「戦禍に兵隊さんが敵国で買い物をする。しかも自分の財布で」
終戦直前の日本軍しか頭にない私にはイメージが沸きません。
そう、前線の兵士といえば、ジャングルの野営で配給の食料を食べたり、密林で果実を見つけたりしていた風にしか思えません(苦笑)。
しかし、第二次世界大戦のドイツは、フランス、オーストリア、チェコ、ギリシャなどで、自分の給料で買い物をしています。
敵国の領地に作った兵員宿舎で寝ます。
食事は宿舎で自由に食べれますが、酒とタバコは有料だったそうです。
そう、この「有料」の概念がもう無理なんですよね(笑)。
フランスではドイツ兵は劇場や地下鉄が無料だったそうです。
徴兵された若者にしては「無料」は有難いでしょうが、(家業をほっぽり出して前線に連れて行かれてる方もたくさんいます。)占領された側の国民からは「搾取」と思うでしょうけど。
ギリシャに派兵された若者は美しい孤島での写真を家族に贈り、「こんなことがなければ、この美しい風景を見ることはなかった。」と手紙に綴っています。
更に休暇はローテーションで取れていたそうです。
前線が落ち着いている時に休暇を貰えた兵士は、家族と再会出来たそうです。
また、給料や子育てで経済的に不安を抱えていた若者は、愛する奥さんに「軍所轄の福祉に掛け合え」と手紙で伝えていました。
戦地での郵便業務が円滑な時は、1キログラムまでの小包が贈れたそうです。
奥さんや母親からのクッキーを大変喜んだみたいです。
「クッキー」はやはり保存が利くことが重宝がられたみたいですね。また当時はほぼ手作りでしょうから、前線で懐かしい家族の味を味わえたことは、どれほどの喜びと励みだったのでしょう。
また母親から「靴」が届いたことを大変喜んだ兵士もいました。
なるほど、前線を歩き続けたら靴がダメージを受けるのは当然ですよね。
良い贈り物だと思いました。
逆に兵士側からは「剃刀」を贈ってほしいとの手紙が多かったですね。
戦禍の中で失ってしまったり、劣化した後に現地で入手が困難だったのかなと。
負けた国の町で金属が不足するのは当然かな?とも思いました。
更に経済活動といえば、開戦のきっかけは、連合国側が一方的にドイツのオーストリア金融資産を一方的に凍結したことです。一次での賠償といえばそれまでですが、当時のオーストリアにはドイツ人がまだ多数生活してたのに、国境線を変えられたのです。
続