宇宙の知恵☆人生を歩む地図

宇宙の知恵☆人生を歩む地図

「人生を歩む地図」なくしてあなたは
この世をどのように生き進むのでしょうか?
地図なくして、あなたは迷わず進んでいけますか?

超越意識、潜在意識、表面意識の三層の意識空間で、
私たち人類、この地球上で暮らしているわけです。



そして、超越意識、潜在意識は我々の住んでいる

この世界より上の次元、高次元の意識であり、

時空を超えた、私たちの五感では感じ得ない

「実在」の宇宙です。

では私たちの暮らしている、この世界は……
「非実在」といいまして、夜空の星も、

目で見える山も海も雨も風も、寒い冬の朝も「非実在」です。

「実在」に覆い囲まれ包み込まれるように私たちの世界
「非実在」も存在してます。

そして潜在意識には私たちが生まれて生きて行く課程で、

脳の発達と共にそこに日々の記憶が蓄積されていきます。

心地よかったり、辛かったり、苦しかったり、怒ったり、

楽しかったり、といった感情を伴い、

脳に記憶として貯まって行きます。

これらの記憶から、感情の元である想念が生まれます。
感情ではないのですが、

ムードとかフィーリングといったものです。

 

想念の力 参考にしてください、

心理学用語で「affect」と呼ばれます。

 

リサ・フェルドマン・バレット博士。
心理学と神経科学における彼女の革命的な研究で、
世界で最も引用された科学者のトップ1%の一人です。

リサ博士のTEDtalkを和訳したからか、とても身近に感じます。

 

脳と潜在意識、子育ての行動指針、心と現実世界、

↓現在における脳科学の最新エッセンス

 

しかし、それら想念はほとんどは錯覚ベクトルといわれる心の思いから
出てくるものであり、錯覚ベクトルとは超越意識と相反する思いです。
超越意識とは宇宙意識、神意識とも呼ばれる、唯一の実在から
分かれる多層構造を持つ意識です。

ここで私たちが生まれて生活していく課程で潜在意識に貯められる
錯覚ベクトルが、私たちに精神的な苦をもたらします。
この苦とは超越意識と相反する錯覚ベクトルからなのですが、
そうした苦を、正しく自覚して消そうと努力し、鎮めることで、本来の
人間の幸せは得られます。


この潜在意識を浄化していくことが、日々の行です。
瞑想で汚れた意識に気づきそれらを消していく作業です。

私は岩根和朗先生の著作に出会いまして、それらの書籍から
学んでおります。

先生の提唱されてる行「潜在意識の浄化」としまして「自明行」があります。

この行で潜在意識の中に貯まっている錯覚ベクトルを鎮め、

消していくことで、「潜在意識の浄化」をしていきます。

 

潜在意識の浄化が進むに従い超越意識からの導きが表面意識に

届くようになり、超越意識、潜在意識、表面意識の思考空間の、

思考が一つの方向に統一された人を「統一人格」といいまして、

人間は「統一人格」を目指して、この世で生きることを主体命として、

生まれてきました。

 

毎日の生活の中でこのことを意識して行っていけば
その期間と共に、少しづつですが目的とするところまで

行かれることでしょう。

 

この行を「統一行」、それが人間の幸せへの道です。

「自明行」のやり方などは、いずれ少しずく詳しく書いていこうと
考えておりますが「人間やりなおし」空不動:著 はこの道への

入門書として読んでいただけたら理解も早いかなと思います。

 

 


「人間が人に成る時」岩根和朗:著 からの教えも、

ここには書かさせております、この本は三層の意識空間に詳しく、

この道をより深く追求してみたい方におすすめです。

 

 

奈良の大仏様(毘盧舎那仏)

 

毘盧舎那仏を宇宙の中心と考え、それが宇宙の真理。
唯一の実在、それすなわち、毘盧舎那仏。

奈良時代に考えられていた宇宙感で、

今の宇宙を考えてみよう。

毘盧舎那仏は密教では大日如来とも呼ばれております。
宗派の違い(経典の違い)

