宇宙の知恵☆人生を歩む地図

宇宙の知恵☆人生を歩む地図

「人生を歩む地図」なくしてあなたは
この世をどのように生き進むのでしょうか?
地図なくして、あなたは迷わず進んでいけますか?

 

 

 

岩根和朗先生の出版された「般若心経」解読シリーズ第三弾、

「未完成だった般若心経」の最終項目に「完成の章」

というのがあります。

 

ここに書かれている内容は「般若心経」の世界観を背景にした、

これからの世界の進むべき道、人間、社会、国家、宗教のあり方、

そして先生の師である五井昌久先生の説かれる未来社会、

世界恒久平和の実現を根底に書かれた「完成の章」であります。

 

しかし、内容はとても凝縮された難しいものです。

私自身も、この章のより深い理解を追求したく、

皆様方と気持ちを同じくして、ゆっくりジックリと、

ここに「完成の章」を微力ながら紐解いてみたいと考えます。

 

 

 

 

般若心経から自明行へシリーズの公演ビデオ
改めてですが見直すと、新しい発見がポコポコとあります。 

 

この動画のなかで、「般若心経」とは「色不異空」

これさえ理解できたら、それでいいのだとおっしゃってます。

 

そしてそれは、キリスト教でもイエス自身が言ったことだと。

 

だから「般若心経」の教えとイエスの教えたいことは

さほど違いは無い、と先生は説かれます。(笑)

 

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と フラクタル共鳴することが般若波羅蜜多の行であり、

幸せに生きるとは、そんなフラクタル共鳴を求めて生きることです。

 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罜礙 無罜礙故 無有恐怖

 

「心に蝕む嘘」のことを考えてみましょう。

蝕む嘘ですから、自分で悪いものと自覚できていない嘘です。

↑はここのブログでは毎回のように言っていることですが、

ご理解いただけて、心に潜む嘘を発見して、捨てよう、整理しようと

真剣に考えた方は、どれだけいますかね……

潜在意識に貯まる「錯覚ベクトル」は超越人格の導きに沿わない「嘘」です。

 

「人生」道 でもおなじ事を見方を変えて書いております。

 

 

さて、使う語句を馴染みのある語句に変えて書いてみましょう。

 

私達は、この世に生まれ成長にするにしたがい、

自我を発達させます。

その自我とは、親から受けた教育や育った時代背景や国、

それらの持つ文化、言語など、生まれ育った環境に左右され

100人100様の価値観、を形成するわけです。

当たり前ですが、この世に二人として同じ人はいません。

 

その自我とはエゴとも言いまして、

常に自分の考え、思考が正しいと信じております。

しかし、自分の考えは正しいと考える自分は、

他人から見たら正しくないことも、多々あるわけです。

 

俺は、私は、こんなことも出来る、あんなことも出来る、

そんな優越感充分だったとしても他人から見たら、

さほどの評価もされていない平凡な人だったり、

その逆に、

俺は、私は、みんなが出来るこんなこと、

あんなことも出来ない、

背は低いし、美人でも無いし、育った家も貧乏だし、

と、そんな劣等感に固まってる人もいます。

 

自我とはエゴとも言いまして……

ここでは色(茶色)で現します。


そう、皆さんエゴ充分で生きているのが現実でしょう。
しかしそうした自我、あるいはエゴの自分と,

もう一つの自分、真我とも、ハイヤーセルフとも呼ばれる、

高次元の自分もあるのです。
ここでは色(ピンク)で現します。

 

と フラクタル共鳴することが般若波羅蜜多の行であり、

幸せに生きるとは、そんなフラクタル共鳴を求めて生きることです。


瞑想をしていいると、色々な思考、

想念が湧き上がってきます。
こうした思考を雑念といいまして、

潜在意識の中の錯覚ベクトルから、
生まれてくる思考です。

瞑想の方法として、そうした雑念が出てきたら、

それはホントの私では無い、

消え失せろ! あるいは想念停止!

