キルケゴール著「おそれとおののき」には、以下のような神話を引用しています。
「プリュギアの王ミダスは、自分が触れる物全てを、黄金に換える能力を授かる様に願い出た。
これにより、ミダスが触れた鋼の剣も、石の壁も全てが黄金になった。
そして、彼の食事さえ黄金に換わってしまい、彼は飢えと渇きに苦しんだ。
パルトロスの泉に沐浴することで、漸くその身は浄化された。」
と、あります。
勿論、これは神話です。
物理的に石や鉄や肉や魚が黄金に換わった記録書ではありません。
元素記号や物理法則はこの考察に無用でしょう。
では何を教えたかったか?
欲のあさましさか、富の空虚さか?
人が人としての原罪を超越出来ぬ嘆きだろうか?
キルケゴールはこの逸話を引用する前に
「『働く者のみパンを得る』とあるが、外部の世界は不完全な法則に支配され、働かなくともパンを得る者や、眠っている者の方が多くのパンを得ることもあるのだ。」
と述べています。
「働く者だけパンを得る」
は理性的観念や思想上や倫理的に「是」とされた者です。各々が心の中で正しいと思いながら日常生活を送れば良いのです。
それを不都合な社会に激昂して、神の奇跡を借り、等しく全ての者に揺るぎない法則を適用すると…。
ミダス王の様な悲劇になるのでしょう。
カール・マルクスはキルケゴールより五歳年下です。
「平等な社会」は、心に思い描くから理想は美しく、共産党の強権発動で無理矢理実現しても…「市民全てが幸せでない」という「平等」が実現されただけでしたね。
「願いが叶ってしまったら」
は私自身の著作で取り上げている長きに渡るテーマですが、二百年前にキルケゴールも考察していてくれて嬉しい限りです。
「友情や愛情は1+1の結果を5にも10にも変える。」
と、漫画や小説での常套句を
「いや、絶対に2だ!」
と、あくまで数学の法則を用いて主張すれば、貴方の思い知らぬ不完全な法則に堕ちることでしょう。
現実世界の法則と、精神世界の法則は同じではない。
それを不都合なく統一出来るのは神=包括者の法則によってのみ行われる。
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はい、もう六年も前の記事を再掲載しました。
こんな時だからこそ、
「食べる」
「働く」
「生きる」
「考える」
を、「考えさせられ」ます。
コロナ以前から、虚飾に満ちた砂上の楼閣のような経済活動はずっと警鐘は鳴らされてた