承前)


アブラヴァネルがユタ交響楽団を指揮して1963年~1974年に録音したマーラー交響曲全集は、60年代末から70年代初頭にメジャー・レーベルが鎬を削るようにして完成させた4つの全集のどれにもない、かけがえのないところがある。
ところが、どこでどう間違ったのか(その原因の一端についてはすでに述べた)、「史上初のマーラー交響曲全集」などという誤ったことがセールスポイントにされてしまって、本当に評価されるべきこと、本当に大事にされるべきことがなおざりにされてきてしまった。

アブラヴァネルのマーラー交響曲全集は、例えば第6番の第1楽章提示部の繰り返しがないなどのマイナスはあるが、他のメジャー・レーベルによる4種類の全集とは全く次元が違うと言ってもいいものである。
それはアブラヴァネルの生年を見れば分かる極めて明白なことなのに、めったに言及されることがない。
この人が生まれたのは1903年。マーラーが42歳の時である。
それに対してこの人が10年以上の歳月をかけて、ユタというアメリカで最も非文化的などとも言われたことのある街のオーケストラと録音している間に(バーンスタインとショルティは先に取り掛かっていたが)、マーラー交響曲全集を完成させた4人の指揮者は、皆アブラヴァネルの次の世代の人である。


ショルティが12年、クーベリックが14年、バーンスタインは18年、ハイティンクにいたっては29年生まれである。
この人たちの後に全集を完成させることになる人々はさらに後の世代である。


つまりアブラヴァネルという人はマーラーと直接的に関係のあったメンゲルベルクやヴァルター、クレンペラーなどの人々と同世代というわけではないが、その次の世代の、セッション録音ではごく一部の曲しか残せなかったけれども、二十世紀半ばまでのマーラー演奏史を築いてきた人々、つまりロスバウトやミトロプーロスやホーレンシュタインやバルビローリと同世代と言ってもいい人なのである。
要するに、ショルティやバーンスタイン、クーベリックという、マーラー没後に生まれた人々の全集とは決定的に違って、アブラヴァネルの全集というものは、マーラーが活躍していた時代に生まれた指揮者によって残された唯一の全集ということになるのである。

ここにはマーラーが生きていた時代と地続きの演奏が記録されている。この点こそにアブラヴァネルによる全集の他の全集とは全く違った価値を見出すことができる。アブラヴァネルの指揮で聴くマーラーの交響曲は決して破天荒な異形なものではなく、かなり大きめではあっても後期ロマン派の交響曲として比較的よくまとまった音楽として聞こえてくる。

では、なぜこのような固有のかけがえのない価値がなおざりにされ、「最初の録音」などということが取りざたされるようになってしまったのだろうか。

そのあたりをもう少し考えてみたい。
そのためには60年代のマーラー交響曲全集の成り立ち方を見てみる必要がある。


バーンスタインのマーラーの録音はどのように進行していったか。生誕百年記念ということでまず第4番が1960年2月に録音された。続いて第3番が61年4月に録音されている。
バーンスタインによる第3番の録音は、マーラーのこの交響曲の、おそらくは最初のステレオ録音である。「おそらく」としたのは、この年にコンドラシンがモスクワ・フィルと録音している(ロシア語歌唱)のだが、それが何月のことかはっきりしないからである。(ご存知の方はご教示をお願いします。)
第4番と第3番の後のバーンスタインによるマーラーの交響曲の録音日時をたどってみる。第5番(63年1月)、第2番(63年9月)、第7番(65年12月)、第9番(65年12月)、第8番(66年4月)、第1番(66年10月)、第6番(67年5月)。67年末に全集発売。
第10番のアダージョがないから67年の時点でのバーンスタイン盤を最初のマーラー交響曲全集とすることに異を唱える人がいる。だが60年代末の頃には、マーラーの交響曲全集には第10盤アダージョを入れるべきだという考えはあまり一般的ではなかったと考えられる。
例えばショルティは第10番のアダージョを録音することがかなり広まってからも録音しようとはしなかった。第10番のアダージョがマーラー交響曲全集の必須のものであるとするならば、ショルティをマーラー交響曲全集を録音した指揮者から外さなければならなくなる。
またバーンスタインは第10番のアダージョを第1~第9番による全集完成後8年経った1975年4月にようやく録音しているが、これは全集プロジェクトの一環ではなかった。ジャネット・ベイカーの歌った《亡き子を偲ぶ歌》のレコードのB面としてリリースされたのである。
つまり、米コロンビアのバーンスタインのマーラーシリーズの中では、第10番のアダージョは、《角笛》歌曲集等と並んで、あくまでも交響曲全集の補遺のようなものであった。《大地の歌》もおそらくは同じように位置付けられていたのであろう。
第10番をどのように扱うかには様々な立場があり得る。つまり、クシェネック/シャルク版のアダージョを入れる、国際マーラー協会版のアダージョを入れる、補筆5楽章版のどれかを入れる、などである。そして、それらと並んで「全く入れない」というのもあり得る。