と自分に言い聞かせ、無我の境地を追求します。

これは「言うは易く行なうは難し」でありまして、

雑念は無意識の状態の時に、ドバドバと出てくるものです。
アアでも無い、こうでも無い、ああすればよかった、

こうしたい、あれが欲しい,これも欲しい……

といった思考です。

そこで、瞑想の時、そうした雑念を自分自身で見張ります。
自分自身の思考を観察します。

 

そして、そんな雑念が出てきたら,

「今は瞑想の時なので、引っ込んでいてください」

と自分の思考を客観的に観察するのが、

瞑想での「観照」と言われるテクニックです。

「観照」とは、最初はなかなか難しいのですが

なれてきますと、今の自分はこんなことを考えてるな、

とか、ああ、自分にはそんな欲望があったのだと、

気がつけることもあります。

自分で自分の雑念を見張っておりますと、

実は隠れてしまって、あまり出てきません。

そして見張ってるのに疲れて,ボーッとした

何も考えていない無意識状態になっているとき、

ドロドロ~~シタシタ~と出ていたりします。

 

そこで、「ハッ!と気づき!」

あれ、「観照」していたのに、ボーッとしていたなと、

我に返る、といいますか、そんなかな。

私の瞑想は、そうしたことの繰り返しですけど……(笑)
それでもいいのです。
自分を観察する自分の立場、それが色(ピンク)です。

 

そんな色(ピンク)の立場を意識する。
それを生活の中での日々の行と考え、毎日少しずつ、

そんな色(ピンク)の立場で自分を観察する。


そして、生活しているその中でも、それをする。
それを日常とする。 

まあ、救れを目標とする私の日々の行でもあります。


はい、自分を観察する観察者となる。

そんな立場を意識するのです。
これも「言うは易く行なうは難し」でありますが、

時々でも気がつけばいいでしょう。

自分を観察する観察者とは……
色(ピンク)の立場です。
真我、ハイヤーセルフと呼ばれる自分の立場です。

おわかりでしょうか? 

色(ピンク)の立場で自分を客観的に見る。

それが悟りへの道です、そして救れへの道です。

そして、それが真の幸福への道となります。


 

臨済宗楊岐派に属する廓庵(かくあん)禅師の十牛図を紹介します。

廓庵(かくあん)は臨済禅師より第十二代目、宋の時代の禅師といわれてます。

日本には鎌倉時代に「禅」と共に伝わってきました。

 

 

室町時代中期の画僧の周文が描いたと伝えられる十牛図(相国寺蔵)

 

十牛図の中に描かれている牛は

我々が求めている真我(ホントの自分)のことであるとか、

自我の持つ欲望であると説く解説やら、NET検索すると色々ありまして

勉強になります。

是非、NETの中に沢山ある他の十牛図解説も読んでみると楽しいでしょう。

私は、思うように動かない、我が侭な自分が、この牛であると解釈しております。

 

 

 

 

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この記事は未完です

 

 

ECKHART TOLLE の言葉に直に触れたかったので

「A NEW EARTH」の英語原文の日本語訳をこちらでしようと思います。

吉田利子さんによる日本語訳は読んでますが、やはり訳本には訳者の

個性なり思想なりが、入りますので、ここは原本に接したい、いや

原本を読みなさい、と言った声にしたがい、ゆっくり私の感覚で

訳してみます。 

CHAPTER_8はどうにか訳し終えました。

CHAPTER_10   ゆっくりでもいい、一歩一歩進んでいこうとおもいます。

 

 

A NEW EARTH 

新しい地

 

 

 

以下は
黒色は 英語原文スクリプト
赤色は 単語和訳、あるいは日本語参考文章
青色は 私の日本語訳
となります


Astronomers have discovered evidence to suggest that the universe came into  

existence fifteen billion years ago in a gigantic explosion and has been  expanding ever since. 

