最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦 -17ページ目

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

キルケゴール著「おそれとおののき」には、以下のような神話を引用しています。

「プリュギアの王ミダスは、自分が触れる物全てを、黄金に換える能力を授かる様に願い出た。
これにより、ミダスが触れた鋼の剣も、石の壁も全てが黄金になった。
そして、彼の食事さえ黄金に換わってしまい、彼は飢えと渇きに苦しんだ。
パルトロスの泉に沐浴することで、漸くその身は浄化された。」

と、あります。

勿論、これは神話です。

物理的に石や鉄や肉や魚が黄金に換わった記録書ではありません。
元素記号や物理法則はこの考察に無用でしょう。

では何を教えたかったか?

欲のあさましさか、富の空虚さか?
人が人としての原罪を超越出来ぬ嘆きだろうか?

キルケゴールはこの逸話を引用する前に

「『働く者のみパンを得る』とあるが、外部の世界は不完全な法則に支配され、働かなくともパンを得る者や、眠っている者の方が多くのパンを得ることもあるのだ。」

と述べています。

「働く者だけパンを得る」

は理性的観念や思想上や倫理的に「是」とされた者です。各々が心の中で正しいと思いながら日常生活を送れば良いのです。

それを不都合な社会に激昂して、神の奇跡を借り、等しく全ての者に揺るぎない法則を適用すると…。
ミダス王の様な悲劇になるのでしょう。

カール・マルクスはキルケゴールより五歳年下です。

「平等な社会」は、心に思い描くから理想は美しく、共産党の強権発動で無理矢理実現しても…「市民全てが幸せでない」という「平等」が実現されただけでしたね。

「願いが叶ってしまったら」

は私自身の著作で取り上げている長きに渡るテーマですが、二百年前にキルケゴールも考察していてくれて嬉しい限りです。

「友情や愛情は1+1の結果を5にも10にも変える。」

と、漫画や小説での常套句を

「いや、絶対に2だ!」

と、あくまで数学の法則を用いて主張すれば、貴方の思い知らぬ不完全な法則に堕ちることでしょう。

現実世界の法則と、精神世界の法則は同じではない。
それを不都合なく統一出来るのは神=包括者の法則によってのみ行われる。
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はい、もう六年も前の記事を再掲載しました。

こんな時だからこそ、

「食べる」

「働く」

「生きる」

「考える」

を、「考えさせられ」ます。

コロナ以前から、虚飾に満ちた砂上の楼閣のような経済活動はずっと警鐘は鳴らされてた
大好きな明石家さんまさんの番組「ホンマでっか!?TV」で、私の大好きな心理学の植木理恵先生の言葉を記します。



「年を経て、幸せな人生だったかどうかを測る研究データに、
『どれほど沢山のことに夢中になったか?』
ということに相関関係が見られるとのことです。

つまり、『狭く深くではなく』、より沢山のことに、具体的には

『5つ以上は夢中になった趣味・特技等があった人』


の方が、自身の人生を振り返った時、自分は幸せな人生だったと思える満足度が高い」

と、話されていました。

これを聞いて私はめちゃくちゃ安心しました(笑)。
だって沢山の趣味があるんだもん!

今でも、筋トレに料理、プレステのゲームに、お笑い番組やアニメを観たり、プラモデル作り…。

既に5つ(笑)。

それ以外にも小説書いたり、哲学研究に、プロ野球だって大好きです。

仕事の薬の販売だって、趣味の範囲の生物学や社会学を応用してるし、日本史、世界史だって大好きだ。

ここで大切なのは、「本当に夢中になったか?」
だと思います。

流行だからとか、家族友人との付き合いでとかじゃなく、上手いとか下手じゃなくて、自分自身が一心不乱になれたかどうかだということ。

「大切なのはどれほど心を込めたかということです。」

マザーテレサの言葉より
ドラえもん、ハットリくんなどの作品で日本を代表する漫画界の巨匠・藤子不二夫先生の言葉を紹介します。

と、言っても、これは「二人のペンネーム」
藤子F不二夫こと、ドラえもんの藤本先生と、藤子不二夫Aこと「笑うせぇるすまん」「プロゴルファー猿」などの安孫子先生との会話です。

昭和20年、戦争が終わったことにより、安孫子先生は疎開先から地元の小学校に戻ります。
そこで藤本先生に出会います。
二人はまだ小学5年生。
安孫子先生は当時から絵の上手さに自信がありましたが、藤本先生はそれ以上に上手かったと本人が述べてます。
更に藤本先生は絵だけでなく、工作の腕も素晴らしく、船の模型作りや、お手製のスクリーンと懐中電灯でスライド映画も作っていたそうです。(まだ11才!)

そしてその藤本先生は安孫子先生に…。

「戦争が終わった今は、みんなが食べていくのに必死だ。
でも、いずれそれじゃあ満足しなくなる。
そこで皆が求めるのが娯楽。そう、映画、舞台演劇、小説、そして漫画だ。
だから僕は将来漫画家になるってもう決めたんだ。」

と、昭和20年の11才の時の決意は揺らがなかったそうです。

安孫子先生は高校卒業後に新聞記者を経て漫画家になりますが、藤本先生は製菓会社を1日で退職します。

しかし、藤本先生の方は身体が弱く「まんが道」の作中でも咳込む場面が多く、また運動も苦手で風呂嫌いな描写もありました。
お父様も身体が弱く、郵便局の内勤勤めだったとか…。

安孫子先生も運動は苦手ながらも、野球やゴルフをされています。
また、お父様を早く亡くされていたそうです。
お母様は喫茶店で働き安孫子先生とその弟さんを育てていました。
しかし、厳粛な禅宗の家で生まれたようで、食べ物の戒律が厳しくほぼ菜食主義者だったそうです。先生が「笑っていいとも」に出た時は、「僕の主食はタケノコ」だったと言っていました。
やはり野菜と適度な運動は健康にいいのかと思いました。
しかし、私は安孫子先生の大人向けブラックユーモアは苦手ですね(笑)。
やっぱり藤本先生のドラえもんやパーマンが好きですね。

そして常に「子供の為の漫画」を目指していたそうです。

何故、私が今日、この記事を書こうと思ったか?

人は何を求め、必要として、必要とされるか。

「国とは土地や建物のことではありません。人が集まればそこは国です。」
別の漫画のレオナ姫の言葉です。