から呼び名の違いになっているようです。

大日如来(だいにちにょらい、梵: Mahāvairocana)
梵: Mahāvairocana(マハーヴァイローチャナ)を

摩訶毘盧遮那(まかびるしゃな)と音写。

 

広隆寺「弥勒菩薩像」



そして毘盧舎那仏の支配下に様々な超越人格。
観音様がそうであり、そして個人に最も近い超越人格として
主体、守護の神霊の存在があり、そこから人への導きは常になされる。

潜在意識の中は超越人格の指導、導きを受け入れる統一ベクトルと、
思考のベクトルが導きと同調しない錯覚ベクトルの入り交じる
玉石混淆の意識空間です。

これを理解しやすくするために

親子の関係と例えてみましょう。

超越人格の主体を子供を持つお母さん、お父さんの親とします。
そして、その子供を我ら人間とします。


子供が生まれて、親は大切に愛を持って子供を育てますが、
子供が成長するに従い、あれも欲しい、これも欲しい、あれを買って、
友達の誰々ちゃんは、あれを持ってるし、と他人と比較したり、
いろいろなお願いを親にねだったりします。

しかし、親の立場では、もっと勉強をして成績が上がったら、

買ってあげよう。
一生懸命勉強して、将来社会の役に立つような人に成って欲しいと、
多少は、甘いお駄賃も上げますが、厳しく躾けることも、

又、愛があるからこその親心です。

子供の中には親の心配をよそに、学校に行かなくなってしまったり、
勉強嫌いな、遊び大好きな子供も多いわけで、
彼らは僕は、私は、自分の自由に生きていきたいから、

そうさせて、と益々、親の子育てに反発してくるわけです。

そうした自分の自由にしたい、反発したい思考が錯覚ベクトルです。
この場合、親は超越意識なので、絶対正しいのです。

我々の住んでる社会では、親でも間違うことはありますが、
実在としての超越意識の導きに、間違いはないのです。

我々人間は、唯一の実在から分かれてきた、

誰一人として例外なく、神の子です。

子供の持つ錯覚ベクトルとは、

自分は正しいと錯覚している思考です。
思考は、行動に結びつきますので、

錯覚ベクトルに基づいた行動は、

結果的によろしくない行動、

運命的に良くない行動になります。

 

運命的に良くないとは、神の子であることを、

気づかせるための、超越人格の愛の導き、

でもあるわけです、厳しいですね。

こうした錯覚ベクトルに自分自身で気付くことが、

日々の修行です。
それが「瞑想」です、「感謝行」です、

「祈りの行」です。
それらの行を通して、

ゆっくりと潜在意識の浄化をすすめていきます。

超越意識の導きにそぐわない思考である錯覚ベクトルを
整理、あるいは統一ベクトルへ変換、あるいは消滅させることです。

そうした潜在意識の浄化にあたり、中心的な行が、

自分を明らかにする「自明行」です。

宇宙は「思い通りに成る法則」に支配されてます。
超越意識の導きにそぐわない思考や行動は、運命的な下降を
呼び込みます。

気づかない錯覚ベクトルの思いに貴方は自由に支配されてしまいます。
それを、貴方は生きる自由と勘違いしてはいけません。

少しずつ、これら行の方法をひもといていきたいと考えております。
皆様、幸せな人生でありたいと願う方、その方法を学びたい方、

私と共にゆっくりとここで学んでいけますようにと願います。

 

Rome wasn't built in a day


 

 

 

玉石混淆の潜在意識の浄化が自明行です。
自明行が進み、潜在意識の浄化も進んでくるに従い、

超越意識からの光が
顕在意識である表面意識に映し出されます。

日々の行で、潜在意識を浄化してゆく、

これ宇宙の大霊から授かった我々人間の生きる目的です。

そこに本当の幸せがあります。

悟りとはそうした幸せのことです。

「完成の章_玉石混淆の潜在意識」で上のようなことを書きました。

 