Not only has it been expanding, 

but it is also growing  in complexity and becoming more and more differentiated. 
Astronomers  天文学者  existence  存在   fifteen billion  150億
gigantic  巨大   expanding  拡大中    complexity  複雑  
differentiated  差別化された

天文学者たちは、宇宙が150億年前の巨大な爆発によって誕生し、
それ以来膨張し続けていることを示唆する証拠を発見しました。
宇宙は膨張しているだけでなく、
複雑さを増し、ますます分化しています。


Some scientists  also postulate that this movement from unity to multiplicity 

will eventually  become reversed. 

The universe will then stop expanding and begin to  contract again 

and finally return to the unmanifested, 

the inconceivable  nothingness out of which it came – 

and perhaps repeat the cycles of birth,  expansion, contraction, 

and death again and again. 
postulate   公準(科学的または実践的理論にとって、基本的前提として必要とされる命題)
unity  団結    multiplicity  多重性   reversed  逆転した unmanifested  顕現していない
inconceivable  考えられない  nothingness   無    expansion  拡大
contraction  収縮

また、一部の科学者達は、この統一から多様性、多重性への動きは
(ビッグバンからの膨張の時)
最終的に逆転すると仮定しています。
宇宙は膨張をやがて停止し、再び収縮を始め、
最終的には宇宙が誕生した時の、顕現していない、
想像を絶する無へと回帰するでしょう。
そしておそらく、誕生、膨張、収縮、そして死のサイクルを何度も何度も
(ビッグバン、ビッグクランチ)
繰り返すことになるでしょう。

――あまりにも想像しがたい、宇宙のストーリーですので、
考えても、へえ、としか頭には浮かばない――


For what purpose? 

“Why  does the universe go to all the bother of existing?” 

asks physicist Stephen  Hawking, 

realizing at the same time that no mathematical model could ever  supply the answer. 
bother  わざわざ    realizing  実現する   supply  供給
一体何のために?
「なぜ宇宙はわざわざ存在するのか?」
と物理学者スティーブン・ホーキングは問いかけます。
同時に、いかなる数学モデルも、
その答えを出すことはできないと悟っています。


If you look within rather than only without, 

however, you discover that  you have an inner and an outer purpose, 

and since you are a microcosmic  reflection of the macrocosm, 

it follows that the universe too has an inner and  outer purpose inseparable from yours. 
reflection  反射   inseparable  切り離せない

あなたの外側だけでなく、内側にも目を向けてみると、
自分自身にも内なる目的と、外なる目的があることに気づきます。
そして、自分はマクロコスモス(大宇宙)のミクロコスモス(人体)的な
反映だとなれば、
大宇宙にも、あなたと切り離せない内なる目的と外なる目的があるのです。

 

――AIの力を借りて解説です――

内なる目的:気づきと自己の目覚め

  • 形なき本質への目覚め: 内なる目的とは、宇宙がその本質である「形なき意識」に目覚めることです。これは、宇宙を構成するあらゆる生命体や存在が、究極的な意識、純粋な存在、あるいは「今この瞬間」に完全に気づくことを指します。
  • 存在すること(Being): 外なる目的に関わる「すること(Doing)」とは対照的に、内なる目的は「存在すること」に焦点を当てます。それは、将来の目標や達成に囚われることなく、今この瞬間のありのままの自分と人生を完全に受け入れることです。
  • 人間における内なる目的: 人間にとっての内なる目的は、自分自身の内なる本質に目覚め、目覚めた存在として完全に意識的に生きることです。 

外なる目的:創造と経験の展開

  • 形の創造と経験: 外なる目的とは、宇宙が「形」を創造し、その形々の相互作用を経験することです。これは、宇宙の拡大、星の誕生、生命の進化といった、形ある世界で展開されるドラマや現象すべてを含みます。
  • すること(Doing): 外なる目的は、特定の行動や目標、役割に関わります。これは、人によって異なる、それぞれのユニークな表現であり、仕事や社会貢献、創造的な活動などが該当します。
  • 相対的で不安定: 外なる目的は相対的で不安定であり、永続的ではありません。特定の分野で成功を収めても、それは他者との比較や一時的な状況に依存するものです。 

