。あれってすごく不思議なものだ。最初の頃は、田舎っぽくて嫌だなぁなんて思っていたけど、慣れてくるとすごく効率的なシステムのように思えてくる。降りる時に、ボタンを押すシステムを知らない人がいると、腹が立つ自分がいた。おれは、だんだんとあきる野人になっていたのかもしれない。新宿や渋谷みたいに、華やかな街ではないけれど、ここにしかない営みは、確かに存在する。おれは、ここに何かの偶然でたまたま移り住み、何かの偶然でたまたま、その営みと同調しているだけなのかもしれない。ただ、それをおれは、ラッキーだと思える。ここにいて良かったと、本気でそう思える街。一度住むと、大好きな街になる人は、たくさんいると思う。


どんなことでも、新しいことを始めるということは、新鮮で刺激的である半面、分からない歯痒さにストレスも溜まるものだ。出会う人、ほとんどが初対面。初めて会うならば、やはり自分の事を良く見せたいと思うのは当然の心理。無理をして自分を良く見せて、何だかこの時期は、自分ではない自分が、日に日に大きくなっていくような、そんな不安が毎日のようにあった。それほど、長い時間、働いているわけではないのに、これまで経験したことのないような疲労感であった。もともと、おれは、誰とでも親しくなれるタイプではないし、人見知りだし、人間関係は決して上手ではないと思う。ただ、自分ではそれに気付いていたし、変えたいとも思っていた。学生時代は、気の合う友人と仲良くして、楽しければいいかなと思っていたけど、社会人になるとそういうわけにもいかない。社会人になって大きく変わった点は、「理解してもらわなくてもいい」から「理解して欲しい」に変わったことであると思う。そして、今は、もっと早く、そのようにして、多くの人とコミュニケーションを取ってれば良かったということだ。


夜、何の不安もなく、眠れるようになったことはすごく嬉しかった。パン屋時代は、仕事の日はアレルギーで、鼻水・くしゃみで眠れないことが多々あり、眠れてもすぐに起きてしまうことが何度もあった。疲れてるのに、眠れないということは、今考えても、苦しいことだ。それが、なくなったということで、どれだけ心が晴れただろう。とにかく、毎朝、気持ちよく仕事場に向かえるということが、すごく嬉しかった。


3月、表参道で友人の結婚式があった。二人で海外旅行などをした、非常に親しい友人だ。スライドショーなどで、自分の写真が出てきたときは、懐かしかったし、その写真を選んでくれたことに感謝の気持ちであった。この友人も含め学生時代の友人たちとの’つながり’を、おれはもっと大切にするべきだったと感じている。確かに忙しかった、ただ全く連絡が取れなかったかというと、そうではない。一日にちょっと電話する時間やメールする時間は絶対にあったはずだ。それができなかったのは、要するに自分の時間の使い方が下手くそだったのだ。’つながり’は、極めて重要なものだ。もっともっと大切にしていかなければいけない。


3月は仕事ができる喜び、そして友人がいるという喜びを特に強く感じた月でした。













(2008年2月)


2月に入ってすぐに、友人の結婚式があった。新郎新婦共に、大学時代の友人であったため、喜びも2倍だ。教会での誓いや賛美歌、式での親への手紙など、感動的な場面がいくつもあった素晴らしい結婚式であった。また、2次会、3次会などでは久しぶりの友人にも会うことができたのは、非常に良かったと思う。ただ、やはり最近の仕事の話などのときは、仕事をしていない求職中の自分を話すのが、すごく恥ずかしかった。どうせなら、久しぶりにみんなに会うのなら、仕事を頑張っている話をしたかった。それが出来なかったのは、心残り。そして、何よりも自分自身に悔しい気持ちであった。


扁桃腺が腫れ、調子が悪い日が続いた時もあった。病院も車で行かなければいけないところにあり、非常に辛かった。一人暮らしをしていて、風邪を引くと家族の有難味を感じたりする。近くに知り合いがいないこともまた、そうさせたのかもしれない。この1週間は、一日も早く仕事を決めたい自分と、無理が出来ない自分の両者が常にいて、頭の中で、そのせめぎ合いに随分と苦しんだ。「休む時は休む」、当たり前のことだけれど、それを上手に出来ないところは、自分の嫌いなところだ。かっこつけて、見栄を張って、少しでも大きく見せようとしてしまう。そんなことをしてもいいことなんてない。直していかないといけないと思った。


