最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦 -32ページ目

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

阪神タイガース愛故にブログ更新が滞ってる私です。
もうどれくらいの方が読んでくれてるかわかりませんが、私が私自身の為に綴ろうと思います。

はい、タイトルの件ですが、「プロ野球のコーチや監督って大変だなぁ~」と、職場で若手を指導する私が漠然と思ったことを書いていきます。

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はい、結論から言うと、「プロ野球の監督やコーチは、現役時代の成績とは違う部分が、特に選手時代の目に見えて有名な長所と違う能力を要求される」

ということです。


まず最初に打撃コーチについて。

「打撃コーチは教え子が打ちやすい球を投げれる投手能力が要求される」
です。

はい、バッティングコーチは自らが打撃投手を務めて、「投手視点」で教え子のフォーム、スイングをチェックします。
現役時代にめちゃくちゃホームランを打っていたとしても、打撃コーチとして、教え子に的確なボールを投げてあげれないといけないとコーチ失格なのです。

次に守備コーチです。
現役時代に華麗なグラブさばきを見せた守備コーチは、教え子の守備を向上させる為に、痛烈なノックが打てないといけません。

そう、守備コーチがバットを握って指導し、打撃コーチがボールを投げて指導するのです。

広島とヤクルトで指導した石井琢郎コーチは、横浜時代には攻守に華麗なプレーを見せた遊撃手でしたが、入団当初は投手でした。
彼の打撃コーチとして評価が高いのは、現役時代の打撃能力だけでなく、元投手として投げる球が、選手の成長に一役買ってるのかな?と思いました。

次に監督とチームの傾向について。

「投手出身の監督ほど攻撃型のチームになり、野手出身の監督ほど守備型になる」
ということです。

阪神タイガースの前監督の金本さんは、

「僕は現役時代に、自分の打撃成績を上げる為に、相手投手の研究を必死にやった。
それで若手投手を見る目が養われたかもしれないね。
だから逆に野手のことはわからない。相手のバッターは研究しなかったから(笑)。」
と自嘲気味に話してました。

そう、より対戦相手のこと調べて研究するからこそ、自分と真逆の者が育っていくということです。

これは野球に限らないかな?
例えば、男女ペアのダンスなんかは、女性コーチほど男子を育成出来るのかな?女性コーチが女性ダンサーを上手に育成するには、男性パートナー役をしないといけないですからね。
この鏡の理論は仕事や社会にも該当するかな?続
いつの間にか

42歳を迎えていた

大学を中退してからの人生の方が長くなっていた

大人になってからの方が長くなっていた
いつの間にか、妻に出会ってからの方が長くなっていた


いつの間にか、鬱を患っていた。

でも克服した。
これは「いつの間にか」じゃない。
確かに記憶しているから。
このブログを始めた2011年頃からだ。
2012年は遂に休職もした。
それは記録してるから。
いつの間にかじゃない。
それは確実に克服したのだから。

いつの間にか

入社してから鬱を克服するまでの時間よりも、克服してからの時間の方が長くなっていました。


いつの間にか思春期は終わっていた。

いつの間にか思春期の自分を見守っていた母と同じ年齢になっていた。

僕はあの時の僕自身を、母の様に育てられる自信がない。
正しく諭し、導くなんて不可能だろうね(笑)。


いつの間にか「ベテラン」と呼ばれ、頼られ、手本を示す立場になった。

「最近の若い者は…。」と言い出すようになったのは「いつの間にか」ではない。
思春期の頃から僕の口癖だからだ。

「練習でフライを正面で捕球してどうする!
練習中だからこそ、敢えて極端に前に守ったり、後ろに守るんだ!
そこから猛烈にダッシュして、精一杯身体を伸ばしてキャッチする練習を繰り返すんだ。
そうすることで試合では、今まで捕れなかったボールに追い付けるようになるんだ。
真正面のフライを真正面で捕球してもそれは『当たり前だ』。」


はい、阪神タイガースの福留孝介外野手の言葉です。

イチロー選手が「準備が大事」と繰り返し言ってたことが取り上げられるようになり、「準備力」という言葉が使われましたが、つまりはこういうことです。

「何を想定して、どの部分に時間を割くか?」

反省するとは落ち込んだポーズを決めることではありません。
傾向と対策を練ることであり、自分を客観視出来るかです。

「運が悪かった」は確かにあります。しかし、どれだけ想定出来るか?ですね。
また、福留選手は若手外野手に

「全ての打球を捕るのは不可能だ」

とも言ってます。

私見ですが、「効率主義」と「成果主義」は別物です。
コストの(表面上の)無駄が生み出す成果はあります。
不必要な物を削減したことによる、見かけ上の停滞や失速を、どれだけ我慢出来るかも非常に重要ですね。

まぁ、私もこの年になれば

「何をするか?」の大切さよりも、「何をしないか?」の見極めの重要さを痛感しています。
若い頃はあれもこれも、と思ってしまいがちですが、「やらなくても大丈夫なこと」をどれだけ作れるかが大事かと思います。
勿論、それは若いウチにガムシャラに身体と頭を働かせた積み重ねだと思います。

若者達の「スパルタ否定」をもの凄い勢いですからね。それが効率主義信者になり、単純単調な反復練習を嫌悪するようになるわけで…。

確かにスマホ検索すれば何でも出てくる便利な時代ですが、それよりも迅速で便利なのは「最初から知っている」「過去に検索したことを憶えている」ですからね。そこで重要なのは「何を忘れるか?」
ですよね(笑)。


無駄のない反復練習が一番の近道である。
だがそれはたった一つの目的に対しての最短距離である。
何かの犠牲なくして何も得ることは出来ない。