マリー・ムーティエ著
「ドイツ国防軍兵士たちの100通の手紙」の中で、特に私が衝撃を受けた一通の手紙を文章そのまま紹介致しましす。
「1942年10月1日
親愛なるK夫人
御夫君の逝去を知らせるという悲しいつとめを、私がおおせつかりました。貴君の夫であるルドルフK上等兵は1942年9月29日16時30分、兵士としての任務を遂行中に死亡しました。総統のため、人民のため、党のために栄誉の死を遂げられました。
その日、御夫君は業務命令を伝える伝令の仕事を任され、先に出発していました。その午後、ロシアの砲弾が一帯に落とされました。そして、御夫君のすぐ近くで榴弾が爆発しました。榴弾の破片は心臓にまで到達しており、即死の状態でした。すくなくとも御夫君はそれ以上苦しまれませんでした。死は足踏みをしませんでしたから。
1942年9月30日、ケルコヴォ(ラドガ湖以南地域の北の一角)にある英霊墓地に遺体を埋葬し、祈りをささげました。師団付きの牧師が立ち会ってくれました。御夫君は今、先に亡くなった盟友たちのとなりで安らかに眠っています。
貴君とご子息は今、ご家族を亡くされて深い悲しみの中にあることでしょう。仲間を代表して、心からのお悔やみを申し上げます。わが隊は御夫君のことを、英雄としていつまでも心にとどめるでしょう。彼は忠実な兵士にして、良き仲間でもありました。私はそれを何度も繰り返し、この目で見てきました。
御夫君がその命を、人民と総統と帝国の存続という大きな目的のためにたしかに捧げたことを、どうか心の慰めにしてください。御夫君についてもっと詳しくお知りになりたければ、どうぞその旨を手紙で書き送ってください。質問のひとつひとつに誠意をもって回答いたします。立派な墓が完成しましたら、写真におさめてお送りしましょう。
心より哀悼を
****
はい、勢いでまんま写してしまいました。
日平均僅か20アクセスほどの私のブログに対して、出版社様か作者様からお叱りを直接受けるか解りませんが、寧ろ事が大きくなってたくさんの人に知って欲しいです(笑)。
なお、作者がこの本を出版するに辺り、大規模に呼びかけた結果、1万6千通の手紙を家族、遺族が寄付してくれたということです。
蛇足ですがこの本は3800円(税別)ちと高いですわ。収益の一部は…と善なる働きかけがあるんだろうと勝手に思い込んでる私でございます。
(了)
「戦禍に兵隊さんが敵国で買い物をする。しかも自分の財布で」
終戦直前の日本軍しか頭にない私にはイメージが沸きません。
そう、前線の兵士といえば、ジャングルの野営で配給の食料を食べたり、密林で果実を見つけたりしていた風にしか思えません(苦笑)。
しかし、第二次世界大戦のドイツは、フランス、オーストリア、チェコ、ギリシャなどで、自分の給料で買い物をしています。
敵国の領地に作った兵員宿舎で寝ます。
食事は宿舎で自由に食べれますが、酒とタバコは有料だったそうです。
そう、この「有料」の概念がもう無理なんですよね(笑)。
フランスではドイツ兵は劇場や地下鉄が無料だったそうです。
徴兵された若者にしては「無料」は有難いでしょうが、(家業をほっぽり出して前線に連れて行かれてる方もたくさんいます。)占領された側の国民からは「搾取」と思うでしょうけど。
ギリシャに派兵された若者は美しい孤島での写真を家族に贈り、「こんなことがなければ、この美しい風景を見ることはなかった。」と手紙に綴っています。
更に休暇はローテーションで取れていたそうです。
前線が落ち着いている時に休暇を貰えた兵士は、家族と再会出来たそうです。
また、給料や子育てで経済的に不安を抱えていた若者は、愛する奥さんに「軍所轄の福祉に掛け合え」と手紙で伝えていました。
戦地での郵便業務が円滑な時は、1キログラムまでの小包が贈れたそうです。
奥さんや母親からのクッキーを大変喜んだみたいです。