2月中旬くらいになると、何社か内定が出たりと、おれの就職活動に、僅かではあるが希望が見え始めた。筆記試験も面接も、少しずつ楽しめるようになっていた。どんな問題が出るのだろう、面接官はどんなことを聞いてくるのだろう、それを予想したりする余裕も出てきた。そして、第一希望の会社が、3次面接を合格し、最終面接にいったことも、自分の気持ちの面で大きかったと思う。結果が出始め、何かがようやく形になっていく、その先を考えることで、自分自身をもう一度奮い立たせた。


あきる野の2月はすごく寒かった。山に囲まれたこの街は、都心よりも雪がたくさん降る。一人で家にいると、どうしても就職活動のことを考えてしまっていた。このままずっと、どこにも決まらないのではないか、そんな自分が嫌になり、妥協して次に決まったところでとりあえずいいかなと思ってしまう、弱い自分もいたりした。様々な分野の様々な人の話を聞くことにより、自分自身を成長させていく、これは望んでいたことであるけれど、心のどこかでは、早く楽になりたいとずっと思っていた。楽になるというのは、仕事をしているということだ。


パン屋の時、働く時間が長くて、その時その時で、すごく辛かったりした。ただ、この就職活動で一つ、自分の人生に大きく影響する経験と出会った。それは、仕事が忙しいことよりも、仕事がないことの方が、よっぽど辛いということ。すべきことがないというのは、誰からも待たれてない、期待されていないということだ。それは、すごく辛いことであるし、何より寂しいことだ。 


仕事があるというのは、何て素晴らしいことなのだろう。これを書いている今、おれはそんなふうに考えている。


いつだって、誰かから必要とされる人間でありたい、あり続けたい。


これは、パン屋を続けていたら、気付かなかったことなのかもしれない。









(2008年1月)


早朝、彼女を駅まで送っていき、その帰り道に初日の出を見た。元旦にこうしたゆっくりとした時間を感じるのは、何年ぶりのことだろう。大晦日は遅くまで働き、元旦は早朝から、こんな年末年始を繰り返してたもんだから、年が変わることへの感動やらを忘れていたのかもしれない。車を路上の隅に寄せて、少しだけ太陽が昇っていくのを見ていた。いつもの年明けとは違う、穏やかで美しい時間であった。やがて、初日の出は、低い位置から時間の経過と共に、だんだんと自身の位置までゆっくりと上りつめていった。


初めての就職活動は、当然ながら、決して簡単なものではなかった。何からしていいのかも分からないくせに、強がっている自分が情けなかった。しかし、長い間で少しずつ大きくしていったプライドは、そんなに簡単に捨てられるものではない。器用な人間ではないから、これには随分と時間がかかった。これを書いてる今でも感じることだけれど、仕事をしていないということは、本当に恥ずかしいことで、色々な人に対して失礼なことなのだ。大きな声でなんか、とてもじゃないけど言えないし、出来るだけ知り合いとも会いたくなかった。


単線の電車が走る東京都あきる野市。人口8万人の東京最西の市に、この時のおれは住んでいた。元々、前職の関係で住んでいたものだから、仕事を辞めてしまえば、近くに知り合いなどいるはずもない。辺り一面、山々に囲まれ、空気がきれいで、交通などを除けば、非常に良い場所であったと思う。目の前にホームセンターとスーパーがあって、歩いて10分以内に、コンビニもTOKYUも駅もあった。夜は、街全体が真っ暗になり、本当に静かな街となる。後から知ったことであるが、あきる野市は東京都の中で、最も犯罪が少なく、交通事故も少ないようだ。今まで色々なところに住む機会があったけれど、ランキングにしたら上位にくるような、そんな街であった。


あきる野から都心へ。ほとんど、毎日活動をした。面接も説明会も、朝から晩まで、手帳に予定を入れておかなければ、落ち着かなかったし、家で何もすることもない自分は許せなかった。ただ、説明会など、今まで知らなかった分野での時間は、自分にとって有意義なものであった。パン屋の世界しか知らなかった自分にとって、それらはすべて新しい世界で、新鮮であったし、得るものも多かった。自分の可能性を広げていく意味で、この時期に様々な分野での様々な考え方を知ることが出来たのは、非常に大きかったと思っている。


