宇宙の知恵☆人生を歩む地図

宇宙の知恵☆人生を歩む地図

「人生を歩む地図」なくしてあなたは
この世をどのように生き進むのでしょうか?
地図なくして、あなたは迷わず進んでいけますか?

なんとなく、気分が沈んでる。

 



何なんだろうって……

といった感じはどなたでもあろうかと、
こうした気分やら、フィーリングを想念といいます。
感情として、明らかな落ち込み、何かに対して怒りやら、

喜びといった感情になっていない、

感情の元のようなもので、想念です。

どこから沸いてくるのかといいますと、潜在意識からなのです。
ブルーな気の沈んだ想念は、心の姿勢からなのです。

心の姿勢が、四六時中見守ってくれてる超越人格からの、
指導やら、導きと、自分の思いのベクトルの方向が合っていれば、
そういう思考ベクトルを統一ベクトルといいまして、
ブルーな気の沈んだ気分にはなりません。

潜在意識の中の全ての思考が超越意識からのベクトルと

同調している統一ベクトルであるならば、

その人は統一人格となりまして、まさに悟りを得た人なのです。

しかし、統一人格などになれるのは、過去の聖人レベルでありまして、
それこそモーゼ、釈尊、イエス、モハメッドといった聖人です。

一般の人々は、誰でも統一ベクトルとぶつかるといいますか、
相反する思考ベクトルを沢山もっておりまして潜在意識の中に、
ため込んでおります。

相反する思考ベクトルがありますよ、ってことを知らせるために、
そうしたブルーな気の沈んだ想念を発生させるわけです。
そうした想念に気が付けば、ラッキーです。
想念停止とか想念破棄の自明行を行えばいいわけです。

見つかった想念に対して「お前はホントの私ではない消え失せろ!」って
自明の光を照射して、超越人格に渡してしまえばやがては消してもらえます。
しかしそれも、真剣に頼まないと消してもらえませんから。
消してくれ、って頼んでおきながら、ホントはこの欲望は必要なんだ、
っていう人は多いですからね。

 

 

その辺の優柔不断な人って、多いのです。
欲望なり、怒りの元を、ホントに宝物のように大事に抱えてる人って
世の中に多いですね。

多分、あなたの職場にも、多いと思いますよ、そういう人って。
私の務めていた幼稚園でも、先生方、結構抱えておりましたから、
そんなもんで、職場でも上司の文句とか、父兄の文句とか、まあ色々
聞けば出てくるわけです。

そうした元が、心の姿勢から湧き出てくる想念なのです。
そしてそれが、何かの出来事と重なると、

いきなり怒りになるとか
文句、不満、愚痴になるわけです。

文句、不満、愚痴くらいなら誰だって、

とあなどるなかれ、
日々そうしたものを心の中に、

はい、潜在意識の中にため込んでいきますと、
積もりに積もって、気が付けば、

運勢は下がり、金運は下がり、恋愛運も下がり、
とネガティブな方向にドンドン落ちて行ってしまうのです。


そうすると、私の運命は悪い、育った家庭が悪い、親が悪い、とまたまた
悪い方向にドンドン向かって行ってしまいます。

ですからそうしたことに気がついてください。
そうした、悪いサイクルから抜け出て、明るく、良いサイクルに乗りましょう。
そこで、一番簡単で、手っ取り早い方法が瞑想をして、内観といいますか、
そうした潜在意識の中に貯まってる、想念の元を退治するわけです。

悪いサイクルの想念の元を錯覚ベクトル、あるいは分離ベクトルともいいます。

それは超越人格の指導、導く立場からすれば、指導を受け入れられる
本人の姿勢であってほしいいのですが、 潜在意識に潜む思いのベクトルが
指導を受け入れる方向に向いていない錯覚ベクトルであれば
それらを消して、あるいは本人が気が付いて統一ベクトルに変換出来たら
超越人格の指導、導く立場から、褒めてもらえてドンドン運気も上げてもらえて
結果的には運命的にもどんどんいい方向に導いてもらえるのです。

おわかりになりましたでしょうか?
とても簡単な理屈でしょうがね、皆様頑張って、幸せへの道を進みましょう。

 

 

☆……♪~♪~☆

参考までに、話す言葉は違いますが内容は同じ、

21世紀、最先端の心理学者で神経科学者である

Dr. Lisa Feldman Barrett 

のTED講演を紹介します。

 

想念の力「The Power Of Mood」

 

講演の最後に、Lisa 博士の言葉です。

ほんの少し、affect(情緒、思い)

のコントロール法を練習してたら、
そこは銃のない場所、と知ります。
affect(情緒、思い)

は貴方の選択をより賢明にするのを助けます。

それは、

貴方の人生をより良くする選択になることでしょう。
その選択は、貴方の仕事を助けたり、

人間関係をよくできたり、
出会う選択肢は、たぶん、

あなたの周りの人々の人生を救います。
 

 

 

 

幸せを手にするには自力か他力か?

