
マリー・ムーティエ著。
「ドイツ国防軍兵士たちの100通の手紙」
(河出書房新社)
です。
「人間としてのアドルフ=ヒトラー」
に興味がある私が出会った本です。
タイトル通り、第二次世界大戦中のドイツ兵が家族に宛てた手紙100通を紹介した本です。
推薦帯には
「ごく普通の人間だった彼らはどのように戦争を見ていたか?」
とあります。
そう、ドイツ兵の全てがイメージ通りのナチス兵で、全てが冷酷な殺人マシーンなわけがないのです!
みんな家族が居て、家族を愛し、家族から愛され、自分の命を心配し、家族の命を心配していたのです。
無感情に殺人を実行する機械なんかじゃありません。
この本を読めばそれがよく解ります。
戦禍で手紙を書く兵士一人一人には、確実に日常があったのです。そう、戦禍の日常です。
何回か連続してこの本の内容を紹介したいですが、まず今日は、
「父親宛ての手紙と、母親に宛てた手紙の内容が違い、その違いには共通する同じ傾向がある」
ということです。
若い兵士に取って、父親は「共感者」でした。
辛い戦地、異文化の中で暮らす毎日を理解してくれる存在でした。
それは自分達の父親も、先の第一次世界大戦で従軍しているからです。
「任務」「義務」「責任」の名の元に、敵兵に銃を向けることを「正当化」してくれる、心強い「先輩」だったのです。
それに対して、世間一般の母親は「我が子だけ」の無事を願い、無事に帰還すること「だけ」を切望します。
その母の愛情が、時に前線の兵士を心苦しくしてしまっていたようです。
若い兵士は時に実母に対し、義務の大切さ、同胞との連帯を手紙の中で説得しようとしていました。
ある兵士は母親に
「私が帰還した時は、他の誰かが帰還出来なかったということなんです。母さんにそれを理解しろというのは難しいでしょうが」
と書いていました。
しかし、本当に心の内面を全て書けるのも母親だけだったようです。戦争の辛さや異文化の戸惑いをそのまま伝え、弱い自分を出せる相手は母親しか居なかったそうです。
私はこれを読み、マザーテレサの言葉と逆になるのは戦争だからこそか?と思いました。
マザーテレサは「父親は正義を貫く者」と言ってましたが、戦禍において父は共感者であり、本来は肯定者の母が糾弾者なのです。続