帰りの電車は、余計に寒かった。そして、待ち時間の長さも、気持ちの面で堪えた。拝島で20分以上待つ時は、さすがにしんどかったのを覚えている。東京の中でも、新宿と八王子では、気温が全く違う。何ていうか、風の冷たさというか、とにかく新宿よりも八王子のほうがひんやりしているのだ。そして、秋川から自分の家までの僅か10分ほどの距離も、毎日異常に長く感じていた。


1月は、今まで知らなかった世界を知る楽しさがある半面、仕事を一日も早く決めなければいけないという焦りが非常に強かった。それは、「働く」という行為が、社会の中で自分の存在を認めてくれる場所であると考えていたからかもしれない。どんな仕事をするのも自由、どんなふうに考えるのも自由、こういうものを望んでいく行き方に憧れるけれども、この時はだだっ広い野原に一人立たされて、どこへ行っていいか分からなかった。ただ、この時一つ、自分のそれからにも影響を与える重要なことを学んだ。それは、辛い時、苦しい時、悩みがある時、そういうときに自分自身を救う手段は、最終的には自分自身を信じることが出来るかどうか、それを確信できるかどうかということ。もっと言えば、それしか手段はないのかもしれないと、おれは思った。




No one can predict a grief that suddenly happen.

But as if a man who can do it, he must be a griefer too.

What is this tears?

Well, I was a good grandchild for you?


My grandfather passed away as be loved by everyone this month.

He has gone on a journey that we cannot reach of our hands.

His death was too quiet.

We can' believe that his eyes don't opened forever.


Many memories with my grandfather I have.

When I was small, I played catchball in front of his house.

Always he praised me with smile.

It reminds clearly me like yesterday


I couldn't meet him in his last.

He has no appetite in this months and didn't drink he loves.

He may be aware of the approaching danger.

And everyone was anxious about it.


' But well, you don't need to have self-control.

What you loved can drink as much as you hope.

I'm very sorry that I couldn't be with you.

But because of the reason, you live in my heart now.


I am proud of you forever.

I thank that you are grandfather of me.'



「突然起こる悲しみを予期できる人など、いるはずがない。

 でも、たとえそういう人がいたとしても、その人もまた、深い悲しみを持っている人であろう。

 この涙は、一体何なんだ!?

 ねぇ、じいちゃん。おれは、じいちゃんにとって良い孫だったかなぁ。


 今月、おれのじいちゃんが、皆に愛されながら、この世を去りました。

 じいちゃんは、おれたちの手の届かない旅に出かけたのです。

 死に方は、とても静かなものでした。

 でも、いまはまだ、じいちゃんがもう二度と目を開けないなんて信じることが出来ません。


 じいちゃんとの思い出を、おれはたくさん持っています。

 まだ、おれが小さかった頃、あの家の前で、よくキャッチボールをしたよね。

 いつだってじいちゃんは、おれのこと、褒めてくれた。

 おれには、それがまるで昨日のことのように鮮明に思い出されるのです。


 おれは、じいちゃんの最期を見ることが出来ませんでした。

 じいちゃんは、ここ何ヶ月か、食欲もなくなり、大好きなお酒も飲むことが出来なかったのです。

 じいちゃんは、もしかしたら、迫りくるものに気づいていたのかもしれません。

 そして、そのことに、誰もが不安でした。


 ’でもね、じいちゃん。 もう我慢なんかしなくていいんだよ。

  大好きなお酒、好きなだけ飲んで良いんだよ。

  最期、一緒にいれなくて、本当にごめんね。

  だけど、だからこそ、じいちゃんは、おれの中で生きているんだよ。


  じいちゃんのこと、ずっと誇りに思ってるよ。

  ありがとう、おれのじいちゃんでいてくれて。」





It has come near the times that 'not knowing' is the commit. We must study and know something more and more. Business, money, family, personal relationship, the law of these has changed from year to year. It has changed before we knew it. Populations in Japan is decreasing, but the number of the lawyers is increasing, so I think it has come the times near that Japan become a suit society like United States. In short, to need for protecting myself from them is only increasing the knowledge of myself.


Power harassment, sexual harassment, melancholia, death of overwork, suicide of overwork, overtime work of no money, administrative post only its name; these are negative keywords in our time. In the age Japan were a rapid economy growth, everyone wasn't very much aware of the mentioned above. I don't think never happening then. A whole nation didn't have enough time to think the problem and the economy in Japan was growing repidly. Perhaps damagers might not fall into a complex than now. Considering the matter from a different angle, it shall say the times was very sad.