つづく

1993年9月22日、モーリス・アブラヴァネル(1903年1月6日生)が90歳で亡くなった。この人はマーラー演奏・録音の歴史の上で極めて重要な存在なのだがそのように認識されていないどころか、間違った情報がネット上でも活字上でも散見されるのは残念なことである。

アブラヴァネルに関してかなりよく目にする間違いは「史上初のマーラー交響曲全集の完成者」という説明。

もちろん全くの出鱈目である。

ユタ交響楽団を指揮したマーラー交響曲全集は、1963年12月の第8番でスタートしたが完成は74年5月、リリースは75年5月(第1番、第5&10番アダージョ、第6番)。アブラヴァネル/ユタ交響楽団によるレコードが出揃った時にはすでにバーンスタイン(第10番なし)、ハイティンク、クーベリック、ショルティ(第10番なし)による「交響曲全集」がリリースされていた。つまり、アブラヴァネルによるマーラー交響曲全集は録音史上五番目にあたるものだ。

バーンスタインは後から録音してはいるが第10番や《大地の歌》がないので「交響曲全集」としては不完全などと混乱した言説が散見される。それらについては後程述べるが、アブラヴァネル盤が史上初のものでないことは確かである 。この全集のかけがえのなさはもっと別のところにある。


アブラヴァネル指揮のマーラー交響曲全集が史上初のものであるという誤った説が意外に根強く何度も出てくるのはなぜだろうか。

まず真っ先に考えられる単純な理由は、彼を紹介する欧文によく出てくる次のようなくだりに対する、軽率さからの(あるいは故意による)誤読である。

英文による紹介では、アブラヴァネルのマーラーについて

“…the first complete cycle of the symphonies of Gustav Mahler made by a U.S.orchestra…”

のようなことが大抵書かれている。このような記述の“made by a U.S.orchestra”という限定、つまり、「アメリカのひとつのオーケストラによって成し遂げられたものとしては」を読み落として、「最初のもの」というところだけを強調してしまうのである。しかし、これは単純過ぎる気がする。


単純過ぎるというかあまりにも他愛なさ過ぎるように思う。

これだけしつこく「マーラーの史上初の交響曲全集」という神話が復活してくると、やはりどうしても気になってしまう。「史上初のマーラー交響曲全集」は間違いだがその神話を再生産してしまう原因が何かあるのではないか。
というのも、実際のところアブラヴァネルよりも先にマーラー交響曲全集を完成させることになった四人(バーンスタイン、ハイティンク、クーベリック、ショルティ)の場合とは全く違った事情がアブラヴァネル/ユタ交響楽団の企画にはあったのではないかと考えられるからである。

 

つづく

9月9日と10日の名古屋フィルとの定期で

マーラーの『亡き児を偲ぶ歌』を歌うために

来日されたマリア・フォシュストロームさんに

演奏会に先駆けてお目にかかりました。


ロシアのペルミからの25時間近くの長旅を終えて9月6日の朝、名古屋に到着されました。

時間の都合で私は途中からの合流となりましたが、妻と3人で和食のお店に行きました。


マリアさんはとても好奇心が旺盛というか、勉強が好きな人なので、日本語をいろいろと知りたがって、自分の名前と私たちの名前をひらがなで書けるように練習したりしました。


アレグロ・オルディナリオ~マーラー資料館とわたしの大切なこと-110914_1357~01.jpg
さて、マリアさんが書いたのはどの字でしょう?


