「ドイツ国防軍兵士たちの100通の手紙」
を読んでいると、やはり日本人の私には理解し難い文も出てきます。
それは「キリスト教」です。
愛する奥さんと子供達に宛てた手紙には「神様」「祝福」「加護」という言葉が度々出てきます。
勿論、日本人だって「天の~」「お天道さんが~」「お釈迦様が言うには~」という風に絶対的(とされる)存在を示して会話することはあります。
ただ、欧米の人はそれが日常に凄く根付いてるんですよね。当たり前のように出てくるというか。
誰だって死が迫った場面では神に祈りたくなりますし、愛する家族を神様や天使に守ってほしいと思います。
ただ…この「祝福」って文化が「欧米だなぁ」と思う私です。
そう、欧米の人は「大袈裟に喜ぶ」ということなんですよね。
「褒める」「認める」「肯定する」は公に言葉に出してアピールする良いことだと思います。
日本には古くから「沈黙の文化」があります。
戦後教育が70年も過ぎれば欧米化されて当然ですが、「沈黙」が何でもかんでもネガティブではないんですよね。
波一つ立たない静かな湖面のような心を大切にする気持ち…と言えば理解してくれると思います。
ただ、「祝福」が日常に根付いている欧米では、「パーティー」を自粛するのは難しいのかな…?とも思えるようになってきました。
そう、不謹慎だとか、大騒ぎするなとかじゃなく、もっと、こう深い部分での喜びのアピールやパフォーマンスが自身と周囲の存在肯定であり、信仰の一部なのかなぁと考えるようになりました。
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更に「加護」とか「守護」という概念で、「願いが叶う」との思いも強いですね。「夢」とか「勇気」とかの思いも強いと思います。
現代社会において、若者は遥かに「夢」が叶いやすい環境だと思います。
ただそれは「いつまでも夢を諦められない」更に言えば「夢を諦めなくても生きてはいける」環境ではないかと戦禍を考えれば特に思えるのです。
親に敷かれたレールで家業を継がされ、見合い結婚させられてた時代も問題ですが、若く若すぎる内に決めた夢「しか」ないのも…。と思います。
余談ですがプロ野球解説者の立浪氏は、
「最近は少年の頃から外野手専門で育ててる。だから内野手の気持ちを理解しようともせず、ただ強くて早い球をバックホームする。内野手が捕りやすい中継プレーの球を投げれない。」と嘆いていました。
私には未来のヒントに思えるのです。
了