1993年9月22日、モーリス・アブラヴァネル(1903年1月6日生)が90歳で亡くなった。この人はマーラー演奏・録音の歴史の上で極めて重要な存在なのだがそのように認識されていないどころか、間違った情報がネット上でも活字上でも散見されるのは残念なことである。
アブラヴァネルに関してかなりよく目にする間違いは「史上初のマーラー交響曲全集の完成者」という説明。
もちろん全くの出鱈目である。
ユタ交響楽団を指揮したマーラー交響曲全集は、1963年12月の第8番でスタートしたが完成は74年5月、リリースは75年5月(第1番、第5&10番アダージョ、第6番)。アブラヴァネル/ユタ交響楽団によるレコードが出揃った時にはすでにバーンスタイン(第10番なし)、ハイティンク、クーベリック、ショルティ(第10番なし)による「交響曲全集」がリリースされていた。つまり、アブラヴァネルによるマーラー交響曲全集は録音史上五番目にあたるものだ。
バーンスタインは後から録音してはいるが第10番や《大地の歌》がないので「交響曲全集」としては不完全などと混乱した言説が散見される。それらについては後程述べるが、アブラヴァネル盤が史上初のものでないことは確かである 。この全集のかけがえのなさはもっと別のところにある。
アブラヴァネル指揮のマーラー交響曲全集が史上初のものであるという誤った説が意外に根強く何度も出てくるのはなぜだろうか。
まず真っ先に考えられる単純な理由は、彼を紹介する欧文によく出てくる次のようなくだりに対する、軽率さからの(あるいは故意による)誤読である。
英文による紹介では、アブラヴァネルのマーラーについて
“…the first complete cycle of the symphonies of Gustav Mahler made by a U.S.orchestra…”
のようなことが大抵書かれている。このような記述の“made by a U.S.orchestra”という限定、つまり、「アメリカのひとつのオーケストラによって成し遂げられたものとしては」を読み落として、「最初のもの」というところだけを強調してしまうのである。しかし、これは単純過ぎる気がする。
単純過ぎるというかあまりにも他愛なさ過ぎるように思う。
これだけしつこく「マーラーの史上初の交響曲全集」という神話が復活してくると、やはりどうしても気になってしまう。「史上初のマーラー交響曲全集」は間違いだがその神話を再生産してしまう原因が何かあるのではないか。
というのも、実際のところアブラヴァネルよりも先にマーラー交響曲全集を完成させることになった四人(バーンスタイン、ハイティンク、クーベリック、ショルティ)の場合とは全く違った事情がアブラヴァネル/ユタ交響楽団の企画にはあったのではないかと考えられるからである。
つづく