I can't take an objective view as for administrative post only its name. A man should get the salary as the result of working, the consideration of the labor. That's a theory of a capitalistic economy. But, regretfully,Japanese companies don't rise to a level of civilizations. Thinking that why such a problems happen the same as overtime work of no money, because it need in Japan. If it didn't do so, many companies inJapan exaggeratedly will go bankrupt. Recently the consciousness of the law compliance is appearing among companies. But as a result, their business of many companeis will be poor. The number is truth, the past one is untruth, and now unconscious companies can't criticize of food trouble in China and companies that has sold food after a deadline.


Everyone is fearful that we may do an illegal act that we have no conscience at all. But as long as the age is getting on its way, to run away from the real is the crime too. The common sense before 10 years ago is now no common sense. I think that we need to act in concert with the flow of the age. But this is not easy for individuals and organizations. So we must study and know something more and more. It has come near the times that 'not knowing' is the commit.



「’知らない’ということが罪になる時代がすぐそこまで来ている。もっといろいろなことを勉強して、もっといろいろなことを知らなければならない。仕事、お金、家庭、対人関係など、その種の法律は年々変化してきているし、いつの間にか出来ている法律だってある。人口が減ってきているのに、弁護士の数は年々増えてきているのだから、日本もアメリカのように訴訟社会になる日は、決して遠い将来の話ではないと思う。結局のところ、最終的に自分の身を守るためには、自分自身の知識でしかない。


パワハラ、セクハラ、うつ病、過労死、過労自殺、サービス残業、名ばかり管理職、これらは全て、現代社会のビジネスにおける負のキーワードだ。日本が、高度成長を続けていた時代、これらのキーワードは、時代の中で問題視されていなかった。上記のことが起こらなかったということではないと思う。ただ、国全体として、これらの問題を考える余裕がないほど、経済が成長をしていたし、もしかしたら被害者も今よりは被害妄想に陥ってなかったのかもれない。違った角度から見れば、非常に悲しい時代でもあった。


名ばかり管理職の問題に関しては、客観的に意見を言うことはできない。給料というのは、仕事をした分だけ、結果を出した分だけ、労働の対価としてもらうべきものであり、それが資本主義経済の理論であるはずだ。しかし、残念ながら、日本の企業はそこまでいっていないと思う。サービス残業もそうだけれど、なぜこのような問題が起きてしまうのか考えれば、会社の中でそれの必要性があったからだ。そのようなことをしなければ、大袈裟に言えば、会社が潰れてしまうから起きるのだ。ようやく最近になり、コンプライアンス(法冷遵守)の意識が企業の中でも出てきてはいるけれど、その結果として、業績が悪くなる企業はたくさん生まれていくだろう。しかし、その数字が現実の数字であり、これまでの数字は’嘘’の数字なのだ。今もなお、コンプライアンスの意識がない企業は、餃子事件の中国や、賞味期限をごまかした企業を批判する立場ではない。


気がついたら、違法であったということが誰にでも起きてしまうような世の中は、誰だって怖いと思う。しかし、時代がそうなっている以上、逃げてしまうこともまた罪なのだ。10年前の常識は、今では非常識になっている中で、必要なことはやはり、自分自身を時代に同調させることであると思う。しかし、これは簡単なことではない、個人にとっても、組織にとっても。だから、もっといろいろなことを勉強をして、もっといろいろなことを知らなければならない。’知らない’という事が罪になる時代がすぐそこまで来ている。」






A gorgeous festa is holding in Beijing. Everybody enjoys the moment, and when great athletes plays unbelievable, all audeiences become crazy. This festa is held once four years and the first time in China. To success the Olympic games is unavoildable that the host country's play an active role and it can say a great success considering to the amount of Chinese's gold medals. But if it's a great success, I think it's wrong. Perhaps almost Japanese may be the same to my opinion.


I couldn't believe my eyes, and I'm inclined to doubt the common sense Chinese audiences have. Sports must not relate with the problem between nations, for example politics and history. But how about Beijing Olympic in this time. Why did Chinese audiences do booing and shout 'kill' to Japanese players? Their manner should be criticized from international society, I think IOC must take strong action measures against China. I've never seen such a cruel festa. China got a gold medal in the bad manner.



