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最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

こんばんは。
今日も
「ドイツ国防軍兵士たちの100通の手紙」
の本から書きます。

前線のドイツ兵が家族に宛てたお願いの中に

「フィルムを贈ってほしい」

と手紙に書いていました。

(アナログの一眼レフ)カメラで写真を撮る為にはフィルムが必要。
全部撮り終わったら新しいフィルムが必要。

すっかり古くなった習慣であり、作業であり、技術でしょうか?

しかも家族に新しいフィルムをお願いするのも、その家族に自分が今居る場所を見せる為にシャッターを押すのですから、何だかとても興味深いです。

「相手に見せる為にその相手にお願いする」

写メ、スマホ、SNSの時代にどれだけこの感覚が理解して貰えるでしょうか?

今の時代と比べて

「相手の了解がないと成立しない」

ということがとても多かったような気がします。ほんの70年ほど昔なのですが。

****
更に現代の日本人には考えられないことが書いてました。

東部戦線に参加してた兵隊は、ポーランドやロシアの前線で…。


「敵国の民家に宿泊していたドイツ兵が居た。」

ということです。

家を提供してくれるのは、共産主義に反対するごく一般の家庭だったそうです。
彼らは若きドイツ兵によって、スターリンが縛り首になるという、自分達の願いを叶えてくれると思っていたそうです。

「鬼太郎」の水木先生も、東南アジアの地元住民の子供達と仲良く触れ合った話を残してますが、完全な「敵国」の兵士を我が家に泊める感覚は驚きました。

それだけ共産主義の蔓延や一部ユダヤ富裕層の金融搾取は根深い問題だったのかもと思います。

日本でも「べ平連」と言って、「ベトナム平和維持連合」と呼ばれる人達が、本来は戦地ベトナムに行くはずのアメリカ兵を、日本に「横流し」して、日本の田舎でほとぼりが冷めるまで静かにホームステイさせる活動があったみたいですね。

そりゃ国家の意思に反するかもしれないし、臆病者で裏切り者の謗りを受けるかもしれませんが、どこかほっこりとする「良い嘘だなぁ」なんて私的には思います。

縁も所縁もない日本の田舎で、あるアメリカ兵は畑仕事を手伝い、そのお礼として、貼り絵だかちぎり絵だかを老婆から帰国前に受け取った、とありました。

****
また交戦中にフランス兵捕虜を、ドイツ士官が自宅に宿泊させた話もありました。
今まで習った話よりもどこか牧歌的なんですよね。
(続く)
前回の続きです。

前線での兵士が書く、父母に宛てた手紙の傾向は先に述べた通りです。

今回は「妻への手紙」について書きます。

前線の兵士が愛する奥さんに書く内容はズバリ、

「愛してる」

と書くことです!

どれだけかけがえのない存在であるか、どれだけ今すぐに会いたいか、抱擁したいか、キスしたいかを書き綴っているのです。
勿論、現地での辛さを吐き出す若者もいます。が、苦悩や葛藤だけを述べず、それを含めたユーモア混じりに人生の享楽の延長線上であるかのように、強く逞しい夫として手紙を書いてました。

兵士が奥さんへのお願いの傾向で興味深いのが、

「手紙を書いてくれ」

と懇願することです。
前線の兵士は、何よりも愛する妻からの手紙を欲しがりました。故郷のタバコやお酒を欲しがる者も居ましたが、それは殆ど、両親への手紙に記述していました。
奥さんへは何よりも「愛してる」を欲しがっていたのです。
更に興味深いのは

「返事を書くときは、前回僕が書いた手紙を何月何日に受け取ったか必ず書き記てくれ」

とあったことです。
野戦郵便と呼ばれる戦地での配達集配業務は、遅れるのが当然です。
兵士は頭では遅配を理解していても、妻が手紙を書いてくれない事情があるのでは?と不安になるんでしょうね。
「相手がいつ読んだか?」これは現在のメールやラインに共通するかと思います。
人の心理は今も昔と同じかな?と思いました。

****
「困っていない」と振る舞うことも夫の重要な役目のようでした。
ドイツ兵に取って、東部戦線の田舎の風景は苦痛でした。寒くて何もないロシア、ポーランドの土地に対して

「君をここに連れて来て一緒に暮らすことは出来ない」
と書いてました。
戦争に勝ったとして自分達の土地になってもここでは暮らせないってことですね。
劣悪な環境、または文化の違う土地に対して、故郷がより良く思えるのでしょうか?それがまた敵兵士への恨みを加速させるかもですが。

更に西部戦線でフランスに行ったドイツ兵は、口々にフランス女性の悪口を書いてます。
濃い化粧や貞淑の無さを「盛って」書いてます(笑)。
それは愛する奥さんを安心させるためだと思います。
異国の地で異国の女性に心惹かれることは絶対にないという固い誓いを、フランス女性の悪口という形で手紙に書いてるんですね。これも愛する夫婦の形だと思います。

では続きはまた。
今読んでいる書籍からです。
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マリー・ムーティエ著。
「ドイツ国防軍兵士たちの100通の手紙」
(河出書房新社)
です。

「人間としてのアドルフ=ヒトラー」

に興味がある私が出会った本です。

タイトル通り、第二次世界大戦中のドイツ兵が家族に宛てた手紙100通を紹介した本です。

推薦帯には
「ごく普通の人間だった彼らはどのように戦争を見ていたか?」

とあります。

そう、ドイツ兵の全てがイメージ通りのナチス兵で、全てが冷酷な殺人マシーンなわけがないのです!
みんな家族が居て、家族を愛し、家族から愛され、自分の命を心配し、家族の命を心配していたのです。

無感情に殺人を実行する機械なんかじゃありません。
この本を読めばそれがよく解ります。
戦禍で手紙を書く兵士一人一人には、確実に日常があったのです。そう、戦禍の日常です。

何回か連続してこの本の内容を紹介したいですが、まず今日は、

「父親宛ての手紙と、母親に宛てた手紙の内容が違い、その違いには共通する同じ傾向がある」

ということです。

若い兵士に取って、父親は「共感者」でした。
辛い戦地、異文化の中で暮らす毎日を理解してくれる存在でした。
それは自分達の父親も、先の第一次世界大戦で従軍しているからです。

「任務」「義務」「責任」の名の元に、敵兵に銃を向けることを「正当化」してくれる、心強い「先輩」だったのです。

それに対して、世間一般の母親は「我が子だけ」の無事を願い、無事に帰還すること「だけ」を切望します。
その母の愛情が、時に前線の兵士を心苦しくしてしまっていたようです。

若い兵士は時に実母に対し、義務の大切さ、同胞との連帯を手紙の中で説得しようとしていました。
ある兵士は母親に

「私が帰還した時は、他の誰かが帰還出来なかったということなんです。母さんにそれを理解しろというのは難しいでしょうが」

と書いていました。

しかし、本当に心の内面を全て書けるのも母親だけだったようです。戦争の辛さや異文化の戸惑いをそのまま伝え、弱い自分を出せる相手は母親しか居なかったそうです。

私はこれを読み、マザーテレサの言葉と逆になるのは戦争だからこそか?と思いました。
マザーテレサは「父親は正義を貫く者」と言ってましたが、戦禍において父は共感者であり、本来は肯定者の母が糾弾者なのです。続