最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦 -18ページ目

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

外出の機会が減ることで、自宅で筋トレする時間が普段よりあります。

社員割引でプロテインも購入したし、スーパーで買う牛乳は無脂肪乳に代えた。
でも…職業病的な首、肩、腕の痛みが慢性化してます。
特に今の劣悪な社会環境での小売り接客業は私の左腕の傷を深める一方です。

そこで…私は逆転の発想であるトレーニングを思いつきました。

そう…

「利き腕じゃない右腕で野球の投球練習をする。」

です。

元々、左腕でも大したボールが投げれるわけではありません。
三、四年前に購入した野球の練習教本と付属のDVDを見ながら練習しています。

部屋でボールは投げれませんから、もっぱらタオルを使ってのシャドーピッチングです。
近年の成果で、左腕でタオルを振れば、驚くほどの鋭い音を出せるようになりました。
しかし、昨夜から始めた右腕でのシャドーピッチングは中々うまくいきません。
タオルの先がヘロヘロにしなって、なかなか「ビュン」という空気を鋭く切り裂く音が出てくれません。

しかもフォームが固まってないので右肩や背中の普段使わない部分が痛いです。
でも、これで右腕に今まで以上の筋肉がつけば、仕事での左腕にかかる負担が減るはずです。
本来なら痛みと炎症が残る左腕を休めなきゃいけないのですが…今はめっちゃ右腕を鍛えています。

いつか右投げで普通に遊撃手や捕手を守れるようになれたらいいなと…それが出来れば私は40年来のコンプレックスから解放されるのですが(笑)。

40過ぎの両投げ両打ち選手誕生も近い?

以上、私の休日の過ごし方でした。
アプローチの手段は千種類以上遥かに、無限にあります。
最終的にゴールに辿り着いたらいいんです。
過程の反省は終わってからすればいい。

同じ内容を伝えるにしても、そこに楽しさと笑いがあった方が絶対いい。
責任を果たして笑顔になれる、義務を果たして笑顔になってもらうことがどんなに幸せか。

「必笑(ひっしょう)」は、どこかの高校野球チームのモットーだそうです。九回裏絶体絶命のピンチでも、笑顔を絶やさず打席に立つ姿に、相手投手は計り知れないプレッシャーを感じたそうです。
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「我が子と家でどう過ごしていいかわからない。」

と悩む親御さんに驚きです。
きっと週末はテーマパークや旅行先に連れて行ってたのかな?


「何もしなくても幸せ」

「何も持ってなくても豊か」

「何も起きなくても喜ばしい(慶び)」

地位、名誉、財産。他人との比較。
そんなものは墓場に持っていけないのはわかってるはず。

誰と競争して「良い家庭の過ごし方」を模索してるんですか?
「自立よりも自律」

「社会や他者からの罰則がなくとも己にルールを課す(科す)」

ということを、若者に教えて来なかった私達世代の責任かな?と思います。

団塊世代や現役ママさん達が家庭での不安からの買い物依存…。

ウイルスより怖く根深いですよ。

「代理ミュンミハウゼン症候群」の方がたくさん存在している気がする。

そう、「騒ぎが終われば自分の責任」

という現実と向き合えない人達。

「永遠の被害者」であることを自ら望む者達よ。

不必要な物を買わせる経済システムは限界です。

本当に何も要らなくても生きていける。

「日常」て「頑なに変化を拒絶すること」
じゃないと思います。


「変えられることを変えようとする勇気と、

変わらないことを変わらないと受け入れられる静かな心と、
そしてそれがどちからを見極められる知恵を持ちなさい。」

今回の騒動の数少ないメリットは、「お金さえ出せば解決出来る」と思ってる連中を駆逐したことだな。

全ては自然淘汰。

団体行動の負の側面が露呈しましたね。

民主主義とは手続きが民主主義なんだよ。

独裁と強権発動の良策よりも、不備なく遅滞の愚策の方が選択されるんだよ。

古代ローマは民主主義の後に市民から望まれて帝政が生まれた。
帝国主義の方が後だったのだ。