「願わくばフィルムを贈ってほしい」 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
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こんばんは。
今日も
「ドイツ国防軍兵士たちの100通の手紙」
の本から書きます。

前線のドイツ兵が家族に宛てたお願いの中に

「フィルムを贈ってほしい」

と手紙に書いていました。

(アナログの一眼レフ)カメラで写真を撮る為にはフィルムが必要。
全部撮り終わったら新しいフィルムが必要。

すっかり古くなった習慣であり、作業であり、技術でしょうか?

しかも家族に新しいフィルムをお願いするのも、その家族に自分が今居る場所を見せる為にシャッターを押すのですから、何だかとても興味深いです。

「相手に見せる為にその相手にお願いする」

写メ、スマホ、SNSの時代にどれだけこの感覚が理解して貰えるでしょうか?

今の時代と比べて

「相手の了解がないと成立しない」

ということがとても多かったような気がします。ほんの70年ほど昔なのですが。

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更に現代の日本人には考えられないことが書いてました。

東部戦線に参加してた兵隊は、ポーランドやロシアの前線で…。


「敵国の民家に宿泊していたドイツ兵が居た。」

ということです。

家を提供してくれるのは、共産主義に反対するごく一般の家庭だったそうです。
彼らは若きドイツ兵によって、スターリンが縛り首になるという、自分達の願いを叶えてくれると思っていたそうです。

「鬼太郎」の水木先生も、東南アジアの地元住民の子供達と仲良く触れ合った話を残してますが、完全な「敵国」の兵士を我が家に泊める感覚は驚きました。

それだけ共産主義の蔓延や一部ユダヤ富裕層の金融搾取は根深い問題だったのかもと思います。

日本でも「べ平連」と言って、「ベトナム平和維持連合」と呼ばれる人達が、本来は戦地ベトナムに行くはずのアメリカ兵を、日本に「横流し」して、日本の田舎でほとぼりが冷めるまで静かにホームステイさせる活動があったみたいですね。

そりゃ国家の意思に反するかもしれないし、臆病者で裏切り者の謗りを受けるかもしれませんが、どこかほっこりとする「良い嘘だなぁ」なんて私的には思います。

縁も所縁もない日本の田舎で、あるアメリカ兵は畑仕事を手伝い、そのお礼として、貼り絵だかちぎり絵だかを老婆から帰国前に受け取った、とありました。

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また交戦中にフランス兵捕虜を、ドイツ士官が自宅に宿泊させた話もありました。
今まで習った話よりもどこか牧歌的なんですよね。
(続く)