 



両方でしょう。
あるレベルまでは自力努力をしなくてはいけません。

例えるならば、迷いの檻の中にいる時は、自分でそこを出る
出口を探さなくてはいけないのです。

そこで幸せに通じる正しい出口を見つけるに他人に頼っては
いけません。
宗教に頼ってもいけません。
親に頼ってもいけません。
社会の常識に頼ってもいけません。

親も宗教も社会の常識も、あてにしてはならないとなれば、
何に頼ればいいのでしょう。

言ったように「他人に頼ってはいけません」です。
貴方自身に頼ってください。

迷いの檻を作って貴方をそこに閉じ込めたのは
貴方の親であり、貴方が育った社会であり、
信じる宗教を持ってるなら、その宗教です。

まだまだ、生まれて、ここまで育ってきた期間に経験して
学んだことの全てが貴方を檻に閉じ込めてる原因なのです。

言っておきますが、この檻の中に「幸せ」はありません。
ないものをいくら探しても、見つかるわけはないのです。

「幸せ」は檻を出て、幸せに通じる正しい出口から出ないと
たどり着けません。

もし間違った、出口から出たとすれば、もっとひどい過酷な
檻に行くかもしれません、気を付けましょう。

世の中に、幸せを求めて檻から出た結果、自らの命すら落として
しまうことも、とても多いのです。

時々、朝の電車が止まってる、駅のアナウンスでは
「人身事故が発生したので、ただいま運行を停止しております」
自殺、そんな行為は正気の人間のすることではありません。

人間は生まれ持って、「幸せ」になる、なれるように創られてます。
世の中の多くの真実の中で、 人にとって大切な真実です。
――人間は生まれ持って「幸せ」になるように創られてます――

幸せに通じる正しい出口を見つけるに他人に頼っては
いけません、貴方自身に頼ってください。

この意味は、貴方自身がそれに気づきなさい、目を覚ましなさい。
「目覚めなさい、君たち」と言うことです。
「悟りなさい、君たち」と言うことなのです。

そんな難しいこと私にはできません、と感じた貴方、悟れます。
人間は誰でも悟れるように創られてます。
その努力こそ、自力なのです。

目覚めた眼で探せば、幸せに通じる正しい出口は必ず見つかります。
檻を作ったのは貴方です、だから檻を出るのも貴方の力が必要です。

正しい出口を見つけて、檻から出たなら、あとはゆっくりでもいい
マイペースで毎日を楽しみながら、歩いて行けばいいのです。
それがホントの人生です。

人間として生まれて、「人生」道を歩む、なんと素晴らしい道でしょう。

 



菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
ぼだいさった えはんにゃはらみったこ

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
しんむけいげ むけいげこ むうくふ
 


菩提薩埵とは、我々の生きるこの世界で、目覚めたいと望む人です。

その人が般若波羅密多を実践することにより、目覚めて、
心無罣礙、心に刺さってるトゲが抜けて、それ故に幸せになる。

そこで目覚める為に般若波羅密多の行を実践しなさい。

一番簡単で誰でも出来る般若波羅密多の行とは「瞑想」でしょう。
釈尊も「瞑想」によって、悟りを得たわけです。
古代インドの行者達も「瞑想」をしていたわけですが、
最終的に「瞑想」を目覚めの為に確立したのは釈尊です。

「般若心経」の冒頭に観自在菩薩が行深般若波羅蜜多時とは
深い瞑想の時にこの世は皆空として、すべては肯定される。
と説かれてるわけです。

では何故に「瞑想」によって心に刺さってるトゲが抜けるのか?
それは自然に抜けるわけではありません。

あくまでそれを抜くのは自分自身です、ですのでその努力は
貴方自身がしなくてはいけません。
他人には貴方の心に刺さってるトゲを抜くことは出来ないのです。

瞑想をしていると、あらゆる雑念が出てきます。
そうです、最初から無我の境地に入れる人はいません。
釈尊ですら、瞑想中に出てくる、ありとあらゆる雑念と欲望と
戦った末に、悟りを得たわけです。

瞑想とは、出てくるあらゆる欲望、煩悩の数々、
それらを一つ一つかたづけていく作業です。

それら湧き上がる雑念から、自分の持っている潜在意識の汚れに
気づき自覚することです。

そして、かたづける、整理していく、いらないものは捨てる。

潜在意識の中は欲にまみれた汚れでぐちゃぐちゃになっている、
それを整理しなさいということです。
それが心無罣礙になることです、心に刺さってるトゲを抜きましょう。

その片付け作業が終われば、そこまで行けたら、自力努力は
終わりです。
心無罣礙になれば、もう自力努力はいらないのです。
そこまでいけば、自分をとりまく社会はなんと素晴らしいと、
それは他力なのかもしれませんけど、幸せに向かいます。
オートマティックに幸せになってしまうのです。

自分一人で幸せになれる人はいません、社会という他力は必要です。

自分で作った檻から解放されて、社会の中で人生を自由に歩み、
幸せに向かう道とは――そんな道です。

 

 

 

我々、シルバー植木屋仲間に、浄土真宗のお坊さんがいる。

その彼が「人間死んだら何もない、土に帰るだけです」

と言っていたそうだ……

そんな話を今日一緒に仕事をしていた、

弟弟子がお昼時間に切り出した。

 

話題として面白かったので、わたしもその話に乗った。

「うーん、人間死んだら、何もないよと考える人と、

人間の持つ魂は、永遠なのだよ、と考える人と、

死後の世界は二つ考えられるだろうけど……

世の中にある宗教の教えは全て、「魂は永遠」と教えてるね」

 

そしたら彼が「高橋さんは何かの宗教を信じてるのですか?」

と聞かれたので私は

「ウン、私は魂は永遠と考えているけど、

特定の宗教を信じてはいません」と答えてから、

あえて言えば「般若心経教」かな。(^O^)/

 

その後の話は、結構続くのですが……

気がついたら午後の1時30分を回っていた、あわて、急いで、

「オヤ、もうこんな時間、仕事をしよう!」って切り上げた。(笑)

 

ここで「実在」として、我々の住んでるこの世界より
高次元の世界があるということを書きました。
そして、そこから全てはコントロールされて我々世界は
存在しているのです。

こうした考え方は、世界中で紀元前の古代からありました。
西欧社会なら旧訳聖書の世界でしょうし、
アジアならアーリア人がもたらしたゾロアスター教やら
インドのバラモン教の教典ヴェーダのように
ゴータマ・ブッダ以前に成立した聖典にもあります。