Still. during the Olympic games in Beijing, everyone was glued to our TV sets because of the activity of Japanese players. Kousuke Kitajima in the swimming did what he says he will do. His activity made a deep impression on the Japanese people. Then I thought he should become a statesman. In this Olympic games, women's activities were standing out in Japan. Saori Yoshida in the wrestling was very strong, when she was fighting in the games, we didn't feel like she became a loser. Though unfortunately men's baseball and soccer resulted in no medal. But they shouldn't be ashamed of losing in the games. If Japanese media criticizes to them, it is wrong. Sports must not criticize a man who resulted in failure. They should go back to Japan with a dignified attitude, we must receive them with applause. And we'll say to all players, 'Thank you for being impressing us!!'



Now I'm watching a closing ceremony on TV. In this ceremony, final event, a marathon commendation was held. Though gold medalist was a Kenyan, if Japanese player was winner, how attitude did Chinese audiences listen to a national anthem of Japan. Perhaps, if it was so, it can not be broadcasting in Japan.

Such a Olympic games are not allowed after this!




「華々しいフェスタが、北京で行われている。誰もがその瞬間を楽しみ、素晴らしい選手たちが信じられないようなプレーをしたなら、すべての観客たちが熱狂の渦に巻き込まれる。4年に1度行われるこのフェスタは、中国で初めて行われていて、オリンピックを成功させるためには、開催国の大活躍が絶対条件で、今のところは中国選手の金メダルの数を見る限り、成功と言えるかもしれない。しかし、おれは金メダルをたくさん取ることが開催国にとっての、そしてオリンピックの成功だとは思わない。今回のオリンピックを見ていて、おれと同じ意見である日本人は、きっと多いことだろう。


思わず目を疑ってしまった。中国の観客たちに常識なんてあったもんじゃない。スポーツというのは絶対に、政治や歴史のような国家間の問題を関連付けてはならない。しかし、今回のオリンピックはどうであろう。なぜ、中国人たちは、日本人に対してブーイングや’殺(シャー)’と叫んだりしたのだろうか。彼らのマナーは、国際社会から批判されるべきで、IOC(国際オリンピック協会)は、強固な措置を中国に対して取らなければならないとおれは思う。 こんなひどいオリンピック、今までに見たことがない。 中国はマナーの悪さでも金メダル!



それでも、オリンピック期間中は、日本人の活躍にテレビに釘付けとなった。水泳の北島康介は、有言実行の男で、彼の活躍は本当に心を打たれた。彼は、日本で政治家になってほしいとおれは思った。このオリンピックでは、女性アスリートの活躍が目立った大会でもあった。レスリングの吉田などは、本当に強く、私たちはテレビで見ていても負ける気がしなかった。野球やサッカーは残念な結果に終わったけれども、彼らは結果に恥じる必要はないと思う。もし、日本のメディアが彼らを批判するなら、それは間違いだ。スポーツの世界において、失敗に終わった結果に第三者が文句を言うなど、正しいこととは思えない。どんな結果に終わった選手も堂々と日本に帰ってくるべきで、私たちはそれを、感動をありがとうと、拍手で迎えなければならない。



今、テレビで閉会式を見ている。最終種目のマラソンの表彰式は、このセレモニーの中、行われるようだ。金メダルはケニアの人であったが、もし、日本人が金メダルを取っていたなら、君が代が流れるとき中国の観客たちはどのような態度を取るのだろうか。 おそらく、それは放送できないものになるかもしれない。それがすべてを物語っている。 このようなオリンピックは、今後絶対に許されるものではない。」


どの会社も当たり前のようのように、外国人を受け入れる、あるいは受け入れなければならない時代がすぐそこまで来ている。これは、ここ最近になって分かったことではないが、日本人はその現実的な問題から、目を背けてきた。それは、歴史的に見て、日本という国が、他民族からの大きな侵略もなく、建国してからずっと単一民族を保ってきたことも関係しているのかもしれない。しかし、労働人口の減少、少子化問題、その他産業界にとって、深刻を極める様々な問題が、この国に忍び寄ってきている。受け入れたくはない事実であるが、受け入れなければ、受け入れることよりも更に深刻な問題が生まれるであろう。