内なる目的と外なる目的の統合

  • 意識的な行動: この二つの目的は、対立するものではなく、統合されるべきものだと考えられています。その統合とは、内なる目覚めた意識(形なき本質)を、外なる目的(形ある世界での活動)に持ち込むことです。
  • 世界を変容させる: この統合によって、意識が形の世界に入り込み、世界そのものを変容させることが可能になります。内なる目的に基づいて外なる目的を追求することで、人生は比較や競争から解放され、より深い意味を持つようになります。
  • 究極的な目的: この変容の究極的な目的は、人間の想像をはるかに超えるものとされますが、私たちに割り当てられた役割は、この統合を通して世界を変容させることにあるとされています。 

The outer purpose of the universe is to  create form and experience the interaction of forms – 

the play, the dream, the  drama, or whatever you choose to call it. 

Its inner purpose is to awaken to its  formless essence. 

Then comes the reconciliation of outer and inner purpose: 

 to bring that essence – consciousness – 

into the world of form and thereby  transform the world. 
interaction  交流    the play 演劇    reconciliation 和解  調和  thereby それによって

宇宙の外的な目的は、形を創造し、形同士の交流を体験することです。
演劇、夢、ドラマ、あるいは何と呼ぼうとも構いません。
内的な目的は、形のない本質に目覚めることです。
そして、外的な目的と内的な目的の調和、
すなわち、その本質である意識を形の世界へと導き、
それにより世界を変えることが求められます。


――二ヶ月のブランク、仕事が超忙しい(*^。^*)

みどりゾーン☆シルバー坂戸の「植木班」――

 


The ultimate purpose of that transformation goes far  beyond anything the human mind can imagine or comprehend. And yet, on  this planet at this time, that transformation is the task allotted us. 

That is the  reconciliation of outer and inner purpose, the reconciliation of the world and  God. Before we look at what relevance the expansion and contraction of the  universe has to your own life, we need to bear in mind here that nothing we  say about the nature of the universe should be taken as an absolute truth.

  Neither concepts nor mathematical formulae can explain the infinite. No  thought can encapsulate the vastness of the totality. Reality is a unified  whole, but thought cuts it up into fragments. This gives rise to fundamental  misperceptions., for example, that there are separate things and events, or  that this is the cause of that. 

Every thought implies a perspective, and every  perspective, by its very nature, implies limitation, which ultimately means  that it is not true, at least not absolutely. 

Only the whole is true, but the  whole cannot be spoken or thought. Seen from beyond the limitations of  thinking and therefore incomprehensible to the human mind, everything is  happening now. 

All that ever has been or will be is now, outside of time,  which is a mental construct.  As an illustration of relative and absolute truth, consider the sunrise  and sunset. when we say the sun rises in the morning and sets in the evening,  that is true but only relatively. In absolute terms, it is false. 

Only from the  limited perspective of an observer on or near the planet's surface does the  sun rise and set. If you were far out in space, you would see that the sun  neither rises nor sets, but that it shines continuously. 

And yet, even after  realizing that, we can continue to speak of the sunrise or sunset, still see its  beauty paint it, write poems about it, even though we now know that it is a  relative rather than an absolute truth. 

So let us continue to speak for a moment of another relative truth: the  coming into form of the universe and its return to the formless, which  implies the limited perspective of time, and see what relevance this has to  your own life. 

The notion of “my own life” is, of course, another limited  perspective created by thought, another relative truth. There is ultimately no  such thing as “your” life, since you and life are not two, but one.

 

 

 

「A NEW EARTH」全ページのPDFです。

→ A NEW EARTH