ドラえもん、ハットリくんなどの作品で日本を代表する漫画界の巨匠・藤子不二夫先生の言葉を紹介します。
と、言っても、これは「二人のペンネーム」
藤子F不二夫こと、ドラえもんの藤本先生と、藤子不二夫Aこと「笑うせぇるすまん」「プロゴルファー猿」などの安孫子先生との会話です。
昭和20年、戦争が終わったことにより、安孫子先生は疎開先から地元の小学校に戻ります。
そこで藤本先生に出会います。
二人はまだ小学5年生。
安孫子先生は当時から絵の上手さに自信がありましたが、藤本先生はそれ以上に上手かったと本人が述べてます。
更に藤本先生は絵だけでなく、工作の腕も素晴らしく、船の模型作りや、お手製のスクリーンと懐中電灯でスライド映画も作っていたそうです。(まだ11才!)
そしてその藤本先生は安孫子先生に…。
「戦争が終わった今は、みんなが食べていくのに必死だ。
でも、いずれそれじゃあ満足しなくなる。
そこで皆が求めるのが娯楽。そう、映画、舞台演劇、小説、そして漫画だ。
だから僕は将来漫画家になるってもう決めたんだ。」
と、昭和20年の11才の時の決意は揺らがなかったそうです。
安孫子先生は高校卒業後に新聞記者を経て漫画家になりますが、藤本先生は製菓会社を1日で退職します。
しかし、藤本先生の方は身体が弱く「まんが道」の作中でも咳込む場面が多く、また運動も苦手で風呂嫌いな描写もありました。
お父様も身体が弱く、郵便局の内勤勤めだったとか…。
安孫子先生も運動は苦手ながらも、野球やゴルフをされています。
また、お父様を早く亡くされていたそうです。
お母様は喫茶店で働き安孫子先生とその弟さんを育てていました。
しかし、厳粛な禅宗の家で生まれたようで、食べ物の戒律が厳しくほぼ菜食主義者だったそうです。先生が「笑っていいとも」に出た時は、「僕の主食はタケノコ」だったと言っていました。
やはり野菜と適度な運動は健康にいいのかと思いました。
しかし、私は安孫子先生の大人向けブラックユーモアは苦手ですね(笑)。
やっぱり藤本先生のドラえもんやパーマンが好きですね。
そして常に「子供の為の漫画」を目指していたそうです。
何故、私が今日、この記事を書こうと思ったか?
人は何を求め、必要として、必要とされるか。
「国とは土地や建物のことではありません。人が集まればそこは国です。」
別の漫画のレオナ姫の言葉です。