漢字にも興味津々で日本に入ってきた歴史などや、ひらがなとカタカナがどうしてあるのかなどについても聞かれました。

「とり」とか「うま」はどのように書くのかなどを説明したら、突然「つる」とひらがなで書き、漢字ではどう書くのかという話になったりしました。


アレグロ・オルディナリオ~マーラー資料館とわたしの大切なこと-110914_1358~01.jpg
マリアさんの手による「つる」です。


そうこうしているうちに(たぶん抹茶アイスクリームを食べているときだった気がします)、

「マーラーの曲の中では何が一番好きですか」

と聞かれました。

「第7交響曲です」

と答えて、そのあと、

「でも一番最初に好きになったのは、『亡き児を偲ぶ歌』でした。」

などと話していたときに

「私は『大地の歌』が一番好きです」

という話になってなんと突然「告別」の一節を歌いだしました。

そのあと蓮の花のこととか(ちょうど「蓮根煎餅」を食べていたこともあって)、墓の上のサルについてなども話しました。


今度はぜひとも『大地の歌』を歌ってほしいものです。


アレグロ・オルディナリオ~マーラー資料館とわたしの大切なこと


アレグロ・オルディナリオ~マーラー資料館とわたしの大切なこと

とてもチャーミングで可愛いマリアさんでした。


(写真は許諾を得た上で掲載しています)

『ヴァーグナーと反ユダヤ主義』:ヴァーグナー及びコジマをはじめとするヴァーグナーゆかりの人々が、反ユダヤ的な思想や心情を、「個人的偏見」として持っていたというだけではなく、ヴァーグナー作品に「反ユダヤ的なもの」が内在するとなると、非常に大きな難しい問題が出てくることになる。

というのも、ヴァーグナーの作品そのものに本質的に、「反ユダヤ的なるもの」が内在的にあるのだとすると、ヴァーグナー作品の「反ユダヤ性」は、ヒトラーによって、ナチスによって、「利用される前から」、さらには「利用されたこととは無関係に」存在しているということになる。

そうすると、まず浮かんでくる問題は、ヴァーグナーと同時代に生きてヴァーグナーの音楽を支持していた人の中にはユダヤ人が多くいたのだが、彼らはなぜヴァーグナー作品に内在する「反ユダヤ的なもの=自分を否定する・虚仮にするもの」に無関心であり得たのかということである。

おそらく同時代に、作曲家と直接に関わっていた人々のほうがより強く「反ユダヤ的なるもの」を感じ取ることができたであろう。それに対してなぜ耐えられたのか、なぜそこまで寛容であり得たのか。さらに露骨に言ってしまうならば、自分を否定するものに対してそこまで鈍感であり得るのか。


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鈴木淳子著『ヴァーグナーと反ユダヤ主義』(アルテスパブリッシング)という書物は、世にあまたあるヴァーグナー関係書の中では他に類を見ない画期的なものであると真っ先に言っておかなければならない。
今まで全く見過ごされてきた、いや、故意に避けられてきたことを論じているのである。
ヴァーグナーの反ユダヤ主義は、個人としてのヴァーグナーが抱いていた所謂「偏見」であった。また、その音楽に反ユダヤ主義の烙印が強く押されているのはナチスに利用されたからであった。というのが今日ヴァーグナーと反ユダヤ主義について言及される際の一般的な了解であろう。
しかし、『ヴァーグナーと反ユダヤ主義』において、著者鈴木淳子さんは、「反ユダヤ主義」はヴァーグナーの作品そのものに内在する、さらには作品の本質に密接に関わるものであることを、ヴァーグナー作品やその他の同時代の資料などを洗い直すことを通して様々な方向から明らかにしている。

ここで論じられ明らかにされている「ヴァーグナー作品に内在する反ユダヤ主義」というものを、世の多くのヴァグネリアンの人々はどのように受け止めるのだろうか。
果たしてここでの議論は納得できるものになっているのであろうか。
ヴァーグナー・ファンに限らず真摯に考えるべき問題が提起されていると思う。