山梨県の小さな村を通る機会があった。それは、おれにとっては衝撃以外何物でもなく、現実として受け入れることが出来るまで、時間がかかった。ここが、世界で第2位の経済大国の姿なのかと、目を疑いたくなるような、そんな現実。古びた家、汚れで真っ黒になった作業服、営業をしていない店が連なる商店街、人々は皆、お金もなく、仕事もなく、どうしようもないこの状況を打破する元気もなく、ただ時間だけが過ぎているような、完全な虚しさが心を占めている。そして、景気が悪くなり、今よりもさらに状況が悪くなると言われている。果たしてそれは、このような村がどうなるということであろうか。最悪の状況が、もっと最悪になるということは、いったい何を意味するのであろうか。おれは、気温30度を超す暑さの中、背広を着ている。それでも、汗はかいていない。自分の中にひんやりとした何かが伝わっていくのが分かった。何事もないかのよう、セミは爆音で鳴き続けている。


石油、エネルギー、小麦、チーズ、など、様々なモノの値段が上がってきている。自給率の低いこの国にとって、それは計り知れないダメージとなっている。それでも、この状況はまだまだ序章に過ぎないのかもしれない。それは、今現在では、高くはなっているとはいえ、お金を出せば手に入れることが出来るからだ。もっと最悪な状況は、お金を出しても手に入れることが出来ないということ。たとえば、小麦がこの国に一切入ってこなくなったら、どういうことになるであろうか。朝の食卓にパンが並べられることがなくなり、誕生日にケーキを食べることも出来ない。しかしこれは、非常に小さな事例に過ぎない。小麦がなくなれば、おそらくたくさんの会社がつぶれ、たくさんの失業者が生まれるであろうし、そうなってしまえば、犯罪が多発し、治安だって悪くなるであろう。さらには、家庭にお金がなくなり、他の産業界にもその影響が出て、負の連鎖は瞬く間に日本全土へと広がっていくであろう。しかし、これは様々な価格高騰の中で、小麦という一つものの例に過ぎない。価格が上がって社会全体がそれを大きな問題としているということは、なにかとてつもなく大きなモノが崩壊してしまうかもしれないことへの、ある種の’警告’であると受け入れたほうが現実的であるとおれは思う。


それでも、日本人というのは世界的に見て非常に恵まれていると思う。基本的には、毎日、健康に暮らすことが出来る、好きなものが食べられる、好きな職業を選べることが出来る、つまり基本的な人権がしっかりと確立されているからだ。これは、この国の中では当たり前のこととして皆受け入れているけれど、世界を見渡せば、そうではない国が本当にたくさんある。人権なんてあったもんじゃない、そういう国が今現在でも世界のどこかで存在するのだ。残酷な事件が書かれた本が積み重ねられ、ある国では、毎日どんどん分厚くなっていることであろう。


日本は、今でこそ世界第2位の経済大国であるけれど、これは人々の勤勉さが生んだ結果であるとおれは思う。様々な産業界で’日本の最先端の技術’とあるが、これもまた、人々の勤勉さから生まれたものであろう。簡単に言えば、日本人というのは仕事に対して非常に真面目なのだ。日本人と仕事をしているとなかなか気づきにくいが、外国人と仕事をすると、いかに日本人が勤勉なのかが分かる。これは、世界に対して、堂々と誇るべき立派なことではないだろうか。石油も小麦も取れないし、その他多くのものを輸入に頼っているけれども、日本人はそれを最大限に活かす’技術’を持っている。他の国がとても真似できないような高いレベルと意識で、仕事に対して向き合うことが出来る。すべての日本人がそうとは言えないが、少なくても外国に比べれば、真面目に仕事をする人の比率は圧倒的に高い。この高い意識がある限り、どんな問題が起こっても対応していけるのではないか、おれはそんなふうにも思っている。


話しは少し逸れてしまったけれど、日本人が外国人を受け入れるということは、決して簡単なことではない。言葉の問題、文化の違い、仕事に対する意識の違い、その他様々な国と国の違いについて。しかし、今はそんなこと言ってられない時代なのだ。受け入れたくないことを受け入れる、こういうふうに考えるのではなく、もっと違った角度から物事を見つめるべきで、たとえ、労働者として受け入れるのだとしても、文化交流などの位置づけで考えても良いのではないだろうか。そのように考えたほうが、経営者にとっても、良い方向へ進む可能性があるのだとおれは思う。海外に工場を作るだけがグローバル化だとは思わない。もっと、身近なレベルで、海外の新しい考えを取り入れたり、そういうことのほうが、おれはグローバリゼーションに近いと思う。