そこで潜在意思の浄化とはどのようにすればよいのでしょう。

錯覚ベクトルと統一ベクトルが混在する→潜在意識です。

人間の運命は「思いどうりになる法則」に支配されてます。

ですので、実現して欲しくない思いを、潜在意識の中から消してしまう、

捨ててしまう、超越人格にお願いして整理してもらうのです。

言ってしまえば、幸せになるとは、潜在意識の浄化なのです

 

まず「潜在意識」」の中にある錯覚ベクトルと統一ベクトル

とは何なんでしょう。
ベクトルとは思考の方向性ですので、

どのような考え方の思考か、ということでして、

そこでまず統一ベクトルとは?


はい、超越人格である守護の神霊の導きにそった思考か、

あるいは守護の神霊の導きを素直に受け入れられる心か?

ということなのです。

 
であるなら、我々人間には常にそうした導きが

常時ONであるわけで、そういう人には悪い事なり、

苦労を伴う事も起こらないのです。


起こったとしても、それを前向きに捉えられる

心の姿勢」であるわけで、そのことに対して、

感謝の念さえ心に湧いてきます。

自分の身の回りで起こったことに対して

「被害者意識」
「偉い自分意識」の強くでてくる心であるならば、

そこにやがて苦しみが起こります。


その苦しみも、現実に起こってしまう「苦」と
今の段階で気づいてその苦の元を消してしまえば、

現実化しないよ、という「一次的事象の苦」と 
現実に起こってしまった「苦」を

「二次的事象の苦」とに別れます。

それら「苦」は、超越人格である守護の神霊の導きに沿って

いないからでありまして、守護の神霊にしてみたら、

どうにか間違いに気づいてもらいたいとする

愛から起こる「苦」です。

であるならば
「一次的事象の苦」を「苦」の元であると

自覚できたらそれを消していただく、自分で捨てる。

あるいはそれは錯覚べクトルだから正しく方向を変えて、

「統一ベクトル」に変換しよう、とできるわけです。

 

とにかく、悪い雑草の種は発芽する前に処分、

これが最も手間もかからず楽です。

発芽してしまったら、大きく育たないうちに根から引き抜く。


その自覚、

それに気づくか気づかないかが「正しい苦しみの自覚」 が
出来るか、出来ないかに分かれます。

 「正しい苦しみの自覚」は絶対いいわけです、

現実の不幸が起こらない前にその種を消せるわけですから、
その種が発芽する前に悪い種を処分してしまえば
不幸につながる「苦」の元は無くなるわけです。

さてどのように、潜在意識の中にドデンと居座ってる

「錯覚ベクトル」を探すのでしょう。
それは、貴方自身がそうした錯覚ベクトルを探して、

見つけたら捨てたい、あるいは超越人格である守護の神霊様に

お願いして消してもらおうと、本気で思っていなければ、

そうはなりません。
人生は「思いどうりに成る法則」

という宇宙の法則に支配されてるからです。

 

「錯覚ベクトル」についてもう少し詳しく、
具体的な内容などを書いてみたかったのですが、
それは、所詮、自分の経験した事では無く、
岩根先生の書かれた書籍に頼ろうとした……

なぜか、そのことに結構な苦痛を感じる。
これって、私自身の持つ「錯覚ベクトル」なのかも、
だろうな、であるならこの苦しみは、
この「錯覚ベクトル」の消えてゆく姿なのかもと、
感じる。

しばらくは、私のこの苦しみが消えるまで、
そしてこれが私の「一次的事象の苦」なのでしょう。
「偉い自分意識」もありそうです。
自らの心の中を内観しようと思います。

 

顕在意識は無意識のスクリーン 知っていていいかも。

 

 

この動画は長いのですが、やはり見ておいて欲しい動画です

 

 

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