「クッキー」はやはり保存が利くことが重宝がられたみたいですね。また当時はほぼ手作りでしょうから、前線で懐かしい家族の味を味わえたことは、どれほどの喜びと励みだったのでしょう。
また母親から「靴」が届いたことを大変喜んだ兵士もいました。
なるほど、前線を歩き続けたら靴がダメージを受けるのは当然ですよね。
良い贈り物だと思いました。
逆に兵士側からは「剃刀」を贈ってほしいとの手紙が多かったですね。
戦禍の中で失ってしまったり、劣化した後に現地で入手が困難だったのかなと。
負けた国の町で金属が不足するのは当然かな?とも思いました。
更に経済活動といえば、開戦のきっかけは、連合国側が一方的にドイツのオーストリア金融資産を一方的に凍結したことです。一次での賠償といえばそれまでですが、当時のオーストリアにはドイツ人がまだ多数生活してたのに、国境線を変えられたのです。
続
終戦直前の日本軍しか頭にない私にはイメージが沸きません。
そう、前線の兵士といえば、ジャングルの野営で配給の食料を食べたり、密林で果実を見つけたりしていた風にしか思えません(苦笑)。
しかし、第二次世界大戦のドイツは、フランス、オーストリア、チェコ、ギリシャなどで、自分の給料で買い物をしています。
敵国の領地に作った兵員宿舎で寝ます。
食事は宿舎で自由に食べれますが、酒とタバコは有料だったそうです。
そう、この「有料」の概念がもう無理なんですよね(笑)。
フランスではドイツ兵は劇場や地下鉄が無料だったそうです。
徴兵された若者にしては「無料」は有難いでしょうが、(家業をほっぽり出して前線に連れて行かれてる方もたくさんいます。)占領された側の国民からは「搾取」と思うでしょうけど。
ギリシャに派兵された若者は美しい孤島での写真を家族に贈り、「こんなことがなければ、この美しい風景を見ることはなかった。」と手紙に綴っています。
更に休暇はローテーションで取れていたそうです。
前線が落ち着いている時に休暇を貰えた兵士は、家族と再会出来たそうです。
また、給料や子育てで経済的に不安を抱えていた若者は、愛する奥さんに「軍所轄の福祉に掛け合え」と手紙で伝えていました。
戦地での郵便業務が円滑な時は、1キログラムまでの小包が贈れたそうです。
奥さんや母親からのクッキーを大変喜んだみたいです。
「クッキー」はやはり保存が利くことが重宝がられたみたいですね。また当時はほぼ手作りでしょうから、前線で懐かしい家族の味を味わえたことは、どれほどの喜びと励みだったのでしょう。
また母親から「靴」が届いたことを大変喜んだ兵士もいました。
なるほど、前線を歩き続けたら靴がダメージを受けるのは当然ですよね。
良い贈り物だと思いました。
逆に兵士側からは「剃刀」を贈ってほしいとの手紙が多かったですね。
戦禍の中で失ってしまったり、劣化した後に現地で入手が困難だったのかなと。
負けた国の町で金属が不足するのは当然かな?とも思いました。
更に経済活動といえば、開戦のきっかけは、連合国側が一方的にドイツのオーストリア金融資産を一方的に凍結したことです。一次での賠償といえばそれまでですが、当時のオーストリアにはドイツ人がまだ多数生活してたのに、国境線を変えられたのです。
続
「ドイツ国防軍兵士たちの100通の手紙」
を読んでいると、やはり日本人の私には理解し難い文も出てきます。
それは「キリスト教」です。
愛する奥さんと子供達に宛てた手紙には「神様」「祝福」「加護」という言葉が度々出てきます。
勿論、日本人だって「天の~」「お天道さんが~」「お釈迦様が言うには~」という風に絶対的(とされる)存在を示して会話することはあります。
ただ、欧米の人はそれが日常に凄く根付いてるんですよね。当たり前のように出てくるというか。
誰だって死が迫った場面では神に祈りたくなりますし、愛する家族を神様や天使に守ってほしいと思います。
ただ…この「祝福」って文化が「欧米だなぁ」と思う私です。
そう、欧米の人は「大袈裟に喜ぶ」ということなんですよね。
「褒める」「認める」「肯定する」は公に言葉に出してアピールする良いことだと思います。
日本には古くから「沈黙の文化」があります。
戦後教育が70年も過ぎれば欧米化されて当然ですが、「沈黙」が何でもかんでもネガティブではないんですよね。
波一つ立たない静かな湖面のような心を大切にする気持ち…と言えば理解してくれると思います。
ただ、「祝福」が日常に根付いている欧米では、「パーティー」を自粛するのは難しいのかな…?とも思えるようになってきました。
そう、不謹慎だとか、大騒ぎするなとかじゃなく、もっと、こう深い部分での喜びのアピールやパフォーマンスが自身と周囲の存在肯定であり、信仰の一部なのかなぁと考えるようになりました。
****
更に「加護」とか「守護」という概念で、「願いが叶う」との思いも強いですね。「夢」とか「勇気」とかの思いも強いと思います。
現代社会において、若者は遥かに「夢」が叶いやすい環境だと思います。
ただそれは「いつまでも夢を諦められない」更に言えば「夢を諦めなくても生きてはいける」環境ではないかと戦禍を考えれば特に思えるのです。
親に敷かれたレールで家業を継がされ、見合い結婚させられてた時代も問題ですが、若く若すぎる内に決めた夢「しか」ないのも…。と思います。
余談ですがプロ野球解説者の立浪氏は、
「最近は少年の頃から外野手専門で育ててる。だから内野手の気持ちを理解しようともせず、ただ強くて早い球をバックホームする。内野手が捕りやすい中継プレーの球を投げれない。」と嘆いていました。
私には未来のヒントに思えるのです。
了
を読んでいると、やはり日本人の私には理解し難い文も出てきます。
それは「キリスト教」です。
愛する奥さんと子供達に宛てた手紙には「神様」「祝福」「加護」という言葉が度々出てきます。
勿論、日本人だって「天の~」「お天道さんが~」「お釈迦様が言うには~」という風に絶対的(とされる)存在を示して会話することはあります。
ただ、欧米の人はそれが日常に凄く根付いてるんですよね。当たり前のように出てくるというか。
誰だって死が迫った場面では神に祈りたくなりますし、愛する家族を神様や天使に守ってほしいと思います。
ただ…この「祝福」って文化が「欧米だなぁ」と思う私です。
そう、欧米の人は「大袈裟に喜ぶ」ということなんですよね。
「褒める」「認める」「肯定する」は公に言葉に出してアピールする良いことだと思います。
日本には古くから「沈黙の文化」があります。
戦後教育が70年も過ぎれば欧米化されて当然ですが、「沈黙」が何でもかんでもネガティブではないんですよね。
波一つ立たない静かな湖面のような心を大切にする気持ち…と言えば理解してくれると思います。
ただ、「祝福」が日常に根付いている欧米では、「パーティー」を自粛するのは難しいのかな…?とも思えるようになってきました。
そう、不謹慎だとか、大騒ぎするなとかじゃなく、もっと、こう深い部分での喜びのアピールやパフォーマンスが自身と周囲の存在肯定であり、信仰の一部なのかなぁと考えるようになりました。
****
更に「加護」とか「守護」という概念で、「願いが叶う」との思いも強いですね。「夢」とか「勇気」とかの思いも強いと思います。
現代社会において、若者は遥かに「夢」が叶いやすい環境だと思います。
ただそれは「いつまでも夢を諦められない」更に言えば「夢を諦めなくても生きてはいける」環境ではないかと戦禍を考えれば特に思えるのです。
親に敷かれたレールで家業を継がされ、見合い結婚させられてた時代も問題ですが、若く若すぎる内に決めた夢「しか」ないのも…。と思います。
余談ですがプロ野球解説者の立浪氏は、
「最近は少年の頃から外野手専門で育ててる。だから内野手の気持ちを理解しようともせず、ただ強くて早い球をバックホームする。内野手が捕りやすい中継プレーの球を投げれない。」と嘆いていました。
私には未来のヒントに思えるのです。
了